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2016
12.06

村上春樹氏の「影と生きる」に想う ─影が反逆し始めた世界─

2016-12-06-0001.jpg

 アンデルセンの短編小説『』を読んだ。
 が主人になり、主人から独立したが幸福を得る一方で、の出生を知る主人は殺されてしまう。
 村上春樹氏は、アンデルセン文学賞の受賞スピーチ「と生きる」で、「暗く、希望のないファンタジー」と言っている。

 氏は、小説を書く過程について述べる。

「僕が小説を書くとき、筋を練ることはしません。
 いつも書くときの出発点は、思い浮かぶ、ひとつのシーンやアイデアです。
 そして書きながら、そのシーンやアイデアを、それ自身が持つ和音でもって展開させるのです。

 言い換えると、僕の頭を使うのではなく、書くプロセスにおいて手を動かすことによって、僕は考える。
 こうすることで、僕の意識にあることよりも、僕の無意識にあることを重んじます。

 だから僕が小説を書くとき、僕に話の次の展開はわかりません。
 どのように終わるのかもわかりません。
 書きながら、次の展開を目撃するのです。」


 氏の言う「シーンやアイデア」は、無意識として隠れている世界へ入る扉だろう。
 私たちも、何年経とうと鮮やかな光景や、繰り返し問いかける問題を溜め込む。
 多くはそのまま忘却されてしまうが、数十年後にようやく、ゆっくりと扉が開くものもある。
 氏は書くプロとして扉を開く。

「『』を読んだとき、アンデルセンも何かを『発見』するために書いたのではないかという第一印象を持ちました。
 また、彼が最初、この話がどのように終わるかアイデアを持っていたとは思いません。

 あなたの影があなたを離れていくというイメージを持っていて、この話を書く出発点として使い、そしてどう展開するかわからないまま書いたような気がします。」

僕自身は小説を書くとき、物語の暗いトンネルを通りながら、まったく思いもしない僕自身の幻と出会います。
 それは僕自身の影に違いない。


 そこで僕に必要とされるのは、この影をできるだけ正確に、正直に描くことです。
 影から逃げることなく。
 論理的に分析することなく。そうではなくて、僕自身の一部としてそれを受け入れる。

 でも、それは影の力に屈することではない。
 人としてのアイデンティティを失うことなく、影を受け入れ、自分の一部の何かのように、内部に取り込まなければならない。

 読み手とともに、この過程を経験する。
 そしてこの感覚を彼らと共有する。
 これが小説家にとって決定的に重要な役割です。


 無意識の世界に在る者が「影」である。
 私たちは、自分が意識し、考える内容だけで動き、生きているのではない。
 思考と行動の多くが無意識に衝き動かされて起こり、時として、それは、表面の意識とぶつかりもする。
 そうした全体が自分というものなので、自分を知り、世界を知り、人間として過たずに生きて行くには、そして他者の不幸の原因をつくらないためには全体像を観る力が必要である。
 この力を磨く読書において、小説が持つ役割は大きい。

アンデルセンが生きた19世紀、そして僕たちの自身の21世紀、必要なときに、僕たちは自身の影と対峙し、対決し、ときには協力すらしなければならない。

 それには正しい種類の知恵と勇気が必要です。
 もちろん、たやすいことではありません。
 ときには危険もある。
 しかし、避けていたのでは、人々は真に成長し、成熟することはできない。
 最悪の場合、小説『影』の学者のように自身の影に破壊されて終わるでしょう。

 自らの影に対峙しなくてはならないのは、個々人だけではありません。
 社会や国にも必要な行為です。
 ちょうど、すべての人に影があるように、どんな社会や国にも影があります。

 明るく輝く面があれば、例外なく、拮抗する暗い面があるでしょう。
 ポジティブなことがあれば、反対側にネガティブなことが必ずあるでしょう。

 ときには、影、こうしたネガティブな部分から目をそむけがちです。
 あるいは、こうした面を無理やり取り除こうとしがちです。
 というのも、人は自らの暗い側面、ネガティブな性質を見つめることをできるだけ避けたいからです。」


