2016
09.29

10月の守本尊様と真言 ―阿弥陀如来―

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〈ご加持の印〉

 10月は、寒露(カンロ)と霜降(ソウコウ)の神無月(カンナヅキ…10月8日より11月6日まで)です。
 10月は戌(イヌ)の月なので、守本尊阿弥陀如来(アミダニョライ)様です。

 阿弥陀如来様は、『遍處行智力(ヘンショギョウチリキ)』をもって、人々がどのような世界へ行こうとしているかをご覧になり、地獄界や餓鬼界などの悪しき世界へ入らぬよう、お導きくださいます。
 正しく念ずるならば、そのお力により、必ず善き所へ連れて行ってくださるのです。
 また、阿弥陀如来は、戌亥年生まれの善男善女を一生お守りくださる一代守本尊様でもあり、身体においては、主として脚をお守りくださいます。
 そして、特に今年、数え年で2才、11才、20才、29才、38才、47才、56才、65才、74才、83才、92才、100才の方をご守護くださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、心豊かに、無事安全に過ごしましょう。

「それ衆生(シュジョウ)界一切の○業障重罪(ゴッショウジュウザイ)ことごとく○消滅すまで大慈悲の○無量の願を捨てざると○誓約された阿弥陀仏○三密加持(サンミツカジ)のその時に○目(マ)の当たりにぞ拝すなり」


(生きとし生けるものたちすべての悪行による悪しき影響力や障りを招く可能性、そして重い罪そのものをことごとく消滅させるまで、無限の願いを捨てないと約束された阿弥陀如来を、私たちは、身体と言葉と心とをみ仏と一体化させるその時に、ありありと拝することができる)

 私たちは、うわべだけでなく、心の底から自分自身を省み、身体でよきことを行い、思いやりのこもった言葉を用い、み仏の世界やお姿を心に描く時、慈悲の権化(ゴンゲ)である阿弥陀如来様のお力やお姿を感得せきるかも知れません。

「亡き人と○一切衆生(シュジョウ)の成仏を○至心に廻向(エコウ)・祈念して○阿弥陀如来の真言の○無量無辺の加持力(カジリキ)と○利益を信じ誠心(ヒタスラ)に○大師と共に誦持(ジュジ)すれば○阿弥陀の光に包まれて○その法悦に随喜(ズイキ)せん」


(亡くなった人と、生きとし生けるものが成仏できるよう、心の底から、自分の善行がもたらすよい影響力をふり向け、成就するよう祈り、阿弥陀如来の真言が持つ限りない救済力を信じつつ、お大師様と一緒に唱え、没頭すれば、やがて阿弥陀如来の光に包まれ、ご加護を受けている実感を喜べることだろう)

 四国遍路をする人はすべて、心に「同行二人(ドウギョウニニン)」の思いを抱き、「南無大師遍照金剛」と唱えます。
 どこでもお大師様と一緒であり、どこの札所におられるご本尊様に対しても、お大師様と一緒に般若心経や真言を捧げ、善願の成就を祈ります。
 お不動様やお地蔵様や阿弥陀様など、各札所におられるどなたもが、まごころを捧げる善男善女へ救いの手を差し伸べられます。
 まごころを捧げる具体的な方法、すなわち、即身成仏(ソクシンジョウブツ)する方法が、身体と言葉と心をみ仏に一体化させることであり、合掌し、真言や経文を唱え、心が清浄になってご本尊様と一体化すれば、「加持力」に包まれる状態と言えるのです。
 その〝ああ、お救いいただいている〟という実感こそが「法悦に随喜」と称する中身です。
 
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 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた阿弥陀如来様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められています。(奉納受付中)

 10月守本尊阿弥陀如来(アミダニョライ)様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

「おん あみりたていせい から うん」

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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2016
09.28

「裏勝り」なバーがある

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〈「着物さくさく」様よりお借りして加工しました〉

 仙台市営地下鉄泉中央駅の近くに年配者も立ち寄れるバーがある。
 かつて、一度しか行ったことはないが、あるシーンが心から離れない。

 久方ぶりに「裏勝(ウラマサ)り」を見たのだ。
 高校生の頃、江戸時代の「奢侈(シャシ)禁止令」について習った。
 贅沢(ゼイタク)を敵視し、質素倹約を旨とするよう指示するお達しだが、もう一つの狙いもある。
 身分制度を守るために、分相応の服装を強いたのだ。
 
