--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2005
07.17

お墓はなぜ建てるのでしょうか?

 最近、ホームページのリニュアルに伴って新たにホームページをご覧になられる方が増え、さまざまな基本的質問をいただくようになりましたので、以前法務ノートへ書いた「お墓に関する疑問」への答を再掲載しておきます。
 その第一回目です。

 お墓に詣でれば合掌しますが、さて、それはどなたに対して行うのでしょうか。
 おそらく多くの方々は「そりゃ、ご先祖様でしょう」あるいは「そこにおられる御霊です」と答えられることでしょう。
 でも、お墓を依代(よりしろ)とする先亡の方々は、自分だけで安心の境地に入っておられるのではありません。
 死は肉体という衣を脱ぐことであって、死んだからといって魂のレベルが急に上がるわけではありません。
 この世のことをひきずらず安心の境地へと導く人間のレベルを超えた存在、つまりみ仏のお導きがあって初めて、この世でいかに汚れた魂であっても、絶対安心の境地をめざすことができます。
 お葬式は、そのスタートの日です。
 つまり、合掌は、何より最初に、大日如来であれ、阿弥陀如来であれ、地蔵菩薩であれ、不動明王であれ、釈尊であれ、み仏へと向けられるべきなのです。

 お墓とは、み仏のお導きと結ばれる法によって先に逝かれた御霊を弔い、有縁無縁の諸精霊を供養し、同時に、今生きている私たちが日常生活で忘れがちなみ仏の世界に接することによって向上し、み仏と御霊にお守りいただくための場なのです。
 み仏と法がなければ成仏できないということを考えれば、お墓を建てる真の意味もご理解いただけるのではないでしょうか。

 さて、お墓がみ仏のお導きとご加護の場であれば、そこに救いを求める御霊が集まって来るのは当然です。
 新たな御霊が入れば、その友人も親戚も敵も味方も、あるいは近くで起こった交通事故の犠牲者や誰にも供養してもらえない御霊など、生前何の関係もなかった未成仏霊もやって来ることでしょう。
 だから、お墓参りでは、自分のご先祖様だけでなく、万霊供養の心を持つことが大切なのです。

 そもそも、本来み仏の子である私たち人間は、いつも「自利と利他」を考えねばなりません。
「我がこと」のみでは、人間としての根本的な成長は望めません。
「自利と利他を同時に願って精進せよ」と説かれているみ仏の教えに学ばなければ、せっかく造ったお墓の意義が半分消えてしまいます。
「自分のご先祖さまだけ」では哀しいものがあります。

 自分が死ぬ時のことを考えてみましょう。
 どなたであれ、きっと伴侶や家族や子孫やこの国の無事と発展を願うのではないでしょうか。
 因果応報の理がある以上、そうした願いは消えません。
 御霊は、必ず私たちを見守っておられます。
「無事にね」「元気でね」「幸せでね」「戦争はしないでね」「人としてちゃんと生きてね」こういった思いにお応えするのが生きている私たちの務めです。
 そのために、ぜひみ仏の教えに学び、折々に僧侶の修法を請い、み仏と御霊を供養し、同時にみ仏と御霊も私たちを供養してくださるかけがえのない場としてお墓を守っていただきたいものです。




スポンサーサイト
back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。