--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2008
05.26

シンパシーの復権

 古い友人T君から笑いを含んだ電話がかかってきました。
「和尚のことが書いてあるぞ。知ってたのか?」
 何のことだろうと思ったら、作家の高任和夫氏が「小説現代」へ書いた『シンパシーの復権』に、私としか思えない僧侶が登場しているというのです。
 T君は「仲間ならすぐに解るよ。まあ、読んでみたら」と、笑いをこらえながら電話を切りました。

 さっそく読んでみて「ウーン」と呻らされ、小料理屋のカウンターで「実は俺、短編、得意なんだぜ」と自信ありげに囁かれたことを思い出しました。
 内容には触れませんが、シンパシーに人間性の回復といった深みを持たせた傑作です。
 私は彼との会話で「来山する方、あるいはお焚き上げの品を送ってくる方など、どなたであれ他人様の思いや願いを我がことと受けとめて、考え、修法するのが僧侶の務めだよ」と信念を述べたことがありました。
 かつてはビジネスのプロ、今はものを書くプロである彼は、それを仕事のやりがいや魂の交流の核心ととらえ、シンパシーを感じ合うところに生き甲斐や救いや希望を見いだそうとしました。

 この言葉の和訳は「同情」や「共感」ですが、いずれも、「それぞれに生きている人間」同士の関係といった感があります。
 しかし、彼の「シンパシー」はそうしたところに止まらず、自分(あるいは自分のある部分)を相手へ投げす地点まで描いています。
 主人公たちは、相手を思いやらないではいられません。
 こうなれば、もはや、み仏の慈悲そのものです。

 8年前、彼は『仕事を愉しむ』で「」を描きました。
 今度の作品でも、スナックのママに「やっぱり男は仕事を楽しまなきゃダメ」と言わせています。
 仕事は、を伴ってこそ難事に耐えて続けられ、楽しめます。
 そして、今、「シンパシー」に達しました。
 彼の理想とする人間像は、自立した人間から共に生きる人間へと緩やかに変化しているのでしょうか。
 そういえば、平成17年4月に発売された『エンデの島』は、を持った人びとのシンパシーがテーマであるとの解釈も成り立ちそうです。

 この傑作がたくさんの方々にご縁となり、『シンパシーの〈復権〉』が意味するところをお考えいただきたいと願っています。
スポンサーサイト
back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。