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2016
12.05

自衛隊員の本音 ─出征する覚悟、辞める無念─

2016-12-05-0001.jpg
〈善男善女の願いを込め、続けられる例祭の護摩法〉

 福島で出会った自衛隊員から話を聴いた。

 南スーダンへの派兵は、自衛隊からの離脱者を続々と生み出している。
 たまりかねた政府は、戦死した場合の弔慰金を6千万円から9千万円へ引き上げ、指示通り「駆けつけ警護」に当たれば1日2万3千円を支給するという。
 しかし、現場の本音は、金銭などではごまかしきれない問題の核心を衝いている。

 Aさんは日本を守ろうとして入隊した。
 もちろん、見知らぬ外国で戦死するつもりなどまったくなかったので、現在の自衛隊の動きは想定外だ。
 それに、現場ではたらく日本人から求められていないのに、戦闘要員として出兵させられることにも納得できない。
 災害時に請われ、丸腰ででかける時のような使命感を持ちようがない。
 国会では、南スーダンは戦闘行為が行われていない安全な場所だから、武装した自衛隊が出かけても安全だという議論が繰り広げられている。
 そもそも安全であれば軍隊は不要なはずだし、スーダン出兵がどうして国是である専守防衛になるのか。
 納得できないので、いくらお金を積まれようが自分のいのちはかけられないし、仲間がいのちをかけることにも耐えられない。

 もっともだと思わされた。
 次の話には胸を衝かれた。

 隊員は口を閉ざしたまま、共通のイメージを持っている。
 それは、最初に出る犠牲者はきっと、撃つ前に撃たれるということだ。
 厳しく訓練された隊員は、必ず命令で動くし、命令されないことは勝手にやらない。
 一方、戦闘が起こる時、撃てという命令は必ず、危機的状況から遅れて出されるだろう。 
 一発の発射が日本という〈国を背負った行為〉になることをよく知っている優秀な隊員たちは、自分のいのちに危機が迫ったからといって、指揮官でない者がバラバラに判断をくだすことはないと、互いに信じ合っている。
 だから、きっと、射撃命令が出る前に撃たれてしまうだろうというのが、若いまじめな隊員たちの共通認識だという。

 涙が流れた。
 現場の隊員たちにとって、これほどまでに切羽詰まった出兵であることを、どれだけの国民が認識しているだろう?
 安全な場所に征くのだから大丈夫だと主張している人々へ、〈真実を知って出かける〉彼らの本音を聞かせてやりたい。
 あるいは、崇高な理想を諦め、安定した収入を捨ててまで〈辞めないではいられない〉彼らの本音を聞かせてやりたい。
 しかも彼らは、やがて生じるであろう犠牲者が軍神として祭り上げられかねない日本の空気に恐ろしさを感じ、固唾を呑んで仲間の無事を祈っている。

 砲弾の飛び交うアフガニスタンでさまざまな活動を行ってきた医師の中村哲氏は「ペルシャワール会報」の10月5日号で述べた。

テロとの戦い』を声高に叫ぶほどに、犠牲者が増えました。
 そして、その犠牲は、拳をあげて戦を語る者たちではなく、もの言わぬ無名の人々にのしかかりました。

 干ばつに戮れ、空爆にさらされ、戦場に傭兵として命を落とす──アフガン農民たちの膨大な犠牲は、今後も語られることはないでしょう。
 私たちは、このような人々にこそ恩恵が与えられるべきだとの方針を崩さず、現在に至っています。
 多くの良心的な人々の支持を得て、事業は着実に進められてきました。
 PM5は、誰とも敵対せず、仕事を進めてまいります。


 彼らの地道な活動こそが、世界における日本の信用と価値を守っている。
 彼らは、自衛隊に来てもらいたいとは決して言わない。
 武器を持った敵対行為こそが最も危険であると、骨身に沁みて知っているからだ。

