2016
02.06

死ののちに見つからむ性の写真など抽斗にあり昼に降る雪 ─アニマ・写真・肉体─

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 吉川宏志氏の歌集『海雨』を読んだ。
 その中に凄まじい一首があった。

「死ののちに見つからむ性の写真など抽斗にあり昼に降る雪」


 自分が死んだあとで見つかるであろう性的な写真をこっそり引き出しにしまってある。
 昼の空を冥(クラ)くしつつ降りしきる雪を眺めているうちに、そのことがふと、思い出された。
 詠んだ氏はこの頃まだ30才台、もっともいのちの勢いが盛んなはずだが、昼の雪に早くも生の翳りを感じとっている。
 その感覚は自分の死後から遺品整理にまで及ぶ。

 女性にはなかなかピンとこないかも知れないが、男性、特に年配の方には思い当たるふしがあり、小さな苦笑が起こることだろう。
 男性は往々にしてこうしたことをやらかす。
 それは、まるで鳥が巣作りのために枯れ枝を集めるようなものだ。

 カール・ユングは、男性にとって魂のイメージは女性像をとって顕れると考えた。
 魂や生命を表すアニマという言葉をそれに当てはめ、男性は生涯、一つのアニマを持って過ごすという。
 一方、女性にとってそうした根源的イメージとしての男性像すなわちアニムスはあいまいで、複数になる傾向がある。
 そしておもしろいのは、そうした心理を補償するための現実的な行動として、男性は複数の女性に関心を持ち、女性は定めた男性に関心を持つらしい。
 だからといって、別に男性の浮気を正当化するわけではないが、冒頭の歌が持つ背景は何となく理解しやすくなる。
 無意識のうちに、自分固有のアニマ像と感応する女性の姿形に惹かれ、写真などを手元に置きたくなる場合があるのだ。
 心底から惚れた恋人や妻がいようと、いまいと、無意識の領域に潜んでいるイメージは消せない。

 事実、かつて、印象的な場面に遭遇したことがある。
 河北新報の「持論時論」に掲載された小生の意見に賛同したAさんは、生前戒名も含め、自分の死後の一切を託したいと申し出られた。
 独り暮らしのお宅を訪ねたところ、ご自身の経歴を告げるために古い箪笥からアルバムを取り出した。
 それをめくっているうちに、半世紀以上も前のものとおぼしき雑誌の小さな切り抜きがこぼれ落ちた。
 黒いガーターと紅いパンティで股を半開きにしたその写真は、かつて、小生が男子校の教室で廻し読みしたエロ本の1ページそのものだった。
 Aさんはこちらを見向きもせず、何ごともなかったようにしまい込み、淡々と話を続けた。
 やがて娘さんに送られるであろうAさんはいつ、処分するのかなと余分な心配をしつつ、同じように娘の手を借りるであろう自分にはもう、そうした〈忘れもの〉が残っていないことを確認し、微かにホッとした。
 Aさんは、当山のご本尊様から授かった戒名によって悠然と仏界へ旅立たれて久しい。

 こんな歌も見つけた。

「カーテンがまばたくたびに上下する メルロ・ポンティ死の前の記述」


 カーテンが揺れ、思考も動く。
 それは、50代で逝った哲学者が晩年、自分の思想を振り返り、見直す軌跡に通じて行く。

 モーリス・メルロー=ポンティは半世紀ほど前に活躍したフランスの哲学者である。

「私の身体が世界のなかにあるありかたは、心臓が生体のなかにあるありかたとおなじである。」

「感覚とは贈与ではなく、感覚されるものとの『交換』である。
 感覚とは、あるいは『共存』にほかならない。
 感覚とは『存在との原始的な接触』であり『感覚する者と感覚されるものの共存』である。」

 彼は、自分を〈主体〉、周囲の現象世界を〈客体〉と分離せず、肉体を持つ自分そのものに存在の両面性、あるいは全体性が具わっていると考えた。
 そして、最後にはこんなところまで行った。

