2014
12.01

メルマガがあります

 法楽寺メルマガがあります。ご希望の方はこちらからどうぞ。合掌
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2014
08.10

お盆供養の申込み

 ただ今、当山ではお盆供養の申込みを受けつけています。
 ご先祖様がない方は一人もおられません。
 年に一度の機会にしっかりご供養してはいかがでしょうか?
 詳しい内容はこちらからどうぞ。
 ◇ご希望の方は、申込書を印刷してFAXしてください。
 もしくは、メールにてお申し込みの方はこちらからどうぞ。
2014
07.23

供養によって得られるものは? ―恩の確認・心の安寧・死の克服・霊障からの解放─

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〈おかげさまで、19名もの方々にご参加をたまわり、無事、草刈りを終えました。深く感謝申しあげます〉

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 私たちは先祖供養を行えば何を得られ、供養をしなければ何を得られないのでしょうか。

1 恩の確認

 自分を生み、育ててくれた親や、いのちを引き継いでくださったご先祖様方へ対して報恩の心を持ち、自分にできることをもって表現するのは、人間が人間であるための第一歩です。
 ちなみに、出家者は最初に、恩を忘れぬことと、戒めを守ることの二つをご本尊様へ誓います。
 供養の実践は、ご先祖様にお喜びいただくだけでなく、自分をまっとうな人間たらしめる貴重な機会を、ご先祖様から与えられ、死後にもなお、大きな恩をたまわっているのです。 

 先祖供養は、恩知らずにならぬための第一歩です。

2 心の安寧

 先に逝った人の御霊が安寧であって欲しいと願う時、両手が合わさります。
 一周忌や三回忌など、大きな区切を迎えれば、プロの僧侶に修法を依頼します。
 あるいは仏前で読経したり、写経したりと、自分で行えることを学び、実践します。
 
 私たちの不安はまず、方法がわからないところに発し、方法を信じられることによって、不安は和らぎます。
 たとえば、頭が痛くなって仕事ができなければ、お医者さんから風邪薬などをもらいます。
 相手がよく信じているお医者さんならば、飲んだ瞬間から、「さあ、やるぞ!」となり、薬がただの甘い粉であっても、実際に頭痛が吹き飛んだりする場合すらあります。
 私たちは、人間になったあたりから、埋葬や鎮魂や供養などの方法を、ずっと、模索してきました。
 ぞれは、地域により、宗教により、民族により、国によって千差万別ですが、それぞれにずっと探求と実践を怠らなかった結果として、私たちはどう手を合わせ、どう祈ればよいかを知っています。
 方法を知り、意義を知り、実際に行うことによって心は定まり、落ち着き、あの世の安寧が期待され、信じられ、自分の心にも安寧が生まれます。

 人間が人間であるゆえんの霊性は、身体によって、言葉によって、心によって動き、高められ、曇ったりもします。
 決して、思えばそれでよい、のではありません。
 たとえば、一休和尚が高野山に詣でた時のことです。
 例によって毒舌をふるい、真言僧が結ぶ印をバカにして帰ろうとしました。
 その背に向かって真言僧が手を打ったところ、彼は振り返り、手招きされて今度は引き返したのです。
 また、口に真言を唱えれば、心はみ仏に近づきますが、口に呪詛を唱えれば、心は修羅や地獄に近づきます。
 心に満月をイメージし続けていれば、心は円満さに満ちてゆきますが、心に戦場をイメージし続けていれば、人格はバランスを保てなくなったりもします。
 つまり、身・口・意をいかに使うかが大切であり、仏教はずっと、お釈迦様の境地を目指してその方法を探求してきました。

