2016
07.01

七月の守本尊様と真言 ─大日如来・顔・マンダラ・藤原新也─

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〈オバマ大統領が広島の平和記念館に贈った折り鶴。彼は何を託したのか?彼がここで語れなかった心中の言葉は何か?もう、すでに人影は疎(マバ)ら。私たちは忘却に忙しい〉

 7月は、小暑(ショウショ)と大暑(タイショ)の文月(フヅキ…7月7日より8月8日まで)です。
 7月は未(ヒツジ)の月なので、守本尊は大日如来(ダイニチニョライ)様です。

 大日如来(胎藏界…タイゾウカイ)様は『種々解智力(シュジュゲチリキ)』という、人の欲するものや楽しみとするものを知る力をもって、お救いくださるみ仏です。
 人は望みを持ってこそ生きられ、「幸せ」とは善き望みのかなうことです。
 天にあって全体を観る金剛界の大日如来様に対して、地にある胎藏界の大日如来様は、一人一人のそれをよく見極め、力をお与えくださいます。

「われら衆生(シュジョウ)が自らの○心の実相(ジッソウ)知るならば○この世のすべての存在が○共に一つの生命を○生きていること悟られて○宇宙の生命(イノチ)を自らの○生命(イノチ)としてぞ生きること○そこにこの世の一切が○大日如来の現象と○捉える曼陀羅(マンダラ)精神の○教えの根本(モト)を見出さん。」


(私たちが自分自身の心の奧にある霊性に気づくならば、この世にある生きとし生けるものすべてが、いのちの世界という大きな一つの世界の一員として生きていることが悟られる。
 そして、自分一身にまつわるいのちだけでなく、宇宙的に広がる無限のいのちの世界にこそ〈自分のいのちの本当のありよう〉を見出そう。
 そうして生きてこそ、ありとあらゆるものを網羅して欠かさないマンダラに象徴される大日如来の世界を説く教えが根本的に体得できよう)

 私たちは、喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだりといった〈表面の心〉で起こる波に翻弄されています。
 しかし、それらはすべて、深く、澄んだ湖の水が、風によって波紋をつくるようなものです。
 そのことは、人間として生きている私たちが、ネコやイヌやスズメやモグラや花々などと共に、広大な〈いのちの世界〉の表れのごく一部であることを教えてもいます。
 マンダラは、そうした真実世界の統一と多様性を示すものです。
 マンダラを眺め、多様な徳を観想する時、つまらぬ心の動揺は去り、同時に、つまらぬ我欲や邪心や高慢心も去ります。

 私たちは普段、自分がどうなっているか、気づかないでいます。
 それは、自分の顔そのものとなかなか向き合えないことと似ています。
 朝日新聞編集委員の秋山訓子氏は「ザ・コラム」に書きました。
「20年近く永田町を見てきて思うことは、政治家の生き方や品性は顔に出る、如実に。
 人相が悪くなった人、よくなった人、安定している人……。」
 彼女が、写真家藤原新也氏へ「顔で政治家が判断できるか」と訊いたところ、氏は「もちろん」と即答しました。
「顔っていうのは残酷なまでにその人の内面を表す。
 写真家ならシャッタースピードの2分の1秒もあれば判断できるかな」
 怖い話です。
 氏は続けます。
「ただしプロの撮った写真はうそもつけるから写真で判断しないほうがいい。
 テレビ画像か、できれば生。
 無駄な情報が肥大している時代には感覚で情報処理をした方が効率がいい」
 氏が指摘する〈うそ〉の典型が選挙用ポスターであることは論を待ちません。
 もっとも、議員の素顔を知りたいならば、地元選挙民の声を聴くのが一番ですが……。
 氏は舛添騒動にこう言ったそうです。
「彼を批判するタレントや評論家の人相も日増しに悪くなったと感じる。
 時間が経過し、舛添さんの表情や声が憔悴していく中で人々の人相が批判からイジメモードに変わった」
 私たちはどうだったでしょうか?

