2014
12.01

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2014
09.20

自分だけがよければ、幸せになれるか? ―個人的、集団的、国家的利己主義の問題―

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 おかげさまにて、このたび、古い地蔵堂の柱と屋根を利用してベニヤ板を貼った仮不戦堂が完成しました。
 百万返の祈りに向けての準備は最終段階に入りました。

 さて、地球上では、いたるところで国家の枠組みが揺らぎ、崩壊しつつあります。

1 アメリカの問題

 自由主義の旗頭であったはずのアメリカでは、8月9日に黒人の少年が白人警官に射殺された事件をきっかけに不穏な空気が広がっています。
 事件があったミズーリ州セントルイスの郊外にある町ファーガソンでは、1980年、白人が住民に占める割合は85パーセントでした。
 ところが、セントルイス北部地域が開発されて不動産価格が高騰した結果、住めなくなった黒人がファーガソン周辺へ移住し、白人たちは出て行きました。
 その結果、2008年には黒人が7割となりました。
 近隣約90地区で同様の現象が起きています。
 セントルイス郊外に暮らす黒人の失業率は白人より10ポイント高く、4人に1人が貧困レベル(4人家族で年収2万3千ドル)以下の暮らしをしています。
 ファーガソン近くに実家がある弁護士スティーブン・シューツ氏(46才)は、帰省中のデモや混乱に驚きました。

「富める者はさらに豊かになり、貧しい者は貧困のまま取り残された」(9月19日付朝日新聞)


 白人富裕層は合法的に自分たちだけで住み、税金を住民たちだけで使う新しい〈市〉を続々と誕生させ、警官や警備員など武装した人々に守られる地域は、医療も教育も治安も最高水準が保たれています。
 一方、膨大な数の貧しい人々だけがとり残された周辺地域では何かもが不足し、悲惨さが増し続けています。
 アメリカでは、人種問題の解決を旗印として登場したオバマ大統領が、白人と黒人間の「分断の象徴」とまで言われ始めました。

2 中国の問題

 今や世界の経済を牛耳る勢いの共産主義国中国では、とんでもない現象が起こっています。
 9月19日付の産経新聞は「米『妊婦ホテル』中国人殺到」と報じました。
 中国人富裕層の間で、子供にアメリカ国籍を取得させようと、観光査証(ビザ)でアメリカへ入って出産することが流行し、そうした人々を囲い込んで一儲けしようとする人々が閑静な住宅地の豪邸を「マタニティーホテル」として違法に改造し、問題が起こっているのです。
 言葉も文化もふるまいも全く異質な人々が急に入り込んだ結果、地域の雰囲気は一変し、ゴミや景観や近所づきあいなどで深刻な問題が発生しています。
 ロサンゼルス郊外のチノヒルズでは、元市議で弁護士のロザンナ・ミッチェル氏が市議会への署名運動を始めました。

「市民権をお金で買っているようなものだ。
 法律に違反していないからといって道徳上認められるのか。
 国籍は正しい手続きで認められるべきだ」


 中国で富を蓄え、社会へ一定の影響力を持つ立場にある人々が、自分の国を中国人としての子孫に託さず、子孫が思想的・経済的・軍事的に対立するアメリカ人になることを望むとは信じがたい状況です。
 そうした人々にとっては、祖国の国土も国民も、自分が儲け、子孫が儲けるための道具でしかないのでしょうか?

3 「人間の安全保障」の問題

 国際協力機構(JICA)の特別顧問を務める元国連公使緒方貞子氏(87才)は、かねて、国連の場で「人間の安全保障」を主張してきました。
 戦乱によって、暮らしを破壊された人々を周囲の国などが国として保護できなくなっているからです。

「本来なら、難民を保護する責任を果たすべき国家が崩壊し、国境線が変わっていく。
 混沌とした状況では戦時法規の適用もできない。
 現実を直視して、戦地であろうとなかろうとどうやったら人間の命を守れるか、が問われています」
民主主義や自由化が進み、人間の利己的な部分が出れば、分裂する方向に動くことが多い。
 ソーシャルメディアなど情報テクノロジーが進展した結果、人々のつながりが細分化し、多様化している。
 人間はどういう形でなら、お互いを信用して、ともに生きていけるのだろうか。

