FC2ブログ
2016
08.01

普通に生活しながら幸せになる方法 ─身近な十善戒─

2016-08-01-0001.jpg

 お大師様は、普通の生活をしながら幸せになるための方法として、お釈迦様が説いた十善戒を挙げられました。
 気ままな人が「あっ、これではいけない」と気づいた時点で実践できると説かれました。
「」内は原文の読み下しです。

1  不殺生(フセッショウ)

 無益な殺生をせず、恨み辛みを離れ、他へ思いやりを持てば、健康で長生きし、神々も護ってくれる。
「殺(サツ)と怨恨を離れて利慈(リジ)を生ずれば、端正長命にして諸天護る」

2  不偸盗(フチュウトウ)

 自分へ与えられていないものを手にせず、持っているものに感謝して他へ施せば、財産を失わず、安心して天上界に生まれ変わる。
「盗(トウ)せず知足(チソク)にして衆生(シュジョウ)に施せば、資材壊せずして天上に生ず」

3  不邪淫(フジャイン)

 みさかいなく異姓を求めず、接して問題のない伴侶を愛おしめば、安心の基が固まって迷いを脱し、生き死にの覚悟が固まる。
「邪妄(ジャモウ)を遠離(オンリ)して染心(ゼンシン)なければ、自妻に知足(チソク)せり況(イワ)んや他女をや。
 所有の妻侵奪(シンダツ)せられず、是(コ)れ圓寂(エンジャク)の器にして生死(ショウジ)を出ず」

4  不妄語(フモウゴ)

 偽りの言葉を発しない者の言葉にはいつも実(ジツ)があり、周囲の者は皆信じて手を貸し、王のような権力をふるわずとも、人徳が人もモノも集める。
「妄語(モウゴ)せざる者は常に実言なり、一切皆信じて供すること王の如(ゴト)し」

5  不綺語(フキゴ)

 人の道を考えて中身のある言葉を用い、つまらぬ飾り言葉を用いなければ、仏神でなくとも、人々から深い尊敬を受ける。
「恩道義語にして綺語(キゴ)を離るれば、現身(ウツシミ)に即ち諸人(モロビト)の敬を得」

6  不悪口(フアック)

 粗暴で他を傷つけるような言葉を使わず、思いやりのある言葉を用いれば、穏やかなたたずまいが周囲へ安心や安らぎを与える。
「諸(モロモロ)の悪口(アック)を離れて柔軟(ニュウナン)の語なれば、勝妙(ショウミョウ)の色(シキ)を得て人皆慰(ヤス)んず」

7  不両舌(フリョウゼツ)

 二枚舌を用いず、他を仲違いさせなければ、親族も友人も組織も一致団結してよくまとまり、権力者も魔ものも親和を破ることはできない。
「両舌(リョウゼツ)の語を離れて離間(リケン)することなくんば、親疎(シンソ)堅固にして怨(オン)の破るなし」

8  不慳貪(フケンドン)

 他の財物を羨まず、分(ブン)以上の財物を求めなければ、自分にとって尊い宝ものや必要なものは得られ、死後も天界で恵まれる。
「他の財を貪(トン)せず心に願わざれば、現に珠宝(ジュホウ)を得て後に天に生ず」

9  不瞋恚(フシンニ)

 つまらぬ怒りを離れて他を許し、恨まなければ、誰からも愛され、王のようにあらゆるものに恵まれて、死後は天界へ行ける。 
「瞋(シン)を離れて慈を生ずれば、一切に愛され、輪王(リンノウ)の七宝(シッポウ)此(コレ)によって得(ウ)」

10 不邪見(フジャケン)

 道理に反する邪(ヨコシマ)な見解を持たず、正しい道を歩めばそのままに生き仏であり、自己中心的な迷いや苦しみを離れきる。
「邪見(ジャケン)を離れて正道に住するは、是(コ)れ、菩提(ボダイ)の人なり、煩悩(ボンノウ)を断ず」

