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2015
09.11

ああ、自衛隊員の方々! ―トルストイと災害―

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〈ネット上からお借りして加工しました〉

 明治37年、日露戦争の勃発を受け、77才のトルストイは、ロンドン・タイムス紙へ『悔い改めよ』という一文を発表した。
 石川啄木は、それについてこう記している。

「当時の論客の意見としては、平民新聞の記者が笑ったように、どれも皆『非戦論はロシアには好都合だろうが、日本にとってはよくない』という論調だった。
 そして、いわゆる愛国者の一人が『トルストイ爺さんは日本とロシアを同じように見ている。不幸にして、日本の実情が爺さんの住んでいるところへ伝えられていないために、爺さんが日本を非難する言葉を発するに至ったことは、まことに悲しい』と言った時、記者はこのように一矢を報いた。
 いわく『そうではないよ。爺さんが日本の実情をもっとよく知っていたならば、日本を攻撃する筆致はさらに鋭くなっていただろうに』」

 以下、啄木の書いた原文である。

「當時の日本論客の意見は、平民新聞記者の笑つた如く、何れも皆『非戰論は露西亞には適切だが、日本には宜しくない。』といふ事に歸着したのである。
 さうして彼等愛國家の中の一人が、『翁は我が日本を見て露國と同一となす。不幸にして我が國情の充分に彼の地に傳へられざりし爲、翁をして非難の言を放たしめたるは吾人の悲しむ所なり。』と言つた時、同じ記者の酬いた一矢はかうであつた。
 曰く、「否、翁にして日本の國情を知悉せば、更に日本攻撃の筆鋒鋭利を加へしことならん。」

 
 トルストイはこんなふうに書いたのだ。

「祈祷、説教、激励、行列、画、新聞などに気違いにされた、大砲の餌食たる、数万の人間は、一様な服装、一様な殺人道具を携え、両親や妻子をおいて、心に苦痛を感じながら、しかも徒(イタズラ)な勇気を以て、戦場に出掛け、死の危険を冒して、自分が知りもせねば、自分に何の害もしない人を殺す、最も恐ろしい仕事をやるのである。」

「私は神の命じ給う事以外には身を処し得ない。
 なぜかなれば、私は人として、直接にも又間接にも処置にても、援助にても、又鼓舞を以てしても、戦争に干与することはできない。
 私には出来ない、欲しない、又そうはなれない、という外はない。」


 災害に苦しむ私たちを救ってくださる自衛隊員たちの神々(コウゴウ)しい姿に手を合わせればこそ、彼らを戦地へ送りたくないという願いは強くなるばかりである。




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2014
10.05

死ねば無になりますか?死は苦しいですか? ―hasunohaへの回答について(9)―

201410050002.jpg

 僧侶への質問コーナーhasunohaに寄せられた質問の骨子です。

ねば無になりますか?は苦しいですか?」

 以下は、当山からの回答です。

 お釈迦様もお大師様もダライ・ラマ法王も、輪廻転生つまり生まれ変わりを説いておられ、んでも「無」にはなりません。

 ダライ・ラマ法王です。

とは古い衣服を着替えるようなものである。
 肉体が滅びた後も、生命そのものは無限の時間を生き続ける」


 御嶽山の噴火で重なり合うように亡くなられた恋人二人へ、多くの人々が「あの世でも一緒であって欲しい」と願うのは、私たちが二人はんでも無にならないと直感しているからです。
 四十九日忌や三回忌などの法要を行うのも、者は無にならないからです。
 亡くなられた方々を送る仕事をしていると、ご縁の方々と共に涙の中で感じとる人生の真実にも山ほど出会います。

 ソクラテスです。

「私は本当に再生があるという確信を持っている。
 死から生命が生まれ、死者の魂が存在していると思っている」


 トルストイです。

「我々が現世で無数の夢を見ているように、現世もまた無数の人生のうちのほんのひとつにすぎない。
 我々はよりリアルな人生から、現世へやってきて、死後、再び元に戻る。
 現世とはよりリアルな人生の夢の一つに過ぎない。
 その夢は果てしなく続く。
 最後の人生、真にリアルな人生、すなわち神の生命に到達するまで」