 南スーダンの気温は35度前後だが、作業現場の体感気温は50度にもなるらしい。
 日本の若者たちはそこへ征く。
 武器を携えて……。
 これからの日本を背負う若者が、戦争に加担するか、それとも無職になるかと悩んでいる姿はあまりに痛々しく、こうした日本をつくった世代の一員として、詫びる言葉も見つからなかった。




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2016
09.13

現代の偉人伝第232話 ─爆弾を捨てに行った警察官ハミード・アルマーニ氏─

2016-09-13-0001.jpg
〈産経新聞様よりお借りして加工しました〉

 パトカーへ爆弾らしいものを投げ込まれた警察官が、逃げ出さず、遠くまで運んで人々を救おうとした。
 にわかには信じがたい行動である。
 以下、9月11日付の産経新聞から転記した。

【米中枢同時テロから15年 市民守るアフガン移民の警官がNYのヒーローに】 

 米中枢同時テロの発生から11日で15年を迎えるニューヨークで、アフガニスタンから移民したイスラム教徒の警察官が「街のヒーロー」と称賛を浴びている。
 今夏、爆弾にみせかけた不審物がパトカーに投げ込まれたが、市民を巻き込まないために死を覚悟で避難させた。
 同時テロ後に広まったイスラムフォビア(イスラム恐怖症)が大統領選でも物議を醸す中、アフガン移民の警官の勇気ある行動は、ニューヨーカーの心を捉えている。
 この警官は、ニューヨーク市警のハミード・アルマーニさん(37)。
 7月20日夜、繁華街のタイムズスクエアでパトカーに不審物が投げ込まれ、同僚の警官が「爆弾だ」と叫び、とっさに考えたのは「周囲の数千人もの市民を巻き込んではいけない」。
 自分は犠牲になるつもりで人通りの少ない場所までパトカーを移動させた。
 不審物は爆弾ではないことが後に判明したが、この行動がメディアで伝えられると、アルマーニさんら2人の元に感謝のメッセージが殺到。
 勤務中、10分おきに記念撮影を求められるほどの人気者となった。
 
 アルマーニさんはニューヨーク市警で唯一のアフガン生まれの警官だという。
 2000年にニューヨークに渡り、翌年に同時テロが起きた。
「人種や宗教が何であれ、罪のない人々が殺害されるのは最も悲しい」。
 思いが重なったのは、戦争で疲弊していたアフガンでの暮らしだった。
「アフガンでは通りを歩くことも安全ではなかった。警察が助けてくれる場所に住みたかった」。
 故郷での日々と同時テロの経験から「人の命を助ける職業に就きたい」と願うようになり、05年にニューヨーク市警の警官となった。
 ニューヨークでの生活でイスラム教徒への偏見や差別は「終わることはない」が、「人々に話しかけて理解してもらえば、印象は変わってくる」と強調した。
 12歳の女児を持つシングルファーザーは「私はヒーローではない。ただ、一人の警官として感謝されるのはうれしい」と照れながら語った。


 同じ紙面に、テロを企てた女性のグループが摘発されたという記事が載っている。
 フランスでのできごとだ。
 これも転載しておきたい。

【パリでテロ計画、ISが女グループに指示 検察が摘発】

 パリのノートルダム大聖堂付近でガスボンベを積んだ不審車が見つかった事件で、フランス検察は9日、テロを計画した女中心のグループを摘発したと発表した。
 女らがシリアのイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)メンバーから指示を受けていたことも明らかにした。
 事件は大聖堂付近で4日未明、ガスが充填されたボンベ5個を積んだ放置車両から可燃性の液体の瓶やたばこの吸い殻が見つかったのが発端。
 当局は、車両ごと爆発させる計画だったとみて現在、7人を拘束中。

