2015
12.01

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2015
09.12

イスラームについて考える ―理解と共生にむけて―

 無用の誤解などを防ぎ、友好を深めるため、寺子屋法楽館』でイスラムについての基礎的知識を学びましょう。質疑応答もあります。
・日時:9月12日(土)午後2時より3時30分まで
・場所:日立システムズホール仙台(旧旭ヶ丘青年文化センター)研修室3
・講師:東北大学大学院 国際文化研究科教授 黒田卓先生
・費用:1000円、中学生以下500円(お茶・お菓子付)


2015
09.03

77年前の真実 ―『生きてゐる兵隊』の発禁、『ドイツ戦没学生の手紙』の発行―

201508290019.jpg

 軍隊教育中の女性自衛官が嬉々と過ごす様子を民放で観た。
 まるで学生のクラブ活動といった雰囲気で若い女性が躍動する番組構成に慄然とした。
 反射的に、石川達三著『生きてゐる兵隊』と、ヴィットコップ著・髙橋健二訳『ドイツ戦没学生の手紙』を思い出した。
 前著は今から77年前に発禁となり、後著はその年に発行された。

 振り返ってみれば、今から77年前の昭和13年は、戦争が加速した年だった。
 ウィキペディアから拾ってみる。

【2月18日】  石川達三著南京従軍記『生きてゐる兵隊』の掲載誌『中央公論』3月号が発禁処分。

 この原稿は2月1日からの10日間、「文字通り夜の目も寝ずに」「忘れ難い生涯の記念」として書かれたが、当時、陽の目を見ることは許されなかった。
 戦争への批判は犯罪とされていたのである。
 石川達三は、昭和21年、敗戦の翌年になってから発行されたおりに書いている。

「私としては、あるがままの戦争の姿を知らせることによって、勝利に傲った銃後の人々に大きな反省を求めようというつもりであったが、このような私の意図は葬られた。
 そして言論の自由を失った銃後は官民ともに乱れに紊れて遂に国家の悲運を眼のあたりに見ることになった。
 今さらながら口惜しい気もするのである。」

「私はたとえ十年の刑を受けようとも、国家社会に対する私の良心を擁護しなければならなかった。
 作家が、據って以て立つ自己の精神を守らなければならなかった。」

「戦場に於ける人間の在り方、兵隊の人間として生きて在る姿に対し、この作品を透して一層の理解と愛情とを感じて貰うことが出来れば幸である。」(原文は旧仮名遣いである)


 小生はこの本を3度、読み、兵となった人々の悲しみ、淋しさ、怒り、苦しみに震え、哀れさ、愛おしさに泣いた。
 もしも昭和13年の時点で人々の目に触れていたならば、世論も政治も、そして戦争の様相もいくばくかは違っていたのだろうか。

【4月1日】   国家総動員法公布 

 総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できることになった。
 政府が〈役立つ〉ものを決め、役立たないものは排除された。
 今の日本でも、学問の世界ですら役立つ分野と役立たない分野が国家によって決められ、予算配分に雲泥の差がつけられ始めた。
 文化に有用か無用かという尺度が用いられるのは危険である。
 
【10月1日】  陸軍が作戦要務令を制定 

 どう戦うかを決める戦術学の規範ができた。
 ガス戦や上陸戦の項目は秘密扱いとされ、国民には知らされなかった。
 
【10月21日】 日本軍、広東占領 

 東亜新秩序という概念を持ちだして中国を屈服させようとしたが、中国もアメリカも拒否した。
 日本は世界を相手にする戦争へ入っていた。

【11月9日】  ドイツでユダヤ人迫害開始(水晶の夜)

 ドイツではホロコーストにつながる悪夢が幕を開けていた。 

 今こそ、昭和13年に翻訳発行された『ドイツ戦没学生の手紙』を読んでみたい。
 戦争の現場はいかなるものか〈戦争そのもの〉を想像できなければ、〈戦争について〉の思考は空回りし、人間の尊厳からかけ離れたものになりかねない。

○リヒャルト・シュミーダー
 ライプチヒ大学哲学科学生
 1988年1月24日生まれ、196年7月14日、ベタンヴィル附近にて戦死

「ヴォードゥルザンクール附近の塹壕(ザンゴウ)にて 1915年3月13日

 決戦の場所はもう久しく右翼(フランデルン)ではなくて、スエン・ベルト附近のシャンパーニュです。
 2月6日以後のベルト附近の恐ろしい日々を味わったものは、これ以上凶暴な戦いはあり得ないという私の意見に同意するでしょう。
 ここでは兵隊の一騎打ちです。
 憎しみと憤りに燃え立った敵の一対一の戦いです。
 幾日もの間、同じ1平方メートルの土地を激烈に奪い合うのです。
 終いにその地帯全部が文字通り血と屍の畑になります。……」

