2015
12.01

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2014
12.19

ダライ・ラマ法王の説かれた『般若心経』(その2) ―すべてが不生不滅、不垢不浄、不増不減とは?―

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〈外は銀世界ですが、水槽ではタニシが大発生し、何ものかの卵も産み付けられています〉

 般若心経についてのご質問です。
「生じることもなく、滅することもなく、汚くもきれいなものでもない、減りも増えもしないものとは、具体的に何のことを言っているのですか?」
 今回は、(その1)で用いたDVDから少し離れますが、おおよそ、以下のようにお答えしました。

般若心経は『是(コ)の諸法は相(クウソウ)にして不生不滅、不垢不浄、不増不減なり』と説いています。
 字面をそのまま追えば、あらゆるものは生じたり、滅したりと無常であるのにどうしたことか?と疑問が生じるのはもっともです。
 考えてみましょう。
 そもそも、ここで言う『諸法』とは、私たちが日常生活で見聞きする現象世界そのものではありません。
 あくまでも観音菩薩の深い瞑想にあって〈(クウ)〉であると観られた世界を示しています。

 すべては因と縁によって仮そめに存在しているだけであり、本も、猫も、自分もここにあって、ここにいますが、の目から観れば独立して存在するものとしては、何一つありません。
〈不在〉なのです。
 なので、本や猫や自分と呼ばれるものの究極的ありようは、生じる何ものかでも、滅する何ものかでも、垢れている何ものかでも、浄らかな何ものかでも、増える何ものかでも〈ない〉というしかありません。

 ダライ・ラマ法王は、凡夫の目にとらえられる現象世界において、因と縁によって生じ、滅し、垢れ、清浄らかで、増し、減る状況を『世俗の真理』とされました。
 確かにそう見え、確かめられているから『真理』です。
 しかし、それは、それにとらわれて一喜一憂する凡夫の世界における真理でしかありません。
 現象世界のありようを根源からつかんだ観音菩薩の目に映り耳に聞こえる世界(般若心経の中身です)はただただ、であり、それを『究極の真理』と言います。

 だから、この一文は、究極の真理として現れているこの世の諸々のものはすべて、凡夫の間で用いる言葉にすれば〈~でない〉と表現するしかないことを意味しています。
 凡夫の目には生じており、滅していますが、同じ世界が観音様の目には、そのままにして、なのです。
 理解するポイントは、一つの世界が、凡夫の目には〈世俗的に〉とらえられ、観音様の目には〈究極的に〉とらえられるという二面性にあります。
 どうぞ、これからも、お励みください。」

 予断ですが、今日は暦上、一年に一日だけの特異な日です。
 一年を陽と陰に分けて運行する星の巡りが、昨日で陰の時期を終え、今日から陽の時期に切り替わる「陽転(ヨウテン)」と呼ばれる日なのです。
 大寒波で被害が出ている日本列島は、目に見えぬところで陽の気が動き始めました。
 今からおよそ200年前、イギリスの詩人パーシー・ビッシュ・シェリーは長編詩『西風に寄せる歌』をこう締めくくりました。

"If Winter comes, can Spring be far behind?"


「冬来たりなば、春遠からじ」という翻訳が有名です。

 また、22日は冬至を迎えます。
 一年で最も昼の時間が短くなり、翌日から確実に「日中」は長くなり始めます。
 そこで「一陽来復(イチヨウライフク)」と言われます。
 陰の気が極まり、陽の気がまた、勢いを持ち始めるのです。
 川崎展宏は詠みました。

をゆく鏡のごとき冬至の日」


 いかに寒くとも、荒天ではなく、好天で陽の時期を迎えたいものですね。
 空の鏡が発する陽光に照らされる善名善女の運気も陽となりますよう。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2014
12.18

骨葬、共同墓、そして失った〈家族〉感覚について ―捨て去ったり、忘れたりしていたものは何か?―

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〈今日は好天、自然墓をお見守りくださる笹倉山がはっきりと見えます〉