 このうち15~39歳の女5人が計画の中心メンバーとされ、19歳の女は車両の所有者の娘。
 過去にシリア渡航を図り、情報機関の監視対象だった。
 所持していたカバンからISへの忠誠を誓った文書が見つかった。
 また、23歳の女は6月のパリ郊外での警察幹部殺害容疑者の男の婚約者で、容疑者が事件で射殺後、7月に仏北部で発生した教会襲撃事件の容疑者の男と婚約していた。 両事件ともISが犯行声明を出した。
 モラン検事は記者会見で「テロ組織は男だけではなく、若い女までも利用している」と強調した。


 自分のいのちを捨てても人々を救おうとする人がいる一方で、自分のいのちを捨ててまで人々を殺そうとする人もいる……。
 ──自分のいのちに執着せず、死を厭わない人々。
 死の恐怖をどう超越するかによって、行動は天と地の違いになる。
 もっと淡々とその向こうへ行った人もいる。
 お釈迦様の弟子ウハセンナだ。
 
 彼は、王舎城に近い森林の洞窟で瞑想するのを日課としていた。
 ある時、何かが身体を這い、咬みついたことに気づいた。
 それは、咬まれたら助からない毒蛇だった。
 ここで死ねば皆に迷惑がかかると考えた彼は、修行仲間の舎利弗(シャリホツ)を呼んで、洞窟から出してもらうように頼む。
 舎利弗は彼の顔色がちっとも変わっていないことに驚いて、本当に咬まれたのかと訊ねる。
 彼は平然と答える。

舎利弗さん。
 この人間の身体は四大(シダイ…地・水・火・風)の集まりで出来た塵芥にすぎないのではありませんか。
 私とか、私のものとか云ふ考えからはなれてゐる私達は、本来空(クウ)なのですから、空なものが毒蛇に噛まれたって、顔色が変わるわけはないでせう。」(武者小路実篤著『釈迦』より)


 仲間の手で巌窟から出された彼は、毒が回っても瞑想したまま何も語らず、従容として涅槃(ネハン)に入った。
 お釈迦様も彼の死に打たれたという。

 私たちはこの世をどう観ているのだろう。
 自分のいのち、他人のいのち、生きとし生けるもののいのちをどう考えているのだろう。
 死生観、人生観によって、生き方も死に方も千差万別だ。 
 8月6日号『週刊ダイヤモンド』の調査発表によれば、3分の2近い人々が「自分の死」を考えたことがある一方で、「死生観」を持っている人は1割もいない。
 ハミード・アルマーニ氏、女性テロリストたち、ウハセンナは、そんな私たちを立ち止まらせる。
 しっかり立ち止まり、どう生き、どう死ぬか、自分自身の頭で考えたい。




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2016
06.13

アメリカで50人が射殺された ─テロの原因と、すがらせようとする宗教の問題─

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 6月12日、アメリカのフロリダ州で、オマル・マティーン容疑者(29才)が同性愛者の集うナイトクラブへ押し入り、50人を射殺、53人にケガを負わせたあげく、警察の特殊部隊に射殺された。
 反抗の直前、容疑者がISへ忠誠を誓う声明を出していたため、13日、ISは「『イスラム国』の兵士による襲撃」と発表した。
 取材された父親によれば、2~3カ月前に男性2人がキスをしている姿を見た容疑者は「見てみろ。俺の息子の前であんなことをしている」と激高していたという。

 事件前日の6月11日、朝日新聞は、欧州大学院大学(EUI)のオリビエ・ロワ教授に対するインタビュー記事「過激派のイスラム化」を掲載している。
 表題のとおり、イスラム教の中に過激派というセクトがあるのではなく、短絡的で暴力的なタイプの若者が、何かのきっかけでイスラム原理主義の思想を旗印にして走ってしまうというのが、教授の見立てである。

 教授は10代で外国を放浪し、アフガンへ侵攻するソ連軍と戦ったこともあり、過激派とされる人々と現場で議論を重ねてきた。
 フランス国立科学研究センター主任研究員などを歴任してきた教授は、体験と研究の結果、種々の事件を起こした若者たちについて断言する。