「肉体的にも精神的にも疲れ衰えきっているのに、私たちは2月27日の朝、第8予備軍団に警急集合を命ぜられ、私たちの以前のリボンの陣地につかねばなりませんでした。
 そこですぐにフランス軍から異常な重圧と激しさをもって攻撃されました。
 それは、銃弾、砲兵、斧、手榴弾などをもってする大殺陣で、轟音、爆音、咆吼、怒号、まるで世界が破滅するかと思うようでした。
 3日間に友軍は200メートルの地帯で909名の損害を受け、敵は数千名の損害を出しました。
 青いフランスの服が灰色のドイツ服と地上に入りまじり、死者は場所によっては非常に高く積み上がっていたので、それを砲兵に対する掩蔽(エンペイ…土堤)にすることが出来る位でした。
 騒音の中で、命令が耳から耳へとどなり伝えられました。
 戦いの騒音と負傷者の呻き声の間に短い休止が生じると、高い青空に取りが嬉々と歌い囀(サエズ)っているのが聞こえました。
 故郷の春の鳥の歌!
 あゝ、心臓をむしり取ってしまいたいような気持です。」

「負傷者たちの運命を聞かないで下さい。
 自分で医者のところに走って行けないものは、惨めに死ぬ外ありません。
 多くのものは死ぬまでに、いく時間も、いく日も、一週間も、苦しむのです。
 戦っているものは絶えず無頓着に負傷者を越えて突撃しました。
『君と握手することができない……永遠の生命の中に止まってくれ、よき戦友よ!』と言って。
 これにくらべれば、故郷の小屋で死ぬ犬はどんなに幸福だといえるか分かりません。 
 どんなに勇敢な兵隊でも声をあげて泣きたいほど嫌になることがあります。
 リポンの手前で、鳥の楽しげな歌を聞いた時、痛憤と激怒に世界全体を打ち砕くことが出来たら、と思ったほどです。……」


○カール・ゴルツェル
 ブレスラウ大学法科学生
 1895年4月6日ブレスラウに生まれ、1918年3月21日、戦死

「機銃は土に埋もれたり、射ちつぶされたりし、手榴弾はほとんど投げつくされた。
 銃砲火は再び加わる。
 頭が痛み、唇が燃える。
 今はもう何事も神の御手の中にある。
 誰の頭にも、生きては帰れないという考えがあるだけだ。」

「暗くなり、砲火も平常にかえる。
 僕は巻煙草に火をつけて、考えようと努める。
 死者を、負傷者を、人類の不幸を思い、――故郷を偲ぶ。
 だが、そんな考えは捨てよ。
 現在には現在の欲求がある。
 必要なのは男らしい男であって、夢想家ではない。
 食物が来る。
 そして飲む――飲む――看護兵が負傷者をできるだけ遠くへ運ぶ。
 援隊が来る。
 急いで取りかたづけ、死者を葬る。
 ――新しい日があける、前日よりもっと恐ろしい日が。
 これがソンム河畔の戦闘だ。
 ドイツの勝利のための血の格闘だ。
 ――この一週間は、人間の忍び得る最高度であった。
 それは地獄であった。」






 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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2015
09.02

苦しみや困難を乗り越える方法(その1) ―必要なものは?―

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〈幻のような小さなウサギ〉

 ダライ・ラマ法王は、著書『ダライ・ラマ法王、フクシマで語る』において、苦しみや困難を乗り越える方法を説かれた。

「ご質問へのお答えとしましては、もし肉体的なレベルとして考えてみるならば、免疫機能が弱っている場合に、何らかのウィルスが入ってきたら、私たちはすぐに病気になってしまいます。
 しかし、強い免疫力を持っている人は、たとえ強いウィルスが入ってきたとしても、そのウィルスに打ち勝つことができます。
 それと同じように、私たちの心のレベルにおいても、自分自身の心のありようが穏やかなものであり、現実を客観的につかんだ上での対応をすることができて、自分自身に自信を持っている方の場合には、たとえ困難な状況に直面しても、心がかき乱されることはなく、精神力で乗り越えていくことができるわけなのです。」