 しかし、安定した時代に生活を楽しむ人々は、「はい、そうですか」では済まなくなる。
 感性が〝佳い〟と反応することを制御することはできない。
 こうした背景で「裏勝り」という美意識が生まれたらしい。

 男性用の羽織は普通、地味な色合いだ。
 それをきちんと身につけて歩くのは、着流しよりも落ちついた風情があり、他家を訪ねる際などの礼儀にもかなっている。
 こうした羽織裏地は当然、材質も色合いも質素に作られた。
 ところが、ケンカと色恋が大好きな江戸の男性たちは気づいた。
 〝いざという時、パッと脱いだ羽織裏地が鮮やかだったらどんなに粋だろうか〟
 しかも、裏地は脱がない限り見えないので、過差(カサ)として取り締まられることもない。
 羽二重(ハブタエ)などの高級地を用い、色、柄共に凝った羽織裏地を楽しむ「裏勝り」は、江戸の男女を虜にした。
 
 さて、バーの「裏勝り」はトイレのそばにあった。
 私たちは必要に駆られてトイレへ向かうので、扉をめがけてまっすぐに進む。
 周囲のものはあまり、目に入らない。
 このバーでは、自分の席へ戻ろうとした時に、通路脇の生け花が目に入る。
 しかも豪華な作品は、視線の高さなどに飾られているのではなく、普通なら扉が付いて掃除用品などが入れられるような場所に置かれている。
 だから、その存在に気づかなかったり、あまり目にとめない酔客も多いらしい。

 トイレから戻り、落ちついた感じのママさんへ言った。
羽織裏地ですね」
 ママさんは応えた。
「あれが飾れる限り、やって行こうと思っています」
 この店が何に勝負をかけて営まれているか、わかるような気がした。
 希有(ケウ)な店の名はMARLマール)という。




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2016
09.27

犬と猫の寿命は延びたが……

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 東京農工大と日本小動物獣医師会の調査によると、日本でペットとして飼われている平均寿命が過去最高になった。
 平成26年現在、13・2歳、11・9歳である。
 過去25年間で、は1・5倍、は2・3倍に延びた。
 ワクチン接種の普及などにより感染症対策が進んだことが主たる理由である。
 また、屋内で飼われるなど、生活環境がよくなったことも影響しており、のワクチン接種率が低いことを見ても、寿命はまだ延びる可能性が高いという。

 昔はを飼い、今はを飼っている小生の実感としては、屋内飼育という環境の変化はもちろんだが、何よりも食べる餌の質が上がり、薬や医療が進歩したことが寿命を延ばしていると思う。
 人間が高齢化しているパターンとまったく同じである。

 は血統によって寿命に顕著な違いがあり、は雄雌で違う。
 ちなみに、の純血種は12・8歳、雑種は14・2歳。
 猫の雄は11歳、雌は12・9歳。
 いろいろと考えさせられるデータではある。

 また、ペットのご葬儀やご供養をしている者の実感としては、この調査から約2年を経過している現在、寿命はきっとさらに大きく伸びていると思う。
 犬の15歳や猫の13歳は当たり前といった感じである。

 Aさんは大型犬を居間の真ん中で飼い、ついに寝たきりになったので、床ずれしないよう、不眠不休の介護をして送った。
 もう一匹は認知症になったのか、夜と昼の生活が入れ替わってしまったので、それに合わせて餌やりなどをしているうちに、自分が体調を崩してしまった。
 Bさんは、立派な高齢者で病気も抱えているが、「歳とった猫たちを全員送るまではあの世に行けません」と明るく笑う。
 Cさんは、捨てられる犬たちへ手を差し伸べているうちに使命感が募り、ついに支援組織を作って生涯をかけることにした。