「過激になる前から敬虔なイスラム教だった若者は全くいません。
 布教にいそしんだ人、イスラム団体の慈善活動に従事した人も、皆無に近い。」


 彼らの多くは、事件を起こすまでの過程において、むしろ非宗教的で粗暴な日常生活を送っていたことが判明している。
 確かにイスラム教徒の家庭で育った者が多い。
 しかし、彼らは移民2世であり、非イスラム教の風土で育った。
 そこで、言語的にも宗教的にも世代のズレが生じる。
 

「今起きている現象は、世代間闘争です。
 若者たちは、自分たちを理解しない親に反抗し、自分探しの旅に出る。
 そこで、親のイスラム教文化とは異なるISの世界と出会う。
 その一員となることによって、荒れた人生をリセットできると考える。
 彼らが突然、しかも短期間の内にイスラム原理主義にのめり込むのはそのためです。」


 彼らは、うっぷんを晴らすための〈旗印〉としてイスラム原理主義を用いる。

「彼らが魅せられるのは、ISが振りまく英雄のイメージです。
 イスラム教社会の代表かのように戦うことで、英雄として殉教できる。
 そのような考えに染まった彼らは、生きることに関心を持たなくなり、死ぬことばかり考える。
 自爆を伴うジハード(聖戦)やテロは、このような個人的なニヒリズムに負っています。」


 いつの時代も、貧困や病気や差別に苦しむ人々は、宗教的救済の対象となる一方で、宗教団体に引き入れられもする。
 そうした層を狙う宗教団体は、ほぼ例外なく他の宗教宗派を否定、攻撃しする〈閉じた〉組織となっている。
 門を入った者たち同士の極楽があると思わせる一方、門から入らない者には容赦ない。
 事実、東日本大震災後、避難生活を送る人々の悩みの一つは、宗教的勧誘を断ることだった。

 世界中でいのちのケアにたずさわる宗教者には、仏教徒とキリスト教徒とを問わず、共通の姿勢が求められる。
 まず、相手の宗教や思想や立場を尊重すること。
 その上で、虚心坦懐に相手の言葉に耳を傾けること。
 そして、相手へ自分の宗教を押しつけないこと。
 勧誘という下心があってはならないし、相手の宗教を貶めるなどあってはならない。
 当山の人生相談も同様の姿勢で行っている。
 相手が求めるか、もしくは問題を解決するために必要な方法であると確信できる場合のみ、宗教的方法を提案する。

 教授は言う。

「こうした現象が初めて顕著になったのは、中国の文化大革命でした。
 若者たちが親を『打ち倒すべき敵』と位置づけ、ちゃぶ台をひっくり返して、すべてをゼロから始めようとした。
 1960年代以降、このように親の世代を否定する過激派現象が世界で吹き荒れました。
 68年のフランスの学生運動『5月革命』、テロを展開した『ドイツ赤軍』、カンボジアで虐殺を繰り広げた『クメール・ルージュ』は、みんなそうした例です。
 若者による親殺しなのです。」

「しばしば指摘される過激派の暴力的、威圧的な態度も、イスラム主義に限ったものではありません。
 若者文化、ストリート文化につきものなのです。
 ロサンゼルスのヒスパニック系ギャングにも、シカゴの一部の黒人集団にも、同様の傾向がうかがえます。」

 
 数々の現場に立ち会ってきた教授の目は、イズラム教の旗に惑わされず、若者たちの「暴力的、威圧的な態度」そのものを見抜いている。
 宗教は本来、そうした「態度」を和らげ、あるいは「態度」の発生源を解消し、あるいは若者のエネルギーを創造的な方向へ導かねばならない。
 若者一人一人が人間として真に解放され、伸び伸び、活き活きと生きる方向を見つける手助けになればそれで宗教本来の役割は果たされるはずだ。

 いかなる宗教を信じるかは、一人の人間にとって人生の一側面である。
 信仰が人を離反させてはならず、無論、いのちを捨てさせてはならない。
 万人に開かれ、すがる人を利用しようとしないのが真の宗教の姿ではなかろうか。
 私たちは、テロを見すえる一方、宗教へすがらせようとする者、教団という閉じた世界へ引き入れようとする者への警戒を怠らないようにしたい。