 一つ、提案があります。
 時々、自分の顔を鏡に映してみましょう。
 そして、阿字観(アジカン)といった瞑想や、読経などを行った後にも、眺めてみましょう。
 何かに気づくかも知れません。

 また、大日如来様は、未(ヒツジ)年、申(サル)年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊様でもあり、身体においては、主として両手をお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、猛暑の一ヶ月を無事安全に過ごしましょう。

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 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた大日如来様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められています。(奉納受付中)〉

 7月の守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、辛い時、悲しい時、淋しい時、あるいは感謝したい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


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 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2016
06.30

行者の精進、ご縁の方々の救い ─自利と利他に思う─

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広島の平和記念資料館にある被曝人形。もうすぐ撤去される予定だという。今のうちに、脳裏へ刻みつけておきたい。戦争が何であるか、原爆が何であるか。その身震いする実感が払拭された時、平和は言葉だけになってしまうことだろう〉

 27日から282日かけて、新幹線で東京へ行き、当日夜そのまま広島へ、そして翌日、平和記念公園へ出向き、同じく新幹線で帰山した。
 片道約6時間、往復12時間は得難い時間となった。
 大正大学仏教学科編による「仏教とは何か その思想を検証する」が通読できた。
 ほとんど知っていたはずの思想史の基礎だが、今回、集中して読んでみたところ、思いもよらない発見があった。

 あまりにもあたりまえだが、お釈迦様が得られた一切智(イッサイチ)は深遠にして広大であること。
 そして、祖師となられた方々は皆、自分自身が納得を得た後、娑婆の方々の救済法に工夫をこらしたことである。
 これもまた当然だが、プロは娑婆の方々のお支えにより、非生産的日々で道を探求するが、娑婆の方々はそうはゆかない。
 しかし、はたらき、家族を養い、家庭とお墓を守るといった普通の日常生活をして営んでいる方々が救われなければ、宗教の価値はない。
 だから祖師方は、呻きつつ自らの問題に挑み、高度な修行を続けて何かをつかんだ後、今度は、娑婆の方々が自分と同じように救われる方法の発見へ挑まねばならなかった。

 自利(ジリ)、利他(リタ)と簡単に言うが、自らが苦悩を脱する自利の道はもちろん、真剣に考えた利他の道もまた、イバラの道だった。
 しかし、どの道もすべての手がかりは経典にあり、お釈迦様が実際に悟られた境地への憧憬が不退転のエネルギーをもたらした。
 インド仏教の完成形であり、インドにおける〈最後の仏教〉となった密教においてもまた、自利のための修行・修法が高度化したため、利他の方法もまた深く考慮されてきた。
 それは、お釈迦様が終生、続けられた対機説法(タイキセッポウ…相手に応じた説き方)の伝統によって、役割を果たすことである。
 マンダラの思想をふまえ、小乗仏教、大乗仏教すべてを学び、他の宗教宗派と一切、争わずそれぞれのレベルを尊重する密教においては、相手を尊重し相手に合わせることは極めて自然な姿勢である。

 象徴的な例が、淳和天皇(ジュンナテンノウ)の第四妃となった真井御前(マナイゴゼン)の逸話である。
 御前は過酷な宮中の人間関係に耐えられず、西宮の摩尼峰に神呪寺を立てて出家し、如意尼(ニョイニ)となった。
 お大師様を深く信じ、伝授された高度な修行を重ねたが、なかなか悟りへ達しない。
 苦悩する如意尼のため、お大師様は桜の樹で如意輪観音(ニョイリンカンノン)像を彫り、真言の読誦を指導された。
 やがて病気になった如意尼は、お大師様が入定(ニュウジョウ…瞑想に入ったままこの世を去ること)される前日、高野山へ向かい、真言を唱えながら遷化(センゲ)した。

