2014
12.01

メルマガがあります

 法楽寺メルマガがあります。ご希望の方はこちらからどうぞ。合掌
FC2 Management
2014
04.24

死刑回避の余地を持つ文化 ―もう一度、イランの赦しを考える―

2014042000013

2014042000012

〈河北新報様からお借りして加工しました〉

 私たち人間は、人を殺すことの恐ろしさと罪悪感をよく知っている。
 それでいながら、了解事項としての合的殺人を行わずにはいられない。
 それが、戦争と死刑である。
 4月15日、イスラム教国イランから衝撃的な映像と忘れがたい記事が世界へ発信された。
 ブログ「許された死刑 ―母親の平手打ち―」で紹介したできごとを、もう一度、考えてみたい。(「」内は記事からの引用)

死刑囚の男は2007年にけんか相手を殺したとして、死刑判決を受けた。
 公開処刑が決まり、15日朝、広場で黒い布で目隠しをされ、椅子を使った絞首台に立った。
 しかし、被害者の母が集まった群衆に向け、男を許すとスピーチ。
 絞首台に上がって男の頬を平手打ちすると、夫と共に男の首からロープを外した。」
イランではイスラム(シャリア)に基づき、被害者の家族側からの求めがあれば、刑の執行延期や軽減が認められる。」


 被害者の父親は有名な元サッカー選手で指導者を務めており、被告は教え子の一人だった。
 しかし、いかに師弟の関係であろうと、我が子を殺された親が公衆の面前で相手を赦すに至る過程でどれだけの葛藤があったか、第三者が想像することは不可能である。
 そこを超え、いよいよ死刑というギリギリの場面で、父親も母親も、でき難い決断を行った。
 共同通信社が提供した二枚の映像を観るたびに涙が滲み、忿怒や憎悪から離れられない人間が宥恕(ユウジョ…寛大な心で許すこと)という崇高な行為をなし得る事実に胸が震える。

 上の写真は、死刑寸前の様子である。
 男は何と叫んでいるのだろう。
「お母さん!」か、それとも「アラーアクバル!(アラーは偉大なり)」か。
 正義を実現しようとする屈強な執行官の堂々とした風情が印象的である。
 下の画像に写っている向かって左の女性は息子が赦されたばかりの母親、右の女性は被害者の母親。
 息子は決して帰ってこないのに、自分の判断で殺人犯を生き延びさせてしまい、ただ、泣くしかない母親は哀れである。
 息子がこのまま息をし続けられるようになった母親は何と詫び、何と礼を言えばよいかわからず、共に泣くしかない。
 それにしても、母と子の何と似ていることだろう。

 さて、今回のできごとには一つの背景がある。

「公開処刑前日にはテレビの人気サッカー番組で司会者が死刑回避を訴え、元イラン代表で国民的英雄のアリ・ダエイ氏も呼びかけに加わった。
 罪を許した母は『私がどんな思いをしてきたかわかりますか』と群衆に訴え、死刑回避を求める圧力への複雑な胸中ものぞかせた。」


 死刑回避は、イランでも一つの思潮として存在している。
 我が子を殺された母親としては、憎い犯人を決して赦せない、しかし、夫の立場もあり、死刑回避という公な社会的要請もある。
 どうするか、群衆の面前で決断が問われる。
 その結果はどうなるかわからない。
 こうした文字どおり胸が張り裂け、気が狂わんばかりの状態で、母親はついに、張り手を見舞った。

 もしも我が子に同様のできごとが起こったならば、自分はどうするか、どうできるか?
 僧侶である自分の判断は一つしかないが、応用問題が苦手な妻を説得できるかどうかは、その時になってみなければわからない。
 私個人としては、こんなふうにしか思えない。

 できごとの背景には、もう一つ、宗教がある。
 宗教が社会を律するにまでなっている文化圏にあっては、宗教正義として実現し、を通じて宗教正義が貫かれる。
「目には目を」として、受けた苦しみ以上の罰を相手へ求めない文化だからこそ、被害者に赦す心があるのなら、加害者にも赦される範囲が生じるという考え方は、理の当然となるのだろう。
 赦しが死刑の執行を止める文化と宗教があるということを、私たちはよく考えてみる必要がありはしないだろうか。
 当山は、死刑囚の改悛と被害者側の宥恕によって死刑が回避できるよう願っている。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
04.23

