2015
12.01

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2015
05.09

5月9日、映画『日本と原発』の鑑賞会を行います

 寺子屋映画鑑賞会を行います。
 詳しくは、http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-4559.htmlをご覧ください。
2015
04.19

便利な環境で長生きしつつ危機を招く私たち

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 4月15日の産経新聞は、曽野綾子氏のコラム『生活水準と少子化の関係』を掲載した。
 その中で、日本の人口減少傾向は危険な水準に達しているが、その原因が果たして巷間言われているように、生活水準や児童保育施設などの問題にあるのだろうかという根源的疑問を呈している。
 世界中を歩いてきた氏は証言する。

「昔、東南アジアの田舎で働いている日本人たちが一様に話していたのは、当時、人口の急激な増加に悩んでいたアジア各国で『一番いいのは、早く村に電気を引いてテレビを入れることですよ。そうすれば夜することがないなんてことはなくなるわけですから。確実に人口は減りますよ』だった。」


 だから氏は、「停電の夜」を増やせばいいが、それはもうできないと言う。
 また、「貧困になれば、もっと子供を産まなくなるだろう、というのは、恐らく間違いなのである。」とも指摘する。
 不便だと人は盛んに身体を使うので性欲も旺盛になるし、機械化されなければ働き手としての子供も自然に求められると言う。
 そして締めくくる。

飢餓で人がばたばた死んでいるような土地の現状も見たが、そこで医師たちから聞いたもっとも驚くべき話は、飢餓状態になると人間の受胎率は上がるという話だった。
 おなかが空けば、セックスどころではなくなるだろう、と私は思っていたのだが、体の方はきちんと種の消滅の危機を察して増える方向に働くのだという。
 繁栄が人口を減らした、とすれば、私たちはどう方針を変えればいいのだろう。」


 日本家族計画協会が平成26年9月に行った「男女の生活と意識に関する調査」によれば、日本におけるセックスレスの男女は未婚・既婚を問わず増え続けている。
 既婚男性で一ヶ月以上性交渉がない人は36・2%、女性は50・3パーセントに上っている。
 その理由として男性は「仕事で疲れている」、女性は「面倒くさい」を第一に挙げる。
 また、性交経験率が50%を超える年令は男性29才、女性28才。
 性交への関心では「関心がない」又は「嫌悪している」が男性17・9%、女性45・2%、特に、25才~29才の男性が20・3%に急増した。

 曽野綾子氏の観察とこれらのデータは、暗い夜がなくなり、便利になると人間は、種を保存する生きものとしての存在から離れてゆくことを意味しているのだろうか?
 最近、東京都の豊島区が消滅可能性自治体とされた。
 若年女性の減少率が50・8パーセントに達したためである。
 1日に200万人の乗客数を誇る池袋駅を抱えていてすら、危機は忍び寄っている。

 病気や天災から逃れて長生きし、便利で楽な暮らしをしようと文明を進めて来た私たちは、それらが得られつつある状況で自分たちの数を減らし、生活の場を崩壊させつつある。
 人間は自然を相手にどこまでも勝者であり続けると思ってきたが、それはとんでもない勘違いだったのではなかろうか?
 人間が〈生きもの〉としての根源的ありようから離れることはきっと、何ものかが許さないのだろう。
 私たちは、私たちの危機から何を学び、どう乗りこえてゆけばよいのだろうか?




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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2015
04.18

罪と懺悔に悩む方へ

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1 罪人であると気づいてから

 Aさん、私たちが皆、罪人であると気づいてしまった人は苦しいものです。
 ただし、苦しいと感じるところにこそ、救いの手が潜んでいます。

 お釈迦様は、そこで「なぜ、こうした存在なのか?」という疑問に耐えられず娑婆を離れました。
 そして、こうした存在であることに無頓着な態度こそが根本原因であると気づかれました。
 また、疑問を突き詰めると、解があることにも気づかれました。
 解は誰かに与えられるのではなく、私たち全てがもっており、問題は気づくかどうかであるとも気づかれました。

 さて、人間を含め、生きものは、何らかの形で他の生きもののいのちを奪わねば生きて行けません。
 獣も鳥も自然にそうして生き、生きられなくなれば死んで行くだけです。
 しかし、人間だけは、奪う際に〈ごめん〉〈済まない〉〈ありがとう〉という気持になります。
 罪を感じ、懺悔し、感謝するのです。
 それは、いつしか罪人であると知ってしまったことを意味します。
 また、罪→懺悔→感謝の流れが救いとなり、他の生きもののいのちを奪わねばならないという苦に苦しめられず、〈他のいきもののためになりながら生きられる道筋〉を知ったことをも意味します。

