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2012
12.21

人生相談に想う

201212210001.jpg


 人生相談を始めてから約20年経ってみると、「ずいぶんと教えていただいたなあ」というのが実感です。
 皆さんの悲しみや怒りや辛さや切迫感はすべて私の心にもあり、そうしたものを皆さんと一緒にみ仏の前へ並べてみると、必ず、〈真剣な思い=まごころ〉へたどりつきます。
 それは根のようなものであり、教えによってみ仏智慧をいただき、祈りによってみ仏慈悲をいただいて光や養分にすると、いつしかそこから新たな茎が伸び、周囲の縁が水となって新たな花が咲いていたりします。
 こうした成り行きを私は予言しません。
 自分がみ仏ならぬ身であることくらいはわかっているつもりです。
 可能性を信じて、教えと祈りにおすがりしているに過ぎません。

 よく、「鑑定していただけますか?」と〈当てもの〉を望むかのようなお問い合わせがあります。
「無責任な予言はしません。み仏の教えに依って、問題点を共に考え、時には祈ります」とお答えしています。
 そもそも、自分の心もよくわからず、自分の明日もわからず、自分の心をコントロールできない凡夫に、他人様の心や未来を〈知って、教える〉などということができましょうか?

 私などには、み仏にお守りいただく法を結んでから、皆さんが抱えてしまった問題へ自分の問題として取り組むことしかできません。  
 皆さんとは別の人格を持ち、法に入っている行者としての思考や感覚や感情などを動員して、できるだけ、み仏の視点に近いところから問題をとらえ直し、み仏の子としての対応法を考え、提案します。
 心身のしこりを解き、運勢を転化させるためにみ仏のお力をいただいた方が良いと判断すればご加持やご祈祷、あるいはご供養を提案します。
 あくまでも皆さんご自身でベストと思える生き方、ご加護の受け方を考えていただきます。

 もちろん、ある程度、断定的にお話しした方がよいと思えるケースでは、そうした話し方を用います。
 ただし、自分へ厳しく戒めているのは、希望を持ち皆さんの力が増す方向であれば、断定的にお話しし、不安を持ち皆さんの力が落ちる方向であれば、決して断定的にお話ししないことです。
 それらが〈当たるかどうか〉は畢竟、結果でしかなく、まったく問題ではありません。
 み仏の教えに則り、人の道、救いの道にそっているかどうかだけが問題です。
 年配者へ「そのうちに身近な人が亡くなるでしょう」と言ったり、元気のない人へ「悪霊が憑いているのでどんどん不調になるでしょう」と言ったりして皆さんへ不安を持たせ、〈当たる予言者〉になっても仕方がありません。
 
 そもそも、〈真剣な思い=まごころ〉に導かれてみ仏の前へ足をはこばれる方々の多くは、気づかぬうちに、何らかの〈答〉を持っておられるものです。
 袈裟衣を着ける私の仕事は、産婆さんのようなものです。
 それが無事、陽の目を見、皆さんに希望と勇気が湧くよう、皆さんの側にいて考え、祈るだけです。
 皆さんから教えていただいた心と人生の多様性に対応できる柔軟性が失われないうちは、お役に立ちたいと念じています。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2008
10.31

時の流れは、み仏のいのちの流れです

 五年前にご主人を亡くされた方からファクスをいただきました。
 まず、「ようやく夫が去ってくれました」と言われます。
 きっと、気配がそばにあったのでしょう。
 そして、それを感じるたびに寂しさにおそわれたのでしょう。
 夫婦仲を存じ上げているだけに、この言葉の前には、いかなる言葉も生まれません。
 辛さ、寂しさ、頼りなさに耐えた5年間のお気持を忖度すると、心が静まりかえります。

 そして、「時が必要だったのですね」とありました。
 時はいのちであり、救いです。
 時は人間を老いさせ、あらゆるものを変化させ崩壊させますが、時の流れは、み仏いのちの流れであり、素直に身を委ねる者は〈御手に抱かれている〉というこの上ない安心を得られます。
 大乗仏教は、川を下る大きな船へ分けへだてなく乗りあわせようとするものです。

 共に流れを観て、共に抱かれたいと願っています。
2008
05.20

ほめる 3

 かつてO小学校で行われていた校長先生と児童との手紙「ほめほめ便り」による交流をまとめた『ほめほめ集』からの抜粋です。
 このページを作るのが大変だろうと、篤信の方がわざわざメールで送ってくださいました。
 頭が下がります。
 勉強会などを通じて、ご縁の方々へご紹介しており、寺子屋の指針にさせていただきたいと願ってもいます。 

一年 M・S

  わたしは、よそのおうちの おにわで、あそばせてもらいました。
  そして、かえるときは、きれいに、おそうじをしておきました。
  その日は、とても さむかったけど、がまんして、おそうじをしました。
  だあれも、ほめてくれなかったので、じぶんで、じぶんを ほめました。

                  ◆

 Mさん、ほめほめの おてがみを、かいてくれて、ありがとう。
  よそのおにわで、あそばせてもらったので、おかえりのとき、おそうじを しておいたという、おたよりでしたね。
  そして、「よくやったね、まきちゃん」と、じぶんでほめたのよね。
  おあそびしたところは、あそんだあと、いつでも、きれいに、おそうじし ておくことが、こうちょう先生は、だいすきよ。だから、こうちょう先生も  ほめてあげますよ。「えらかったね、まきちゃん。また、おそうじしてね。」
  おにわのおばさんも、きがついて、よろこんでいらっしゃるとおもうよ。