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2015
12.19

ISの正体と日本 ─爆弾テロに怯える時代(その2)─

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〈早朝の虹とお大師様〉

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〈「不惜身命、但惜身命」を通した貴乃花〉

 なぜ、国家が反国家的な武装集団を抑えられず、爆弾テロが世界中の〈日常〉へ入りこんだのか?
 国際危機グループ(ICG)会長のジャンマリー・ゲーノ氏は朝日新聞のインタビューに答えた。
 以下、要点を抜粋し、考えてみよう。

 来年もひき続き、IS対策が大きな関心を集めることだろう。

「イラクやシリアでは、ISは政治から排除された人々が逃げ込む場所です。
 でも、欧州からISに参加する人の意識は違う。
 力への憧れを抱き、漠然と『何か自分個人より大きなものに属したい』と願い、画期的な大プロジェクトの一翼を担えると思い込むのです」


 中東でISが生まれた背景には、政治的、宗教的、経済的に深刻で追いつめられた問題がある。
 しかし、世界中からこの先頭集団への参加を希望する人びとは違う。
 前稿でとりあげた、価値観(生きがい)の喪失や、将来への絶望、あるいは、自由な身であることの不安すら、「画期的な大プロジェクト」へ自分のいのちごとそっくり投げ入れてしまうきっかけになっている。
 先頭やテロ行為でいのちを失う危険性のあることが、かえって〈いのちをかけられる〉という幻想を生み出す。

 不惜身命(フシャクシンミョウ)という言葉は、自分の身命にこだわらず、身命を惜しまずにすべてを賭けてものごとを行う覚悟だが、但惜身命(タンジャクシンミョウ)が付け加えられてこそ、真の導きとなる。
 後者は、身命を賭してものごとを行うには、道具である身命を大切に用いる注意深さや準備の周到さや粘り強さなどが欠かせないことを教えている。
 ここでの「惜」は、前者にとっての〈こだわること〉ではなく、「愛(オシ)む」すなわち〈たいせつにすること〉なのだ。
 だから、真に不惜身命を貫こうとすれば、決して無鉄砲にはなれず、軽挙妄動から最も遠くなる
 かつて横綱貴乃花は、昇進の覚悟としてこの言葉を挙げた。
 そして相撲動に精進し、人びとへ夢や勇気を与えた。
 特に、平成23年、両国国技館で行われた5月場所の千秋楽で武蔵丸と戦った優勝決定戦は、「但惜身命」に支えられた「不惜身命」の凄まじさを示して余りあるものとなった。
 度重なるケガを乗り越えて復活した土俵だったが、14日目の取り組みで半月板を傷め、千秋楽の本割りでは仕切りすらまともにできず、武蔵丸にあっさり寄り切られた。
 多くの人びとは、優勝決定戦はできないだろう、あるいは強行出場しないで欲しいと考えたはずだが、貴乃花は上手投げで武蔵丸を下し、優勝した。
 その時の表情は不動明王そのものに見えた。
 ここで文字どおり〈惜しまず〉捨て切った貴乃花は、7場所の休場を経て復活した土俵で武蔵丸に敗れ、引退した。
 日本人最後の横綱となった。
 
 純粋な思想信条からでなく、我が身の置きどころがなくてISを目ざす世界中の人びとに、こうした考え方、生き方があることを知ってもらいたい。
 そして、立ち止まり、「不惜身命、但惜身命」によって日々を生きられる何かを見つけ出して欲しい。 

「ただ、ISの力をあまり大げさに考えてはいけません。
 イスラム教スンニ派の範囲を超えては広がらないからです。
 ISはその宗派性ゆえに台頭しましたが、宗派性ゆえの限界も抱えています