 私たちは仏教という宝ものを与えられているので、上記のように考えますが、誰からも解を与えられていないお釈迦様はまず、徹底的に苦しまれました。
 苦しむ実存を「一切は皆、苦というありようを離れては存在しない」と端的に述べ、その原因と解決法と苦を克服した世界とを説かれました。
 私たちを生かす力が持っている〈過剰性〉とでも言うべきものを瞑想により抑制しようとされました。

 その存在論に導かれ、修行法を実践する後代の弟子たちはやがて気づきます。
 お釈迦様が解に気づき、私たちも気づくということは、私たちは本来〈気づき得る〉存在ではないか?
 つまり、仏と成る性を持っているのではないか?
 そして、よくよく眺めてみれば、山も川も草木すらも、何もかもが気づきのきっかけとなり得るのではないか?
 存在するものの本質的ありようは、私たちへ執着させ、苦をもたらすのではありません。
 ありのままに救いの手を差し伸べているのです。
 こうして大乗仏教へ至りました。

 今や、行者たちの積極性はその先へと達しています。
 私たちは、食べ物を得て生きられれば嬉しい。
 誰かから奪っても生きられれば嬉しいが、一方では、罪人であるという辛い気持が起こる。
 しかし、誰かに与えて喜ばれれば無条件に嬉しく、心の暖かさは持続し、さらなる〈与え〉のきっかけともなる。
 そして、〈与える者〉となっている時、〈奪う者〉としての苦しみはどこにもない。
 こうして、生存を持続させる力は抑制されるべきものであるよりも、こうした真実を理解し〈与える者〉として生きるため、積極的に活用されるべきものであると気づかれました。
 密教大欲(タイヨク)思想です。

 また、私たちの気づきは全て、文字や言葉によるのであり、そこから生まれるイメージを突き詰める過程はすでに〈そのもの〉と成りつつあることを意味しており、たとえば〈与える者〉としての権化(ゴンゲ)である菩薩(ボサツ)のイメージを深めて行けば菩薩に成れることがお大師様によって詳しく説かれました。
 奪っても嬉しいが、与える喜びにはかなわない。
 奪えば奪われた者に悲しみや怒りが生じ、奪った者には後ろめたさを感じるが、与えればそうしたものは生じない。
 ならば、〈与える者〉のイメージに合わせた生き方をすることによって苦は消え、罪人でなくなる。
 こうして身体で善き行いをし、言葉を善く用い、心の内容を善くして苦を脱する即身成仏(ソクシンジョウブツ)の思想と方法が確立しました。
 
2 懺悔について
 
 私たちは、ふとしたおりに懺悔の心が起こります。
 他人が悪行の報いを受けたなどの情報に接し、我と我が身をふり返って自分の悪行に身震いする場合もあり、悪運や大病などに襲われて〝なぜ自分がこんな目に遭うのか?〟と考え、思いもよらぬ因縁に思い至り、愕然とする場合もあります。
〝ああ、何ということを……〟と後悔の念に引きずり込まれ、胸が冷え冷えとなってきたり、慟哭の思いが噴き出したりします。
しかし、いくら相手に対して〝済まない〟と思っても、謝って済む問題ではないケースが多いものです。
人を人とも思わぬ輩は別として、まっとうな人は、そうできるなら、それで解決するなら、とっくにそうしているからです。

心情として謝りきれなかった。
相手との人間関係上、タイミングを失した。
謝る力を失った。
相手が亡くなったなど会う手段がない。
こうして私たちは、取り返しのつかない行為により発生した消せない懺悔を抱えて生きます。

 では、万人を救うお釈迦様はどう説かれたか?

「もし過って悪行をなしても、悪業(アクゴウ)が悪しき結果をもたらさぬよう善行に精進するならば、やがては人を救い導く智慧と慈悲の灯火をともすこともできるであろう」。


  過去の悪行が悪業という〈悪しき結果を招く力〉を持っているという事実は消しようがありません。
しかし、善行によって生ずる善業(ゼンゴウ)という〈善き結果をもたらす力〉を強めるならば、悪業のはたらきは相対的に小さなものとなり、罪人が救済者にもなり得ます。
事実、空(クウ)の教えを最高度に深めた龍樹菩薩(リュウジュボサツ)は娑婆で迷っていたおり、悪行によって殺されかけましたが、懺悔し、生き直し、ついには菩薩と称されるほどになりました。
 つまり、懺悔の心が起こったならば、愚かで罪深い自分のままで自他のためになる善行に勤しむしか、救われる道はないのです。
 こうして〈善行〉は清めであり、向上であり、救いでもあります。

 では、私たちは自力だけで救われるのか?
 み仏のご加護はどうなっているのか?
 お大師様は明快に説かれています。

「心は即ち本尊なり」。


 み仏は私たちの心におわす満月であり、自己中心など煩悩(ボンノウ)の群雲がその光を遮っていますが、清浄な行為と言葉と心とのはたらきによって群雲が払い去られれば、私たちはいつでもみ仏そのものになれます。
 教典も、仏像も、そして、澄んだ心で気づきさえすれば、風や鳥の声や街のざわめきまでもが、この真理を説いています。