 どうでしょう。
 できそうではないでしょうか。
 悪い心に負けそうになったら、守本尊様の真言を唱えたり、お大師様の御宝号「南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)」を唱えたりしましょう。
 あるいは、いつも祈っている神様や仏様へご加護を願いましょう。
 私たちの心中には必ずみ仏がおられます。
 できないはずはありません。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



スポンサーサイト
2016
05.09

ミケ子はキジを獲り、人は人を殺す ─本来の仏が迷う姿─

2016-05-09-0001.jpg

 妻が騒いでいる。
「ミケ子がキジを獲ったみたいだよ」
 あり得ると思った。
 何しろ、小型でおっとりしているクロでさえ、かつてはスズメやモグラを獲って意気揚々と玄関へ運んで来たものだ。
 情報は、キジが歩いていたあたりでミケ子がウロウロしているという極めて曖昧なものだったので、それ以上の詮索はやめた。

 なぜか、最近、聴いた話を思い出した。
 かつてイラン・イラク戦争のおり、崩壊したイランのパーレビ王朝関係者がジャングルに亡命していて、侵攻したイラク軍兵士の暴虐ぶりを目にした。
 兵士たちはイランの女性を集めて暴行し、最後は一人づつコモにくるんで全員を爆殺した。
 飛んで来た肉片が近くへ落ち、この世の光景とは思えないものを見た彼は心のどこかが壊れ、時にはむやみと他人へ優しくするが、時には平然と冷酷な行動をとるようになったという。

 ケモノは節理に従うのみ。
 人間は真理道理に合わせるか、合わせないか、迷う。
 慈雲尊者(ジウンソンジャ)は不殺生について説いた。
 

「一切衆生(シュジョウ)は我が子なるによって、一切有命(ウミョウ)の者に対すれば不殺生となる。
 一切有命の者が眼に遮(サエギ)れば必ず慈悲心生ず。
 この菩薩(ボサツ)の心をと名づく。
 この菩薩の心、衆生に本来具有のものなれど煩悩(ボンノウ)・業障(ゴッショウ)の深厚(ジンコウ)なるによって現ぜぬまでなり。」


(いっさいの生きとし生けるものは、我が子同様に、み仏からいのちを分けいただいた者同士であり、この心で生きとし生けるもののに接すれば不殺生という律の実践者となる。
 生きとし生けるものが目に入れば必ず思いやりの心が生ずる。
 おのづからそうなった菩薩の心が、の成就である。
 この菩薩の心は、生きとし生けるものを代表する人間には本来的に具わっているものだが、自己中心的な煩悩と、悪行の悪しき影響力、そしてそれが招く障りによって表れにくくなっているのである)

「もし残忍の心をたくましくして、罪なき者をことさらに殺害して、極大(ゴクダイ)の苦悩怨恨を生ぜしむる。
 この時、業(ゴウ)の種子(シュウジ)が成就して、他時異日(イジツ)、我が身に集まる。
 無しと言われず。」


(もしも残忍の心を逞しくし、何ら罪のない者をわざと殺害して、この上ない苦悩と怨恨を生ぜしめたとしよう。
 その時は、悪しき影響力の核がはたらき、やがて悪しき結果がその者の一身に集まる。
 因果応報は避けられない)

「殺生の、人道に背き、天命に背き、正道理に違うことを知り、みだりに殺さずみだりに悩まさぬが、世間相応の持者。
 殺生の業果(ゴウカ)空(ムナ)しからぬを信じ、殺さず悩まさず、憎み恨まぬが、出世間少分相応の浄持戒者なり。」


(殺生が人道に背き、天命に背き、人間としての正しい道理に違うことを知り、他の生きとし生けるものをみだりに殺したり苦しめたりしないのが、一般世間における持戒者である。
 殺生の悪業が因果応報の理によって必ず悪しき報いを生じさせると信じ、他の生きとし生けるものを殺さず、苦しめず、憎まず、恨まないのが、出家の立場としては、最低限度、資格が保たれる持戒者と言える)