クローズアップ現代「富裕層が自治体を設立 分断進むアメリカ」を観て 

201404190432

クローズアップ現代 〝独立〟する富裕層 ~アメリカ 深まる社会の分断~」に自由競争原理の終末を観た。

 4月22日のNHKテレビ「クローズアップ現代」は、アメリカにおいて、富裕層が自分たちでCITY=「市」をつくり、予算も税金も、自分たちの手で使いたいように使う動きが相継いでいると報じた。
 地域ごとの独立性が強いアメリカでは、日本人の感覚からすればおおよそ、州が国であり、その行政区分である郡が県にあたる。
 地域住民のために使われる税金は当然、州や郡の采配によるが、たくさん税金を払っている富裕層は、税金が自分たちのためにあまり使われていないと感じている。
 その結果、富裕層だけで独立する動きが始まっている。

「自分たちで『市』の境界線を決め、州議会を動かし、住民投票を実施。法にのっとり独立を成し遂げている。」


 A氏(富裕層)は言う、
「政府による所得の再配分は、個人のお金を盗む泥棒のようなものだ」
 あまり税金を払わない人々のために手篤く税金が使われるのは、不公平であると感じている。
 たとえば、貧困層が住む治安の悪い地域へ多くの警察官が配備されているために、麻薬取引などを行う者たちが富裕層の住む地域へ入り込むようになり、治安が悪くなってきたことを槍玉に挙げる。

 また、政府は人をたくさん使って仕事をしているが、コンピューター管理を進めればもっと安上がりになるとして、9年前に富裕層によって独立したサンディ・スプリングス市では、ほとんどの行政サービスを効率化した結果、職員の数を激減させた。
 職員には鳴っている電話を10秒以内でとることを義務づけ、90秒以内で警察や消防が出動し、早ければ、電話を受けてからたった2分ほどで現場へ到着する。
 こうしたサンディ・スプリングス市へはどんどん富裕層が移住し、30あまりの地域がその〈成功例〉を見習って独立を目ざしている。
 B氏(富裕層)は言う。
「税金に見合うサービスを行わなければ、市民は税金を払わなくなるのです」

 富裕層が出て行った地域はどうなるか?
 年間40億円の税収減となったフルトン市では、公共サービスが次々と打ち切られている。
 たとえば、貧困層が住む地域にはゴミ収集車が来なくなり腐臭が漂っている。
 たとえば、市が運営する図書館の開館時間が住民へ知らされないままに2時間短縮され、市立の小学校の帰りに図書館のパソコンを使うなどして勉強している貧困層の子供たちは、勉強の場を失った。
 テレビは、一生懸命勉強していたのにタイムアップとなり突然、パソコンの画面がストップした小さな子供の戸惑い、落胆する様子を報じた。
 アブラハム・ワトソン氏の子供である。
 有色人種の親子が見せた表情は、激しい怒りを露わにしていないだけに、あまりにも哀れである。
 この親子が悲しんでいる時、白人を主とした富裕層の住む市では、きっと優秀な家庭教師と高性能なパソコンによって高レベルの勉強が行われているのだろうと想像すると、震え上がる思いになった。
 公営の高齢者センターでは食事代が値上げされ、公立病院の年間予算は26億円の削減となった。
 アブラハム・ワトソン氏は不安である。
「子供は耳に障害を持っており、治療できる専門医の数が削られてしまえばどうなるのか」
 激しい税収減に直面している有色人種の市長は、苦渋の表情で訴えた。
「もう、予算の削減以外のやりくりはできず、そうでないと市の財政は破綻してしまうのです」

 テキサス大学公共社会学部マイカン・コナー准教授は指摘する。

アメリカ社会では分断が深まっており経済面、教育面でも機会の平等は失われている」


 ジャーナリスト堤未果氏は指摘する。

アメリカでは1パーセントの持てる者が、99パーセントの持たざる者を支配しています。
 サービスを税金で買う契約社会になりました。
 富裕層が住みサービスの充実した地域では地価が上がり、周辺地域では地価が下落し、どんどん荒廃します。
 目に見えないフェンスで囲われた特権地区はピカピカの天国ですが、周辺地域では治安が悪くなり犯罪率が上がります。
 刑務所が維持管理できずに囚人を解放する一方で、警察官の数が減り、治安の悪化に拍車がかかります。
 特権地区では民間ビジネスに教育を委託したため、公教育が消滅しました。
 そして、フェンスの中にいる人たちからは、荒廃している地区に住む人びとが見えません。

 アメリカでは、税金・公共・国といったものが大きく変質し始めました。
 あらゆるものをお金で買う契約社会になりました。
 中流層は消滅しました。
 アメリカにはもはや、二つの方法しか残されていないようです。
 1パーセントの人々をもっと豊かにするか?
 99パーセントの人々へ手を貸すか?」


