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2012
11.20

子や孫のためにふり返っておきたい先人の導き(その35) ─どうやって勉強の習慣をつけさせるか─

2011112000100.jpg

 ここでは、昭和6年に発行された小冊子を基にして子供たちの導き方を考えています。

35 「あ」 遊ぶ前に勉強

 学ぶに本気、
 遊ぶに元気、
 どちらも大事だ。
 学問第一、
 遊技第二の習慣をつけよう。
 真剣に勉強してから愉快に遊ぼう。


 これを読むと、古人は本当にイメージ豊かな教え方、学び方をしていたものだと関心させられます。
「お母さんが勉強しなさいってうるさく言うのは誰のためでもなく、お前自身のためなんだよ。
 わかっているの?
 勉強しなきゃ良い学校へ上がれないじゃないの!」
 これは最悪のケースですが、同時に最多のケースになってはいないでしょうか。

「自分のためなら、遊んでいた方が楽しい。
 勉強して偉くなってもろくなことをしない人たちがいっぱいいるじゃないか。
 そもそも、ガリ勉の連中は冷たくて嫌いだ。
 そんなことばかり言うお母さんは、子供の頃、本当によく勉強したの?」

 子供はこんなことを考えて内心、反発しているかも知れません。

「元気に遊ぶように、勉強も本気でやろう。
 愉快に晴れ晴れと思い切り遊べるように、勉強は真剣にやって終わらせておこう。」

 何のことはない、子供の心にこうしたイメージがつくられ、〈第一と第二〉の習慣がつきさえすれば、後は放っておいて構いません。
 うるさくするのは「百害あって一利なし」です。
 勉強を無理矢理やらせても、あまり芳しい結果は期待できません。
 よしんば成績が多少上がっても、その一方で子供の心へ大きな抑圧を与え、心を歪ませるなど、後になってとんでもない後遺症に悩むことすら充分にあり得ます。

 古人の智慧をすなおにお借りしましょう。
 子供が遊びに対して持っている楽しいイメージを存分に膨らませ、そのイメージを確保するためのものとして勉強があるのであれば、子供はきっと納得するでしょう。
 楽しいイメージと同じように、勉強に対しても知る喜びや、終える充実感や、誉められる嬉しさを覚えるようになればしめたものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2011
03.10

宗教に救われる道筋

 宗教とは、安心と喜びと納得と生きがいを持って自他共に幸せに生きられる心になるための真理原理を与える〈修行を伴った思想体系〉です。
 そこには、
①説かれている道理真理として納得し感得する
真理のレベルでよきイメージをつくる
③よきイメージに生きる
という段階があります。
 そして、よきイメージはさまざまな苦を解消させる力を持っています。
 たとえば、愛する相手との別れも、憎い相手とのめぐり逢いも、たった二つの真理が腑に落ちていれば、乗り越えられます。
「自分もこの世も根本的なありようは苦である」
「あらゆるものは変化する→誰でもそのうちに死ぬ」
 だから、〈知って、イメージを育てること〉が宗教を生かし、宗教に生かされる道です。
 当山で行っているイメージ創りの一部です。

○人生の目的とは

理趣経(リシュキョウ)百字偈(ゲ)】

こよなき智慧の ひじりらは
いましこの世の つきるまで
つねに救いの わざをなし
涅槃(ヤスライ)にゆく こころなし。
般若(メザメ)と方便(テダテ) たぐいなき
加持(メグミ)のちから てり映えて
この世のまよい すべてみな
きよけきものと なりぬべし。
大欲(タイヨク)などの ちからもて
世のなかきよめ 調えて
この世の涯(ハテ)の 辺際(ハテ)までも
すべてのまよい つくさなん。
蓮華(ハナ)に深紅(シンク)の いろあるも
泥のけがれに 染まぬごと
けがれに染まぬ 大欲(タイヨク)は
あらゆるものを すくいなす。
きよき大欲(タイヨク) あるゆえに
安楽(タノシミ)ありて 富みさかえ
この世のなかに おもうまま
すくいのねもと 堅(カタ)むべし。


真理とは

四諦(シタイ)】

我ら苦にあり。
苦には因あり。
苦の因を滅すれば苦なし。
苦を滅するに道(ドウ)あり。」


①苦(ク)…自分もこの世も根本的なありようは苦である
②集(ジュウ)…苦には原因がある
③滅(メツ)…原因を滅すれば苦はなくなる
④道(ドウ)…苦を滅するには方法がある

○この世とは

【四法印(シホウイン)】

この世に常(ジョウ)なるものなし。
あらゆるものに実体なし。
この世も我が身もままならぬ。
煩悩(ボンノウ)を大欲(タイヨク)に変え、平安を得ん。

①諸行無常(ショギョウムジョウ)…あらゆるものは変化する
②諸法無我(ショホウムガ)…あらゆるものに不変の実体はない
③一切皆苦(イッサイカイク)…この世も人生もままならない
④涅槃寂静(ネハンジャクジョウ)…煩悩の業火が消えれば絶対の安心が得られる