「人間に生まれしことの尊重なるを憶念するは、道に達する要津(ヨウシン)なり。
 自ら自己人身に尊重の心あれば、自暴自棄の患(ワズラ)い無し。
 更に、微細の虫蟻に至るまで本性の平等なるに達す、これを不殺生戒全きと名づく。」


(人間として生まれた事実そのものの尊さ、重さを肝に銘じて忘れないのが仏道を成就するための要点である。
 み仏から授かった我が身を尊重する心があれば、何があっても自暴自棄になるおそれはない。
 さらに小さな虫や蟻までもが尊いいのちを授かった者として皆、平等であると知って害さず、苦しめないのが、不殺生戒を完全に成就した状態である)
 

「人たる道に背き清浄妙心の中に地獄を建立す。
 大火を現ず。
 大水を現ず。
 仏と異ならぬ心を持ちつつ、自ら迷うて業相(ゴッソウ)の姿を構え、ここに死しては彼に生じ、しばらくも定かならず。
 生もなく滅もなき場所に、自(ミズカ)ら生死(ショウジ)を構えて種々に顛倒(テンドウ)す。
 自己心中に大安楽のあるを知らず迷うなり。」


(人間の人間たる道に背き、本来清浄で精妙な心の中に自分で地獄を現出させてしまう。
 無限の火炎地獄を生じさせる。
 無限の寒氷地獄を生じさせる。
 本来、み仏の子としての心を持っているにもかかわらず、自分から迷って悪業の結果として生じた姿になり、ここで死んだかと思えば、あそこに生まれ、迷いの世界を転々として彷徨うばかりである。
 本来、生死を超えた存在であることに気づかず、自分から生き死にの苦を招き、いのちを真理に反した形ではたらかせる。
 自分の心中に、無限の安楽があることを知らず、迷っている)




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2015
12.11

慈雲尊者が説いた戒めの効能(その1) ─十善戒と空(クウ)の話─

2015121100012.jpg

 江戸時代の傑僧慈雲尊者(ジウンソンジャ)は、十善戒に導かれた生き方の効能を述べています。

1 不殺生(フセッショウ)戒

「たとえ敵や害虫などに遭遇しても、慈悲心をもって接することができるようになる。
 そうすると無体に攻撃してくる者との縁が薄くなり、自己中心から他を害する心も起こらなくなる」

 もちろん、敵からは身を守らねばなりませんが、その場合ですらも、単に「この野郎!」と恐怖と怒りに任せて戦うのでなく、心のどこかに哀れみを持ちつつの防御となることでしょう。
 作家曽野綾子氏はかつて、泥棒に出くわした時、こんなことをしてはいけませんと諭して帰らせました。
 敬虔なキリスト教徒としての生活がそうさせたのでしょう。
 むやみにいのちあるものを害さないという思いやりの心は、宗教の如何を問わず、根本から自他を救います。

2 不偸盗(フチュウトウ)戒

「社会的立場などを利用した賄賂などの不当な要求をしなくなる。
 そうすると、強盗や窃盗などによって自分の財産も奪われにくくなり、自分もまた、奪わなくなる」

 自分へ本来、与えられていないモノを好き勝手にしようとするのが盗みです。
 ここのところ相次いで、土木・建築関係の手抜き工事や食品・薬品関係のルール違反などが明るみに出ました。
 不当に得る悪業(アクゴウ)は必ずツケが回ってきます。
 たとえ強盗や窃盗に遭わなくとも、因果応報の報いは受けねばなりません。

3 不邪淫(フジャイン)戒

「誰かと男女関係が成立している異性に対して、勝手に接触を求め、執着しないようになる。
 非倫理的で誰かを傷つける関係を求める者は寄りつかなくなり、自分もそうしないようになる」

