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2012
07.08

時間が止まったたままです

20120706002.jpg
〈小さな来訪者〉

 はからずも、同じ日にほとんど同じ言葉を3度、聴きました。
「私にとって、時間は止まったままです」

 お一人は、東日本大震災で亡くされた兄弟のご遺骨を預かりに来られたAさんです。
「最近ようやく、お骨がいつまでも家にあるのはおかしいかな、と思えるようになり、知人から、こちらで安骨(アンコツ)供養をしていると教えられたのでお伺いしました。
 一年以上経っても、私の中に時計が二つあるようで、周りの時間はどんどん進んでいますが、あの日に時間がピタッと止まったままの感覚はどうしても消えません。
 もう、終わってしまったという気がしてなりません」

 お一人は、不意打ちの形でお子さんを亡くされたBさんです。
 一周忌のご相談に来られ、ご葬儀を行ったのがついこの間だったような気がして「一年はあっという間ですね」と申し上げたら、跳ね返るようなタイミングで言葉がやってきました。
「でも、私の中で、時間は止まったままです。
 何も変わりません」
 強いまなざしに頷き、目をスライドさせたら、脇にひっそりと座った奥さんが涙ぐんでおられます。

 お一人は、かつて私が托鉢でお訪ねし、置いてきたお札を持参されたCさんです。
 沿岸部にあったCさんの店舗は津波ですっかりやられ、泥にまみれて見つかったお札を返しに来られたのです。
お札には、ずいぶん長いこと守っていただきました。
 お札がこのとおりになり、店はなくなりましたが、自宅だけはどうにか残りました。
 周囲で、復興、復興と勇ましい掛け声は聞こえても、私の中ではまだ、時間が止まったままです。
 たくさんの方々が自分のような気持でいるはずです。
 これがどう動き出すのか、不安です」

 止まってしまった時間は、人為で動かせるものではないのでしょう。
 それはきっと、私たちのはからいを超えたところで始まるのでしょう。
 Aさんがお骨を手放されたこと、Bさんが一周忌供養会を終えられること、Cさんのお宅に新しいお札が掲げられること。
 こうしたことごとが、〈その時〉を早めるのに役立って欲しい、〈その時〉は必ず明るい方向へ開けるものであって欲しいと祈るばかりです。

 新しい年の朝を迎えた詩人坂村真民は書きました。
「鳥は飛ばねばならぬ
 人は生きねばならぬ」
「鳥は本能的に
 暗黒を突破すれば
 光明の島に着くことを知っている
 そのように人も
 一寸先は闇でなく
 光であることを知らねばならぬ」

 AさんにBさんにCさんに、そして止まった時間におられるたくさんの方々に、一日も早く新しい朝が来るよう祈っています。



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんざんざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



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2010
01.08

古いお札やお守の処分について

 この時期になると、お札お守の処分に関するご質問が多くなります。
お焚きあげをしてください」と、いろいろなものを送ってこられる方もおられます。
 仏神の宿る大切なお品ですから、よく考えて処置するのは尊いことですが、作法についていつも残念に思っている点があります。
 それは、各地で行われる「どんと祭」などへでかけた方々が、まるで焚き火へ薪をくべるような感覚でお札を〈投げ入れる〉ことです。
 つい最近まで(処分しようと決めるまで)はとても大切だったものが、突然、自分の心の中で不要なものに変化してしまい、最後は「エイ」とばかりに投げ捨ててしまうのでは、お札お守に失礼ではないでしょうか。

 仏神が宿っていると信じていたからこそ、お札は高く祀り、お守は粗末にできないと思いつつ身のそばへ置いたはずです。
 法を結んだ火の中で天地に還るまで仏神は宿り続けていることを忘れずにいて欲しいと願っています。
 そうでないと、自分の都合だけで仏神を便利に利用するだけの浅ましい心になり、せっかくお札お守に護られているのに、そのご加護にふさわしい人になることはできません。

 ではどうすれば良いのか?
 
 それは、お札お守が火の中へ入れる瞬間まで自分をお護りくださっていることを忘れずに扱い、最後は両手で、もしくは片手であっても、下から「どうぞ」と捧げるような形で火へ入れることです。
 きちんと法を結んであるならば、火には必ず仏神が降りてきておられます。
 火へ入れるものはすべて、その勢いとご威光を増す供物となります。
 これまでの恩へ感謝し、最後は供物として捧げるのが、真の処分法です。
 心で「ありがとうございました」と言いつつ、きちんと捧げてください。
 もし真言を唱える場合は、あらゆる仏神へ通じる光明真言です。
「おん あぼきゃべいろしゃのう まかぼだら まに はんどまじんばら はらばりたやうん」
 
 仏神に護られた皆さんが、信心にふさわしい恩を忘れない清浄な心を保ち、新たなお札やお守に宿る仏神に護られる新たな人生へ踏み出されるよう祈っています。

220108ri.jpg




「おん さんまやさとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2008
01.24

お焚き上げをし忘れた古いお札

 この時期になると、古いお札などの処置をし忘れたという方からのお焚き上げ依頼があります。
 病気や出張といったやむを得ない事情の方も、うっかりした方も、あるいはずぼらにしていて後から不安になってしまったという方もおらます。
 いずれにしても、きちんとすべきことはきちんとしておく生き方が大切であり、時期遅れになってもお焚き上げをすべきです。