「その反対に強い精神力や自信がないときには、たとえささいな問題が起きたときでも、その小さな問題に耐えきれずに、すぐに負けてしまいます。」

困難な状況に出会ったときには、自分の中の精神力を奮い立たせ、自信を持つことによって、決して厭世的にならず、楽観的なものの見方をして、問題に立ち向かっていこう。
 ――そういうものの考え方をぜひしていただきたいと思います。」


 法王がまず心の穏やかさを説かれたのは、そうでなければ自分が持っている力を存分に発揮できないからだろう。
 陸上短距離で活躍するジャマイカのウサイン・ボルト選手はスタートする前に十字を切る。
 大リーガーのイチロー選手は打席に入ると、バットを水平に伸ばしてから、左手で右肩あたりのユニフォームを整え、それからバットを立てて構える。
 そうした一連の行動が余分な心の動きを制し、水のように穏やかな気持になるのではなかろうか。
 勝負に欠かせない集中力はその先に自ずから生じるのではなかろうか。
 定まった次第に基づく手順で法を結び、必要な精神世界へ入る行者も同じである。
 一種の穏やかさを経過しなければ、守本尊様の降臨を仰ぐご加持もできないし、お不動様が持つ魔除けの剣も動かせないし、断崖絶壁を跳び越えるような引導も渡せない。

 法王が次に「現実を客観的につかんだ上で」と説かれている点も重要である。
 困難に直面すると渦に巻き込まれたような状態になる。
 と言うよりも、抗い切れないような渦に巻き込まれた状態が「困難」と呼ばれる事態なのかも知れない。
 蜘蛛の巣に掛かったごとく絡め取られているのだ。
 懸命にもがいてはみるが、いくらもがこうとどうしようもないとも思え、焦りが強まる。
 こうした焦りや困惑や不安や絶望などに揺さぶられていては、最善の脱出法を考えつくことは難しい。

 たとえば手形の期日が迫っているのに資金がなくて不渡り寸前になったとしよう。
 まず、何かを売ったり担保に入れたりしてお金をつくろうとする。
 うまく行かないとついには良からぬ筋のお金に手を出し、二進(ニッチ)も三進(サッチ)もゆかない状態になる。
 そして最後は借金の解消ができず倒産や破産に追い込まれる。
 この過程で経営者は、自分の座や会社を手放すという道について冷静に考えられない。
 しがみついた結果、最悪のところへ堕ちる。
 どこかで穏やかさを取り戻せば、自分が置かれた状況を客観的に観て、全体の破滅を避ける方法が見出せるかも知れない。
 一切の思惑を離れて客観的な分析や判断をしてくれる人の助言に対して心を開けば、自分は小さなキズで渦から脱し、多くの人を渦に呑み込まれる巻き添えから救えるかも知れない。

 法王が説かれる決め手は「自信」である。
 たとえ同じ病気に罹っても、自分は生きられると確信している人と、自分はもうだめだと沈み込んでいる人とでは、結果に天地ほどの開きがあるのではなかろうか。
 思うことが違えば言葉も行動も違う。
 ハキハキと話し、生きるための運動をしている人と、言葉少なく、かがみ込んでいる人とでは、心身の力の出方が違うであろうことは明らかだ。
 身口意のはたらきによる免疫機能や自己快癒力への影響は計り知れない。
 実に自信のはたらきは大きい。

 では、どうすれば自信が持てるか?
 それは、心の穏やかさを確保する自分なりの方法を確立することではなかろうか?
 ボルトイチローは、普段のトレーニングに加え、いざ本番という際の〈これをしておけば大丈夫〉という型を持っている。
 自分を振り返ってみれば、私たちもまた、仕事であろうと家事であろうと趣味であろうと、たくさんの〈型〉をもっているはずだ。
 つまらぬたとえだが、小生などは、お花見や芋煮会でカラオケのマイクを向けられた時、必ず右手でマイクを握り、左手でマイクのケーブルを掴み、そして、やや左足に体重をかけないと落ちついて唄えない。
 逆に言えば、そうして立てば、いかに疲れていようが、風邪をひいていようが、何の不安もなく声が出せる。
 出来不出来は仕方がない。
 本当の自信とは、〈よくできる〉という確信ではなく、〈やれる限りはやれる〉という安心ではなかろうか?