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〈正面のお大師様から縁結びの紐が延びています〉

 雪が降りしきる中で『自然墓』への埋骨を行いました。
 他県から連れてこられたのです。
 ほとんど、物音のしない世界で唱えた般若心経は、灰色になった視界の向こうにそびえる笹倉山へも届くかと思われました。
 本堂で熱いお茶をいただきながら、ご当主が言われます。
「みんなにも正面のお山を見せたかったけど、今日は残念だな。
 実に、『山へ還る』という感じになるんだ。
 来春、また、みんなでお参りに来よう」
 中学生の娘さんが、ストーブに手をかざしながら、明るく応えます。
「うん、来ようね。
 また、来よう」
 帰りしな、奥さんが入り口にある塗香(ヅコウ)に目をとめ、全員が作法どおりに心を清めました。
 本当は入堂する前に行うものですが、いつ、行ってはいけないという決まりはありません。
 きっと、桜の咲く頃にまたご一同で、ご来山され、今度は塗香の作法を終えてからご本尊様へお詣りされることでしょう。

 最近は共同墓への埋骨が増えています。
 名前を貼り出したりしなくてもよい方は『自然墓』、表札のように名前や戒名などを明確に示したい方は『法楽の礎』を選ばれることが多いようです。
 また、骨葬(コツソウ)も多くなりました。
 とにかく斎場でご焼骨をしておき、本堂でご葬儀と百か日までのご供養を行い、そのままお骨を預かったり、あるいは共同墓へお納骨したりと、一日で済まされるのです。

・当山でのご葬儀を求めておられながら、御尊家様と当山の日程がなかなか合わない。
・枕経、お通夜、ご葬儀納骨、と休日がとれない。
・ご遺族間で宗教の違いなどがあり、一連の流れでお送りできない。
・一連の流れを行う資金的余裕がない。
・まったく不意のできごとで、何もできないままに、ずっとお骨を置いてある。

 こうした方々が、本堂で引導が渡されたことを確認し、お骨が自然へ還る形を見届けて安心されます。
 ご葬儀を行わず、共同墓前でのご供養のみにてお納骨されるのも自由です。

 施設の方や役場の方や、あるいは司法書士の方からのご質問も相継いでいます。
葬儀をして納骨するのに、いくら用意すれば間に合いますか?」
 いつも、このようにお答えしています。
「いずれも共同墓ですが、『自然墓』へのお納骨は10万円、お名前を貼り出す『法楽の礎』へのお納骨は20万円、年間管理料など、その後でかかる費用は何もありません。
 ご葬儀については、戒名料も含め、みなさんの良識や常識へお任せしています。
 戒名を求めるかどうかも、みなさん次第です」

 立教大学の特任教授平川克美氏は、これからの日本について、こう指摘しています。

「人口が減少し、経済がシュリンク(縮小)していくこれからの日本では、おカネに頼ってばかりではいられなくなります。
 近くにいる人どうしが、助け合わなければ生きていけない時代が訪れつつあるのです」

「おカネだけが飢えから逃れる手段ではありません。
 コミュニティをつくるのも飢えから逃れるひとつの手段です」

「おカネがなくなる、あるいは無価値になる可能性は、現代においても誰にも起こりうることです。
 そうなったときにどうやって生き延びるか――。
 シンプルにいえば、まわりに助けてくれる人がいれば生きていけます

「最後は、人間ひとりでは生きられません。
 縁を大切にして生きていけば、人生そんなに悪いものにはならないと思うのです」

家族制度の歴史は、国家や企業の歴史代もずっと長く、人間の歴史と同じぐらい古いものだと考えることができます」

「わたしたちは、再び家族制度を復活させたり、因習的な世界に戻っていくことはできないでしょう。
 個人という概念、人権という考え方に目覚め、それらを克ちとってきた歴史を巻き戻すことなどできない相談です」