 ISいかに「個人より大きなもの」を示そうと、イスラム教スンニ派の思想に合わせられる人しかそこでは暮らせない。
 ISが何を目ざそうと、世界中を席巻することはそもそも、思想的に不可能である。

「彼らは対話を拒みます。
 対立の中に居場所を見つけた彼らにとって、対話は自殺行為ですから。
 ただ、ISの内部にはアサド政権への反発から銃を手にする人もいて、必ずしもみんながテロリストの仲間ではない。
 対話が生まれる可能性は常に考えたほうがいい」

「対話することは、相手の立場を正当と認めることではありません。
 敵との間にこそ対話が必要です。
 それが外交というものです


テロリストへの反撃ばかりに目がくらむと、分断すべき敵を結束させかねません。
 誰も彼も排除すると、対話の可能性のある人々までIS側に押しやってしまう。
 ISと戦うには、できるだけ広く結集しなければなりません」


 最近では、日本でもISの〈撲滅〉を勇ましく語る政治家が出てきたのは憂うべきことである。
 上記のとおり、ISが出現したのには理由があり、その思想は世界に拡散し、すでに人びとの心へ入っている。
 ISの構成員になる、あるいは外形を真似たテロ行為に走る可能性がある人びとは世界中にいる。
 撲滅などできはしない。
 軽々に拳を振り上げるのは百害あって一利もない。
 すでに日本人がISによって被害者となり、敵国であると名指しされてはいるが、まだ国家そのものがテロに攻撃されてはいない。
 まだ、爆撃などの戦闘行為を行ってはいない(はずだ)。
 日本は「敵との間にこそ」必要な対話や外交の当事者になり得ないのだろうか?
 
 12月15日、史上最年少のノーベル賞受賞者、マララ・ユスフザイさんの言葉が世界に流れた。
 米大統領選挙の有力候補者ドナルド・トランプ氏が発表したイスラム教徒の米国入獄を拒否するという政策に対して諫めたのだ。

「あなたがイスラムについて話すたびに、そして全てのイスラム教徒を非難するたびに、私たちの中からさらに多くのテロリストが生まれます

「政治家たちが何を発言しようと、メディアが何を発言しようと、とても慎重であることが大切です。
 テロリズムを止めるのが目的なら、イスラム教徒の全てを批判しようとしてはいけません。
 なぜなら、それではテロリズムを止めることはできないからです。
 より多くのテロリストを急進的にしてしまうでしょう」

テロリズムを終わらせたいのなら、質の高い教育が必要です。
 そうすればテロリズムの精神構造や憎しみを生む考え方をなくすことができます


 ここで言う「考え方をなくす」は重要である。
 中国や北朝鮮のように、国家が思想を統制するではなく、刃を保つ考え方を生まれなくしようという意味である。
 人びとが心に刃を持たず、刃を持ちたいと思わなくても生きられる世界にしようとしている。

 ISに代表されるテロリズムをなくすための根本的な方法が、ドナルド・トランプ氏の〈排斥〉にあるのか、アメリカ軍を主体とした〈殲滅〉にあるのか、それともマララ・ユスフザイさんの〈慎重さ〉と〈質の高い教育〉にあるのか、幸いにして今の日本人にはまだ選択権がある。
 ISの勢力拡大を防ぎ、テロリストにつけいられぬよう警備を整えるのはもちろんだが、同時に根本的な解決をはからねば、永遠に〈対症療法〉を続けるしかなくなり、世界から戦乱や不安はなくならない。
 よく考えたい。




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2015
12.16

グローバル化が生んだ危機 ─爆弾テロに怯える時代(その1)─

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〈古いウーファーは期待に応えてくれるか?〉

 なぜ、国家が反国家的な武装集団を抑えられず、爆弾テロが世界中の〈日常〉へ入りこんだのか?
 国際危機グループ(ICG)会長のジャンマリー・ゲーノ氏は朝日新聞のインタビューに答えた。
 以下、要点を抜粋し、考えてみよう。

「現代の世界は、情報やコミュニケーション、ヒト・モノ・カネの移動によって結びついています。
 でも(その回路を通じて)伝わってくるものをどう解釈するかは、場所や立場によって大きく異なります。
 世界はグローバル化されると同時に、バランスを崩し、細分化されているといえます」


 多様なものが入って来るだけで、地域や国家は崩れるだろうか?
 日本が海外から入って来るものを消化しつつ存立を保っているのは例外なのか?