 救い主は私たちの心を離れたどこかにいるのではありません。
 それは同時に、罰する者もまた、いないことを意味します。
 私たちはともすると、他人の悪行を暴き立て、罰したくなります。
 罵る、土下座させる、陰口をする、仕返しをする。
 これらは全て、自分を正義の権化に見立て、悪しき者を罰しようとする行為ですが、はたして私たちの誰がそうした資格を持つ〈善の結晶体〉であり得ましょうか?
 み仏ならぬ私たちは必ず、一生のうち幾度も、幾度も、取り返しのつかぬことをやらかしてしまいます。
 もしも、生き仏ほどの人格者でない誰かが「自分には何一つ思い当たるフシがない」と言うならば、その〈気づかぬ迂闊さ〉できっと、周囲の人々を傷つけていることでしょう。

 でも、絶望する必要はありません。
 冒頭に書いたとおり、私たちが皆、罪人であると気づいたところにこそ、人間が人間として成長して行くきっかけがあるからです。
 別に特定の宗教を信じなくても、心を澄ませば自然に「罪→懺悔→感謝」の流れは起こることでしょう。 
 最後にもう一つ。
 70年近く生きて来た者の拙い体験からすると、誰かを責めるという方法によって正義の実現を得られたという喜びよりも、誰かを許すという方法によって得られた円満解決後の安堵感や達成感の方が、数倍も、双方へ安心と笑顔をもたらすものです。
 もちろんこれは社会的問題ではなく、個人間の問題についての個人的感想です。

 Aさん、気づきと煩悶は必ず、人間のまっとうさを深めるスタートとなります。
 苦しみのエネルギーは必ず、喜びの爆発をもたらします。
 これからも、共に考え、進みましょう。
 あなたのエネルギーに圧され、乱筆乱文になってしまったことをお許しください。
 み仏のご加護を祈っています。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2015
04.17

原発事故の現場を漫画で知らせる竜田一人氏 ―【現代の偉人伝】第206話―

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 1年前の4月29日、福島原発廃炉作業に従事する漫画家竜田一人氏(当時49才)の話が朝日新聞の「廃炉現実」へ掲載された。
 氏は現場での体験を描く漫画『いちえふ』を平成25年の秋から雑誌へ連載中であり、「連載を終えたら再び、現場で働きたい」と願い、顔を公表していない。
 それ以来、ずっと気になっていた方である。

 氏は「もともと福島には何の縁も」なく、「被災地のために何かできないかと仕事を探して」いて福島第一原発(通称1F)の作業員募集を知り、「好奇心とちょっぴりの義侠心から」就職した。
 以後、さまざまなプロたちがはたらくさまに「あこがれ」ているが、「40年かかると言われる廃炉完了まで、こうした『原発職人』を確保し続けられるかと考えると、不安」であるという。
 理由は年間20シーベルトとされる被曝量の制限である。
 そこに達した人は現場から外され、年度替わりを待つしかない。
 そうして実働時間が限られ、リセットが繰り返されると廃炉作業は危うくなる。

「職人たちの技術を生かしきれないうえ、後継者を育成する時間も足りません。
 1Fの中だけで技術者や作業員の技量を維持するのは、無理なんです。
 いま日本の原発は全部止まっていますが、私は原発作業の技量と人員を確保するために、当面、安全な原発の再稼働は必要だと感じています。
 稼働する原発があれば、1Fで線量がいっぱいに近づいた技術者や作業員は線量が少ない他の原発で働いて食いつなげるし、若手を連れていって修業もさせられます。
 原発事故後、一部のメディアや市民団体は放射線の危険をあおり、収束について悲観論を言い募りました。
 でも、どんな意見を持つ人であれ、日本に暮らす人はみな、廃炉に挑まないといけない事実は変わりません。
 脱原発の理念を振りかざすだけではなく、1Fの現実に向き合うべきだと思います。」

「自分ができることは知れているし、廃炉を見届けられないかもしれない。
 それでも1Fにかかわり続けたい。
 若い人たちにも放射線を過剰に恐れず、福島の再生にかかわってほしいですね。」

 一年経った今年の3月10日、氏は毎日新聞のインタビューで語っている。

「うそは書かないように徹底しています。」

「大所高所からの物言いはしないようにしよう。」

「作業員としての『下から目線』は外さないようにしています。
 あくまで私個人の視点で語れればと思っています。」

「あそこで働いた者の誰かが、何らかの形で(記録を)残す必要があると感じています。」

「マスコミの方が見学ツアーで来て、東京電力さんにバスで一周させられて『いまだに大変だ』と言われても、あなたたちが見たところはそうかもしれないけど、他にもいっぱい現場はあるんだよって言いたくなります。」