「この壊れた家族制度に代わりうるものを見出していく必要がある

家族制度に代わりうるものが何かを簡単に名指すことはできません。
 まだ、それがどんなものであるのかは、誰も知らず、誰も実践してはいないのです。
 そういった新たな共同体が簡単に根付くことができるとも思いません。
 わたしたちは、現代文明の恩恵を受けすぎており、その利便性や心地よさを簡単に手放すことはできないからです。
 それでもわたしはもう一度、わたしたちが捨て去ったり、忘れたりしていたものを思い出しながら、どこかに漂流しているそれらの切片を寄せ集めることぐらいならできそうな気がしています」


 東日本大震災の直後から、さまざまな方々がご来山されました。
「水を分けてください」
 このあたりは、電気も電話もダメでしたが、水道だけは生きていました。
「ローソクを分けてください」
 明かりを求めて来られました。
 また、全国各地から支援物資が届き、ご来山される方々へもお分けしました。
 長蛇の列に並び、ガソリンを届けてくださったご夫婦もおられます。
 ご不幸があった時は、ガソリンがなく、初めてご遺族の送迎を受け、ホコリと格闘している葬祭会館さんや、被災したご自宅でも引導を渡しました。
 やがて、お骨やお位牌を預ける方々が相継ぐようになりました。

 ここに来て今、思います。
 寺院とご縁を結ぶ方々は、知らず知らずのうちに、ある種の〈家族〉になっておられるのではないか
 失った身内を思い出しながら足を運び、日常的な〈追われる〉意識から離れてゆったりとした時間を過ごす方々は、淋しさや悔しさなどの度合いはそれぞれ異なっていても、一つの〈場〉に佇む人として、いっとき、同じ世界の住人になっておられるのではないでしょうか?
 そうした方々が言葉を交わし合い、自分のご先祖様だけでなく隣のお墓へもお線香を捧げ、あるいは寺子屋やお花見や芋煮会などで談笑するお姿を目にすると心の底から嬉しくなり、寺院を開基した甲斐があったとみ仏へ感謝する思いが強まります。
 皆さんと共に、「わたしたちが捨て去ったり、忘れたりしていたものを思い出しながら」やって行きたいと願っています。
 骨葬共同墓一代墓も、逝かれたお身内の安心を求めることが縁となり、新しい時代にふさわしい緩やかで温かなつながりを創り出すきっかけになって欲しいと願っています。




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2014
12.17

現代人へストレスをもたらしているものの正体は? ―〈仲間〉について考える―

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〈雪深い加美町宮崎で20年以上の歳月をかけ、試行錯誤を続けてきた合鴨農法のグループがあります〉

 ご縁のAさんから、こんな話を聴きました。
 Aさんは仲間たちと共同で田んぼをやっていますが、慢性的悩みは当山の『法楽農園』と同じく、実際に汗を流す人員の確保です。
 ある時、Aさんが予定していた作業を代わってもらいたいと思い、仲間に相談したところ、めったにない頼みであるにもかかわらず、にべもなく断られました。
 人が良く、無償で汗を流すことを厭わないAさんは気づいたそうです。
「ああ、この人は〈仲間〉じゃないんだ……」
 Aさんはそれっきり黙りましたが、かつて、無一文になった小生には沈黙の意味がよくわかり、胸に異様なざわめきを覚えながら「そうですか」と小声で応えるしかありませんでした。

 立教大学特任教授の平川克美氏は著書「『消費者』をやめる」において、興した会社が経営危機に陥った時の体験を述べています。

「~かれらを仲間だと思っていた
「こちらが困った時は助けてくれる……、と思っていたら、それは単なる淡い期待でしかありませんでした。」
「おカネに困り、おカネが喉から手が出るほど欲しいと思えば思うほど、おカネがどんどん逃げていきます。
 おカネでおカネを増やす世界でずっと働き続ける人たちは、いったいどういう人種なのだろうと、自分との違いを感じざるを得ません。
 そして、おカネを求めてわたしのところに群がってきた、どこぞのMBAの取得者たちは、カネ回りの悪くなった会社から、我先にと逃げていきました。
 『ツラいときこそ一緒にやるんじゃないの』と引き留めても、『こんな会社に未来はない』と捨て台詞を残して去っていった者もありました。
「カネで集まってきた連中は、カネがなくなれば去っていくという単純な事実」