 供養の方法を知って実践すれば、あの世にもこの世にも安寧がもたらされるのです。

3 死の克服

 ご先祖様の世界、つまりあの世を想う心で供養を続けていれば、いつの間にか、あの世は、この世と断絶した暗黒の世界ではないことに気づきます。
 ご先祖様とご本尊様に守られ、おかげさま、という心で供養を続けていれば、今を守られている安心感が、あの世まで続くことに気づきます。
 この世とあの世とを問わず、娑婆とみ仏の世界とを問わず、あらゆるご縁のおかげで今を生きているという実感があれば、たった一人であの世の旅をするといった感覚は生じません。
 最近の人生相談で多いのは、「お葬式はしなくてもよいのでしょうか?」というものです。
 当山には、このような本音が多く寄せられます。
 いつも最初にお答えする言葉は決まっています。
「ご葬儀と告別式は別ものです。
 それは、結婚式と披露宴のようなものです」
 披露宴をいかなる形や規模で行うか、行わないかについては、判断するための要素がたくさんありましょう。
 しかし、自分を生み、ここまで育て、守ってくださった身近な人々の前で、仏神のお導きにより人生の大きな区切をはっきりとつけることを行わない方がよいという倫理的、社会的意義は見出せません。
 お葬式も同じです。
 告別式と、み仏に導かれてあの世へ向かう区切をはっきりとつけるご葬儀とは、次元の異なる問題です。

 供養を行い、この世を「おかげさま」と生きる人は、あの世へも「おかげさま」と旅立つので、不安も高慢心もなくなるのです。

4 霊障問題からの解放

 事故死と自死と災害死とを問わず、水子やペットも含め、未成仏霊に関するご相談も数多くあります。
 亡くなられたおりに「きちんと引導を渡された」という安心体験がない方には、不安が残りがちであると言えそうです。
 そうした不安をキャッチして〝見える〟や〝聞こえる〟を語る方々が増え、怪しいカウンセラーや宗教団体もあると聞いています。
 信頼できる葬儀と供養のプロに導かれ、自分もできることを淡々と行っていれば、霊障問題で悩まずに済むことでしょう。

 なお、「水子の祟り」はあり得ないことをつけ加えておきます。
 この世でさまざまな因縁を作ったり、善業も悪業も重ねたりといった時間を持たないままに、み仏の世界へ還った水子の霊は、誰に対しても悪意を持ちません。
 経典は説きます。

「人身(ニンジン)、受け難し」


 それは、一つには、無数にいる生きものたちの中で、人間になるというほとんどゼロに近い確率でこの世に現れることが困難であるという意味であり、もう一つには、生まれ出ることそのものが「生苦(ショウク)」とされ、生誕が困難なできごとであるという意味です。
 人間ではない生きものとして、この世の生命世界へ生まれ、死に、気の遠くなるような輪廻転生(リンネテンショウ)をくり返した末に、ようやく人間として胎内に宿ることができますが、最後の最後に、生まれ出るための条件が100パーセント調わない限り、生誕は叶いません。
 だから、人間として生まれ出るためのチャレンジは、ほとんど無限にくり返されています。
 その中で、たった一回、条件を整えてやれなかった父母へ機会を与えてくれたことに感謝するならいざ知らず、どうして祟るのでしょう。
 み仏の世界へ還って行った瞬間から、再チャレンジは始まるのです。
 だから、生んでやれなかった父母は、不憫さを嘆くだけでなく、すなおに詫び、今度は成功するようにと祈り、励ますことが大切です。
 そして、慈悲心を生じたなら、それを周囲の生きとし生けるものたちへとふり向けましょう。
 お地蔵様の讃歎経は説きます。

「この世に過ごす父母たちよ○真にわが子の救済を○涙の中で願うなら○この世において恵まれぬ○子供や病気の人々に○わが子に代わって善根(ゼンコン)を○積むことこそが供養なり○ここに地蔵の大悲心○在るを悟って自らも○地蔵となって励むべし。」


 怖れるなどは水子霊へ対して失礼であり、きちんと供養しなかった自分の引け目がそうした気持にさせたのだと、早く気づきたいものです。

 みだりに霊障を怖れず、人として行うべきことをきちんと行いたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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2014
07.22

死をひとつ映し終へたる大鏡 ―鏡と人と―

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 俳誌『季流(キリュウ)』を主宰しておられる小泉八重子氏の作品と出会った。

「死をひとつ映し終へたる大


 日々、大きなの前に座り、化粧をしていた方が亡くなられたのだろう。
 もしかすると、は、何代かにわたって使われてきたものかも知れない。

 は、〈使う人にとっての〉だった。
 使う人がいなくなった今は、ただ、空虚な空間を映し出しているだけである。
 しかし、考えてみると、そもそも、使う人とは対等の存在だったのだ。
 人は、鏡の手を借りて自分の顔を観ているつもりだが、視界にあるのは、あくまでも、鏡が映し出す顔であって、自分の顔そのものではない。
 対等ならば、鏡もまた、人を観ているとは考えられないだろうか。