「私の身体は、世界(それも一箇の知覚された世界)とおなじ肉でできている。」

 ここに、吉川宏志氏の歌が言葉と肉体を一つにし、ひときわ濃い血の通った作品になっている秘密があるのではないか。
 妻の入院と手術に際してこう詠んでいる。

「足指に塗られていたるマニキュアを拭(ヌグ)いてやりぬ手術する足」

「全身の麻酔の前にこまごまと妻は言うなり鍋のこと塩のこと」


 歌人鳥居氏は、吉川宏志氏の作品に学んだという。




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2016
02.06

イラク戦争と靖国神社への祈り(その19) ─善悪とは?修行とは?─

2016020500012.jpg
〈造化の妙〉

 平成16年1月、自衛隊のイラク派兵に鑑み、仏神と祖霊のご加護で自衛隊員の無事帰還をはかるべく、靖国神社へ向かって托鉢行を始めた。
 世界の情勢が急変を見せ始めた今、そのおりの記録を加筆訂正しながら再掲しておきたい。
 不戦日本の願いを込めて。

○善修行(2月27日)

 ご祈祷を行うため、早朝から上京した。
 東京駅はもちろん、周辺のビルなどの警備態勢にもただならぬ様子を感じた。
 宮床の雪が嘘のような快晴の下、春の陽を浴びたサラリーマンのワイシャツ姿が醸し出す長閑さと、オウム事件の首謀者に死刑が言い渡されようとしている緊迫感とが、何の違和感もなく共存していた。
 麻原 彰晃の弁護側は、「一連の事件は弟子たちの暴走であって、被告は無罪」と主張したが、東京地方裁判所は求刑どおり死刑を言い渡し、弁護側はただちに控訴した。

 帰山してすぐ、お通夜へ向かった。
 通夜振舞いの席で事件に関する質問が相次ぎ、殺人戦争について皆さんと対話を行った。
 
 釈尊は、「を為すなかれ、善を為すべし、自らを浄めよ。これが諸仏の説くところである」と説かれ、何よりも善をはっきりさせるよう指導された。
 オウム真理教の行為は明らかにであり、多くの犠牲者を生んだ。
 彼らの業(アクゴウ)は、幹部の死刑で償いきれるものではない。
 のパワーはすさまじい。
 その非道に巻きこまれた方々は、首謀者や教団を憎んでも憎んでも憎みきれるものではなかろう。
 心中は察するに余りある。
「なぜ自分が被害者にならねばならなかったのか?」
「なぜ子供が死なねばならなかったのか?」
 こうした答が期待できない問いを発せずにおられず、「麻原を憎まないでいられない自分が悲しい」という袋小路に入った方は、どこに救いを求められるのだろう。

 もしも、犠牲者やその身内が、み仏へおすがりした場合、こうしたお定まりの説法など何の役に立とうか。
「すべては空(クウ)なので、こだわらないように」
「いつまでもとらわれてはいけません」
 これだけで、そうですか、と深く納得し救われることはなかろう。

 かと言って、全ては因と縁によって成り立っており、変化して止まず、時空に屹立(キツリツ)しているものは何もないという道理がベースと成っている仏教は、そこから離れた真理を説き得ず、そこから離れた救いの手も差し伸べられない。

 釈尊はそこで、自分が汗を流すことによって真理を〈つかむ〉実践法を説かれた。
 典型が、一人娘を失ったキーサゴータミーの指導である。
 悲しみと絶望のあまり半狂乱になった彼女へ、釈尊は「一人の死者も出したことのない家が見つかったなら必ず救おう」と約束し、彼女は村中を訪ね歩いたが、ご先祖様のいない家は一軒もなかった。
 夢中で歩き、疲れ果てて釈尊のもとへ戻った彼女へようやく、釈尊は無常の理を説き、一瞬にして苦から解放した。
 こうした〈つかむ〉ための手段を方便(ホウベン)と称する。
 対機説法と呼ばれる釈尊の指導法は相手により、状況によって千差万別だった。
 言い換えれば、釈尊は千本の手に象徴される無限の方便を持つ千手観音である。
 こうした方便は、2500年の時をかけて整理され、深められ、修行の手引きであるお次第となった。
 自分に合った師を見つければ、必ずや師は適切な方便を授けるだろう。