テロを解く鍵はここにあります。
 バランスが崩れ、分断と対立が続く状況だからこそ、過激派組織『イスラム国』(IS)が栄えているのです」

テロの危険性は、社会をさらに細分化することにあります。
 パリのテロによって、フランスという国家の統合が破壊され、欧州が分断される恐れは拭えません。
 ISは今、自らの本拠地に生じた細分化状況を、欧州に輸出しようと狙っています」


 確かにシリアやイラクは「バランスが崩れ、分断と対立が続く状況」になっている。
 欧州やアメリカで国粋主義的な動きが強まっているのは、中東の混乱で発生した難民の急激な流入が社会のバランスを崩し、同時にISなどのテロ組織が活躍する下地となりかねないことへの恐れがあるからだろう。
 米大統領選挙の有力候補者ドナルド・トランプ氏が「米国を、聖戦を信じる者による残虐な攻撃の犠牲にすべきではない」として、過激主義を封じ込める対策を講じるまでイスラム教徒の入国を禁止すべきだとの見解を発表し、その後も共和党支持者から圧倒的な期待を集めていることは見逃せない。
 

「2015年を一言で振り返ると、世界の様々な動きに対し、国家がコントロールを失いつつあることが明らかになった、ということでしょう。
 大国の合意で世界が安定する時代ではもはやない。
 あり得ないことが突然起きる、驚きの連続の時代です。
 指導者が決めるトップダウンの出来事が減り、人々が互いに連絡を取り合うボトムアップ型の出来事が増えたからです。
 テロは、その典型です」

「国家の統制が利かないのは、テロに限りません。
 地球温暖化も、国家単位では答えが見いだせません。
 多国籍企業や組織犯罪網など、国家の枠に収まらない存在も力を持ってきました


 ネットを通じ、世界を股にかけて活動する「多国籍企業や組織犯罪網など」が増えたために、一国の経済制度や警察力だけでは、地球温暖化やテロの拡散に対抗しきれない。
 しかし、氏は触れていないが、軍事企業もまた、世界中へ武器弾薬を売り続けている。
 12月15日付の産経新聞によれば、平成26年における軍事企業の売上高上位100社(中国は入っていない)の総売上高は約48兆5千億円である。
 そのうち、米国企業の占める割合は54・4パーセントに上り、世界第一位のロッキード・マーチン社は約4兆5千億円、第二位のボーイング社は約3兆5千億円となっている。
 この二社の売上高合計は、軍事企業でない日本企業の上位6社(トヨタ・ホンダ・日産自動車・NTT・JX・日立)の合計に等しい。
 ロッキード・マーチン社とボーイング社の従業員数は合計で25万人を越えている。
 これは何を意味しているのだろう?
 ──戦争で儲かる企業の半分はアメリカにあるのだ。

 第二次世界大戦後、「個別国家の戦争は違法である」とする国連の枠組みを作ろうとした時期があった。
 世界中の国々が、戦争は悪である、もう懲り懲りだ、と実感したからだ。
 しかし、それはアメリカにとって不都合だった。
 だから、サンフランシスコ条約と旧日米安保条約の立役者ダレスは、それまでになかった「集団的自衛権」を国連憲章へもぐり込ませた。
 国連安保理によって認められない戦争は違法として弾劾されるはずだったのに、複数の国家間で結ばれた軍事同盟によって起こされる戦争は違法でないと定められた。
 集団的自衛権を標榜して軍事同盟さえ結べば、アメリカはいつでも、どこでも〈正義に基づく戦争〉を正当に行えることとなった。
 だから、中国と独自の外交を行おうとした田名角栄はロッキードによって失脚させられ、かねて国連軍の強化を理想としてきた愛弟子小沢一郎は永遠の悪役とされ、日米軍事同盟の強化を目ざす人びとが政治権力を握り続けて来た。
 また、日本の武器輸出三原則が昨年4月、安倍内閣によって事実上廃止され、「武器輸出を慎む」国だったはずの日本は、堂々と世界の武器市場へ進出し始めた。
 アメリカへ「軍隊を〈地球の裏側まで〉も派遣するから、我々もどんどん消費される武器弾薬で儲けさせてくれ」と頼む〈普通の国〉になりたいと、日本の国民は本当に願っているだろうか?