 ノーベル賞を受賞した物理学者ニールス・ボーアです。

「意識は自然の一部、またはもっと一般的に言えば、事実の一部に違いない。
 それゆえ意識は、量子論の中に規定されているように、物理学や化学の法則とは全くかけ離れているということであり、我々は全然別個の法則を考えるしかない」


 詳しくは、ブログ『想いの記』にある「ダライ・ラマ法王『死の謎を説く』を読む」などをご覧ください。

 医師で小説家の久坂部羊氏はこう述べています。

「死はごく当たり前のことで、死ぬ間際に取り乱したり、泣き叫ぶ人はいないし(病死や老衰の場合は、そんな力は残っていない)。死んだあとは、だれしも等しく安らかな表情になる。
 当人にとっては、死は目覚めることのない深い眠りと同じで、何も感じることがない。
 だから、恐怖もないのである」
「死の恐怖が過剰になると、冷静な判断が鈍り、必要以上に健康と安全を求めてしまう。
 その結果、逆に健康を損ねたり、よけいな煩いを抱え込んだりしてしまう」
「どうせ死ぬなら、上手に最期を迎える準備をしたほうがいい。
 そのために、私はかけがえのない『今』を大切に生きようと思っている」


 どうぞ真摯に生きられますよう。合掌

 hasunohaへ書ききれなかった言葉をもう少しつけ加えましょう。

 ビートルズのジョージ・ハリスンです。

「友人は過去世で会った魂たちです。
 そのためにお互いに引き合うのです。
 僕は友人についてそう考えています。
 たった一日しか出会っていないとしても、それはどうでもいいことなんです。
 僕とその友人たちが会うということは、以前どこかで会ったに違いないのですから。
 彼らと親しくなるまで、二年間待つなんてことはできません。
 そうでしょう?」


 物理学者ベンジャミン・フランクリンです。

「この世に生きている私自身を見て、私は、形は変わるかも知れないが、常に存在していると信じて疑わない」






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2014
09.07

友人にふりまわされる心の弱さをどうするか? ―hasunohaへの回答について(3)―

201409070001.jpg

 僧侶への質問コーナーhasunohaに寄せられた質問の骨子です。
「仲のよかった友だちからきつい言葉を投げかけられてとまどっています。
 私の心が弱いせいでしょうか?」

 当山からの回答です。
「心は刻々と変化して止まりません。
 相手の心も、自分の心も。
 自分が一瞬後に何を考えているのかが予測できないのだから、相手の心がどう動くかはより、わかりようがありません。
 だから、〈あてにできない〉のです。
 では、太宰治の『走れメロス』は空想でしかないのか?
 そうではありません。
 メロスのように、自分で意を固め、やり通すことは自分でできるからです。
 これも、結果が出るまで、どうなるか不明ではありますが、少なくとも意を保っている間は、揺るがぬものと共にあることはできます。
 私たちがどうにか〈あてにできる〉ものをと言います。
 これを持てれば、周囲の人々の変化に惑わされず、悩まされなくなります。
 それどころか、絶えざる変化は、知らぬ間に忍耐力を強め、人間というものの全体像を観察させ、勇気や感動を与え、をより堅固にしてもくれます。
 変化の中でこそ、私たちは成長できるのです。
 貴方様は、早めにこのことを知る機会に恵まれました。
 どうぞ、相手を怨まず、自信をなくさず、今の自分にとって、〈一人の人間として他ならぬ自分のなすべきこと〉は何なのかを考えてみてください。
 何しろ、あてになるのはそこに生まれる意だけなのですから。
 いかにささやかなものであれ、を持って生きていれば、事に応じ、状況に応じて、時には笑顔で語り、時には言い返し、時には黙って耐えられるようになることでしょう。
 一歩、一歩と向上の道を歩みましょう。
 誠実な貴方様へ仏神のご加護がありますよう。」

 筋金入りの志を1つ、追加しておきます。
 弁護士ガンジーは南アフリカで23年間も人種差別撤廃運動を行っていました。
 方法は無抵抗・非暴力です。
 80才になったトルストイは、ガンジーへ送る最後の手紙に書きました。