 そのとおりです。
 しかし、「カネで集まってきた連中」でない〈仲間〉は違います。
 小生が失敗したおりには、幾人もの仲間が、自分も傷を負いながら、自分へ傷を与えつつ深手を負い倒れた仲間を仲間のままで認めてくれました
 その時代を思い出すと、今なお、こみ上げてくるものがあります。

 平川克美氏は、前掲著において、日本がこれほどまでに格差の拡大と先行きの不安に苦しむ国家となってしまった成り行きを解き明かしました。
 その中の「『経済成長しない社会』が必要」の項で、ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領の言葉が紹介されています。

「ドイツ人が1世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか?」


 かつてローマ・クラブが「成長の限界」を訴えてから42年、「限界を超えて-生きるための選択」を提唱してから24年が経ちました。
 しかし、今なお、国民国家を超えたグローバル企業は「富める者がより豊かになれば、大木から雫が滴り落ちるように、貧しい者にも自然と富が行き渡る」というトリクルダウンが有効であると主張し、「大量生産、大量消費のシステム」を世界中へ強制しつつ、地球の持つ資源が限界まで絞り尽くされ、発展途上国の人口増加が止まるまで、富の寡占へ突き進もうとしています。
 
 ホセ・ムヒカ大統領の言葉は悲痛です。

「このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で『みんなの世界を良くしていこう』というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?
 どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?


 大統領が言う「仲間」とは血の通った人間同士であり、心が通い合う人間同士を指します。
 もちろん、そこでしか真の「共存共栄」は成り立ちません。
 しかし、消費主義社会を推進するグローバル企業の目的はただ一つ、自分の富の無限増大であり、「仲間」や「共存共栄」といった言葉は、そのための手段にはなろうと、「ツラいときこそ一緒にやる」といった実体を伴うことはあり得ません。

 思えば、これほどまでに心に病を抱える人々が多くなったのは、自然界の一部である人間から〈生きものとしての自然〉が限度を超えて消えつつあるからではないでしょうか?
 人間以外の生きものはすべて、〈自分たち〉に適した環境に住み、食物連鎖も含めて共存共栄しています。
 しかし、人間だけが生きものとしてのあらゆる環境条件を個々の自由意志で変え、選択しつつ生きています。
 しかも、〈自分たち〉から限りなく離れ、〈自分だけ〉の自由意志で生きられると思っています。
 それは〈仲間〉を不要とすることです。
 でも、自然界には〈仲間〉のいない生きものはいません。
 現代人のいわゆるストレスの根本は、自然界の存在でありながら、生きるために必須の〈仲間〉から限りなく切り離されつつある危機の顕れではないでしょうか?