 自由競争の原理をとことん追求することによってもたらされる社会像が明らかになった。
 まず、徹底的な不平等社会が生まれる。
 そして、その〈社会〉はきっと、持てる人々の非情と、持たざる人々の憎悪とによって崩壊するだろうということである。
 崩壊するのは、非情と憎悪は不安と対立をもたらすのみで、決して真の安心と幸福をもたらさず、人々は膨らむ不安と対立に耐えきれず暴発する時を迎えざるを得ないからである。

 私は10年以上前、アメリカの富裕層が自分たちの居住地区をガードマンによって囲い、出入りする者をチェックするという記事に強い違和感を感じたことがある。
 その数年後、今度は、夜間に悪遊びするスラム街の非行少年たちを更正させられず、夜間バスケットボール大会を催しているという記事に強い不安を感じた。
 さらに数年前、ハリケーンに襲われても逃げようがなく、人的にも物的にも甚大な被害を蒙り、かつ、激しい破戒行為が行われた貧困地区の映像に絶望感を抱いた。
 富む者が手を結んで自分たちの富を守り、富まざる者は見捨てられる国家的不正義と人為的不条理が明らかになったと感じたからである。
 以来、日本の守護神的立場にあるアメリカは崩壊へ向かっているのではないか、との危惧が念頭を離れなくなった。

 アメリカにおいては、国民が国民全体を〈自分たち〉と感じられなくなっているのだろう。
 自由競争を押し進めた結果として生じた不平等は、得た者の我欲によって〈自由に〉固定化の度を深め、得た者にとってはもはや、富裕層しか〈自分たち〉の範疇に入らないのだろう。
 だから、自分たちのために使われるべき税金が、自分たちではない人々によって使われているという不公平感と不満が生じる。
 富裕層と貧困層は、互いを〈異界の人種〉と感じているのではないか。

 日本にはまだ、富む者も富まざる者も、同胞に対して〈自分たち〉と感じる心が残っている。
 しかし、地方分権やグローバル時代に名を借りた弱肉強食の推進、格差の拡大と固定化、などなど、あまりにアメリカに似た道をたどってはいないか。
 アメリカとの文化的・経済的・軍事的・社会構造的一体化をこのまま進めるのは、日本が「大和の国」でなくなる道ではなかろうか……。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

2014
04.22

生まれたければ生まれてみよ ―平安と修羅と―

20140419002.jpg

 歌人宮柊二(ミヤシュウジ)は、太平洋戦争の敗戦から6年経った昭和26年、春の日を浴びてオタマジャクシになりかけているカエルの卵を見つけ、詠んだ。

「群がれる蝌蚪(カト…カエル)の卵に春日さす生まれたければ生まれてみよ」


 私たちは、一般的に、浅瀬にあって陽光を浴びているカエルの卵たちを見れば、「ああ、温かくなったなあ」「もう、カエルが出るのか」などと、ほのぼのした思いになる場合が多い。
 オタマジャクシが泳ぎ始めると、小さないのちたちの懸命な泳ぎぶりに見入ったりもする。
 いずれにせよ、知らぬ間に心が温まるものだが、宮柊二はまったくちがう。
「お前たちは生まれたいらしいが、この世がどんなところか、生まれてくればわかるだろう。
 生まれたいのなら、とにかく、生まれてみるがいい」

 宮柊二戦争に行き、囮(オトリ)を使って敵をおびき寄せ、息を殺して待ち、一気に刺し殺す接近戦を行った。

「ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声もなくくづおれて伏す」


 相手が手の届くところまで来たならば、あたかも寄り添うように身体を寄せて刺すという。
 実践的な剣の稽古をした人ならわかるが、剣で相手を斃す〈突き〉の技は、腕を伸ばして行うのではない。
 自分を守ろうとして身体をこちら側へ残すへっぴり腰では、たやすく剣をはじかれるか、逃げられてしまう。
 捨て身になって身体を相手へぶつける勢いにかけなければ、技は役に立たない。
 昭和35年、17才の山口二矢は当時の日本社会党委員長・浅沼稲次郎を演説会の壇上で刺殺したが、第一撃は体当たりにしか見えない。
 高倉健は、クロード・チアリのやるせない音楽が流れる名作『冬の華』の冒頭で、やはり、ぶつかるようにして相手を斃している。
 いずれも手にしていたのは短剣だったが、軍刀でも同じことである。