 このできごとは、実に大きな意味を持っている。
 広大な修行や修法の体系はプロにとって死ぬまで探求せねばならないものだが、寺院へ救いを求める方にとっては、その方が救われる実戦可能な方法が授かるかどうかがすべてである。
 その方に応じた方法や考え方を選び、お伝えすることができるかどうか。
 行者が本ものであるかどうかが、ここで問われる。
 祈りはすべて身体と言葉と心が用いられるとは言え、如意尼の場合は、唱える言葉への集中が霧を払う突破口になった。
 隠形流(オンギョウリュウ)居合の場合には、剣を持ち身体を大きく動かしながらご本尊様の印を作るところに突破口を求める。
 気合術では、言葉への集中が主である。
 そして阿字観(アジカン)は、観想という心の用い方を主とする突破口と言える。

 行者は、自分が何らかの方法で突破口を開いたように、ご縁の方々が先へ進めるよう、全力を尽くす。
 また、自分自身ではなかなか実践できない方々のために、その方に成り代わってご加護をいただけるよう、ご祈祷やご加持やご供養などを行う。
 ご本尊様がおられる寺院には救いのきっかけがある。
 何かを感じとっただけでもいい。
 そして、ご本尊様をお祀りする寺院のミニチュア版であるお仏壇にもまた、救いのきっかけがある。
 ご本尊様に守られた墓地や墓所にもまた、救いのきっかけが見つかることだろう。
 信じて手を合わせ、足を運んでいただきたい。
 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2016
06.30

7月の行事予定 ─例祭・書道教室・寺子屋・居合─

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〈広島平和記念公園の遭難横死者慰霊供養塔。訪れる人の影もない〉

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〈公園内を足早に行くネコ。全身から警戒心が滲み出ている〉

 平成28年7月の行事予定です。

[第一例祭] 2016/7/3(日)

 今月の守本尊である大日如来(ダイニチニョライ)様のわかりやすい経典や真言などを読誦してご加護をいただきましょう。
 護摩の火に守られ、太鼓の音と共に般若心経をお唱えすると心身がリフレッシュされますよ。
 参加は自由です。
 願い事を書く護摩木は一本300円です。
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[書道・写経教室] 2016/7/3(日)午後2:00~午後3:30

 髙橋香温先生の熱意と誠意を感じられる貴重な時間です。
 書道の基本を学び、100文字の写経も行います。
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
・場  所  大師山法楽寺
・指  導  書道師範高橋香温(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
(毎月第一日曜日午後2時から開催します)
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。

[第七十七回寺子屋『法楽館』 ―これからの生き方について─] 2016/7月9日(土)

 今月は、当山の開基二十周年を記念して、講演会を行います。
 東日本大震災から五年が経ちました。
 大自然と原発事故の凄まじい破壊力によって立ち止まらせられた私たちは、その後、できごとをどうとらえ、私たち自身の生き方をどう考えてきたでしょうか?
・時  間 13時~15時(開場12時30分)
・場  所 日立システムズホール仙台
・コーディネーター 白鳥則郎様(東北大学名誉教授)
・講  師 山内明美様(大正大学人間学部准教授)
      渡辺祥子様(アナウンサー・朗読家)
      遠藤龍地(法楽寺住職)
・ご志納金 無料
※お問い合わせが相次いでおりますので、どうぞお早めにおでかけください。

[第二例祭] 2016/7/16(土)午後2:00~3:00

 今月の守本尊である普賢菩薩様のわかりやすい経典や真言などを読誦してご加護をいただきましょう。
 護摩の火に守られ、太鼓の音と共に般若心経をお唱えすると心身がリフレッシュされますよ。
 参加は自由です。
 願い事を書く護摩木は一本300円です。
・場  所 大師山法楽寺
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[第三回瞑想会『新法楽塾』] 2016/7/20(水)午後2:00~3:00

 土日以外の日に瞑想を行いたいというご希望があり、平日の午前中に設定しました。
 阿字観(アジカン)を中心として行いますので、関心のある方はどうぞおでかけください。
・場  所 当山講堂(イス席もあります)
・参加費 千円 中学生以下五百円
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[機関誌『法楽』の作製] 2016/7/25(月)午前9:00~