 さて、善悪についてはどうだろう。
 十善戒の布教に生涯をかけた慈雲尊者は「瓔珞経(ヨウラクキョウ)」の一節をもって明快に説かれた。

「理に順じて心を起こすを善といい、背くを悪と名づく」


 道理・真理に合った心が善であり、背く心が悪である。
 尊者は続けて断じる。

「仏性(ブッショウ)に順じて心を起こすを善といい、これに背くを悪という」


 つまり、「理」は「仏性」であり、み仏の子である万人に具わった仏性が輝けば、身体も、言葉も、意志も、善なるはたらきをするのだ。

 ならば、「方便」とは、「仏性」を輝かす方法に他ならない。
 たとえば写経である。
 お手本となっている文字の一つ一つがそのまま写されれば、一文字一文字に秘められたそれぞれのみ仏が立ち上がってくるとされている。
 また、〝自分はうまくないな〟と気づくことが、仏性を汚しているものに気づくきっかけであるとも説かれる。
 たとえば経文を読み真言を唱える読経である。
 気分によって激しい抑揚がついたり、異様なだみ声になったりすれば、経典の清浄さはどこかへ行ってしまう。
 読み手の心はご本尊様やご先祖様へ届くだけでなく、聴き手の心へも鏡のように映し出されることを忘れないようにしたい。

 殺人は悪である。
 戦争も悪である。
 海軍大将となった最後の軍人井上成美(イノウエシゲヨシ)は日独伊三国同盟に反対した。

 「日本が亡びるようなときには戦争もやむをえないし、部下に死地に赴くよう命令もできる。
 しかし、国策の延長として独伊と結び、戦争に入るのは許せない。」

戦争というのはいいものではなく、私は、戦争は刑法でいう死刑と同じ必要悪だと、罪悪だと思います。
人を殺したり、人の物を破壊したり、そんなことをするのは、交戦国の権利として認められてはいるが、国の行為としては悪行為なのです。」


 何としても国民一人一人のいのちを守り抜こうという思いが感じとれる。
 およそ国をあずかる為政者は、いかなる艱難辛苦にも耐えて国民を殺さず、殺させないという強い決意を持ち、その決意は、うわべの言葉だけでなく、周囲に感得されるほどでなければならないと思う。

 善悪は、いかなる場面にあっても必ず明確にすべきである。
 むろん、善悪をあいまいにし、釈尊の教えをないがしろにする仏教などはあり得ない。
 他の悪を見て己の内なる悪におののき、善に向かって辛苦する過程が修行であり、そこを通って行く先に一段、上のステージが待っている。
 このステップアップを信じて何らかの修行を行う実践者こそが仏教徒だ。
 オウム真理教の誤りは、仏教を標榜しながら善悪の判断という根本を見失ったまま、思いつきの訓練へ走ったところにある。
 まっとうに生き、善悪をつきつめ、壁にぶつかり、その苦悩と正面から向き合った人が正当な伝授を受けて行う修行こそが本ものであり、み仏は必ずや救いのみ手を差しのべてくださるに違いない。




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2016
02.04

目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ ─セーラー服の鳥居─

201602040001.jpg
鳥居氏のサイトからお借りして加工しました〉

 2月3日付の朝日新聞『ひと』の欄で歌人鳥居氏を知った。
 まず経歴に驚いたが、何よりも最後に掲載された一首にはノックアウトされたような感を覚えた。

「目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ」


 嵐のような家庭的経験の結果、目を伏せて生きるしかなくなったが、それでもいつしかキリンの子は育つ。
 すくすくと、空へ向かって。
 喧騒の昼が去り、静かな夜がやってくると、月光が佇むキリンを優しく包む。
 キリンは目を伏せたままだが、月光はキリンの色と模様を際立たせ、表情を和ませる。
 遥か遠く、手の届かないところにいる「かあさん」は、立つキリンの存在を丸ごと祝福し、守っている。

 記事は書く。

自殺し、自らも自殺未遂をした。
 児童養護施設でいじめにあい、公園の水を飲んで空腹をしのぐホームレスを経験した。
 絶望の縁の体験を短歌に詠む。

『1首1行。
 すっくと立つ短歌に一目ぼれした。
 短歌があるから私はひとりぼっちじゃない』」


 キリンはまぎれもなく「すっくと」立っている。

 ネットで探したところ、2月に出版される本の紹介と共に、6首が載っていた。
 読んでみたい。

「あおぞらが、妙に乾いて、紫陽花が、あざやか なんで死んだの」


 アジサイには雨が似合う。
 それなのに空が晴れ、アジサイは陽光に湿り気を奪われたまま、否応なくあぶり出されたように色鮮やかだ。
 瑞々しさを伴わぬ悲しい美しさ。
 氏が小学5年生のおりに、大量の睡眠薬を飲み、台所で倒れていた親は美しいままだったのだろうか。

