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2016
11.24

被災者へのイジメ ─東日本大震災被災の記(第188回)─

2016-11-11-0271.jpg
〈共に咲く四国霊場の花たちのように〉

 福島原発事故により膨大な数の人々が生活を失い、住居を失い、職を失い、友を失い、いのちをも失いつつある。
 転校を余儀なくされた子供たちの行く先には、救いの手ではなく、イジメが待っている。
 かねて指摘されてきたことだが、転居や転校に伴う自死という最悪の事実までが報道されるようになった。
 データ上では子供たちの世界でイジメが増えているわけではなく、報道される機会が増えただけだとも言われる。
 しかし、幾度、報道されてなお、事態があまり改善されていないこともまた事実だろう。

 今回、横浜市でいじめを受けた男子中学生の手記が大きく報道された。

「いつもけられたり、なぐられたり」
「いままでいろんなはなしをしてきたけど(学校は)しんようしてくれなかった」
「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。」


 もはや登校はできなくなったが、「ぼくはいきるときめた」という。

 学校の対応も、教育委員会の対応も遅れに遅れた。
 その背景には、子供を指導する大人の側に巣くう偏見や誤解や無理解があると、各方面から指摘されている。
 それはそうだろうが、背景にはもっと大きな問題があると思う。
 一つは、〈自分だけ〉で生きる感覚の蔓延である。
 もう一つは、〈攻撃〉的心性が野放しになっている子供たちの生活環境である。

 まず、〈自分だけ〉の問題である。
 小さいうちから一人だけで過ごす空間が与えられ、自己中心の感覚が発達し、指導し抑制をかけてくる親や先生を煩わしく感じる。
 周囲と折り合いをつけて円滑にものごとを行う能力が開発されず、軋轢(アツレキ)や対立が起こると、相手を攻撃して自我を通すか、もしくは簡単に周囲との関係を断って逃げようとする。
 そうして大人になった人々の世界も似てきた。
 年をとっても同じである。
 それは心を邪慳にし、共生でしか安心して生きられない人間社会の真実とずれた邪見を育てている。

 もう一つ、〈攻撃〉の問題である。
 子供たちのゲームもマンガも暴力とセックスという二つの刺激に満ちている。
 その典型がセクシーな衣装で剣を手にする女性闘士の姿である。
 これほどまでにほとんどワンパターンの遊びが流行っている理由は一つしかない。
 子供たちをより刺激し、お金を使わせる商売で大人たちが儲けようとしているからだ。
 一方、親は子供になるべく時間をとられず、好きなことをしたり、はたらいたりするために、子供が何かに夢中になっている状況を放置する。
 そうしているうちに、繰り返し繰り返し〈攻撃〉に慣れた子供たちが、たやすく弱い者を攻撃し、勝者の気分を味わって平然としているようになったまでのことではないか。
 なお、韓国では禁止され、世界中で日本だけが異様に流行っているパチンコ店の光景も実に似ていることを無視はできない。
 経済と文化と生活のありように重大な歪みが認められるのではなかろうか。

 無惨な状況に立ち至った真の原因は、人々が自己中心で無慈悲になったところにある。
 私たちが安心して幸せに暮らせる社会を創るためには、共に生きるという生きものの真実に立った考え方や生き方を取り戻すしかない。
 攻撃し勝利するだけの浅薄な快感、弱者を痛めつける陰惨な悦楽よりも、誰かのためになって得られる深く揺るがない喜びにこそ惹かれる価値観や感性を育てねばならない。

 当山は「相互礼拝」「相互供養」の法話を行い、人生相談のおりおりに、親御さんにもお子さんにも「お互いさま」「おかげさま」「ありがとう」の実践を勧めている。
 生きとし生けるものを尊び、共に生かし合う共生と思いやりの心を育てることこそ肝要ではなかろうか。