 閻魔大王は、とてつもなく大きな鏡を持っているという。
 それは、すべての人の、すべての振る舞いを観ている鏡である。
 また、閻魔大王には倶生神(グショウシン)という手下がいるという。
 文字どおり「生と倶(トモ)に」ある神は、私たちが生まれた瞬間から、私たちの知らぬ間に人生の同伴者となり、ひとときも離れずに担当する人の振る舞いを見張っている。
 だから、人が鏡を観る時、閻魔大王は遥かに大きな鏡へその光景を映し出しているし、倶生神は鏡の裏側から人をまざまざと眺めているかも知れない。
 人が去り、対面していた相手だけが残った目に見える空虚観は、目に見えない世界で閻魔大王がスイッチを切った空虚観も、役割を終えた倶生神閻魔大王のもとへご注進に向かってしまった空虚観でもある。

 それにしても、「生」ではなく「死」を「映し終えた」という表現は、私たちの日常感覚を遥かに超えている。
 鏡はもはや、使う〈人〉とは無関係な〈モノ〉として存在している。
 もしも、モノが、いくつもの生涯を映し続けているとしたなら、もはや、人とは異次元の聖なる世界に属しているのではないか。
 だから、〈異〉と〈聖〉とが重なった13の文字は、不気味さを伴っている。

 氏の作品である。

「ふるさとにふらここの揺り残し来し」


 子供の頃に揺らしながら遊んだ故郷のブランコを回想しているのだが、使い手を失い、時が経ち、もう朽ち果てているはずのブランコが、「もっと遊びたかった」という念を受けて、まだ、あの頃のように風に吹かれているのではないかと思わせる。
 念は言葉で構成され、言霊となって姿を招く。
 時を超えたモノの存在は不気味さを発している。

 そもそも、氏は『季流(キリュウ)』の理念として宣言している。
「この厳しい現実社会に生きる、限りある生を思い、美しいけれど移ろいやすい四季の流れの中で、移ろわぬ心を持ち続けたい。
 日常の <俗> 、俳句の <諧> 、自然風物の <雅> の三つが一つの流れとなり、季流の色彩となってくれればと願っている 」
 この一句は理念の象徴ではないか。

「血ははるか遙かに継がれ芝居


 ようやく安堵を覚えた。
 怖い人である。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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2014
07.21

真智の開発をめざして(その7) ─五智の教え・好みに流されぬこと─

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「五智」とは、優しさ・厳しさ・正しさ・優雅さ・尊さであり、その五光により、妄知(モウチ…おかげさまと心の底から思えない惑った心)も邪知(ジャチ…万事を我がためとするよこしまな心)も消え失せます。

 さて、厳しさは、〈愚癡〉〈好悪〉〈自他〉〈明暗〉〈公私〉という五つの問題がきちんと整理される時、〈人間がみ仏の子である証明〉として完成します。

[2の2]厳しさ─好みに流されない

1 好むとはどういうことか

 私たちは、「一生、好きなことをして暮らしたい」あるいは「毎日、好きなことだけをしていたい」と思う瞬間があります。
 何かで成功した人が、子供たちへ「自分が本当に好きなことをやり続けなさい」と、秘訣を語ったりもします。
 古人の言った「好きこそものの上手なれ」です。
 では、私たちにとって〈好き〉とはいかなる感情でしょうか?

 たとえば、誰かを好きになる。
 それは、よしんば、なかなか会えない、片思いでしかない、などの辛さやもどかしさの伴うものであっても、核となっているのはワクワク感です。
 たとえばサッカーに没頭する。
 寒かろうと、暑かろうと雨が降ろうと、ボールを追い、やったと思える瞬間があれば、成績が下がったことも、親から小言をいわれたこともすっ飛んでしまう爽快感は、他の何にも代えられません。
 これらを漢字にすれば第一候補は「快」、第二候補は「愉」となるのではないでしょうか。
 つまり、愉快です。
 では、愉快とは何か?