 世界は「影と対峙し、対決」する時代に突入しているのではなかろうか?
 フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領は、麻薬撲滅の旗を掲げ、人権無視の殺戮を容認した。
 確かに犯罪者は減るだろうが、その一方で、どさくさ紛れに、自分にとって都合の悪い人間を殺す非道な殺人事件がどれだけ起こっているかわからない。
 これまで軍事行動を共にしてきたアメリカの大統領を「地獄に堕ちろ!」などと罵ることは常軌を逸している。
 アメリカの時期大統領トランプ氏の言動も異様だ。
 イスラム教徒やメキシコ人を嫌い、犯罪者として閉め出そうとしている。
 アメリカにいる白人そのものが移民であり、原住民を圧殺した人々なのに、後から来た移民を差別・軽蔑し、忌避するのはおかしい。

 両者共、「もう嫌だ!」と感じている人々の情念を煽り、地道な努力無しには実現され得ない共生や融和といった価値を無視するかのようだ。
 共生や融和の根拠となっている人権や自由や平等などの理念は吹き飛ばされそうになっている。

「影を排除してしまえば、薄っぺらな幻想しか残りません。
 影をつくらない光は本物の光ではありません。」


 グローバリズム一辺倒の資本主義は、「これさえやっていれば大丈夫」と原理主義的に世界を席巻してきた。
 一部の人々が太陽のように富と力を得る一方、抑圧される人々の影もまた深く濃くなってきたにもかかわらず、無視されてきた。
 ドゥテルテ大統領やトランプ氏の登場は、「影」からの逆襲を意味しているのかも知れない。
 

自らの影とともに生きることを辛抱強く学ばねばなりません。
 そして内に宿る暗闇を注意深く観察しなければなりません。
 ときには、暗いトンネルで、自らの暗い面と対決しなければならない。

 そうしなければ、やがて、影はとても強大になり、ある夜、戻ってきて、あなたの家の扉をノックするでしょう。
『帰ってきたよ』とささやくでしょう。

 傑出した小説は多くのことを教えてくれます。
 時代や文化を超える教訓です。」

 
 私たちに必要なのは、「自らの影とともに生きることを辛抱強く学」ぶことではなかろうか?
 さもないと、強大になり、コントロールから離れた影は、小説で主人公を殺したように、世界を破滅させるかも知れない。
 ほどほどの光と穏やかな影との共生を求めるならば、指導者も私たちも叡智包容力を持たねばならないと思う。




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2016
05.10

トランプ氏につきつけられたもの ─これでいいのか?─

2016-05-10-0001.jpg

 トランプ氏の騒動をきっかけにして思う。

1 トランプ

 アメリカ大統領選挙におけるトランプ氏の言動は、個人と社会との関係を考えるよいきっかけだ。
 建前や幻想といったものから離れ、生身の人間とその集団との血が通ったありようを考えなおすきっかけとも言えよう。
 人間そのものと、飛び交うモノや情報との違いも考えたい。

 私たちは、モノや情報といった環境世界の動きが高速化したことにより、人間そのものも、いつでも地球上を飛び回り、地球を庭にできると思うようになった。
 そこでは文化も思想も共有され、あるいは自由に選択され、自分が何者であり得るか、はてしなく自由な選択と自己形成ができると思うようになった。
 地域社会や国家もまた、より広い範疇へと枠が溶融し、国家が掲げる普遍的理想は世界の理想として人類を導くと考えるようになった。
 自由主義や民主主義が普遍的原理と考えられ、一方では社会主義や共産主義、あるいはキリスト教的世界観やイスラム教的世界観がグローバリズムに乗って理想郷をつくると主張されている。

 しかし、生身の人間という現実から眺めればどうか。
 モノが世界中から買えるからといって、いっぺんに和風と洋風と中華風と3種類の料理を並べ、これまでの3倍食べるわけにはゆかない。
 むしろ、欧米化した食事の影響で乳ガン、大腸ガン、前立腺ガンなどが増えている(田中雅博医師の見解)現実を直視したい。
 また、情報がたくさん得られるからといって、私たちの頭脳がキャパシティを急に拡大させたわけではなく、入れ物としての能力や咀嚼力や創造力そのものは何ら変わらない。
 入れる内容が違ってきただけのことである。
 たとえば、半世紀前の若者は、古典を読み、文学や哲学論争にふける時間をたっぷり持っていたものだが、大学が就職のための機関と化し、高校も中学校もその準備段階と見なされる今では、若者たちの多くが〈就職やお金もうけの有効な道具〉を得ようと血眼になっているように見受けられる。
 厳しい時代になったものだ。
 