 講堂にて、機関誌『法楽』を作り、機関紙『ゆかりびと』と共に発送しますので、ご協力をお願いします。
『実語教・童子教』も共に学びましょう。
 おかげさまにて、『法楽』は第319号、『ゆかりびと』は第182号となります。
・場  所 大師山法楽寺

[お焚きあげ] 2016/7/30(土)午前10:00~10:30

 最終土曜日、お不動様の前で「供養会」を行い、「お焚きあげ」を行います。
 人形や手紙や写真や時計、あるいは御守や御札や仏壇や神棚など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
※お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、いつでも結構です。

[隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]

 仏法に生きる身と心をつくるために行います。 
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 高齢者の方々や女性が多く、厳しいながらも和気藹々(ワキアイアイ)と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、まず、見学してください。
・日  時 毎週金曜日 午後6:00~8:00
・場  所 日立システムズホール仙台(29日のみ旭ヶ丘市民センター)




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2016
06.29

広島の被曝人形と原爆供養塔を訪ねて

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原爆供養塔

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被曝人形

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〈この人形が私たちの目に触れてはならない理由などあろうか?〉

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〈いったい、誰が、なぜ、この人形を撤去したいと望んでいるのだろう?〉

 広島平和記念公園を訪ねた。
 目的は二つ、被曝者を立体的に描いた被曝人形を観ることと、原爆供養塔で供養すること。
 6月27日、東京での講習を終え、4時間後の午後9時前に広島市文化交流会館へ入った。
 小雨の中を飛ばすタクシーの運転手は「明日は大雨」と言う。

 覚悟して目覚めた翌朝の6時過ぎ、NHK『おはよう日本』は、写真家山口友香氏が妊婦のお腹を撮っていると報じた。
 お宮参りなどの家族写真を撮っていた氏は5年前、胎盤早期剝離で初産の子供を亡くし、一旦、カメラを置いた。
 しかし、その後、長男の出産に伴い、「命がけで産むことの尊さを伝えたい」と思うようになった。
 101人の妊婦のお腹を撮り、写真集を出版するのが目標だ。

 氏は被写体となる女性に対して毎回、決まった所作を行う。
 自分の体験を話す。
 死産という最悪の事態もあり得る過程をたどって生まれ、育つ生命の尊さを想って欲しい。
 出産、成長は決して、誰にでも与えられたあたりまえの幸せではないのだ。

 この番組は、小生の広島行きを象徴していた。
 被曝人形の世界をリアルに想像できてこそ、戦争や原爆が何であるかが理解でき、それらのない世界のありがたさもまた、実感できるはずだ。
 子供が唄い、ハトが飛び、善意の人々が祈る〈平和な光景〉だけでは、平和への強い希求は起こらないだろう。
 戦争と原爆への強い忌避もまた、望めないのではないか。

 カーテンを開けると曇り空だった。
 テレビは雨を告げている。
 7時の朝食もそこそこに、公園へ向かった。
 幸い、まだ、降ってはいない。

 平和記念資料館の開館は午前8時30分、まず、原爆ドームへ向かう。
 天気予報のせいか、早いせいか、通勤、通学、散歩、掃除などの人々ばかりだ。
 ドームは川の向こうにあった。
 若い白人の数人が眺め、写真を撮っている。

 周囲はビル、整備された道路、行き交う車、歩く人々、そして、ポツンと取り残された時代の残骸。
 ヘルメット姿の人が一人、屋根の近くで作業をしている。
 補修工事なのだろうか。
 ドームはまるで、ベッドに横たわり、介護を受けるお年寄りのようだ。

 不意に空が明るくなったような気がした途端、川面が輝いた。
 しかし、あの時、人々はそこで水を求め、そこで溺れ、力尽き、そこに折り重なって死んだのではなかったか。
 絶えずに行く川の水が、お骨の一片をも流し去ってしまえば、もう、そこは〈死の場所〉ではなくなるのか。
 光明真言を唱え終わってふと、身近に気配を感じて左を向くと、青いポロシャツに半ズボン姿の白人青年がカメラを手に立っていた。