 恋に落ちると言うとおり、異性を好きになる恋愛感情は、ものの道理とは無関係に〈起こってしまう〉ものであり、防ぐことはできません。
 だから、問題は、その感情の扱い方に尽きます。
 きちんとコントロールすれば、自分にとっても相手にとっても人生の味わいを深める佳い体験になり得ますが、煩悩(ボンノウ)のままにふるまえば、ろくなことにならず、老いて死を間近に感じる頃には取り返しのつかない後悔の念に襲われることでしょう。

4 不妄語(フモウゴ)戒

「用いる言葉はすべて真理に従い、正しくなる。
 嘘偽りやインチキな書面で騙そうとする者が寄りつかなくなるし、自分も誰かを騙せなくなる」

 自分の言葉に注意をはらっている人は、他者の言葉にも注意深くなるものです。
 ただ疑い深ければ騙されないというわけではありません。
 他人を悪者扱いするより先に、自分自身が常々どうなのか、言葉づかいに気をつけるようにしましょう。

5 不綺語(フキゴ)戒

「言葉に虚飾がなくなる。
 駄洒落、無意味なおしゃべり、時間つぶしの稽古事などに縁がなくなる」

 人生は時間です。
 時間が創造的に用いられてこそ、人生は活き活きしたものになります。
 もちろん、仕事の成功であっても、家庭の平安であっても、趣味の探求であっても、何かの結果をつかむためには休息も準備も気分転換も必要であり、そうした時間も含めて自分はどう過ごしているか、振り返ってみたいものです。

○過ちを犯さないようになるには?

 私たちが十善戒に背く過ちを犯す理由の一つは、〈自分〉の絶対視にあります。
 よく用いられる数珠の例えはこうです。
 108個の珠が集まって一本の数珠になりますが、数珠とはその全体に対して与えられた名称であり、珠の一個一個、どれをもってしても、数珠であるとは言えません。
 私たちは、数珠の全体に対してそう思い、そう呼んでいるに過ぎません。
 私たち自身をふり返ってみても同じです。
 指や足など、どこをとっても〈自分〉そのものではなく、たとえ大好きな恋人であっても同じです。
 恋人の髪一本すらも愛しく感じますが、では髪を切ったなら、あるいは病気で失ったなら、恋人は〈減る〉のでしょうか?
 自分も恋人も、地や骨のように固いもの・水や血液のように流れるもの・火や体温のように温かいもの・風や呼吸のように通り抜けるもの・それらが互いに妨げず自在にはたらくバランスのとれた場としての(クウ)・精神という6つの構成要素によって存在しています。
 これを六大(ロクダイ)と言います。
 また、自分も恋人も、身体を含む物質・感受作用・表象作用・意志作用・認識作用が集まって存在しています。
 これを五蘊(ゴウン)と言います。
 そして、これらが全部、たまたま、因と縁によってうまい具合にまとまっていればこそ、その結果として自分も恋人も居るに過ぎません。
 また、身体を構成している数十兆もの細胞は数年ですべて入れ替わりますが、そうすると、大人になった人は子どもの頃とは別人でしょうか?
 あるいは、医者になる決心をしていた子供の頃の心と、教師になってはたらいている今の心は別ものでしょうか?
 自分とは実にファジーな存在です。

 私たちは、普段、何気なく〈居る〉と思っている〈自分〉ですが、このようによく考えてみると、諸条件の集まりによってガラス細工のように、海辺の砂山のように、危うく存在しているだけであると気づきます。
 確たる不変の実体があっての自分ではありません。
 この気づきが、(クウ)を知る入り口です。

 もちろん、自分は(クウ)だからといって、「去年の自分はどこにもいないので、今の自分には関係ありません」と去年の約束を反故にできるわけではありません。
 大切なのは、自分にも恋人にも何ものにも、〈普段のありよう〉と〈究極のありよう〉との二面があるのを忘れないことです。
 そうすると、普段のやり方で行き詰まった時、究極の観方から、思わぬ打開策が見出されたりします。
 自分の絶対視、何かの絶対視というものの本質に背いた無理な観方から生じた壁が、嘘のように消えたりもします。