2 人間と環境

 人間も生きものである以上、環境との関係性が、いのちをいかにまっとうするかという根本問題を左右する。
 ちなみに、コアラは1年間に1500万円、パンダは550万円もの飼育量がかかる。
 それによってようやく自分が生きられる環境を得つつ見せ物となっているのだ。
 人間もまた、遙かなご先祖様から受け継いだ遺伝子によって特定の特性を持った生体がつくられ、維持されている以上、環境のありようと無関係に生きられるはずがない。
 アザラシ、クジラ、トナカイといった動物たちを食べてきたエスキモーの人々が、西洋風の食習慣を取り入れたために心臓病や糖尿病が激増したことを見ても、人間が生まれ持った条件とマッチした環境で生きることの大切さがわかる。

 また、血液が体内を順調に循環しつつ人間の生体が保たれるように、言葉や生活感覚や情報がある程度、共有され、他国から容易に侵されぬ程度の自衛力を持ち、経済もまた滞りない循環構造を保っていればこそ、国家は独立した存在であり続けられる。
 その国に暮らす人々の生活が安定し、国家が安定的に存続してゆくための特定の条件は、その国なりのものだ。
 当然、千差万別である。
 同時に、独自性を持った国家が存立し続けるためには、周囲の国家との円滑な交流が欠かせない。

 人間も国家も独自なものでありながら、環境世界との関係性が存否を決定づける。

3 問われる価値

 私たちはこの〈独自性〉及び、環境世界との〈緊張感〉を少々忘れていたのではないか。
 言い方を変えれば、グローバリズム自由競争が世界中へ富をもたらすという幻想によって忘れさせられていたのではないか。
 人間も国家も、世界へ羽ばたけば誰もが富を得られると勘違いさせられていたのではないか。
 そもそも〈飛んで得る富〉は、私たち一人一人へ確かな幸せをもたらすものなのだろうか?
 地に足を着け、一坪の土地を耕して野菜を得る行為は、さしたる価値を持たないのだろうか?
 人間が一個の生物である以上、環境との関係性の中でしか生きられないという認識、環境との関わり方が生活の質を左右するという認識も、「バベルの塔」的な過ちを犯さないために必須ではないか。

 富の寡占という現実は、グローバリズム自由競争の絶対性が誰のために叫ばれてきたかという真実を明らかにしつつある。
 アメリカでは、ここ20年の間に所得上位5パーセントの人々が所得を15パーセント増やして年収約4000万円を得ているのに対し、、下位20パーセントの人々は所得を4パーセント減らし、年収約130万円ほどになってしまった。
 世界をまたにかけて動いたお金と人が何をやったか、白日の下にさらされたのだ。

 自由主義、民主主義、グローバリズム自由競争などは今や、人間にとって真に価値ある思想なのかどうかが厳しく問われている。
 無論、それらが無価値であり誤謬であるわけではない。
 問題は、誰がいかなる意図で、いかなる内容を込めてそれらを標榜してきたかという〈人間〉と〈国家〉が問われていることにある。
 また、それらを人間と国家の現実に照らして、生身の人間一人一人に、あるいはそれぞれの国家にどういう形で生かしてゆくか、人々の生活に根差した方法、世界の調和をはかる方法が問われていることも忘れてはならないと思う。




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2014
06.06

人生を〈盛ん〉にし、〈快く〉する方法 ―6月の聖語─

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〈夜のコンビニで何を想うのか〉

 お大師様は説かれた。

「鈍い刀で硬い骨を切るためには、必ず砥石で磨かれている必要があり、重い車が軽快に走るためには、油がきちんとさされていなければならない。」


 このように、心のない鉄や木ですら、何かの助けのおかげではたらけるのだから、人間はなおいっそう、きちんと生きられるように導く教えのおかげによらねばならない。
 作られた刀は放っておかれれば錆びてしまい、役に立つには、どうしても砥石の手を借りねばならない。
 荷車も作られたままでは滑らかに走れず、役に立つには、どうしても、適切に油がさされていなければならない。
 人間だけが、生まれたままでまっとうに生きられるなどということはあり得ない。
 何かを縁として心を磨かねばならない。

 しかし、私たちは往々にしてこの真実を忘れる。
 それは、市場原理の信仰という特定のイデオロギーに洗脳されているからである。
自己実現こそが生きる意味である。
 それをもたらすのは自己決定であり、自己責任が伴う」