「揃えられ主人の帰り待っている飛び降りたこと知らぬ革靴」


 氏は自殺未遂を経験している。
 きちんと革靴を揃えて決行したのだろうか。
 何も知らない革靴は律儀にも、再び履かれる時をいつまでも待っている。
 哀れなのは飛び降りた者、そして、遺されたモノ。

「慰めに『勉強など』と人は言う その勉強がしたかったのです」


 氏は「中学校は満足に通っていない」し「施設にあった新聞を辞書をひきひき読み、字を覚えた」のだ。
 学校へ行けないお子さんへ「何も学校へなんか行かなくたって大丈夫」、「勉強などできなくたって立派な人になるのが一番」などと気安く言うが、学校へ行けない環境にありながらも勉学への意志を持っているお子さんにとっては、何の慰めにもならない。
 病気になり健康を取り戻したいと願っている人へ、「健康なだけが人生ではない」とかける言葉に、いかなる内容があろうか。
 氏は「成人した今も、学ぶことの象徴として」セーラー服を着続けている。

「花柄の籐籠いっぱい詰められたカラフルな薬飲みほした


 氏の親はシングルマザー、「うつ病で寝たきり」だった。
 うつ病の人は突如、気分が高揚して力を回復し、驚くほど快活になったり、行動的になったりする場合がある。
 親も「花柄」にはしゃいだ瞬間があったのだろうか、それとも、だれかが回復を願ってそうしたものを置いたのだろうか。
 いずれにせよ、何かの拍子に強い力がはたらいて「飲みほした」のは事実だ。
 ままならぬ生命力の谷と山……・

「ふいに雨止むとき傘は軽やかな風とわたしの容れものとなる」


 氏は「公園の水を飲んで空腹をしのぐホームレス」だった。
 そんな時、酷薄でない「軽やかな風」は嬉しい味方だったのだろう。
 傘は雨から守ってくれただけでなく、味方と共にいる自分をも守り、親和に満ちた空間を確保してくれている。
 これほどまで傘へ感謝できるものだろうか。

 そしてもう一首は冒頭の歌だった。
 記事はこう締めくくられる。

「家を転々とし、中学校は満足に通っていない。
 施設にあった新聞を辞書をひきひき読み、字を覚えた。
『育つ環境で義務教育もままならない人がいるよ、と伝えたい』。
 成人した今も、学ぶことの象徴としてセーラー服を着る。

 現実を忘れたくて訪れた図書館で、穂村弘さんや吉川宏志(ひろし)さんの歌集に出会う。
 五七五七七に様々な思いや情景がうたわれ、映画のように見えた。
 漢字にルビをふってもらい、歌集を日々読む。

 年齢も本名も明かさず、不登校や夜の街で働く人と歌会を開く。
 誰とも先入観なく向き合いたいから。
 好きな短歌を披露しあううち自然に悩みも打ち明けられる。
短歌は心のセーフティーネットになれるんじゃないかな』

 大阪での暮らしは厳しく日に1食というが、声は明るい。
 第1歌集の題は『キリンの子』である。

 目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ」


 2月10日の出版が待ち遠しい。




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2016
02.03

2月の運勢 ─スウェーデンやアメリカを眺める─

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 2月の運気の流れについて要点を記します。
 今月は全体的に不安定で、何をしようにも確かな具体策が見つかりにくく、もどかしい状況になりやすい時期ですが、もしも、〈変わり目〉をつかんだならば慎重かつ、確実にチャンスを生かしたいものです。
 こうした時期に大切なのは、自分が早く進みたい時ほど、皆のことを考える必要があるということです。
 他人を押しのける〈自分だけ〉の姿勢ではチャンスを失しかねません。
「おたがいさま」の気持で動けば、自分も「おかげさま」に助けられるのです。
共生」がキーワードです。

 共生と言えば、スウェーデンの「積極的労働市場政策」が思い出されます。
 充実した職業教育・失業者や転職者への手厚い教育・再就職の支援などによって労働の高い質が確保されています。
 かつてハンソン首相は、理想国家『国民の家』を目指そうと説きました。