ナショナリズムの伸長と、宗教過激派の台頭は、実は同じ現象です
 どちらも、冷戦の崩壊に原因があります」

「冷戦とともに消えたのは、マルクス主義だけではありません。
 個人の自由な行動が勝利したと受け止められたことで、(ソ連に象徴される)『集団行動』への信頼も失われたのです。
 ただ、個人の価値が高まると、社会の結束が弱くなる。
 しばらくすると『周囲の人々と共通の価値観を持ちたい』『集団のアイデンティティーに戻りたい』という意識が復活しました

 人間はしょせん、個人の成功だけでは満足できないのです」

「そこに、過激な宗教やナショナリズムの花が開きました。
 ナショナリズムは、政治思想ではありません。
 単に『みんなと一緒にいたい』という思いなのですから。
 何かを成し遂げるための結束ができない時代に、進むべき道を指し示すのが、過激な宗教やナショナリズムです。
 それは、しばしば危険な道なのですが


 個人個人が自由になり、考え、行動する枠がなくなってくると、かえって不安になる。
 その事情は、かつて、エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で明らかにした。
 彼は、ヨーロッパで中世社会が崩壊し教会も階級も権威を失った時、人びとが新たな権威を探さないではいられない様子を描いた。
 新たな衣をまとった神が登場し、救済される人間と救済されない人間を分けるので、救済される側に入れば安心が与えられる。
 同様に、自由であれば優秀である人間は優秀でない人間より上位に立てるのだが、能力による勝利を目指す方向は、ナチズムの「優性」思想にまで行ってしまった。
 日本における「勝ち組」「負け組」という軽薄な言葉や、韓国やインドにおける異様な学歴競争などは、人間を二分しようとする行き過ぎた自由競争の歪みを顕わにしている。

 現代人の不安はもっと先に来ている。
 かつて村上陽一郎は書いた。
 ニュートンなどの時代はこうだった。
「彼らの自然についての知識を、信ずる神の作品の内部に刻まれた造り手の計画を知り、その栄光を讃えることを目的として、追求し続けていた」(『科学で人間は判ったか』より)
 やがて自由思想家たちが現れ、こうなった。
「知識は、神の意志を知りその栄光を讃えるためではなく、人間に現実的な幸福をもたらす能力を備えたものとして、世俗的に追求されることになった」
 それでもなお、科学が求める真理の絶対性は神の絶対性に結びついていたが、科学の発展はキリスト教のドグマに多くの矛盾や疑問を見つけさせ、〈まず信じよ〉という宗教は権威を喪失しつつある。
 また、量子力学や心理学や生命科学の発展は、カチッと完全に構成された世界のイメージではなく、さまざまな面で境界のあいまいな世界と人間のありようを浮き彫りにしつつあり、これにすがれば大丈夫という絶対神の存在をますます危うくしつつある。
 花形の開発は、兵器と発電という恐るべき鬼子たちを生み出してしまった。
 神にはすがれず、科学もその発展だけでは人間に幸不幸のどちらをもたらすかわからない

 こうした現代に『周囲の人々と共通の価値観を持ちたい』『集団のアイデンティティーに戻りたい』という欲求が生じた。
 今、「過激な宗教やナショナリズム」がそれに応えようとしているが……。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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