 実現したい自己とは何か?
 パソコンや車やバッグや家などを手にすれば、そこに自己は実現されているのか?
 そもそも、私たちがはたらこうとした時、いかに〈自己決定〉できようか?
 希望する職場を得られる確率はいったい、どれほどなのか?
 いっぽう、自己責任だけは確かに負わされる。
 ノルマを達成できなければ簡単に職を失う。
 だから、マニュアルにすがる。
 マニュアルには何が書いてあるか。
 多くが、経営者にとって都合のよい労働者となる方法ではないだろうか?
 あるいは、市場原理、グローバリズムという形で観念された世界を上手に泳ぐ方法であろう。
 しかし、少し考えてみればすぐにわかることだが、この情報化社会にあって、誰もが少数の〈勝ち組(嫌な言葉である)〉になるための確かな方法などありはしない。
 皆が競って手に入れた誰にも負けないほど切れる刀を持って戦い、皆が勝者になることがどうしてあり得ようか。

 大切なのは、自分を社会に合わせた便利な道具に仕立てようと慌てることではなく、まず、本当に〈自分の目〉で自分と社会を観ることではなかろうか。
 遙かな過去からの因縁によって父母のもとに生まれ、育てられ、生かされてきた自分。
 自分を生かしてくれている人間関係。
 そして、自分をつつむ社会、世界、自然。
 これらをきちんと〈自分の目〉で観ることは、たやすくない。
 心の目はたくさんの薄膜で覆われているからである。
 成長神話、消費経済、グローバリズム、市場原理、あるいは自己中心や諦めなど。

 お大師様の時代も、薄膜を取り去ることは難しかった。
 お大師様は古人の言葉「上智は教えられず、下愚は移らず」を示している。
 智慧に優れている人々はそもそも、天賦の才があるので何かの教えを待つほどのこともないし、智慧が無く愚かな人々へは教えがなかなか伝わらないと言われていたのである。
 お大師様は、この言葉へ続けるように、冒頭の言葉を述べた。
 いかに優秀な人であろうと、優秀でない人であろうと、人は必ず導きとなるものに学び、心を磨かねばならないと説かれた。
 このステップがなければ、自分は何者であるか、この世はいかなるものであるかがつかめず、どう生きたらよいかもわからない。
 そして、心の目が開けば人生は〈盛ん〉になり、〈快く〉なるとされた。
 本当に活き活きした人生を送れるのである。
 人間が磨かれた刀のようになり、油がさされた荷車のようになるとは、交換のきく歯車の一つになることではない。
 自分なりの工夫をして生活に意義を見出し、生かしてくれている人々や世間や社会や自然へ見返りを求めずに役立つことである。
 み仏の教えを学び、実践してみれば自然にそうなる。
 人生は〈盛ん〉になり、〈快く〉なるのである。




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2014
04.28

平成26年5月の運勢 ─他山の石─

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 平成26年5月運勢を大まかに延べます。

 今月は、私的にも公的にも、矛盾不条理に直面しやすい運勢となります。
 ここで必要なのは、〈とにかく〉決着をつけてしまおうという姿勢ではありません。
 そもそも、真の問題はどこにあるのか?
 その根本や本質は何か?
 禍根を残さぬ解決法はあるか?
 大切なのは、根本から考えてみる姿勢です。

 さて、私たちは、松があるから松茸が生えると思っていますが、実は、キノコの菌糸があると土が軟らかいので松が育ちやすく、松が大きくなれば松茸が育ちやすくなるという共生の関係にあります。
 松は、よい環境をつくってくれた松茸の生活環境を整えながら成長し、やがて老いれば松茸から奪われ尽くして、死んでしまいます。
 しかし、また、その地から、新たな樹が天を目ざして成長を始めます。

 4月22日、NHKテレビ「クローズアップ現代」は、アメリカの富裕層が自分たちで「市」をつくり、予算も税金も、使いたいように使う動きが相継いでいると報じました。
 富裕層だけが集まった地域では治安も公共サービスもすべて豊富な財力でまかない、安全で快適な住環境が目ざされています。
 その一方で、富裕層のいなくなった地域では警察も学校も病院も消防も、ありとあらゆる社会の基盤が揺らぎ、見捨てられた地域では貧困層がますます貧困の度を強めています。
 富裕層にとっての〈同胞〉は、人口の1パーセントしかない選ばれた人間たちのみで、残りの99パーセントの国民は眼中にないかのようです。
 ここには根本的な勘違いがあります。
 たとえば大気の汚染はどうするのか?
 食物連鎖の輪はどこでどう断ち切るのか?
 〈閉じられた楽園〉は幻想でしかありません。
 そこで育つ無慈悲で享楽的な心は必ず人間性を内側から蝕み、背徳と暴力に苦しむ未来が待っていることでしょう。