 ところで、人間もペット長寿は結構だが、遠からず、大きな転換点を向かえることだろう。
 科学技術が進み、生活レベルが上がる一方で、人間の格差が各方面で広がり、進歩の恩恵にあずかれない人々が続出し、それに伴って哀れなペットたちも増えるに違いない。
 所得や学歴だけでなく、医療や食事といった面でも凄まじい勢いで格差が広がりつつあり、それはすでに世代間で受け継がれ始めている。
 富裕層に飼われる高級なペットたちはますます長生きし、一般庶民に飼われるペットたちの寿命は近々に頭打ちとなり、やがては捨てられ、殺される者が続出するだろう。
 かつて、当山で生まれた仔猫たちを欲しい方々へお届けした時、飼われる環境の違いを痛感させられた。
 人間の呻きを慰めるペットたちは、人間の生活レベルの範囲内でしか生きられないのだ。 
 Cさんたちの〈善意の連帯〉にも限度があろう。

 ペットの長寿を手放しで喜べないのは、団塊の世代長寿を手放しで喜べないのと同じである。
 高度成長時代の貯えを持った世代が去り、次の世代が遺産を消費し、あるいは国際資本に奪われた先はどうなるか?
 生々流転のこの世では、あらゆるものが〈満つれば欠ける〉運命を逃れられない。

 犬の13・2歳は、人間ならばおよそ69歳、猫の11・9歳は、人間ならばおよそ64歳だとされる。
 それはもっと延びるかも知れないが、一般人の生活向上は、すでにピークを過ぎた。
 冒頭の調査が行われた平成26年、年収300万円以下の人口はついに全給与所得者の4割を占めた。
 国家の豊かさを示すGDP(国内総生産)は世界第3位なのに、OECD(経済協力開発機構)の調査による貧困率において世界第4位である。
 ここ数年で就職率は上がったが、可処分所得は下がっている。
 国民の大部分が安い給与で使われる仕組みは着々と進行している。

 犬や猫の寿命は延びた。
 しかし、人間の生活そのものの質はどうか?
 テレビの画面には千円以上のラーメンや、五百万円以上の高級車などが紹介されているものの、多くの庶民には無縁だ。
 別の画面のお笑いで慰められつつ日々を送る間に、日夜、いっときの休みもなく格差は拡大し続けている。
 それはきっと、犬や猫の未来にも暗雲となることだろう。
 多くの国民が犬や猫と一緒に安心して長寿を喜べる社会になって欲しいと、心から願う。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2016
09.26

薬草も毒草も生きる世界 ─10月の聖語─

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〈一迫別院は、地域の氏神様を引き継ぎます〉

 10月の聖語です。
 お大師様は説かれました。

「大山、徳広ければ、禽獣(キンジュウ)争い帰し、薬毒まじり生(オ)う。
 深海、道大いなれば、魚集まり泳ぎ、龍鬼(リュウキ)並び住む。」


(大きな山は、広大な徳を持っているので、鳥もけだものも、争うように集まり、棲み、薬草毒草も混じり合って育つ。
 深い海には生きる道がたくさんあるので、魚たちが集まり、暮らしているが、龍や鬼なども住む)

 これは、お大師様が法相宗(ホッソウシュウ)という宗派の特徴を示した文章の一節ですが、そのまま、密教が説くマンダラの表現にもなっています。
 山と海は自然界を意味し、そこでは文字どおり、あらゆる生きものたちが暮らしています。
 それらは、人間の都合による善悪や好悪などの判断を超えており、たとえば、人間によって薬にされる薬草も、食べた者を害する毒草も、それなりの場所で共生・共存しています。
 人間の食卓に並ぶ魚も、災厄を及ぼす凶暴な龍や鬼たちも、海はすべて受け容れ、生かしています。

 世界はこのように人間の思惑を超え、絶妙のバランスで成り立っており、〈共生〉こそが、ありのままの姿であると言えます。
 その真実を象徴的に描くのがマンダラです。
 だから、マンダラには根本仏である大日如来や、その使者である不動明王や、大日如来の徳を分け持つ阿弥陀如来や文殊菩薩などのみ仏だけでなく、血肉を食らう毘舎遮(ビシャシャ)、あるいは屍体を貪る女夜叉(ヤシャ)である荼吉尼天(ダキニテン)なども描かれています。
 私たちは、〈共に生きる〉以外、生きようがありません。