 何か共通のもの、共通の利害というものはないか。
 宗教にその役割を負わせるのは難しい面もある」(9月17日付朝日新聞)



4 利己主義が諸悪の根源

 個人が利己的にどこまでも自己主張しようとすれば、人間間の距離はどんどん遠くなります。
 気の合う人と好きなことをして暮らそうとすれば、社会的枠組みは、何もかもが邪魔になるでしょう。
 ――生活を支え合う法的ネットとしての国家すらも。
 気に入らぬものを排除せずにいられない気持が高まれば、必ず争いが起き、戦いも起きます。
 緒方氏が指摘するとおり「民主主義や自由化」は個人にも、政治的・宗教的グループにも、社会にも、国家にも「利己的な部分」を増大させ、現在の混乱や戦乱はその結果、必然的に起きているのでしょう。

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 こうした生活空間にあって、私たちは安心な暮らしを営めるでしょうか?
 今こそ、お互いのいのちは一つであるという感覚、他を害することは厭わしくおぞましいという感覚を取り戻したいものです。
 この不戦堂が、そうした心をつくるために役立てるよう願っています。




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

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2014
09.19

思春期の過ごし方は? ―ヤフー知恵袋(1)―

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 ヤフー知恵袋での質疑応答です。

思春期をうまく乗り越える方法&考え方は?」
思春期に悩んでいます」

 思春期は、自分自身も含めてようやく生身(ナマミ)の人間に触れる時期です。
 悲しみが胸にズンときて、やるせなくなります。
 喜びが世界中へ広がって、心のカンバスに力強く未来を描きます。
 怒りで心が煮え立ち、破壊のエネルギーが全身に燃え上がります。
 ワクワクする楽しみを知り、抜けられなくなりそうな自分を感じます。

 この時期に最も大事なのは、他人のそうした思いも知り、想像力の幅を広げることです。
 自分の気持だけが強くなると、ちょうど真剣の抜き身(鞘から出した刀身)を手にして歩くようなもので、ふとした拍子に誰かを傷つけたり、周囲から煙たがられたり、困り者扱いされたりするかも知れません。
 不満や不安や苛立ちばかりが高じて、やるべきことに集中できず、心がオロオロするかも知れません。

 想像力の幅を広げるには何と言っても読書をすることです。
 それも、あらすじだけを知っておしまいにするのではなく、作品そのものと姿勢を正して向かい合いましょう。
 文学であれ、評論であれ、科学であれ、芸術であれ、作者や登場人物や景色や状況や世界などに魂が震えれば、それは、想像力という人間性を深め高める力を自分から引き出す大切な体験なのです。
 想像力は、智慧と慈悲の源泉とも言うべきものであり、人が真の意味で大人(オトナ)になれるかどうかは、畢竟(ヒッキョウ)、他人の哀しみを〈想像〉できるかどうかにかかっているのです。

 もう一つ、大事なのは、自分という意識にあまりこだわらないことです。
 医学博士の養老孟司先生が繰り返し述べておられるように、〈頑として動かない確固たる自分〉などというものを大切にするのなら、教育も宗教もいらないことになって、人は荒(スサ)み、社会はトゲトゲしたぶつかり合いの巷(チマタ)になってしまうことでしょう。
 ありとあらゆるものが生まれては消え、変化し続けているように、人もまた一生、変化し続けます。
 その変化の方向性を上向きにしたいからこそ、貴方はこうした質問をされたはずです。
 できることなら〈本質的に変わらない本当の自分〉といった観念にとらわれませんよう。
 限りない良き変化を求めるからこそ、学ぼうとするはずです。
 その時々に、結果として表れているのが〈その時点での自分〉であり、それ意外に〈てこでも動かない自分〉などというものを想像しないようにしましょう。
 そんな観念は、(ガ)を強め、他人へ非情になり、傷つけ合う人間関係をつくりだすだけです。