 グローバリズム弱肉強食が進めば、平成62年頃には、日本でも100人に1人が年収1億円、99人は100万円という恐ろしい予測が行われています。
 格差社会が極まった時、私たちは同じ日本人を心から〈同胞〉と感じ合えるでしょうか?
 私たちは、同胞意識が消えた無慈悲で憎悪と対立の激しい社会を望んでいるでしょうか?
 いまだ健全な同胞意識が残っている日本人は、アメリカの動きを「他山の石」としたいものです。
「おかげさま」の心は天地万物へ向けましょう。
「おたがいさま」の心は人間と生きとし生けるものへ向けましょう。
「袖振り合うも他生の縁」と感じて出会いと絆を大切にし、「郷に入らば郷に従え」の姿勢でお互いの考え方や信じているものを尊び合い、社会的儀礼の場などでは我を張らず、その場、その場へ溶け込む柔軟性を失いたくないものです。
 何ごとも、根本を考え、探求しましょう。




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2013
10.03

日本雁を保護する会会長呉地正行先生に聴く(その2) ─スモールイズビューティフル・一人の百歩より百人の一歩─

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〈ミンダナオ島(フィリピン)に暮らす先住民族ティボリの『ティナラク織』をいただきました〉

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〈『河北ウィークリー』さんでご紹介いただきました〉

 9月30日夕刻、「日本雁を保護する会」会長呉地正行先生と10月12日のシンポジウムについて、打ち合わせを行いました。
 そのおりのメモです。

○単調な環境は好ましくなく、乾田を否定し、すべてをふゆみずたんぼにせよというのではない
 例えば赤とんぼが世代交代するためには、乾く時期が必要である

 先生は、日本中の田んぼをすべて「ふゆみずたんぼ」にしたいとは言われませんでした。
 理由を尋ねたところ、「単調な環境は好ましくない」との答が返り、深く納得できました。
 宗教が文明のゆくえにかかわる多様な活動を行っている現状も同じです。
 従来のお墓に安心できる方々も、共同墓や自然墓を求める方々も、四国霊場巡りに期待する方々も、自然農法やビオトープといった環境づくりと心身づくりを連動させる方法に共鳴する方々も、宗教原理や瞑想に関心を持たれる方々も、あるいは隠形流(オンギョウリュウ)居合の稽古を行う方々もおられ、単調でない人間模様があってこそ、健全で発展性のある宗教組織であると考えております。
 そうした、いわば〈楕円の緩やかな重なり合い〉により、皆さんが寺院との活き活きした関係を保たれ、当山にエネルギーを与えていただいていると感じています。
 さる科学者の方から、当山の活動について「全体主義的でない、とても健全な運営」とご指摘いただいたことは、「ゆかりびとの会」の役員さん方にとって、勇気づけられたできごとでした。
 環境問題や田んぼづくりについても、お互いが持つ理想への多様なアプローチを尊重しつつ、全体としてよい方向へ進むことが肝要ではないでしょうか。

○湿地の80パーセントから90パーセントが乾田となり、暗渠排水にされたことが問題である
 今、最も欠けているのが〈冬の水〉である

○田んぼを中心とした水辺環境をつくり、多様な生きものたちを子供たちが観察するようにしたい
 定期的に生きもの調査をしたり、観察会を行ったりしたい
 多様な生きものたちがいて、いのちが多様に豊かに息づいていることに感動できる場をつくりたい

○田んぼには、稲作により生きものたちが集まる
 東南アジアでは「水に魚あり、田に米あり」と言い、川と田んぼでは水も生きものも行き来し、主食もおかずも手に入れられる

ふゆみずたんぼを中心とした水辺環境は、他の農地と違う複合生産の場となる
 ここだけで生きて行ける場をつくり、小さな地域内でご飯もおかずも安全で確実に確保できることが理想である

 何でもグローバリズムに乗ってやろうとするのには無理があります。
 お金さえあれば世界中から食糧も武器も何でも買えると考えるのは危険です。
 少なくとも、生きものとして、食べるものは自分たちで確実かつ安全に確保したいものです。
 その方法が公開され共有され、食べられない地域へ真の援助が行われ、世界中が食べられるようになれば、経済格差も戦争も相当、減るのではないでしょうか。
 先進国では食糧の膨大な無駄が発生し、一方では子供たちが餓死したり栄養失調に苦しんだりするなどの状況は、人間にとって最も大切な食糧の取扱いについて、大いなる勘違いがあるせいではないでしょうか。