「私たちはしばしば、社会(国や市)を、私たちの共通の家、国民の家、市民の家と見なす。
 家の基礎はコミュニティと相互依存の意識である。

「良い家では、平等、配慮、協同、援助が優位を占める。
 偉大な国民と市民の家にあてはめると、これはあらゆる社会的かつ経済的バリアをなくすことを意味する。
 社会的かつ経済的なバリアが、現在、市民を特権と不遇、支配者と依存者、富者と貧者、高額の資産のある人とそうでない人、搾取する人と搾取される人に分けている。」


 スウェーデンでは労働者の7割が3大労働組合に加盟しつつも国民全ての発展を第一とし、企業もまた社会への貢献を第一としています。
 選挙の投票率は常に7~8割、国民の総意として福祉国家が推進されています。
 権力者が好き勝手なことをせず、国民全体の意志が名実共に国家運営の主役であるという実感があるからでしょう。
 その結果、この国は第一次、第二次世界大戦でも中立を保ち、約二百年間、戦争に加担していません。

 また、「自然享受権」があり、木を伐れば必ず植えねばならず、山河や風景は基本的に「共有財産」として大切に保護されています。
 この「緑の福祉国家」は過去半世紀近く工業国としてGDPを伸ばしているにもかかわらず、エネルギー消費量は横ばいです。
「環境法典」を制定してからもうすぐ20年です。
 
 スウェーデンは遥かに遠い国ですが、同じ地球上にあります。
 学ぶ心があれば隣人と言えましょう。
 ちなみに、私たちに身近な「ムーミン」は、フィンランド人のトーベ・ヤンソンによって書かれましたが、用いられたのはスウェーデン語です。
 ともあれ、今月のような動きが緩慢になりやすい時ほど、目を広く見開き、根本的な問題をよく考え、しっかり行動しましょう。

 ところで、2月1日、アメリカ大統領選挙にけるアイオワ州の党員集会が開かれ、民主党はヒラリー・クリントン氏が辛勝しました。
 わずかな差で敗れたバーニー・サンダース上院議員(74才)の主張は瞠目すべきものです。
 彼は自ら「社会民主主義者」を名乗り、正義を求めるアメリカの社会であまりの格差は許されないと主張、その是正を政策の柱としています。
「1パーセントの人々のためだけでなく、全国民のために働く政府の実現を!」
 アメリカは、自由競争こそがバラ色の未来を招くとし、成功者が英雄視されてきた一種の実験国家です。
 20世紀になり、女性、黒人奴隷、先住民にも権利の平等が認められて以来、自由を絶対視してきましたが、今や、弱肉強食の放置は人間社会に著しい不公正を招くとして、正面から糾弾される事態に立ち至りました。
 オバマ大統領の時代になってすら、ここ3年間で上位1パーセントの富裕層は収入を4割増やし、99パーセントの人々は収入を僅かながら減らしています。
(アメリカの実態はキリスト教徒が主導する階級社会です)
 彼の公約は富裕層への増税、大企業の課税逃れの取り締まり強化、国民皆保険制度、公立大学の授業料無償化と徹底しています。
 自由競争の果てに生じる膨大な〈敗者〉や〈弱者〉を見捨てられないだけではありません。
 彼を支持する若者たちは、勝者や強者の〈層〉と敗者や弱者の〈層〉との間が途方もなく広がっただけでなく、今や、それが固定化しつつあることに対して不満どころか危機感を抱いています。
 まことに異例なことに、彼の選挙資金の7割は1口30ドルに満たない少額の寄附によるものです。

 私たちの社会は、人間が思いつく単純で単一な原理だけでは、うまくゆかないものなのでしょう。
 かつてのソ連に代表される共産主義の実験が失敗に帰しただけでなく、アメリカや日本における自由主義の実験も、あまりの弊害をもたらしてしまったことは明らかです。
 イスラム原理主義ももちろん、例外でないはずはありません。
 古人は「人の振り見て我が振り直せ」と言いました。
 人類の歴史はまだ、たかだか20万年です。
 弥勒菩薩(ミロクボサツ)が私たちすべてを残らず救い尽くしてくださるまでは56億7千万年かかるとされています。
 単純な原理を主張するだけでなく、客観的な視点を失わずに学びたいものです。
 それを基に改善する素直で、目先の利にとらわれず、地道な努力がいつの時代にも求められるのではないでしょうか。
 大統領選挙を通じてアメリカがいかなる変貌を遂げて行くのか、楽しみです。