 放っておけばが当たるかどうかについては、『NHK文化講座講義録7 ―仏法の基本その2―』に書いた山岡鉄舟の故事をお読みください。
 何もおどろおどろしい話や、霊感などを持ち出すまでもなく、ものの道理として理解できることでしょう。

 また、不安は非常に大切な感覚であり、そこには生き方への警告や、生き方を変えるヒントが隠されていたりするものです。
 良心からの警告や仏神からの誘いだったりするということです。
 そうしたものを無視したり蹴っ飛ばしたり、あるいは後ろ向きだとバカにしたりして、ただただ「前向きに!」と突進するだけでなく、こうした「兆し」を大切にしてこそ、人生を深められるのではないでしょうか。
2008
01.13

第五十三話 ―天使の姉と菩薩の妹―

現代の偉人伝~隣にいる英雄たち~とは

アレキサンダー大王、

ジンギスカン、ナポレオン、織田信長・・・戦争が生んだ、偉人とされる人々・・・。それよりも、自らを他人のために投げ打って、人や命を助けた人々の生き様こそ、学ぶべきではないでしょうか? あなたの身近にいる偉人を紹介してください!当山では、身近な人々の善行に関する情報を集めています。

>詳しくはこちらをご覧ください。




 夕刻、葬儀屋さんから電話で知らされたAさんの訃報に絶句した。
 新年のお守り札が届いた頃だったからである。

 Aさんは生まれつき障害があり、病弱だった。
 妹のBさんは59年に及ぶ姉の人生に寄り添い、見送った。
 Aさんのあだ名は「天使」である。
 ほとんど口をきくことはないが、誰ともニコニコと接し、握手する。
「今日、Aさんのところへ行きたい人は?」と訊かれると、事務所のヘルパーさんはこぞって挙手する。
 頻繁に出入りする病院では、治療と関係のない科の看護士さんたちも「今日はどう?」とやってきて、話しかけたり握手したりして喜ぶ。
 花のようなくったくのない笑い顔は、周囲の人びとの癒しになった。

 戦争で片目と片足を失った父が最近逝ったことを感づいてはいたが、一切、表情に出さなかった。
 どんな治療にも、痛い、苦しいと音を上げることはなかった。

 泊まり込みで看病したBさんは、Aさんの遺体の隣部屋で「苦労は何もありませんでした」と言う。
 そばには病弱の母親がうずくまっている。
 思わず、「そうはおっしゃられても………」と返すと、「心残りは一切ありません」とキッパリ告げられた。
 もう、言葉は出ない。

 暮れになって容態が悪化し、入院したAさんが今度はお正月を迎えられないのではないかと危惧したBさんは、一家3人の安全祈願を申し込んだ。
 当山で修正会(シュショウエ)祈願をしている間、3人は病室で正月を祝っていた。
 発送されたお札の住所などに不備があったため運送屋さんのところで止まり、問い合わせがあったので、早く届いて欲しいと願っていたところだった。
 やがて到着したお札を待っていたかのように、、Aさんは旅立った。
 役割を終えたお札を手にして辞する私を見送る色白のBさんは、観音菩薩のように穏やかな表情だった。
2007
12.17

古いお札のお焚き上げ

 関西在住のAさんからお問い合わせがありました。
 これまでも、何人もの方から質問を受けたので、明確にしておきます。
お札お焚き上げをしてもらおうと考えています。でも、お正月に受けたお札を、今、お焚き上げに出してしまうと、新しいものが届くまでの間、家にお札がなくなってしまいます。どう考えれば良いのでしょうか?」

 当山のホームページにある『お焚き上げ』の覧は、こう結んであります。
「皆さんの清らかなお気持が御霊へ、そして、み仏へ通じるよう祈りつつ、かけがえのないお品を聖なる火へと託します。」
 また、『法楽かわら版12月号』のご案内へはこう書きました。
「当然ながら、燃やすことが仕事ではなく、お不動様の修法なので、ご志納金については皆さんの良識と常識にお任せ申し上げます。」

 それは、導師が大日如来の使者である不動明王と一体になる法へ入り、お焚き上げを希望される皆さんのお心になって、それぞれの願いや祈りや感謝をみ仏へお届けするということです。
 密教の法の中では、み仏(ご本尊様)と、衆生(願いを持つ善男善女)と行者(導師)は一体です。
 だから、たとえば、退院できたので当病平癒のお札お焚き上げしたいという方のためには、感謝をもって炉へ入れるので、それがみ仏へ通じます。
 たとえば、新たな恋が生まれたので過去の清算をしておきたいという方のためには、因縁を切ってから炉へ入れるので、それがみ仏へ通じます。
 また、今回のように、新年のお札を受ける前に古い家内安全のお札を処分したいという方のためには、変わらぬ家内安全の祈りとこれまでのご加護への感謝をこめて炉へ入れるので、それがみ仏へ通じます。
 解消すべきものは解消し、継続したいものは継続したまま、形あるモノを天地へ還す修法にあっては、冒頭のようなご心配にはおよびません。

 大切なモノは、処分においても心をこめて対処したいものです。
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