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2016
04.10

あらためて、原発(核発電)の非人間性を想う ─身近な現実─

2016-04-08-012-008.jpg

〈お大師様へ過去の罪業を詫びて許される衛門三郎〉

 四国から帰山して早々、原発に関する生々しい話を聴き、あらためてその非人間性を想わされた。

1 身近な現実

 Aさんは太陽光発電を計画し、土地の取得をはじめ許認可などの手はずを整えた。
 着手するため、最終的な見積作業に入ったところ、とんでもない事態が待っていた。
 システムから電線を伸ばす電柱を建てるための費用が、当初の数倍に膨れ上がっていた。
 電力会社とかけあっても「資材などの高騰」という決まり文句が返ってくるだけで埒があかない。
 Aさんは、一般からの電力を買いたくない、ソーラーをやらせたくないという電力会社の強い意志をあらためて痛感させられた。
 そして、その後盾となっている政府の原発稼働という方針に強い憤りを感じたという。 
 Aさんは、福島原発事故を起こして間もなく、ドイツのメルケル首相が語った言葉を忘れられない。 
 

「極めて高度な科学技術を持つ国で福島のような事故が起きたのを目の当たりにし、原発には予想しないリスクが生じることを認識した」


 そしてドイツは脱原発に舵を切った。
 安全神話が崩れた日本でも同様な受けとめ方が広がったはずなのに、オリンピック騒動やカジノ構想などの華々しい花火によって、被災者以外の人々の頭から「リスク」の恐ろしさが忘れられつつある。
 企業家であり義侠心もあるAさんは、自分がやらねばと立ち上がったものの、巨大な壁を前にして重大な決断を迫られている。

 Bさんは知人から「どうしても」と頼まれ、社員を福島の事故現場へ派遣した。
 団結力の強い社員たちは、一言の文句も不安も口にせず、でかけた。
 しかし、間もなく、古参幹部から切実な情報が寄せられた。

「社長、実は、福島へ行くと家族に言えない者が何人もいます。
 毎日、別な現場へ行くと言ってでかける彼らの気持を考えるとたまりません。
 社長もおわかりのとおり、現場で一緒にはたらく人々の雰囲気も、あまりに異様です。
 科学的にどの程度、被曝するかという事実よりも、被曝への不安と、事故を起こした原発ではたらかねばならないところまで追いつめられた作業員の切迫感が尋常ではありません。
 被曝など身体の問題はもちろんですが、きっと、心がやられる者が出てきます。
 部下たちがあまりに不憫なので、申し上げました。」

 Bさんは、ただちに派遣を中止したという。

2 河合弘之弁護士の戦略

 テーブルを囲んでの勉強会で河合弘之弁護士から聴いた脱原発への〈戦略〉を思い出した。

○省エネに励もう

 私たちがエネルギーの消費量を減らせば、その分だけ発電施設を用いず、施設を造らないのと同じことにになる。
 アメリカで最も電力を使っているのはペンタゴンであり、30パーセントの削減命令が出されている。
 軍事上の被害のうち30パーセントは燃料補給の段階で発生しているので、限りなく現地調達を目ざしている。
 世界の歴史を眺めれば、資源の奪い合いが大戦争の原因になっており、エネルギーの争いがなくなれば、戦争原因も除去できる。
 現在、諸外国の現状を視察した結果をまとめて、映画「自然エネルギー ─未来からの光と風─」を制作中である。

○自然エネルギーを進めよう

 自然エネルギー産業への労働吸収力を増やせば、原発ジプシーと呼ばれる危険で不安定な雇用の労働者に頼らない経済が確立できる。
 ドイツでは自然エネルギーへの信頼が高まり、すでに、供給電力の30パーセントを超えている。
 自然エネルギー産業儲かる分野として育成し、爆発的発展を引き寄せたい。