○歩むべき道は

八正道(ハッショウドウ)】

我、見解を正しくせん。
我、思考を正しくせん。
我、言葉を正しくせん。
我、行動を正しくせん。
我、なりわいを正しくせん。
我、精進を正しくせん。
我、臆念(オクネン)を正しくせん。
我、心身を正しく整えん。


①正見(ショウケン)…正しい見解
②正思(ショウシ)… 正しい思念
③正語(ショウゴ)… 正しい言語行為
④正業(ショウゴウ)…正しい身体的行為
⑤正命(ショウミョウ)…正しい生業(ナリワイ)
⑥正精進(ショウショウジン)…正しい努力
⑦正念(ショウネン)…正しい臆念
⑧正定(ショウジョウ)…正しい心のおさまり

○人間修行は

【六波羅密(ロッパラミツ)】

我、水のごとく、素直に、他を潤し、心の汚れを洗い流さん。
我、塗香(ズコウ)のごとく、自他を清め、浄戒(ジョウカイ)そのものになり果てん。
我、雨風に負けず咲く花のごとく、堪え忍び、心の花を咲かせん。
我、線香のごとく、たゆまず、怠らず、最後までやりぬかん。
我、己を捨てて食べ物となる生きものに感謝し、心身を整えん。
我、灯明のごとき智慧の明かりで道を照らし、まっすぐに歩まん。


①布施は水の心
②持戒(ジカイ)は塗香の心
③忍辱(ニンニク)は花の心
④精進(ショウジン)は線香の心
⑤禅定(ゼンジョウ)は飯食(オンジキ)の心
⑥智慧は灯明の心

○養うべき心は

【四無量心(シムリョウシン)】

我、他へ幸せをもたらさん。
我、他の苦を除かん。
我、他の幸せを喜ばん。
我、他を平等に観ん。


①慈(慈愛)…相手の幸せを望む心
②悲(抜苦)…相手の不幸を取り除く心
③喜(随喜)…相手の幸せを自分の幸せと同じに喜ぶ心
④捨(浄捨)…相手に対するすなおで平静な差別を捨てた心

〈時ならぬ雪〉
230304 006




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2010
06.06

檀家とは何か(4) ─サポーター─

 言葉イメージを伴い、イメージ言葉となって外へ伝わります。
 言葉を聞けばイメージが起こります。
 両者のつながりは、長い年月をかければ変化しますが、すぐに変えようとしても無理です。
 だから、「檀家=お寺へお墓を頼んでいる家」という受けとめ方は簡単に変えられず、「檀家になる=束縛され、お布施を強要される」といった不安は、簡単に消せません。
 それなら、「布施行によって徳積みを行う人々」という本義が忘れられ、本義どおりに用いられなくなったこれらの言葉にすがらず、本義を生かす新たな表現を模索する必要があります。

 寺院を相手に真の布施行を実践する方々は「サポーター」という言葉にふさわしいのではないかと考えています。
 スポーツ団体を支えたり、福祉関係のNPO法人を手伝ったりするボランティアの方々の行っていることは、まぎれもなく布施の行為です。
 サッカーチームなら強くなって欲しいし、ホームレスの方々なら住処を見つけて欲しいと願って協力しますが、それらの結果が出嬉しくても、サポーターにとって〈見返り〉ではありません。
 サポーターがチームや法人を都合良く利用しようとしないのはもちろんです。
 選手やホームレスの方はサポーターへ「ご恩返し」をしたいと願ってがんばりますが、それは〈取引〉ではありません。
 お互いが見返りを求めず、取引でなく相手に喜んでもらいたいと願って行うのは布施であり、お寺と仏縁を求める方々との関係もこうあるのが理想です。
 ならば、たとえば「サポーター」といった言葉を用いて両者の関係を考え、深めて行くのも一考すべき方向ではないでしょうか。
 
 だから、当山では、護持会への入会をお勧めするご挨拶で、こう申し上げています。

「あまり堅苦しく考えず、年会費は三千円なので、『一ヶ月あたり二百五十円で法楽寺のサポーターになり、み仏のおわす場から送られてくる新聞を読んで法楽寺の様子を知り、新しい月の生き方を考え、参加したい行事があればでかけてみよう』といった具合にご縁の糸を結ばれてはいかがでしょうか」


 サポーターには自主性があります。
 サポーターになるのもならないのも自由です。
 サポーターはサポートについて見返りを求めません。
 サポートされる側は来る人を拒まず、去る人を追いません。
 サポートされる側はサポートを強要しません。
 サポートされる側は感謝と恩返しの思いで、なすべきことに邁進します。
 サポートする側もされる側も、人生における〈感動〉という真実を求め、共に手を携えて進む先に「感動」は必ずあると信じています。
 
 これこそが、寺院と、いわゆる檀信徒の真のありようではなかろうか、「護持会」の理想ではなかろうかと考えています。
「善意にあふれるサポーターと謙虚でまっとうな僧侶によって成り立つ公器」。
 寺院は、こうありたいものです。