 互いに存在を意識しつつも、視線を合わせず、言葉も交わさず、軽い会釈ですれ違った。
 曇ってきた。
 被曝供養塔はどこだろう。
 見回すと樹木の間から角塔婆の一部が見えた。

 小さな五輪の塔が載った遭難横死者慰霊供養塔だった。
 導かれるように足を運ぶと、その南側に原爆供養塔は、まるで太古の時代から在ったかのように在った。
 納骨堂の入り口には白いペンキが塗られている。
 南側へ回って拝した納骨塚は当山の「自然墓」のイメージそのもので、深く納得できた。

 供養していると、修学旅行の中学生らしい子供たちが数人、やってきた。
 塚の右手、離れたところに、さして大きくもない説明書きがあるにはあるが、子供たちは「昔のお墓かしら」などと言い合っている。
「そうだよ。この塚の下にはお骨がたくさん納めされているんだよ」と教えたら、熱心に聞いていた女の子が2人、合掌した。
 他の女の子3人もならって合掌したが、数人の男の子たちは、さしたる関心も示さず、ブラブラと去った。

 原爆死没者慰霊碑のあたりには男性1人、女性3人、献花の後始末などを行っている。
 小さな慰霊碑の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」を眼にした心は「無念!」と叫んでいた。
 文章は知っていたが、いくら歯を食いしばっても涙を抑えられない。
 インド人法学者パール博士の言葉「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と言った意味が痛感された。
 
 広島市の公式見解は「碑文はすべての人びとが、原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である」となっている。
 文章がそう読めることも、歴史的経緯があるこの碑文を生かすためにはそう読むしかないこともわかる。
 それでもなお、小生の魂は何かと強く共鳴し「無念」が渦巻いている。
 御霊の方々へ深く詫びた。

 さっきのグループに似た子供たちがやってきて、またもや女の子が2人、「わあ、読めない」と言い合っている。
 読んでやったが、説明はしない。
 顔を見合わせて深刻そうな表情になり、小さく合掌した。
 丹念に掃除をしている人々へ小さな声で「ご苦労様です」と声をかけたら、男性だけが「はい」と応えた。

 厚い雲の下でいろいろ観め、拝し、資料館へ向かった。
 身なりを整えた年配の衛視が中へ案内してくれた。
 東館は改装中とて、目的の展示物は二階建ての西館入り口にあるという。
 廊下正面にあるキノコ雲を見ながら右へ曲がると、視界が赤くなった。

 劫火にあぶり出された人は、立っているものの、皮膚は溶けかけている。
 開いた眼は何を見ているのか。
 どこへ歩もうとしているのか。
 生きつつ死んでいる生き地獄だ。

 この被曝人形を撤去する広島市の公式見解である。
「凄惨な被爆の惨状を伝える資料については基本的にありのままで見ていただくべきという方針の下、この度被爆再現人形を撤去することとしたものであり、見た目が恐ろしい、怖いなどの残虐な印象を与えることなどを懸念して撤去するものではありません。
「被爆再現人形は、非常に印象に残り、当時の情景を伝えているという展示だというご意見があります。
 しかし、一方で被爆者の方は、無残な遺体がたくさんあり、男女の区別さえつかず、親子でさえ見分けることができない情景を体験されています。
 そうした状況からは、被爆再現人形に対して『原爆被害の凄惨な情景はこんなものではなかった。もっと悲惨だった』といったご意見もあります。
 展示をご覧になられる方の見方によっては、原爆被害の実態を実際よりも軽く受け止められかねません。
 来館された全ての方々に悲惨な被爆の実相を現実に起こった事実として受け止めていただき、こうした惨劇を今後二度と繰り返してはならないという思いを心に刻んでいただきたいと考えており、そのためにも誰が観覧しても個々人の主観や価値観に左右されない実物資料の展示が重要と考えております。」

 30分程、3体の被曝者を眺め、それから館内すべての展示物を見た。
 確かに、破れた衣服や止まった時計の現物、あるいはケロイドの皮膚や焦げた爪など、そして破壊された光景の写真。
 それらの〈資料〉のどれよりも、〈現場〉を如実に物語っているのが立体の人形であると断言できる。
 駅へ向かうタクシーの運転手は白髪で穏やかなもの言いをする方だったので、訊ねてみた。