○何十年も何百年も使える環境をつくろう
 人間も他の生きものたちも共に生き続けられる循環型になるのが理想である
 田んぼで、今日獲れたものをおかずとして食べられれば生きられ、田んぼがなりわいとなれば理想である
 小さいことのよさが生きる

 そこで生きている生きものには、そこで生きる理由があり、それは、人間の差配力を超えています。
 だから、食文化は世界中で異なります。
 世界中の人々が同じシチューや同じパンを食べねば生きられない理由はありません。
 食べ物の繊細な多様性は、言葉の多様性とどこかでつながっているという気がしています。
 人間が皆、同じ食べ物を食べ、同じ言葉で話させられるならば、同じ電気で同じ動きをするロボットに似てくるのではないでしょうか。
 呉地正行先生が「単調な環境は好ましくない」と指摘されるように、単調な文明という想像には〈人間が人間たり得るか〉という恐ろしいものが含まれています。
 グローバリズムという幻想が私たちへ何をもたらしているか、よく考えてみたいものです。

○生きものとしての人間が最後まで切り捨てられないものがたべものである
 食べ物が何百年も何千年も確保し続けられるならば、これこそが当に持続可能な社会であり、心の安らぎも確保できる

○田んぼには底力がある
 アジアには何千年も続いている農業文化がある
 歴史によって証明されているやり方を古人から学びたい

 現に、古来の農法を守り、平和に暮らしている人々がいます。
 呉地正行先生は、それを「証明されている」と言われました。
 
○中国の雲南省や四川省など、あるいはカンボジアやラオスといった地域には、「ここで生きていてよかったなあ」と思える文化が残されている
 後漢時代のお墓から出土した「田んぼ模型」には、田んぼとそれにかかわる生きものたちが描かれている
 約2000年前から続く農法は信頼できる

 シンポジウムにおいて、「田んぼ模型」の写真をお見せいただけるそうです。
 2000年前の人々が田んぼと生きものたちをどうとらえ、どう表現していたか、大変、期待しています。

○「早く」だけでは長持ちしない文明になりかねず、ゆったりとした長続きする方向性が必要である
 科学合理性だけを信じ、際限なく早さを求める方向を止めるのは社会全体の力である

 物理学を目ざした呉地正行先生の言葉だけに説得力があります。
 そもそも、ネコやカエルと同じく、皮膚で覆われた肉体をより所としている人間だけが、自分の都合だけによって他の生きものたちをどこまでも自由に操るなど、許されることなのでしょうか。
 多様な生きものたちがより所としている環境世界を、自分の都合だけによってどこまでも造りかえるなど、許されることなのでしょうか。
 限度があるはずだ、と畏れる謙虚さが失われれば、摂理内に生きる生きものとして生存を許されない段階がやってくるのではないでしょうか。
 医学においても、交通手段においても、情報交換においても、私たちの文明は、リミットに対する挑戦の成果として長寿や高速移動や膨大な情報の共有などの恩恵を得てきました。
 しかし、あまりにも早く進み過ぎていはしないでしょうか?
 クローンヤギをつくり、クローン人間もつくられかねない状況はだいじょうぶでしょうか。
 とてつもなく速い交通手段に、とてつもない事故につながらないという保証はあるのでしょうか。
 私たちの脳は、情報の真偽や正邪などを正確に判断し、洪水のように流れる中から本当に必要なものを選び取る能力があるのでしょうか。
 原発事故も、異常気象も、人間へ恐ろしいリミットを告げる警鐘ではなかろうかと疑われてなりません。
 警鐘と感じとる人々しか「止める」ことができないのではないでしょうか。