 Aさんとは、来年も〈仲間〉としてやります。
 目と目で確認し合い、確信し合いました。
 当山の『法楽農園』に期待するところ大なるものがあります。




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2014
12.16

人類に空爆のある雑煮かな ─東北関東大震災・被災の記(第159回)─

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〈凍えず、凛として勁(ツヨ)き外の猫〉

 雲が垂れ、すっかり雪景色になりました。
 こうなる直前に行った福島市の青空が思い出されます。

 小高い丘の上にある新しい団地では、除染が行われていました。
 ものものしい服装の男性が6人、近くに大きな車を2台止め、小さな道路標識をあちこちと動かしながら、通路や側溝を相手に丹念な作業を続けています。
 目的のお宅に訪問してから小一時間が経ち、外へ出てみたら、まだ奮闘のまっ最中。
 いくらも進んでいません。
 一緒に外へ出たこの家の主Aさんは、ちょっと失礼、とタバコに火を付けました。
「いったい、何をやっているんでしょうね。
 私はちっとも構わないんですが……」
 大きく広がった青空を見上げ、転じた視線の先では吾妻連峰が悠然と人間の営みを見下ろしています。
「――そうですよね……」
〝あの山々の岩陰にも、草むらにも降りそそぎ、地表から沈み込みつつある微少なものたちは、何万年もこの世にとどまっている。
 その圧倒的な存在力の前で、人間のものものしい行為はいったい、どれほどの意味と価値があるのか?と、科学者Aさんは嗤っておられる。〟
 原発事故の被害者Aさんは、悠揚迫らぬ態度でタバコをふかしています。
 あくまでも部外者でしかない小生には口にすべき言葉がありませんでした。
 そして、冒頭の俳句を思い出しました。

「人類に空爆のある雑煮かな」


 私たちはもうすぐ、お雑煮にありつきます。
 恵まれた家庭でも、あるいは路上生活者のためのテントでも、私たちは熱いお雑煮を食べて新しい年がやってきたことを実感します。
 俳人関悦史氏は、そうした〈我が生〉の確認作業中にあって、遠く離れた異国で行われている空爆に思いを馳せました。
 襲う者と襲われる者、殺す者と殺される者、憎悪による取り返しのつかない破壊、人間の手によってつくり出されるあらゆる不条理が彼(カ)の地にはまぎれもなく〈在るはず〉なのです。

 東日本大震災で自宅が半壊した関悦史氏は、こうも詠んでいます。

「激震中ラジオが『明日は暖か』と」


 激震に見舞われ生死の境にいる思いの被災者とは無関係に、ラジオは明日の天気予報を流しています。
 今この時、地上に併存する自分の恐怖と、遙かな地にある長閑さ……。
 冒頭の俳句をひっくり返せば、こうなりましょうか。
空爆中日本では熱々の雑煮
 雨あられと降る爆弾の下で、日本通の誰かは焼かれつつ、雑煮の場面を想像しているかも知れません。

 Bさんがやってきて、こんな話をされました。
「住職。
 原発事故の時、どうしてヨウ素剤が配られるか知っていますか?
 甲状腺はヨウ素を蓄積するので、放射性ヨウ素が溜まれば病気になる確率が高まります。
 そこで、あらかじめ、安定ヨウ素剤を摂取して甲状腺を満杯にしておけば、後からやってくる放射性ヨウ素の入る余地がないため、甲状腺を守られるそうです。
 診療放射線技師Cさんから聴いたのですが、何もわからなかった私は、とてもよく理解できました。
 万が一の時は、まじめにヨウ素剤を飲むつもりです」
 小生もようやく理屈が呑み込めました。
 言葉が具体的な想像力を伴うと、腑に落ちる具合はズンと増します。

 私たちはすべて〈井の中の蛙(カワズ)〉であると言えないでしょうか?
 見える対象も聞こえる対象も触れる対象もすべて、井戸の底から丸い井戸口の外に見える小さな空を眺める程度のものでしかありません。
 小さな世界であれこれ思念を廻らせていても、広い世間様や広い世界を相手にしているような気分でいます。
 しかし、広がっているのは、あくまでも気分でしかありません。
 わずかに、しかし、確かに〈他の井戸〉の住人と通じ合えるとしたら、想像力がはたらいた時ではないでしょうか。
 そもそも「思いやる」とは、「思い」を「やる」ことだったはずです。
 お釈迦様は、鳥についばまれる虫や、病人や老人や死人を思いやるところから、人生の根本を探求し始めました。
 見えるものも、見えぬものも、思いやりつつ生きたいものです。
 互いが互いに〈単なる井の中の蛙〉であれば、個々の人生も社会も、なかなか明るい方向へと進まないのではないでしょうか。




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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