「人形が撤去されるそうですが、被曝者の方で、あれは惨たらしいから見たくない、あるいは、撤去して欲しい、などのご意見はあるのですか?」
 彼は口調を変えて断言した。
「そんな人は1人もいないはずです。私たちも撤去理由は理解できません」
 各種のアンケート調査では、撤去反対が圧倒的であるという。

 原爆供養塔被曝人形は、老行者の最後の仕事に大きな力を与えてくれた。合掌




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2016
06.28

供養は心の昇華作用 ─7月の聖語─

 お大師様の聖語です。

「法界は惣(ソウ)じてこれ四恩(シオン)なり。
 六道(ロクドウ)、誰か仏子(ブッシ)にあらざらん。
 怨親(オンシン)を簡(エラ)ばず、悉(コトゴト)く本覚(ホンガク)の自性(ジショウ)に帰(キ)せしめん」


 意訳です。

(この世のすべては、すべて、親の恩、生きものの恩、国家社会の恩、仏法僧の恩によらないものはない。
 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天、いずれの世界にあるものも、すべて御仏の子として、悟りを開き苦を脱する可能性を持っている。
 怨んでいたり、親しんでいたりする関係にとらわれず、すべてのものを、元々み仏であることに気づかせ、その本当の姿を明らかにさせたい)

 この世は〈おかげさま〉の力で成り立っています。
 生まれ出るのは親の恩、飲み食いする食糧も生きられる環境も生きとし生けるものの恩、日常生活の安全・安心は国家社会を司る人々の恩、そして、人がまっとうに生きられるのは、み仏と教えとそれを守り伝える人々の恩によります。
 私たちは古来、こうした目に見えない恩恵をひっくるめて「おかげさま」と言い習わしてきました。
 そもそも、生きとし生けるもので〈み仏の子〉でないものはありません。
 だから、権力や財産などを持っていたり、善行に励んでいたりする人だけが成仏できるというわけでなく、貧しく、虐げられているものや悪業を積むものが特に強い救済力を受けるわけでもありません。
 み仏の慈眼から見れば、よい子も、問題のある子も、等しく我が子なのです。
 お大師様は、そうした立場に立って、ご供養しようと願われました。

 ちなみに、供養の心は、どのような形でも起こります。
 太平洋戦争に敗れた後の昭和29年、定時制高校の卒業記念誌に矢敷喜一が「お父さん」という文章を書きました。
 誰にも最期か確認されず、遺骨すら戻らない南方の激戦地に眠る父親を想って綴られたものです。
 以下、澤地久枝著『昭和・遠い日 近いひと』から転載します。

「……お父さんの眠られたアッツ島では今寒い北風の冬でしょう。
 お父さんの遺骨も早く故郷の土にお埋めしたいのですが実情が許しません。
(略)
 映画〔「風雪の二十年」〕の主人公は片脚になっても帰って来ましたが、お父さんはもう帰れないのですね。
 脚も両方とも無くなってしまったのですか?
 心だけでも帰って下さって私の胸におさまって下さい。
 どうも私一人では何事につけ寂しいですから。
(略)
 北風の孤島に漂える、
 よ。
 朽ちたる古船の如く、
 怒濤の中に、
 浮き沈みするよ。
 宿い寄る岩さえ遠し、
 呼ぶに迷える父のみたまよ」


 心で合掌しつつ書かれた文章は、矢敷喜一の思いを表して余りあると言えましょう。
 合掌は身体の形。
 文章は溢れ出た言葉。
 呼びかける思いは心の叫び。
 身口意がみ仏になっています。
 自分が生き仏になれば、そのこと自体が立派な供養です。
 この心を持って世の中を眺めれば、さまざまなものが供養の対象としてたち顕れます。
 供養は、いつでも、どこでも、何もなくても可能な心の昇華作用なのです。




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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





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