 しかし現在、私たちは、何もかもを〈人間中心主義〉で覆い過ぎてはいます。
 異常気象が教えるとおり、環境への並はずれた影響力を持つ私たちは、目先の快適さを求めるあまり、知らぬ間に、あるいは知っていながら、あまりに環境の破壊を進め過ぎました。
 もはや、悪因悪果の因果応報は明らかです。
 私たちが酷い苦しみを感じ始める前に、もう、他の生きものたちは苦しみ、絶滅させられてもいます。
 私たちが「大山」の「徳」を消滅させ、「深海」の「道」を埋めてしまうならば、マンダラは成り立たず、いのちは萎み、消えて行くことでしょう。
 
 生きとし生けるものものはすべて、この世全体のバランスによって生かされています。
 ゆめゆめ、忘れぬようにしたいものです。




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2016
09.25

いのちの重し ─お捕まりになられませんよう─

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 小生はときおり、妻からきつい注意を受ける。
「捕まんないでよ!
 罰金、いくらだと思ってんの!」
 スピード違反の話だ。
 お巡りさんから渡された振込用紙の金額を見てたまげ驚き、こっそり払おうと隠しているうちにバレたという前科もあるので、思い出した時に騒がれるのは仕方がない。
 今場所の豪栄道関ではないが、集中力が高まっている時は、前方のねずみ取りも、後方から忍び寄る白バイも早めにピンときてしまうので大丈夫。
 娑婆にいたころさかんにやっていた麻雀で、ツモる予感がするのと同じだ。
 しかし、考えごとをしていたり、カーステレオの音楽に夢中になっていたり、あるいはボーッとしたり(これはそもそも運転自体が危険でもあるが……)といった状態では、アウトになりやすい。
 酷い時は、後からサイレンを鳴らすパトカーに追跡(!)され、ついに赤信号で前へ回り込まれるまで気づかず、快走していたという実績もある。

 こんなわけで、つい最近も、法具など準備万端調い、さあ、出発というタイミングでいつもの注意を受けた。
 口では「はい、はい」と言いながら、内心では〝わかってるよ!〟と小さく叫びつつ寺務所を出ようとしたら(身・口・意が一体になっていないのだが……)、背後から重ねて、静かに声がかかった。
「お捕まりになられませんよう」
 職員の森合さんだ。
 さあ、出撃!という勢いが削がれた。
 これではもう、スピードを出すわけにはゆかない。

 もちろん、小生は暴走族と無縁で、いつもいつも国禁を犯しているわけではない。
 それでは「社会的に正しく」という教えに背く。
 だから常日頃は羊のようなものだが、やむを得ない時にはウィーンとやらかす。
 この衝動についてはひところ、妻や娘から「人が変わったようになる」と攻撃されもした。
 まあ、こうした〈小さな牙〉を隠し持つのは、かつて少年だった男性に共通の悪癖とでも言うべきものだろう。

 その小さな宝ものが、雅(ミヤビ)な一言で木っ端微塵にされてしまった。
 ダメなものは明らかにダメなのだ。
 そう割り切らせてしまわない何かがある。
 それは、修法中の自分と、日常生活を営んでいる時の自分とを異ならせている何かでもあろう。
 困惑しつつ考えた。
〝──私はようやく、〈少年〉から脱皮しようとしているのではなかろうか〟
 古希(コキ)になり、お迎えがそこまで来ているのに少年もないものだが、しわくちゃのお婆さんにだって〈少女〉が潜んでいたりするのが人間だ。

 村岡空氏の詩『身』を思い出す。
 そこにはこんな一節がある。

「生きるということは
 だんだん透きとおっていくことであろうか
 それとも
 しだいに意識のように濁って
 手や足をうしなって
 ついにはささえきれずに
 死の高みへ
 ふわりと浮かびでることなのか」


 私たちがいつまでも〈少年〉であり、〈少女〉であることは、浮かびでようとするものに細い糸一本でつながる重しなのかも知れない。
 そう言えば、もはや10冊を数える「シルバー川柳」シリーズに載っている作品は、どれもこれも、揺れ、輝いている。
 それらのうち、いくつかの正体は、糸につながれた〈重し〉たちではなかろうか。




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