 自然に、妄りな殺生、盗み、不貞、嘘、おべんちゃらなどから離れることにもなるはずです。
 十善戒を唱える修行と(クウ)を観る自覚によって、自他の苦を克服したいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2015
10.10

不殺生の心がけ ―与楽、抜苦、ほどを知る―

2015101000012.jpg
不殺生の心を育むもの〉

 不殺生戒には三つのレベルがあるとされています。
 そもそも、仏教では、上品(ジョウボン…上級者)、中品(チュウボン…中級者)、下品(ゲボン…初心者)といった形で説く場合がたくさんあります。
 
 さて三つはどうなっているでしょうか?

1 上品

 とにかく、思いやる心で生きることです。
 それには感謝が出発点になります。
 ありがたいと思う心によって、自分も、誰かがありがたいと思うような行動ができるようになります。
 感謝は清浄な鏡のようなものであり、思いやりは、その鏡が発する光のようなものであると言えるかも知れません。
 そこで、人の子に生まれたならばまず、生み、育ててくれた父母の恩を思い、忘れずに生きましょう。
 また、先生や先輩や上司など、人生の各場面でお導きくださる方々の恩も忘れてはなりません。
 ありがたいと思う心で眺めれば、ネコもカラスも皆、安楽に生きたいと願い、殺されることを怖れ、親は子を養っていることに気づきます。
 慈しみがあるのです。
 だから、生きとし生けるものを悩まさず、傷つけず、殺さず、守り育てないではいられません。

 こうして感謝に導かれれば、誰かのためにならないではいられなくなります。

2 中品

 苦しむ者や死に行く者の悲しみやうたれ、哀れと思わないではいられません。
 また、殺される生きものの声を聞き、姿を見ては、哀れを催します。
 自分の子供を育ててようやく、自分の骨身を削って育ててくれた父母のありがたみが身に沁みます。
 子供や部下を育てる中で、大自然や天地万物が垂れる恵みのありがたさに気づきます。
 私たちは哀れで愛おしい存在です。

 こうした感応する心を大切にし、あらゆるものの本質的な哀れさを知れば、苦を除かずにはいられなくなります。

3 下品

 魚を獲る仕事に就いている人は、むやみに獣を殺さぬようにしましょう。
 獣を捕る人は、水に住む魚などをむやみに殺さぬようにしましょう。
 鳥を捕る人は、虫などをむやみに殺さぬようにしましょう。
 釣りをする人は、網での一網打尽を避けましょう。
 むやみと銃や火器などで生きものを殺さぬようにしましょう。
 山を焼かず、池を涸らさぬようにしましょう。
 昼に生きものを殺さねばならないならば夜はやめ、夜に生きものを殺さねばならないならば昼はやめましょう。

 生きものたちのいのちをいただかねば生きられない私たちは、せめて〈一分の〉を心がけ、恩に報いるようにしましょう。

 これが不殺生戒における三つのレベルです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2015
10.08

不殺生の人はどうなるか? ―お釈迦様の約束―

201510030006.jpg

 不殺生戒を念じ、無益な殺生ができない生き方になれば、10の功徳が得られると『大集経(ダイジッキョウ)』に説かれています。

1 どのような生まれをしようと、畏れがない。

 自分の心が慈悲心にあふれていれば、それが周囲の人々に感化を及ぼし、害意を起こさせず、畏れのない平安な日々が送られる。
 しかし、お釈迦様すら二度しか戦争を止められず、故郷の釈迦族は滅ぼされた。
 個々人の善行をたやすく踏みにじる戦争という巨大な悪行はどうしても止めねばならない。

2 どのような生まれをしようと、慈悲心が輝くようになる。


 生きとし生けるものに対して無益な殺生をしないと決心すれば、心中にある仏心が生き生きとはたらき続ける。
 殺生は、貪りか怒りによって愚かな考えが生まれるところに行われる。
 殺すことができず、不殺生戒そのものになって生きれば、貪り、怒り、愚かさが消え、心の核である仏心が遮るものなくはたらく。