○運転を差し止める訴訟を起こし、危険な再稼働を遅らせよう

 東日本大震災前の差し止め訴訟は20連敗だった。
 半世紀にわたって行われてきた「安全安心キャンペーン」が裁判所にも染みついていた。
 福島原発の事故という現実によって、裁判所の気配も変わってきた。
 原発は安全なものとして扱うことができないというあまりにも明らかな事実が認識されるよう訴え続ける。
 また、具体的避難準備ができないうちに再稼働させるのは非人道的であることも重大だ。

3 ジャーナリスト山岡俊介氏の告発

 40年以上にわたって世界中の原発労働者被曝問題を取材してきた山岡俊介氏が福島原発事故から半年後に現場を取材した『福島第一原発潜入記』は、作業員としてはたらく人々の真実を述べている。
 そのエピローグである。

「ボクが原発作業員の生の声にこだわったのは、原子力発電は、事故のときだけでなく、日常的に作業員の被曝リスクのうえに成り立っているという現実を知ってほしかったからだ。」


 上記のBさんの証言も、あまりに生々しい。
 人間の肉体も精神も蝕みつつ発電した電力で、私たちはいったい、いかなる幸せがつかめようか?
 現代人の倫理観が厳しく問われている。
 今回の事故で膨大な被害者が出たように、子々孫々へいったい、どれだけのツケが回ることか……。
 考えるだに恐ろしいではないか。




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2016
02.21

◎第七十三回寺子屋『法楽館』 ―映画「日本と原発 4年後」を鑑賞する会─

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 河合弘之弁護士は映画監督として、仕組みや歴史や福島の事故など、日本における原発のすべてを描きました。
 東日本大震災と福島原発事故から5年が経つ今、現実を直視し、日本のあり方を根底から再考しましょう。

○日時:3月12日(土)午後2時より4時30分まで
○場所:大師山法楽寺講堂(宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1)イス席・駐車場完備
○送迎:地下鉄泉中央駅前「イズミティ21」前より午後1時30分出発
    (乗車を希望される方は必ず前日午後5時までに電話などでお申し込みください)

○日時:3月12日午後5時30分より8時まで
○場所:地下鉄旭ヶ丘駅前「日立システムズホール仙台」研修室3(仙台市青葉区旭ヶ丘3-27-5)

○参加費:大人1000円 中学生以下500円(両会場とも茶菓付き)




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2015
10.26

原発がどんなものか知ってほしい(その7) ―ある技術者の遺言―

201510260007.jpg
〈『法楽農園』は今年の作業を終えました〉

 ここで紹介する『原発がどんなものか知ってほしい』は、原発の建設、検査、配管工事の分野で現場監督を20年以上勤めた技術者平井憲夫氏が書いた〈現場からの報告〉である。
 今回の文章には、風評被害を引き起こしかねない内容や、強い誹謗の表現も含まれているが、資料として読むため、原文のまま掲載した。
 本文の妥当性については、ネット上にも様々な知見があり、ご検討いただきたい。
 なお、平井憲夫氏は平成9年1月に58才で逝去されており、福島原発事故はその14年後に起こっている。

 今回は最終回となる。
 最後に、氏は最も書きにくいと思われることを綴った。
 それは、被曝者、及び被曝者かも知れないと想像される方々へ対する差別意識である。
 そして、自分が被曝者ではなかろうかという不安である。
 こうした文章は、読み手も極めて、読みにくい。
 むろん、氏への批判もさまざまな方面から起こったことだろう。
 氏は当然、批判を覚悟して書いた。
 死に行く者の使命として……。
 読むしかない。
 そして考えるべきことを考え、核問題という文明史上おそらくは最大の試練に対して、自分の良心に恥ずかしくない態度をとるのが、書き遺した氏への供養というものだろう。

(19) 住民の被曝と恐ろしい差別

 日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。
 でもそういうウソがつけなくなったのです。

 原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。
 出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。