「おん あみりたていせいからうん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



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2010
04.25

成就する予言

 最新の研究によれば、心を特定のイメージへ集中させ、特定の行動をくり返すことによって、イメージ通りの行動を行う能力が向上するという事実が確認されています。
 また、「予言の自己成就」といい、こうなるだろうと考えてそれに添った行動を行っていると、そうなってしまう場合がでてきます。
 
 即身成仏(ソクシンジョウブツ)を掲げ、この身このままでみ仏になることを目標とする真言密教では、特定のイメージをくり返し心に抱く「観想」と、真言をくり返す修行が重んじられています。
 み仏の尊いイメージを心に焼きつけながら行じ、イメージと自分の同化をめざします。
 心に悪しきものを探して退治しようとするよりも、心にある善なるものと一体化することによって、本来は幻である悪しきものが消えた世界へ一気に入ってしまおうとします。
 煩悩を敵と思い定めて戦うのではなく、霊性仏性)を発揮することによって、〈意欲が煩悩として動かない清浄な生き方〉をつかむのです。
 功徳が早く得られ、密教では「速疾」という語が多く用いられるゆえんです。

 また、右脳と左脳をバランスよく使うことによって脳のはたらきが高まることも立証されています。
 身体でみ仏の形となり、み仏の言葉を口にし、心にみ仏やその徳を観想して両方の脳を動かす身・口・意「三密の行」のすばらしさが、科学的にも納得できます。

 み仏の説かれる救済と能力開発の方法を感得し、まとめ、伝えてくださったお大師様の偉大さに驚嘆させられつつの毎日です。



「おん さんまやさとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
04.30

錯覚とイメージ(4)

 前回、「私たちは、『因果関係が解らない』という根本的な無知を抱えています」と書きました。
 だから、「こうすればこうなる」、「こうなった原因はこれにある」と理性で解決できないところへ追いつめられると、その外へ出たくなります。
 人格の歪みを悪霊のしわざと考え、できない判断をのお告げに任せようとします。
 しかし、すべては空(クウ)であり、不変の実体としての悪霊もありません。
  
 では、悪霊を感じるのはすべて錯覚だから無視すべきであるかといえば、そうではありません。
 実体としては存在しなくとも、私たちはそうしたイメージを持っており、イメージこそが心を導くものだからです。
 伊坂幸太郎作「重力ピエロ」に、とても印象的なシーンがあります。
 レイプされた妻の妊娠を知った夫は、宿った子供を産むべきかどうかを様に尋ねます。
 すると、様に自分で考えなさいと叱られ、即座に産もうと決断します。
 即座ではあっても、父親は、「自分で考えた結論であり、事後のすべてを引き受けよう」と決意し、生涯、揺らぎませんでした。

 あのギリギリの場面にあっては、産んだ場合とそうでない場合とについて、これから起こるであろうできごとを一人であれこれと比較検討しようとしても、とうてい考え尽くすことはできず、友人などに相談したとしても、迷いに迷った可能性が高かったことでしょう。
 それに、出した結論について後悔した可能性も充分にあります。
 しかし、最高の智慧を持つ様に尋ね、自分で決断した以上、それに勝る判断方法はなく、出た結果はいわば絶対的なものです。
 だから父親に揺らぎも後悔も起こらず、不動の姿勢は、心が壊れそうになる子供にとって最大の支えとなりました。
 神様の存在意義は大なるものがあります。

 このように、私たちの心に宿っており、「見える」「聞こえる」など感覚へ影響を及ぼす場合もあるさまざまなイメージは、心のありようによって、私たちにとって救いとなる場合もあり、災いとなる場合もあります。
 運勢を明るい方向へ導くなら救いであり、暗い方向へ導くなら、それは災いです。
重力ピエロ」の父親は、「重いものごとほど明るくとらえ明るく表現する」という、とても強く優しい心の持ち主でした。
 そして、自分の身の程を知り、自分を超えたものへの畏敬の念を持っていました。
 だから、神様に救われました。

 謙虚で畏敬の念を持つ人は、イメージに迷わず、支配されず、イメージととても良い関係を保つことができます。
 当山に出入りされる壇信徒の方々や人生相談に訪れる方々も、さまざまなものが見えたように思い、聞こえたような気がして話題にされます。
「お経を読んでいるうちに、小さなお坊さんたちがご本尊様の方へぞろぞろと並んで入って行きました」
「寝ていると、亡くなった主人にトントンと肩を叩かれます。まだ四十九日が過ぎていないまらでしょうか」
「悪縁切りを祈願して四国を廻ってきました。満願のお礼にお詣りした高野山でお大師様にこれで良かったのでしょうかとお訊きしても返事がなく、心から悪縁を追い出せません。修行は失敗したのでしょうか」
 こうしたさまざまな体験はすべて、結果的にそれぞれの心を豊かにし、強くし、優しくする機縁となりました。
 心の修行を怠らず、霊性を高め、実際に見聞きするものはもちろん、見えたり聞こえたりしたように思うものも「み仏の教え」と観じつつ、生きたいものです。

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