「とても さむかったけど」には、涙が溢れかかりました。
 そして、「だあれも、ほめてくれなかったので、じぶんで、じぶんを ほめました」では、こらえられなくなりました。
 この2行を何度も何度も読み返しました。
 数十年前、広島にいた見ず知らずの少女が健気でなりません。
 Mさんが、現在どこでどうして暮らしているのかは判りませんが、清らかな行為は残された文章を通じて今も活き活きと徳の香りを放ち続けています。

 自分の善行が持つ真の価値を信じられる人は、きっと、他人の善行の価値も認められるはずです。
 善行の価値は、量や大きさで計られず、お金に換算できるものでもありません。
 それは、娑婆という苦界にありながら人間が人間でいられる支え、つまり心中におられるみ仏の価値に等しいからです。

 5月16日、内閣府は「自殺対策に関する意識調査」の結果を発表しました。
 自殺に関する個人的経験を質問した初の調査の結果は深刻で、「本気で自殺を考えたことがある」人は約2割、「周囲に自殺をした人がいると答えた人」は約3割でした。
 実際、自分自身をふり返ってみても、この歳まで生きていると、身近な自殺者は片手で数えきれません。

 しかし、Mさんは決して自殺をしないはずです。
 児童をこのように導いて世へ送り出すO小学校ではどんな指導が行われていたのか、そしてS先生とはいかなる方だったのか、この欄を通じてご縁の皆さんと一緒に考えて行きたいと願っています。

2008
02.28

NHK文化講座 ―生活と仏法―

 身近なできごとを通じて、み仏教えを学びます。教材は最も古い経典とされる『法句経』などです。身近なできごとにも目を向け、質疑応答を交え、楽しく、真剣に、「まっとうに生きる」道を考えましょう。

一 日 時 平成20年3月12日(水)午前10時より12時まで
       平成20年3月26日(水)午前10時より12時まで
一 場 所 NHK文化センター仙台・泉
        宮城県仙台市泉区泉中央1-7-1泉中央駅ビル(スウィング)6階
        022(374)2987
一 主 催 NHK文化センター
一 申 込 NHK文化センター
2008
02.16

日本の歌 53 ―世界に一つだけの花―

世界に一つだけの花 
  作詞:槇原敬之 作曲:槇原敬之 平成15年SMAPで発表

NO.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one

花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで
バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている

それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?

そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ その花を咲かさせることだけに
一生懸命になればいい 

困ったように笑いながら ずっと迷ってる人がいる
頑張って咲いた花はどれも きれいだから仕方ないね
やっと店から出てきた その人が抱えていた
色とりどりの花束と うれしそうな横顔

名前も知らなかったけれど あの日僕に笑顔をくれた
誰も気づかないような場所で 咲いてた花のように

そうさ 僕らも 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから
NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one

la la la・・・


 空前のヒット曲には、おなじみの思想が生のままで提示されている。
 それは、現代人の精神を色濃く染めている個人主義である。
 裏には、運動会の徒競走で子どもたちに順番をつけられない人びとの持つ優しさがある。
 この「優しさの香りをまとう個人主義」ほど、現代人にとって心地好いものはないように見受けられる。
 
 ここにある思想を如来蔵(ニョライゾウ)という人もいるが、いかがなものだろうか。
 如来蔵とは、すべての人びとは「如来を胎児として蔵(ヤド)している」、言い換えれば「仏性(ブッショウ)を持っている」、さらには「本来、み仏である」という教えである。
 み仏の存在を前提としてこそ、「人はそれぞれだが、み仏の子として変わらぬ尊さを宿している」と言える。
 迷っても、失敗しても、いのちの源であるみ仏の元へ還って行けるので、救いは確かである。
 還るための方法は「自分のためにやる」のではなく「他のためになる」ことである。
「一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい」と、はばかることなく自分を主張する個人主義とは反対とすら言えよう。

 こうしたものに直面すると、「予防治療」を考えさせられる。
 風邪の予防には乾布摩擦や冷水摩擦が有効だとされているが、風邪を引いてしまったならば、こうした行為は治療には不適切である。
 一方、場合によっては仕事や勉強を休み、身体を暖めながら安静にするのは風邪を引いた場合の治療としては適切だが、そうしてばかりいたならば、積極的な風邪の予防はできないし、やがては元気に生きることもおぼつかなくなる。
 この歌にある「とにかくありのままで自分で、自分のことだけを考えれば良い」は、身心に病気や障害を持った人びと、あるいはさまざまな理由で弱っている人びとを癒す治療法である。

 もしも子供にこの歌を唄わせるならば、予防法となる歌も教えねばバランスを崩させてしまうのは理の必然である。
 その歌に必要な思想は、「ことに応じ、時に応じて、素直な気持で他のためになろう」「自分のことだけを考えるのは卑しい」「〈おかげさま〉があって自分がある」というものである。
 そうした歌には、ついぞ出くわしたことがない。
 予防法となる思想は、寺子屋で唱和する「誓いの言葉」をもって身につけさせたいと願うばかりである。
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