 自分を忘れるような、詩や音楽や山登りに親しみましょう。
 (ガ)に閉じこもるよりも、(ガ)を解放する体験こそが人間性を大きく豊かにし、社会人として円滑な人間関係を築いて行く底力をもたらすことでしょう。

 最後に、老婆心をつけ加えます。
 ご質問の「うまく乗り越える」には、〈手っ取り早く手段を見つけよう〉、あるいは〈便利な道具が欲しい〉といった気配が感じられます。
 残念ながら、人生においては、そうしたものはないと早めに覚悟した方が人生を誤りにくくさせます。
 現代人はスキル(=道具)という観念に犯されています。
 スキルがなければうまく人生を渡れないという強迫観念に取り憑かれているように見受けられます。
 読書のところで書いたとおり、知識としてあらすじを知り、何かのおりに作品について弁舌爽やかに解説してみせることよりも、読書で魂を震わせた体験によって他人の心をおもんばかり、置かれた状況の意味するところを想像し、思いやりと智慧をもって生きて行くことの方が100倍も大切なのです。
 くり返しますが、人生をうまく渡るための手っ取り早く手に入る道具はありません。
 読書をし、〈自分〉を忘れて夢中になり、温かい心を養い、を張らない人になってください。
 この駄文を書かせていただいたことに深く感謝します。合掌





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2014
09.18

死ぬ時、心はどうなるのか? ―立花隆の臨死体験思索(その1)―

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 9月14日、NHKテレビは、「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬときはどうなるのか」を放映した。
 古希を超え、ガンを抱えた氏が、自らの死後に迫るドキュメントである。
 ナレーターは言う。
「人類永遠の謎に迫る旅が始まりました」
 以下、順に追ってみよう。

 立花隆(74才)は哲学、宗教、脳科学まで様々な分野を自ら取材してきた作家である。
 この日、頭に被ったのは、磁気で脳を刺激するヘルメット。
 人が死ぬ時に見るという風景を疑似体験しようとしていた。
 終わって訊ねられる。
「どういう感じでしたか?」
 答える。
「悪くありませんでした」
 探求者の姿を見せられた。
 
はどこから生まれるのか」
「死んだらはどうなるのか」
 脳波から遺伝子まで、様々な手法を用いて科学者たちはこの疑問に挑戦してきたが、「脳と」の詳しい関係は未だに解明できていない。
 立花隆は、臨死体験がこの謎を解く大きな鍵だと考えている。
 臨死体験とは、停止などによって脳の活動が止まった時に見るという不思議な現象である。
 臨死体験者の女性は語る。

「その時、私のは身体を抜け出し、手術室の上の方へと上がっていきました。」


 同じく女性の談である。

「私は神秘的な存在に導かれ、宇宙のような空間へ行きました。
 そこで突然、光に包まれたのです」


 心が身体を抜け出し、光に包まれる美しい世界へたどり着くという体験。
 心は死んでも存続し続ける特別なものだと多くの体験者は考えている。

 科学者たちは〈神秘〉に挑戦し、今、この不思議な現象を脳のはたらきで解き明かそうとする研究が急速に進んでいる。
 脳科学者の言である。

「心が身体を抜け出すと感じるのは、身体を認識する脳内の仕組みがはたらかなくなるせいかも知れません。
 実際に身体が宙に浮いているのではなく、脳内の記憶や夢のようなものなのです」


 科学は心が脳で生まれることを明らかにしつつあり、動物や機械にも心が存在し得るという最新の研究も現れているという。
 脳科学者の言である。

「将来、心を持ったコンピューターが作れるでしょう。
 心を創るためにもはや、魔法のようなものは必要ないのです」


 立花隆は思う。

「人間の心の問題は、かつては、脳科学で扱えない世界の問題だと思われていた。
 そこを研究する人たちが増えてきて、心の世界は基本的にどういうものなのかという見方が非常に大きく展開し出した」