○原発事故のような警鐘も、直接的被害者以外の人々の記憶からすぐに薄れて行きがちだが、危険なものはたとえ忘れてしまっても危険なのである

 失恋や受験の失敗など、忘却は救いをもたらす場合があります。
 しかし、戦争などの愚行もまた、忘却がもたらすことは確かです。
 私たちが皆、殺し、殺される戦争の記憶をとどめることができたならば、過去のどこかで、戦争は人間の歴史から消えていたはずですが、〈忘れた〉ために、戦争で殺される家族や、傷ついた友人や、殺し殺される自分などを想像する力も弱まり、戦争は繰り返されてきました。
 しかも、今は、人間が隠れたまま、ミサイルやロボットで敵陣を破戒し、敵を殺す時代になってきました。
 殺し、殺されるという想像力がこれまでになく弱まっているからこそ、戦争を避けるためには〈忘れない〉努力が必要なのではないでしょうか。
 まさに、「危険なものはたとえ忘れてしまっても危険」なのです。

○EUでは、ミツバチの大量死などにつながると推測されるネオニコチノイド系農薬を禁止したが、黒であることが証明されていないものへの対応に文化の問題が顕れている
 日本でもグレーであることは明白なのに放置され、大量に用いられ続けている

 この件については、ブログ「蜜蜂に教えられる真実 ─蜜蜂の大量死・予防原則・原発─」に書きました。

○戦後の成り行きが示すとおり、きちんと白黒をつけずに過ごす曖昧さは日本人の精神風土としてあるのではないか
 また、善くも悪しくも〈皆と同じようにやる〉ことによって安心を得るという傾向が、強いのではないか
 よほど明確な農業哲学や技術を持たないと、〈これまで〉や〈皆〉と違うことができない

○東日本大震災から受けた教訓の一つとして「絆はいざという時に役立つ」ということを知った
 都会にも田舎にも、それぞれ、よい面も、よくない面もある
 悪い面を攻撃するよりは、よい面を生かすことである
 そのために、〈全体を観る目〉を養いたい
 田舎特有の絆は地域力である

○東日本大震災で失ったものも得たものもある
 得たものを生かすのが生きている人間の務めである

○人間は食べなければ生きて行けず、生きて行く上の本質にかかわる部分については〈線引き〉が必要である
 すべてのものごとに経済原則をあてはめてはいけない

 当山はこれまで、教育や医療や福祉などの分野までも、テレビや車をつくる商売と同じく資本主義の競争原理にさらしてはならないと考え、訴えてきました。
 大学が集めた入学金で儲けようと莫大な投資をして数十億円もの損失を出したり、病院が患者の囲い込みや薬漬けまがいのことを行ったり、福祉施設が儲かるシステムとして転売されたりする社会は、まっとうな社会と言えるでしょうか。
 人間づくりも、病気を治すのも、他人の手を借りなければ生きられない人へ手を差し伸べるのも〈儲け〉とは無関係であり、それは宗教と共通しています。
 もしも、〈線引き〉をしなければ、教師も医師も介護士も良心の呵責に耐えられなくなるか、あるいは、呵責を感じなくなるか──。
 いずれにしても、〈儲け〉に走る宗教者や宗教団体と同じところへ堕ちてゆきかねません。

○韓国生協の倫理的消費者というポリシーなどに学びたい

 韓国生協の倫理的消費に関する文章です。
「消費は経済においての投票行為とも言えます。
 我々の財布の中にある現金やクレジットカードが投票用紙になるのです。
 その票を誰に、どこに入れたら良いのでしょう。
 子どもの労働を搾取して生産したチョコレートを買う消費者の行動は、そのような企業の行為を黙認し、もっと多くの富や力をあたえることにもつながりかねません。
 今私たちの目にすぐには見えなくても、生きものと地球環境に配慮し、正直な生産に取り組む生産者や労働者の権利を尊重する企業、動物福祉を考え、生産方法を革新してゆく倫理的生産を支え合うことは私たちの消費を通して可能なことなのです。
 倫理的消費は、持続可能な社会を創ってゆく上で私たち消費者にできる小さくても手ごろに実践であり、『美しき消費』でもあります。」
 私も必ず、店と商品を多少は〈倫理的に〉選択しているので、よく理解できます。
 自然と生きものを生かす美しき商品は、美しき消費者に選択されるのではないでしょうか。

○日本の企業は、CSR(企業の社会的責任)をもっと自覚せねばならない

○それぞれの田んぼを生かして行くことは、スモールイズビューティフルであり、小回りの利く柔軟な対応ができる
 一人の百歩より百人の一歩で進めば大きなうねりとなる
 過去に学びながら未来へ向けた田んぼづくりをやりたい

 よく学び、生きものの多様性と心の多様性を皆さんと共によく考え、『法楽農園』で何ができるかを模索しつつ、一歩一歩と進んでゆきたいと思います。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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