3 悪しき習い性を脱する。

 私たちは鉄に錆が生じるのと同じく、悪業(アクゴウ)を積まずにはいられない因縁を背負っているが、戒めに従う清浄な生き方がそうした習い性を削ぎ落とす。
 歯磨きや顔洗いなど生活に習慣的行動があるのと同じく、心にも又、生まれと生活によってさまざまな習慣的はたらきが伴う。
 イジメなどもそうした「パターンの悪しき表れであり、殺せない生き方になれば、無慈悲な考えと行動も消えている。

4 悩みや憂いを離れ、善き決断を行える。

 因果応報の理法により、他のいのちをないがしろにする悪行(アクギョウ)が悩みや憂いをもたらし、善き決断を妨害するが、戒めに従う清浄な生き方は心の黒雲を除き、仏光の中ではっきりとなすべき決断をして善行(ゼンギョウ)に進むことができる。
 悩みや憂いは決して〈外から自分へ襲いかかる〉のではなく、自分の心に生まれ、善心のはたらきを妨げる。
 殺生という最悪の悪行を離れればそれを原因とする悩みや憂いは起こらず、善心は善行を存分に実践させる。

5 寿命をまっとうできる。

 心と環境は互いに影響し合うので、他のいのちを尊ぶならば、自分も生まれ持ったいのち分を尽くして生きられる。
 医師の話を聴くと、感謝し、笑顔を絶やさない人々の中には、科学的判断による確率からすれば考えられないほどの長寿をまっとうする例がいくらもあるという。
 他を慈しまないではいられない心にはきっと、計り知れないほどのエネルギーが隠されているのだろう。

6 神霊のご加護を得る。

 いのちの世界に宿る神霊は、いのちを尊ぶ者を喜び擁護する。
 花に興味のない人は、町並みを眺めても花屋さんが目に入らないかも知れない。
 人であれ、花であれ、山であれ、いのちに不思議さを感じ、精霊や神霊など異次元を感じとれる人はきっと、感得した何ものかから、非日常的なエネルギーをもらえるのだろう。

7 寝ても醒めても安穏で、悪夢に悩まされない。

 戒めに従う清浄な生き方は、周囲から守り育てる徳を集め、護られるので、いつも安心である。
 殺人犯が悪夢にうなされて自白したり、発狂したり、あるいは自殺してしまうといった例は数限りない。
 他者のいのちに手をかけない人には、そういった心配のあろうはずがない。

8 怨みや復讐を受けない。

 殺さず、害さない行いは、周囲に怨みや復讐心を起こさせない。
 日本では5世紀あたりから明治の初めまで仇討ちが社会に認められ、理由の如何を問わず、人を殺せば報いとして殺される可能性が現実的にあった。
 菊地寛著『恩讐の彼方に』は、敵対する同士の心の交流で制度的復讐としての殺人を超越した名作である。

9 地獄界や餓鬼界や畜生界に転生しない。

 慈悲心にあふれている人は、この世でも、あの世でも、殺生と無慈悲の風が吹き荒れる地獄界や餓鬼界や畜生界と縁にならない。
 出口の見えない地獄や、貪りたいの貪れない餓鬼や、咬み合う畜生にならないためには、その最も強力な原因である殺生とまず無縁にならねばならない。
 殺せず慈しむ人は決して、地獄の住人にならない。

10 死後、人間界か天界へ転生する。

 殺し害する心がなければ心身が優しい姿であり、頭に堅い角はなく、口に尖った牙はなく、手に鋭い爪もなく、慈悲心を持った者として生まれ変わる。
 人間界には争いがあり、天界の神々にも他の世界へ行かねばならぬ寿命はあるが、他を傷つける姿をしてはいない。
 あとは、心にも、口にも、手にも武器を持たぬことである。 

 どうでしょう。
 お釈迦様がありとあらゆる仏菩薩を集めてこう説かれたのです。
 共に、不殺生を念じませんか?




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



back-to-top