  
 人の心は死ぬ時どうなるのか?
 この先は、臨死体験を解き明かし人の心の謎に迫ろうとする立花隆の思索の記録である。

 テーマはこうなる。
『死の時、私たちの心に何か起きるのか』
『心とは何か』
『人間とはなにか』

 立花隆

「人の心はどこから生まれるのでしょうか。
 そして、人が死ぬ時、心はどうなるのでしょうか。
 今、私は74才です。
 そう遠くない時期に死を迎えるに違いありません。
 私が死ぬ時、自分の心に何が起きるのか。そこを知りたいと思いました。
 私はかつて、臨死体験について長い取材をしたことがあります。
 今回、臨死体験がその手がかりになるに違いないと思い、あらためてその現状を取材することにしました」


 人間にとっての最後の関心は、「自分の死」なのかも知れない。
 不安も恐怖も好奇心も、そこには、ある。
 もっとも、中には、ダライ・ラマ法王のように、死は修行の結果を確認するチャンスであり、心が新しい衣をまとう段階に来たと受けとめる人もいるが……。

 立花隆はまずシアトルへ飛び、36年前に結成された「国際臨死体験学会」の会場を訪ねた。
 各国から臨死体験者が集まり、その体験を話している。
 臨死体験に共通するのは体外離脱、そして大きな光に包まれ、幸福な気持ちになること。
 今は、心停止や深刻な脳停止の状態の人々の5人に1人が臨死体験者と言われている。
 救急医療の発達からか臨死体験者は年々増えているという。
 女性の体験談である。

「私は自分の身体を離れて浮き上がるのを感じました。
 そして、天井の隅に行き、自分のぐったりした身体を上から見下ろしたのです」


 臨死体験とは、心停止や深刻な昏睡状態で脳がまったくはたらいていないと思われる時にする体験である。
 共通する特徴は以下の二つ。
体外離脱…心が身体を抜け出すのを感じる
 天井から横たわる自分の身体や医師たちの姿を見たりする。
神秘体験…トンネルのような所を通り、光り輝く美しい世界へ導かれる
 親しい人に出会い、人生をまっとうせよと言われる。
 全知全能の大いなる存在と出会い、幸福な気持に満たされる。

 立花隆は一歩、進める。

「救急医療が発達したせいか、臨死体験の事例がどんどん増えていることがわかりました。
 臨死体験者の中に、脳外科医でありながら、『心はのようなもの、身体が死んでも生き残る』と主張している人がいると聞きました。 どのような科学的根拠でそう思うのか、確かめたいと思いました」


 いかに自分の体験に基づくとは言え、科学者が測定できない心やの永遠をどのような根拠から主張できるのかというのである。
 宗教といえども仏教は道理をもって考え、納得できたものを体験によって確認する。
 また、体験した内容を道理の物差しで考え、修行に転化して力とする。
 いずれにしても決して道理というフィルターを手放さないので、立花隆の姿勢には共鳴するところ大である。




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2014
09.17

公開Q&A(その7)僧侶はお葬式で何を考えているの?(その5 ご葬儀にて)

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質問7 お葬式ではどんなことを考えているのですか?

回答7 せっかくのご質問なので、お葬式当日だけでなく、お送りするための順番にそってお話しましょう。

 いよいよご葬儀の場について書かねばなりません。
 ご葬儀における導師の仕事はただ一つ、亡くなられた方が、この世とあの世との区切をはっきりとつけられるよう、み仏のご加護をいただくことに尽きます。
 引導(インドウ)を渡すのです。
 プロの僧侶としての修行は、この修法を行えるだけの法力を身につけられるかどうかにかかっています。
 もしも未熟ならば、それは手術の技術も精神も体力も整わない外科医の卵のようなもので、導師の席には座れません。
 引導とは読んで字のごとく、私たちの親であるみ仏が、「さあ、こちらへ」と、魂のふるさとへ引き入れ、お導きくださることです。