「あなたの雑誌『インディアン・オピニオン』を受け取りました。
 そこに書かれている無抵抗主義の人々のことを知り、喜んでいます。
 そこで私の心に生まれた考えをあなたに聞いていただきたくなりました。
 それは『無抵抗』と呼ばれていることは、愛の法則に他ならないということです。
 愛は人間の生活の最高にして唯一の法則であり、このことは誰でも心の奥底で感じていることです。
 私たちは子供の中にそれを一番明瞭に見出します。
 愛の法則はひとたび『抵抗』という名のもとでの暴力が認められると無価値となり、そこには権力という法則だけが存在します。
 ですから私はこの世の果てと思われるトランスヴァールでのあなたの活動こそ、現在世界で行われているあらゆる活動の中の最も重要なものと信じます。」


 ガンジーは第一次世界大戦中にインドへ戻り、農業労働者の待遇改善など地道な努力を重ねていましたが、転換点がやってきます。
 イギリスの植民地だったインドは、150万人ものインド人が戦争にかり出された代償にイギリスから自治権を与えると約束されていました。
 ところが、戦争が終わるや否や、掌を返したイギリス政府が民族運動を禁止する「ローラット法」を制定したため、1919年4月13日、北インドのアムリットサルにおいて、女性や子供も含めた非暴力の抗議行動が行われました。
 これに対して、イギリス政府に命じられたグルカ人やイスラム教徒の部隊は無差別発砲を行い、千人を越える死傷者が出ました。
 いわゆる「アムリットサル事件」です。
 抗議の意志を明確にするため、アジア人として初のノーベル賞受賞者となっていたタゴールは爵位を、ガンジーは勲章をイギリスへ返還しました。
 事件をきっかけとして、4月4日に最初の断食を開始していたガンジー非暴力(アヒンサー)を手段とする不服従運動は、インド全体へ拡大してゆきます。
 ガンジーの「魂の全力を暴虐なる意志へ対抗させる」との堅固な意志は、イスラム教徒とヒンズー教徒の対立などにも苦しんでいたインドの人々を〈独立〉という共通の目標へ向かって結集させました。
 目標と方法を定め、先頭に立って実践したガンジーの志は、今でも私たちの魂へ響いてきます。

 ガンジーの志の前では、いつしか、宗教対立も民族対立も消えてしまいました。
 実に、志こそが〈あてになるもの〉であり、私たちは自分の全存在をそれにかけることすらできます。
 まず、何か、身近なことからでも、こうありたいというよき変化を求め、決めて実行することを始めようではありませんか。




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2013
08.15

君死にたまふことなかれ

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 明治37年(1904年)、日露戦争の勃発にあたり、76才のトルストイは反戦の論陣を張った。
 歌人与謝野晶子は同年9月、出征した弟へ、『君死にたまふことなかれ』をもって「死んではならない」と呼びかけ、戦争反対を叫んだ。
 忘れてはならない絶唱である。
 

君死にたまふことなかれ

あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

堺(さかひ)の街のあきびとの
舊家(きうか)をほこるあるじにて
親の名を繼ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。

あゝをとうとよ、戰ひに
君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守(も)り、
安(やす)しと聞ける大御代も
母のしら髮はまさりぬる。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にひづま)を、
君わするるや、思へるや、
十月(とつき)も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。


 与謝野晶子は、猛烈な攻撃を受けた。
 しかし、『ひらきぶみ』を発表し、「歌はまことの心をまことの声に出してつくるもの」と主張した。
 まことの心、まことの声が圧殺される時、人間の世界は人間の世界でなくなる。
 真の思い、真の魂の叫びに接して、自分をふり返り、社会をふり返りたい。




