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2007
02.25

子どもと仏法

「大きいお祖母ちゃんありがとうございました。元気なうちは何もできませんでしたが、これから、ご恩返しができるようがんばります」

 ひ孫さんからのお別れの言葉でした。

 引導を渡してこの世とあの世の区切りをつける修法が終わり、いつものように、供養の心についての説法をしました。
 今回は、特に小さいお子さんが多かったので、それを意識して話しました。
 いくつもの小さな目が真剣な光を放ち、全員まっすぐにこちらへ顔を向けています。
お線香を供えたら、『このお線香が最後まで燃えて佳い香りを残すように、私もちゃんとやり遂げます』と誓ってください。いやになったなあと途中で投げ出してはなりません」
お花を供えたら、『このお花のように、誰かが見ていても、誰も見ていなくても、雨風に負けず自分なりの花を咲かせます』と誓ってください。いじめなどに遭っても、お祈りすれば、お祖母ちゃんは必ず護ってくれますよ」
お水を供えたら、『このお水が生きものを潤すように、分け隔て無く誰かのために役立ちます』と誓ってください。線路に入った人を救おうとして亡くなった立派なお巡りさんがいましたね。私たち人間は、誰でも、あのような尊い行いができるように生まれついているのです。これが本当の布施なんです」
 どの子も、視線を逸らしません。

 退堂したら、母子が追いかけてきました。

「いつ、寺子屋が始まるんですか?この子の年でも入れますか?」

 お子さんの頭をなでながら答えました。
お線香お花の心になって、お祖母ちゃんへちゃんとご恩返しをしてよ。君たちが学校へ行っているように、私も毎日頑張ってやっているよ。始まるのはもうすぐです。また会おうね」
 この美しい瞳を護ってやれるかやれないかは、私たち大人にかかっているという実感がこみ上げました。

 頑張らない生き方が必要な場合も、頑張らねばならない場合もあります。
 肉体も精神も、緊張と弛緩が必要なのと同じことです。
 法においては、「他力」「自力」の感覚がそうです。
 実際は、どちらの姿勢も必要です。
 そして、そうした区別の感覚を超えたところに本当の救いが待っています。
 ご加持の秘法で私たちが救われるのは、問題を直視し、みへおすがりする自力と、みから誠心へ加わるお慈悲の他力とが感応するからです。
 そこには、自他を云々する言挙げは必要ありません。

 まずは、子どもたちへしっかり頑張られる力をつけてやりたいと願っています。
 傷つきそうになったなら憩う智慧と、傷ついた人を思いやる慈悲も教えねばなりません。
 法は万人を救います。やらねばなりません。




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