 おおまかに手順を述べてみます。
 導師が何をするかと言えば、まず、ご葬儀の場へ目に見えぬ結界を張り、清め、浄土とします。
 地鎮祭を想像してみてください。
 まず、しめ縄を張り、結界とします。
 それと同じです。
 地鎮祭では結界の中で、天神地祇(テンジンチギ…天地の神々)のご守護を祈りまずが、ご葬儀では、不動明王をはじめ、八方天地(ハッポウテンチ)十方世界(ジッポウセカイ)の守本尊様へ至心にご加護を祈ります。
 次に、ご本尊様と一体になった導師は、死者が本来、み仏の子であることを死者と共に確認します。
 そして、死者の心にみ仏の心が開いた時をみはからい、瞬時に解き放ちます。
 ――執着のこの世から、解放のあの世へ。
 その先は、手向けの祈りで、ふるさとへと帰り始めた死者の背をそっと押します。
 会葬者の焼香や合掌を伴った「ありがとうございました」「どうぞ安心の世界へ」「無事に行ってください」という清らかな思いもまた、行く道を清め、背中を押す力となります。
 最後にご本尊様へ感謝の祈りを捧げ、結界を解いた導師は、何のためにお線香を捧げるのかといった供養の根本についてお話し申しあげてから、退がります。

 手順でおわかりのように、導師は必ずご本尊様と一体になり、死者とも一体になり、別れの峠に立つのです。
 死者はそこからあの世へ向かい、導師は、いったん、日常の次元に戻ります。
 こうしたことをくり返している身としては、臨死体験をした人々が語る光景はあまりにも当然としか考えられません。
 そこはまぎれもなく安らぐ〈峠〉なのです。

 では、帰ってきた導師はいかなる心持になるのか?
 それは、よく訊かれるご質問に答える形にしてみましょう。
「お坊さんは相当な修行をしたんでしょうねえ。
 何が一番大変でしたか?」
「皆さんとあまり変わりありません。
 板前さんが一人前になるまでは下積みのご苦労があるはずです。
 イチロー選手もいかなる練習をしていることやら。
 でも、私たちは料理を楽しみ、プレーを楽しむだけです。
 カモがゆったりと水面を滑る姿に気持が休らいでも、いちいち、水面下で激しく動く足を見ようとはしないのと同じです。
 何年座ろうと、何年歩こうと、いかなる護摩を焚こうと、僧侶だけがそうした〈カモの足〉を問われる必要性はなく、自分もやろうとするる人以外は、関心を持っても無意味です。
 僧侶が自らに課しているのはただ一つだけです。
「ご縁の方々の求めに応じてプロならではの適切な対応ができるかどうか?」
 板前さんやスポーツ選手と何ら変わりありません。
 言いたいことは、一般的なイメージとしての「修行」などは下準備でしかなく、「大変」なのは、板前さんやスポーツ選手と同じように、プロとしての役割を果たす、つまり、結果を出すことであり、高度な修行は、そうした現場においていつも継続しているということです。

 回り道をしました。
 気持そのものについて書きましょう。
 自分の弟弟子や妹弟子を先に送ることは実に辛いものです。
 由緒も来歴もなく、無から始めた当山は、地域性や義理などとは関係なく、純粋に当山の法務に納得してご縁を求める方々をお送りしています。
 生前に「万が一の時はお願いします」と申し出る方々はすべて、導師より後から仏道へ心を定めた仏弟子であり、年令を問わず可愛い弟弟子か妹弟子です。
 あるいはそうした方々の大切なお身内です。
 だから、生木を裂かれるような思いになります。
 同志を送り、自分はこの世に留まらねばなりません。
「私も後から行きます……」
 こう、手を合わせています。
 おりおりに、特攻隊を指揮した海軍中将大西瀧治郎の残した言葉「おれもゆく、わかとんばら(若殿輩)のあと追いて」を思い出すのには、こうしたわけがあります。
 幾度も、幾度も、「私も後から」と手を合わせることになった因縁を考えると、自分の悪業(アクゴウ)の数々に思い至り、祈りを深めるところにしか救いの道はありません。

 ご葬儀に関しては、こんな思いを懐きつつ、役割を果たしています。




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「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





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