 二つの文字は、共に「こころよし」と読み、「心にかなって気持がよい」(『字訓』による)状態つまり「心良し」を意味します。
 二つの文字には「刃で患っている部分を切除した後の心情」という原意があり、「愉快」はそもそも「不安を取り除いて、現状を回復すること」(『字訓』による)を本義としています。
 だから、快も愉も、癒(いやし)に連なっています。

 そうすると、「好き」は非常に積極的な感情なのに、実は、何かから離れ、救われている状態ということになります。
 確かに、恋人を想っている時も、サッカーをやっている時も、お金がない不安や空腹感は忘れられています。

2 仏教で「好き」とは?

 さて、ちょっと視点を変えてみましょう。
 仏教的に「好」はどうなっているか?
 実は恐ろしいことに、私たちの目や耳などが情報をキャッチすると自動的に六つの受け止め方をしてしまい、それが苦につながってしまうという分析があります。
 それが、好(コウ)・悪(オ)・平(ヘイ)・楽受(ラクジュ)・苦受(クジュ)・不楽不苦受(フラクフクジュ)です。
 字を見てわかるとおり、好き、嫌い、無関心、快い、不快、何ともない、といった状態です。
 確かに私たちは、好感の持てる人、あまり話したくない人、好きな仕事、嫌な仕事などという仕分けをしてしまいがちです。
 なぜ、こうした反応が苦、つまり〈まなならない状態〉へ導いてしまうかと言えば、そこには〈自分の尺度〉がはたらいているからです。
 自分の尺度は、自己中心的な心が無意識のうちにつくっており、誰しもが持っているはずです。
 相手が人であっても、ものごとであっても、尺度を当て、まず〈自分にとって〉どうかと、勝手に判断してしまうのです。
 尺度は人それぞれなので、それぞれが、好き!と惹かれたり、嫌い!と反発したりするので、この世は誰にとってもままならず、もどかしく、生き難い憂き世になってしまいます。

3 好みを言うと束縛されてしまう話

 さて、また、視点を変えてみましょう。
 ストーカー、飲酒運転、贈収賄、パワハラなどなど、事件の多くは、好みに絡んでいます。
 これらはそれぞれ、色欲、食欲、財欲、名誉欲など、「快」をもたらす「欲」のしわざです。
 欲に流され、好き勝手に自分なりの愉快を求めれば、悪行にまで行き着いてしまう危険性があります。
 また、好みに付け入って相手を縛り、自分勝手な目的を果たそうとする輩は、いつの世も絶えません。
 色仕掛けで勝負するするスパイは、映画の世界だけでなく、現実の世界でも活躍しています。
 7月20日付の朝日新聞は、中部電力が政界へ2億5千万円もの裏金を流していたと暴露し、21日には、前愛知県知事の神田真氏(62才)が事実を認めたと報じました。
 選挙にお金を必要とする政治家が、不明朗なお金を受け取り、事実上、金主に縛られた状態になるのは、好みに付け入られる典型です。
 実に、好みとは、自分を束縛しかねない危険なものでもあります。
 一方、好みの反対である「嫌い」をうっかり口走れば、人間関係はあっという間に壊れます。
 もしもAさんへ「実は私、Bさんが嫌い」と告げたなら、あなたはAさんへ、あなたとBさんとの人間関係を委ねたことになります。
「自分を縛ってください」、縄を一本、与えたようなものなのです。
 
4 まとめ

 好みは、生きているがゆえの歓びを感じさせたり、救いとなったりし、人生の偉業に結びつく場合もある一方で、好き嫌いなどとして顕れる欲に流されると、人生に躓いたり、落とし穴に落ちたりもしかねません。
 大切なのは、自分の好みや欲の実態を直視し、それをコントロールする姿勢です。
 自分への厳しさです。
 そこが揺らぎそうな場合は、種種解智力(シュジュゲチリキ)という無限の理解力を発揮する大日如来へおすがりしましょう。
 大日如来は、人々が持つ真の望みを知り尽くし、欲が自己中心の煩悩としてはたらかず、自他を清め活き活きと生きる大欲(タイヨク)としてはたらくよう、お導きくださいます。
「おん あびらうんけん ばざらだとばん」
 大日如来の世界へ通じる扉が開くよう、お唱えしませんか。
(『大日如来讃歎経』はこちらからどうぞhttps://www.youtube.com/watch?v=Zmvy1_r4Eto)




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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





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