 だいぶ、横道にそれました。
 今月は「共生」をイメージして自分の利を性急に求めず、周囲に起こる動きを冷静に眺め、全体の流れの中でつかみたいものをしっかりとつかむ智慧をはたらかせましょう。
 きっかけを見逃さないためにも、確かな宝ものを得るためにも、守本尊様へ祈りたいものです。 




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「おん あらはしゃのう」
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2016
02.02

イラク戦争と靖国神社への祈り(その18) ─感謝と敬意─

201602020001.jpg

 平成16年1月、自衛隊のイラク派兵に鑑み、仏神と祖霊のご加護で自衛隊員の無事帰還をはかるべく、靖国神社へ向かって托鉢行を始めた。
 世界の情勢が急変を見せ始めた今、そのおりの記録を加筆訂正しながら再掲しておきたい。
 不戦日本の願いを込めて。

 まだ、再出発の日を待っている。

○新たな日々(2月26日)

 好意で当山のホームページを管理してくださっている方や協力してくださっている方はもちろん、見てくださる方々にも深い感謝敬意を抱いている。
 ネットでもテレビでも、五感を瞬間的に刺激する面白おかしい情報や戦いの場面が目につく。
 笑いも怒りも恣意的につくられる。
 一方、み仏の教えは、厳しく、耳に痛い面はカットされ、話術や文章の巧みな人々によって、耳をくすぐる〈ちょっといい言葉〉として流布される。
 み仏におすがりして救われるしかないギリギリの現場などは、それがあることすら知られていない。
 普段、必要とされない仏法はあまり関心を持たれず、寺院僧侶も徐々に、〈要らないもの〉とされつつある。
 あるいは、儲けの道具として商業主義に組み込もうとする動きすらある。
 こうした時代に、四角く固い仏法のページを創っていただき、誰かに読んでいただけるのはただただ、ありがたい。

 感謝敬意は、人生相談やご祈祷に訪れる方々へも抱いている。
 皆さんから教えられることや気づかされることが山ほどあるのだ。
 人間関係に苦しんだAさんは、さる教団へ入信したが、求められるお布施が用意できず、勤労奉仕でまごころを尽くしているつもりだった。
 ところが、すぐに周囲から、汗をながすのは当たり前と受けとめられるようになり、一生懸命やればやるほど、金品を修められない肩身の狭さが募って教団を離れようとした。
 そうなると今度は、皆で引き留めにかかられ、ようやく、教団の真姿に気づいた。
 魂の解放をめざすはずの宗教者たちが、信者を縛ろうとすることなどあってはならない。
 いかに高邁な旗を掲げようと、信者を縛ろうとする教団は必ず他の宗教宗派への攻撃的姿勢を持っており、社会的に見れば、そのこと自体が大いに問題である。
 
 脱出劇を切々と訴えるAさんの涙目は忘れられない。
 そもそも、信徒さんが差し出すお布施と、寺院が行う法務のバランスがとれて成り立つ寺院にあって、〈慣れ〉は魔ものである。
 たとえば、護摩法の後で信徒さんがお手伝いくださる仏器磨きのご奉仕は、尊い布施行の実践であり、寺院側は常に心して受けねばならないが、やってもらって当たり前という感覚になれば、不満や傲慢が顔を出し、謗ったり命じたりするようになる場合がある。
 そうなると、奉仕する側にも反発や幻滅や不信が生じて、布施行は腐敗し破綻する。
 何万回同じような動作を繰りかえそうが、布施についても法務についても、行う側・受ける側双方共に、常に心新たでなければならない。
 なぜなら、財物や身体を用いての財施(ザイセ)も、修法による法施(ホウセ)も、その都度、己をみ仏へ投げ出し、己がみ仏に成る行為だからである。
 惰性で「投げ出し」、慣れて「成る」ことはあり得ず、それは偽ものだ。

 平和な日本が保たれ、明日もいのちあるならば、明日も新たでありたい。
 感謝敬意を忘れずに。
 ──ご縁の方々と共に。




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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