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2005
07.28

嘘にある真実

 言葉の嘘とまことを鋭く描いた名作に、故深沢七郎の『おくま嘘歌』があります。
「生きているうちだけは達者でうごいていたい」と言う63歳になる「おくまさん」の日常が、庶民の目線から表現されています。
 ある日、おくまさんは、嫁いで子供を4人産んだ娘のサチ代に少しでも楽をさせようと思い、何気ない風をよそおって訪ねました。

 シゲオを背負(オブ)っているとすぐおくまの肩は痛くなった。が、まだおぶったばかりである。シゲオは来るたびに大きくなってこの前来た時よりも重いのである。いま、おぶったばかりだが、(こんなにすぐ肩が痛くなっては困ったものだ)とおくまは隠れるように裏へ行った。おぶってういるのが重そうに思われては困るからだった。シゲオをおぶっている間だけはサチ代の身体が楽になる筈だが、おぶっているのが苦しい様に思われてはサチ代の方でも心苦しく思って気休めにならなくなってしまうのである。

 さっきの縁側のところへ帰って来ると、サチ代はまだ近所の女(ヒト)と話しあっていた。
「あれ、今までおぶっていたのけ?」
 とサチ代が言った。
「よく、そんねに重い坊子(ボコ)を」
 と、話している近所の女も言った。
「なーに、いつさら、クタビれんでごいす」
 とおくまは嘘を言った。疲れたと言えば、また次におぶった時にサチ代が心苦しく思うからである。
「おばあちゃんは、おぶうのが慣れてるから」
 とサチ代が言った。おろそうと思って帰って来たのだがもう少しおぶっていようと思った。
「なーに、いつさら」
 とおくまは言った。シゲオは石のように重たく肩が毟(ムシ)れそうである。サチ代が、
「寝るかも知れんよ、眠そうな眼だよ」
 と言った。おくまはこのまま眠らせようと思った。

 それから子守歌を唄って、おくまさんは、とうとう眠るまでおぶい続けました。

 ある日、おくまさんは、酷暑の物置小屋へ隠れました。

 暑い夏の日、風が少しもなく、まわりの空気は鉄の板で締めきられて止まってしまった様にシーンとしていて、陽の光が地の上へ照りつける音がしているような昼さがりである。ぽーんと野球のボールが飛んできて物置小屋の壁に当たった。その物置小屋の中の藁束におくまは藁をかぶる様に腰をおろしてうずくまるようにうごかないでいた。東京の大学へ行っている孫の安雄が友達を連れて帰ってきたのである。そのお友達に、熊の様なおくまの姿を見られては安雄が恥ずかしい思いをするのではないかと、
「狒狒(ヒヒ)の様なおばあさんだ」
 などと言われるから、
「わしゃ、隠れるようにしているから」
 と、嫁には本当のことを言って、安雄には、
「アタマが、重てえから、少しグアイが悪いから」
 そう言って物置小屋から外へ出ないようにしていた。

 おくまさん最期のシーンです。

 おくまは死ぬ時も嘘を言った。枕許で息子夫婦やサチ代が、
「よくなれし、よくなって」
 と言って泣いてくれるので、
「ああ、よくなるさよォ、よくなって、蕎麦ア拵(コシラ)えたり、サチ代のうちへも遊びに行くさ」

 と言った。おくまは数えどしの72の秋死んだが身体が動けなくなってしまったので自分では80にも、90にもなったと思っていた。

 釈尊の説かれた『十善戒』にある「不妄語(フモウゴ)」は、嘘を言ってはならないという軽いものではありません。そもそもは、悟ってもいないのに悟ったようなもの言いをしてはならないとの戒めですが、その深意は「真実がこもっている言葉を用いよ」でありましょう。
 おくまさんは、孫が重くて大変なのに一言もそれを口にせず、平気を装いました。
 おくまさんは、暑くて大変なのに物置小屋に隠れ、孫には嘘の理由を言いました。
 おくまさんは、お迎えが来たのを知っていながら決して弱気を見せませんでした。
 おくまさんは、ただただ思いやり一筋に生き、単純な事実ではなく真実から発する言葉を口にしながら生涯を終えました。
 こういう人を「生き仏」と言うのでないでしょうか。




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