 何ごとでも本気になってやってみて、自分にしっくりくる型をつかもう。
 小さな安心と自信の基をたくさんつくっておこう。
 安心と自信はどんな時でも穏やかな心をもたらし、事態を客観的に観る目を開かせ、苦しみや困難を乗り越える具体的な方法を見つけ出させてくれるのではなかろうか。




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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2015
09.01

好き好んでこの世に生まれてきたのではない ―お大師様の言葉―

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〈伊万里からやってきた魔除けの孔雀〉

 お大師様の言葉です。

「好んでこの世に生まれてきたわけではない。
死ぬこともまた、厭い憎んだところでどうしようもない。
それなのに、私たちは宿命として、何度も何度も生まれては六道(ロクドウ)をへ巡り、何度も何度も死んでは地獄界で炎に焼かれ、餓鬼界で刀に切られ、畜生界で咬み合う」

 以下は原文です。

「それ生は我が好むにあらず。
死もまた人の憎むにあらず。
しかれどもなお、生まれゆき生まれゆきて六趣(ロクシュ)に輪転(リンテン)し、死に去り死に去って三塗(サンズ)に沈淪(チンリン)す」


 私たちは過去世の因縁により、性別や性格や体格などがさまざまな〈特定の者〉という動かせない条件を定めとして持ち、この世に生まれ出ますが、普通は前世(ゼンセ)の記憶がないので、因縁と生まれのつながりを関連づけて認識できません。
 だから、ともすると、「好き好んでこの世に生まれたのではない」あるいは、「親に頼んで生み育ててもらったわけではない」などと考えます。
 しかし、いかに恨み言を言い、斜に構えようと、どこからかこの世にやって来て、死ねばどこかへ帰って行くしかありません。

 その〈どこか〉こそが、地獄餓鬼畜生・修羅・人・天の六道(ロクドウ)であり、特に苦しみの強い地獄餓鬼畜生の世界を三悪道、あるいは三塗(サンズ)と言います。
 どうにもならない状態で、怨み、憎み、嫉妬し、心の炎に焼かれたことはありませんか?
 何かを奪いたくて、あるいはつまらぬ自尊心から、誰かを深く傷つけたことはありませんか?
 自己中心で他人様を虚仮(コケ)にし、裏切り、恩に背くような牙を剥いたことはありませんか?
 私たちはこの世で暗い三悪道を行ったり来たりし、あの世では三塗(サンズ)の川を渡るのに苦労します。
 死後、善業(ゼンゴウ)をたくさん積んだ人は美しい橋を渡って極楽へ行けますが、いのちあるものを尊ばず、他人様を軽んじるなど悪業(アクゴウ)とたくさん積んだ人は深い急流に苦しめられ、なかなか渡れないとされています。
 漫然と生きていれば、こうした循環を繰り返すだけであり、憎み、怨み、怒り、貪り、飢え、別れ、失い、得られず、執着心に縛られて、苦しみは永遠になくなりません。

 私たちは、いよいよのところへ追いつめられた時、他人様の霊性に気づき、自分の霊性にも気づくチャンスがあります。
 観音様のお経は説きます。

「順風満帆平安の○時期(トキ)に思わぬ災難に○出会ったときの苦しみを○救い給うたその人を○観音菩薩応現(オウゲン)の○姿であったと手を合わす○心ぞ真に菩提心(ボダイシン)」


 何もかもがうまくいっているような時に思いもよらぬ災禍に遭い、立ち往生してしまう場面が人生のどこかにあるものです。
 そこで誰かが、手を差し伸べてくれ、「ああ、観音様が現れてくださった」と合掌するようなこともまた、あるものです。
 小生は、得意の絶頂から無一文になり、托鉢修行に生きていた頃、数え切れないほどたくさんの〈観音様〉にお会いして、感涙に咽び咽んだ日々が忘れられません。
 暑い日に一杯のお茶をいただいたことも、寒い日に一椀のおしるこをいただいことも、なかなか修行を受け入れてもらえない地域で最後の一軒から大きなお札をいただいてようやく米が買えたことも、五百円玉一つでそれ以上のガソリンを入れていただいたことも、何もかもが、思い出せば奇跡とすら思えてきます。
 皆さんから「ああ、ありがたい」と思わせていただき、「一人前になり、何としてもご恩にお報いせねば」と決心に決心を重ねさせていただいたからこそ、一山を開創し、ここまで来られました。

 私たちは、こうした「ああ、ありがたい」「一人前になり、何としてもお報いせねば」の心を忘れなければ、きっと、六道から離れるきっかけをつかめます。
 自他を苦しめるものが薄皮を剥がすように少しづつ離れて行けば、自分が救われるだけでなく、周囲の人々もそうなるきっかけをつくることになります。
 感謝と報恩を忘れずに生きてゆきたいものです。




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