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2012
04.09

よく生きるには ─因果応報とトルストイの水車─

1 善行がなかなか報いられず、苦しい運命を生きている方

 それは、過去世の悪行の結果と考えられます。
 ここで愚癡を言い、不平不満をすべて世の中や誰かのせいにしてしまうのはいかがなものでしょうか。
 自分に起こっている過酷な運命の余波を周囲へも及ぼし、苦の種を飛散させ、ますます道を切り拓くのが難しくなったりしかねません。
 苦しくとも悪行へ走らず、周囲のため、子孫のため、自分の後世のために精進しているのであると心を定め、じっと善行を続けましょう。
 もちろん、悪行は個人的なものもあり、社会的なものもあります。
 だから、善行は個人的に、あるいは社会的に考え、実践したいものです。

2 悪行に潰されず、楽な運命を生きている方

 それは、前世の善行の結果と考えられます。
 ここでますます良い気になり、実力や運気の強さを過信したりするのはいかがなものでしょうか。
 過去世の善行は決して〈打ち出の小槌〉ではなく、いつ、運気が反転し、悪行が表面化して罪相応の罰がくだるかわかりません。
 自分が行った悪行への知らぬふりをやめ、早く、これまでの悪しき因縁を清める生き方へと転換しましょう。
 もちろん、悪しき因縁は個人的に生じるものもあり、社会的な面を持つものもあります。
 だから、悪しき因縁は個人的に、あるいは社会的に清めて行きたいものです。


3 善行も悪行も、業(ゴウ)となって溜め込まれる心の器

 善きにつけ、悪しきにつけ、身口意(シンクイ…身体・口・意識)をはたらかせて過ごした時間は巻き戻せません。
 身体で善きことを行えば善き業が心の器へ積まれ、口で悪しき言葉を吐けば悪しき業が心の器へ積まれます。
 やがて時間の経過と共に器から業があふれ出し、善き業は善き因となって善き果をもたらし、悪しき業は悪しき因となって悪しき結果をもたらします。

 私たち凡夫は誰しも、意図するとしないとにかかわらず悪しき業を積んでいます。
 それが自他へ悪しき果をもたらさないようにするためには、心を温かくし、智慧をもって徳を積みながら生きることで悪業のはたらきを抑えるのです。
 身口意で偽りのない生き方をし、徳の力で悪業のはたらきを消滅させるのです。
 そうしていれば、もしも過去の悪業の果がたった今、現れたとしても懺悔をもって受けとめられ、運命転化がしやすくなります。

4 トルストイ水車

 トルストイは、『人生論』の冒頭で有名なたとえ話をしています。
 昔、水車屋が粉をひいていた時代がありました。
 代々成功していた水車屋は、伝統的に水車と粉ひき機の扱い方を知っていたので一族が生きてこられました。
 ところがある時、後を嗣いだ男が機械そのものに興味を持ち、構造の研究を始めました。
 そのうちに、そのうちに関心は水門や堤へと拡大し、ついに川そのものの研究に没頭するようになり、とうとう巧みな扱い方は忘れ去られました。
 周囲の人々は注意しましたが、水車屋は自分の考え方が正しいと譲りませんでした。
 そこでトルストイは言います。
「有意義な活動と無意味な活動を区別することは、重要さの程度に従って配列された論証によるほかない」
「粉屋の目的は良い粉を作るのにある。
 この目的からして、他の車輪、堤、川についての彼の推理の最も明確な配置や順序を決定すべきであろう」
「人生は人が研究しようとする水車に等しい。
 人生はこれを善くせんがためにのみ必要である。
 で、人はただ、人生を善くせんがためにのみ、これを研究する」

5 よく生きる

 私たちは自然に「よく生きたい」と思います。
 その「よく」の内容は人それぞれです。
「佳」であれば味わいのある人生であり、「良」であれ恵まれた人生であり、「善」であれば正しい人生でしょうか。
 また、「義」であればまっとうな人生であり、「吉」であれば幸せな人生であり、「好」であれば自由な人生でしょうか。
 中には「酔」のイメージを持っている方もおられることでしょう。
 いずれにしても、私たちは自分なりの〈水車〉をきちんとしておかねばなりません。
 さもないと、イメージの方向へは逝けません。
 ここに書いた1と2と3は、どこへ向かう場合にも通じる、み仏の示された思考法です。
 一孝し、よく生きるために役立てていただきたいと願っています。

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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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