「東京では想像できなかったけど、1Fで働く人と補償を求める人がすっぱり分かれているわけではない現実があります。
 避難して交渉している人の中に、あそこで働いている人もいるんですよ。」

「雇用主(東電)を徹底的に悪者にするのも違うし、だからといって事故を起こした企業ですから、その相手に対して、仕事をくれてありがとうと感謝するわけでもない。
 人間の気持ちはそんなにきれいに分けられないと思う。」

「自分の中にはよそから来ているという自覚は常にありましたよ。
 自宅が避難区域にあり避難した人、津波に遭った人、余震に遭った人……。
 自分は同じような経験をしたわけではないので同列には語れないですよね。」

「日本に住む人なら皆事故とは無縁ではないと思いますが、福島や被災地を代表して何かを語れる当事者ではないということです。
 半年間、働いたからといって自分が何かを代弁できるとはまったく思えません。」

「とかく二極化された論争になりがちですが、そういった論争に拘りすぎて、現場がないがしろになるのだけは避けてほしいと思います。」

「作業員の年間被ばく限度量を20ミリシーベルト弱に定めている会社が多いので、線量をきちんと管理しないとすぐに人が足りなくなってしまいます。」

「放射線よりも直接的に身体にこたえるのはなんといっても暑さです。
 とくに夏場は熱中症が頻出します。」

「1Fで作業する人数だけなら待遇が良ければ確保できるでしょうが、このままでは経験や技術のある作業員が足りなくなるというのが一番の問題なんだと思います。
 新しい職人を育てようにも、高線量の建屋内では、ネジをゆるめる仕事でも1時間でその日の作業は終わりです。
 1Fで技術の継承は難しい。
 東京でも建設的な議論がなされるといいと思っています。」

「ここまで漫画をちゃんと描くと分かっていたら、現場をもっと丁寧にいろんな角度から見てきたのにと思っています。
 覚えていないところを想像では描けないですから。」

「1人1人が期待する原発像がありますよね。
 ある新聞はいかに労働環境が悲惨だったかを徹底的に聞こうとしました。
 確かにひどい目にも遭いましたけど、個人的にはそれでも面白い経験だったと言えます。
 語弊があるかもしれないけど。
 あとはやたらと身体を心配する質問ばかりだったり、再稼働や原発推進と言わせようというご質問もいただくこともあります。
 皆さん、いろんな読み方をされますよね。
 いかに原発を巡る議論が複雑化しているかを身をもって思い知りました。」

「『真実』が何かなんて私にはわからないし、現場にぱっと行って『真実』を私が掴んでしまうなんてことはあり得ないと思います。
 繰り返しになりますが、この漫画においては『真実』を探ることよりも、私が見てきたことを描くことが重要だと思っています。
 福島なり1Fの一側面を記録することが全てなんです。」

「一つ、これが『真実』と決めてしまうと他のものが見えなくなる可能性があります。」

「四六時中緊張して働いているわけではないですよ。
 ギスギスしてもしょうがないし、リラックスして働ける環境も大事です。
 やっぱり、廃炉作業を終わらせるためには誰かが働き続けないといけないので。」

「この漫画を通じて、現場で働いている人の顔が想像できるようになってほしいなと思っています。
 親近感とは違いますけど、どういう環境で働いているかは分かってほしいという思いは込めています。
 レッテル貼りをしたり、大所高所に立ったりしているだけでは解決しない問題が現場にはまだまだあると思うのです。」

「国の政策を議論するより先に、目の前の現場を片付けたり、作業員が自分の境遇をどうするかを考えるので精いっぱいという場所が1Fなんだ、と私は思っています。
 もう少し連載を続けて、また1Fに戻ろうと考えています。
 廃炉の行方を自分の目で確かめたいのです。」

 氏は「真実なんてわからない」と言うが、読む者は〈真実の声〉と感じる。
 確かな現実があることをそのまま告げている貴重な資料と言えるのではないか。
 現場を体験できない私たちは、こうした現場の報告によって日々、無事に処理作業を続けねばならない〈現実〉がいくばくかは想像できる。
 その先に、原発は何であり、どうあるべきかが、それぞれなりに考えられ、語られ、選択する行動が生まれるのではないか。
 理想だけで現実を無視すれば明日が危ういし、現実を言いわけにして理想を捨てれば未来が危うい。

 氏は平成26年4月23日、『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記(1) 』を出版し、今年の2月23日、『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記(2) 』を出版された。
 また、ぜひ1Fにかかわり、現実を広く伝えて欲しい。
(氏の漫画には、一部の医師などから、放射能の危険性に関する姿勢について批判がある)




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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