 宮柊二は同時期に詠んでいる。

「うつそみの骨身(ホネミ)を打ちて雨寒しこの世にし遇ふ最後の雨か」


 どうにか生きている身体の骨の髄までしみ通ってくるような冷たい雨は、この世で天から受ける最後の雨になるのだろうか。

 生き延びて職場へ通う日々は危機と隣り合わせだった。

「毎日の勤務(ツトメ)のなかのをりふしに呆然(ボウゼン)とをるを我が秘密とす」


 毎日勤めにでかけ仕事をしているが、ふとしたおりに心がどこかへ飛び、呆然としてしまうことは、人に知れぬ秘密にしておくしかない。

「勤務よりかへりきたりて灯(トモシビ)のもとにわれは坐れりこころ危ふし」


 勤務を終えて妻と長男長女の待つ家へ帰り、家庭の温かい灯火のもとに坐している時、家族には知られないが、温かく平安な心とはまったく異質のものが兆してくるのを止めようがない。
 現在、世界中へ軍隊を派遣しているアメリカでは、従軍体験による心的外傷後ストレス障害(PTSD)などを抱える兵士や元兵士の問題が社会を揺るがせているが、宮柊二も紙一重のところにいた。

 死の2年前、72才の宮柊二は詠んだ。

「中国に兵なりし日の五カ年をしみじみと思う戦争は悪だ」


 私たちは、観念として「いのちは尊い」と思ってはいるが、好き勝手に生きられる生を生きているいのちばかりがいのちなのではない。
 今、こうしている時にも、世界のどこかで、奪われたくないいのちを奪われ、奪われたくない人からいのちを奪わないではいられない人たちが、修羅の世界で心身の血を流しながら、のたうち回っている。
 カエルの卵やオタマジャクシは、誰の眼にも「可愛い」と見えるのではない。
 人の温かな心やネコやイヌやウグイスや桜に救われ感謝しつつ、不条理に翻弄され救われがたい人々のいること、救われがたい社会にしてはならないこと、決して戦争をしてはならないこと、などにも思いをいたす姿勢を忘れないようにしたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
04.21

お布施の金額がわからない方へ

 ご葬儀に関するお問い合わせがあり、事情によって手紙による回答を行いました。
 今までに幾度もあったやりとりなので、以下、転載しておきます。

 お布施の金額を考えるには二つのポイントがあります。
 一つは、一人の人を安心の世界へ送ることの価値、重大さをどう考えるかということです。
 そうした意味では、葬儀屋さんなどへ訊いてみるのも一つの方法ではあります。
 世間的におおよそどれほどの価値と考えられているかを知ることは必ず勉強になります。
 たとえばテレビ一台分の価値なのか、給料一ヶ月分の価値なのか、それとも車一台分の価値なのか……。
 私たちは、親や先生や先輩などに導かれて成長しつつ生きます。
 決して自分だけの力でこの世を生き抜くわけではありません。
 あの世でも同じように、み仏に導かれてこそ、安心の世界へと向かうことができます。
 大切な人をあの世へきちんと旅立たせるために必要なご加護をどう考えるか。
 ここでよく考えねば、人の生き死にという一生に何度もない重大事を前にして人間的向上の機会を逸してしましかねません。 

 もう一つは、懐具合に合わせた布施です。
 誰も、無い袖は振れません。
 それなのに、お布施を受けとる側が金額を決めて請求すれば、渡そうとする側に無理が生じ、苦しみが生じる可能性があります。
 また、お布施は本来、差し出す方が自主的に「させていただく」ものです。
 だから、〈定価〉はあり得ず、当山では決して金額を申しあげません。
 お布施を差し出す功徳によって悪因縁や悪業が清められ、心に必ず清風が吹きます。
 執着したい金品や労力を手放すことが、我欲(ガヨク)を清めるからです。
 東日本大震災のおりに、見ず知らずの被災者のために、子供たちが貯めていたおこづかいを送りました。
 たくさんんの人々がボランティア活動などで汗を流しました。
 あれが本当の布施行です。
 子供たちもボランティアの方々も皆、清らかで美しい人間、菩薩(ボサツ)様となりました。

 よく考えてみてください。
 そして、決して喪主様一人だけで無理をせず、苦しまず、心ある人々の智慧と力を合わせて対応してください。
 そうした過程すべてが、布施行という尊い善行の一部であり、かけがえのない人をきちんと送るという人間ならではの大切な行為なのです。

 以上、とりいそぎの回答でした。
 お戒名はご本尊様から降りました。
 私はもう、祈り始めています。
 み仏のご加護により、必ず安心の世界へお送りさせていただきます。
 どうぞご安心ください。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



back-to-top