 ある女性から手紙が来ました。
 二三歳です。
 便箋に涙の跡がにじんでいました。
「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。
 ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。
 相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。
 でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。
 原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。
 白血病の孫の顔はふびんで見たくない。
 だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。
 私が何か悪いことしましたか」
と書いてありました。
 この娘さんに何の罪がありますか。
 こういう話が方々で起きています。

 この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、
 東京で。
 皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。
 若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。
 こういう差別の話は、言えば差別になる。
 でも言わなければ分からないことなんです。
 原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。
 原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。



(20) 私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。

 最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。
 どこへ行っても、必ずこのお話はしています。
 あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

 その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。
 その中には中学生や高校生もいました。
 原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。

 話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。
 私はその顔を見に来たんだ。
 どんな顔をして来ているのかと。
 今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。
 私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。
 原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。
 私も女の子です。
 年頃になったら結婚もするでしょう。
 私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」
と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。
 でも、誰も答えてあげられない。

「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。
 まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。
 たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」
と。
 ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。
 私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」
と言う。

「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。
 でも私は北海道から逃げない」
って、泣きながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、
「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」
と言います。
「女の子同志ではいつもその話をしている。
 結婚もできない、子どもも産めない」
って。

 担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。

 これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。
 そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。



(21) 原発がある限り、安心できない

 みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。

 チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。
 でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。

 でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。
 もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。

 原発は確かに電気を作っています。
 しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。
 それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。
 出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。

 みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。
 だったら、事故さえ起こさなければいいのか。
 平和利用なのかと。
 そうじゃないでしょう。
 私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。
 それに、安全なことと安心だということは違うんです。
 原発がある限り安心できないのですから。


 それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。
 それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。
 それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。

 そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。

 だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。

 だから、私はお願いしたい。
 朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。
 果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。
 これをどうしても知って欲しいのです。


 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。
 そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っていあす。

 原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。


 作家村上春樹氏の有名な文章を思い出した。

 僕に言わせていただければ、あれは本来は「原子力発電所」ではなく「核発電所」です。
 nuclear=核、atomic power=原子力です。
 ですからnuclear plantは当然「核発電所」と呼ばれるべきなのです。

 そういう名称の微妙な言い換えからして、危険性を国民の目からなんとかそらせようという国の意図が、最初から見えているようです。
「核」というのはおっかない感じがするから、「原子力」にしておけ。
 その方が平和利用っぽいだろう、みたいな。
 そして過疎の(比較的貧しい)地域に電力会社が巨額の金を注ぎ込み、国家が政治力を行使し、その狭い地域だけの合意をもとに核発電所を一方的につくってしまった(本当はもっと広い範囲での住民合意が必要なはずなのに)。
 そしてその結果、今回の福島のような、国家の基幹を揺るがすような大災害が起こってしまったのです。
 これから「原子力発電所」ではなく、「核発電所」と呼びませんか? 
 その方が、それに反対する人々の主張もより明確になると思うのですが。
 それが僕からのささやかな提案です。


 まったく同感である。
 私たちは今世紀初頭、あのおぞましい狂牛病についていかなる対処をしたか?
 表現が不適切であるなどの理由によって、たちまち、「Bovine Spongiform Encephalopathy(牛海綿状脳症)」の略である「BSE」としか呼ばなくなった。
 ローマ字3つを目にしても、ほとんどの人びとは〈あの狂牛病〉と気づかないか、もしくは、自分の頭でワンクッションおいてからようやく〈あのことだ〉と思い当たる。
 そのために、人間の都合で草食動物へ肉食をさせ、しかも、牛の生態としてはあり得ない共食いまでさせたというおぞましさへの震え、人間の根源的な罪の感覚は、私たちの感覚から急速に薄れていった。
 それはとりもなおさず、生きものたちを過酷な環境に置いている現実に対して鋭敏な感覚がはたらくことを疎外する結果となったはずだ。
 いったい誰が、何のために、ああした言い換えを普及させたのか?
 私たちが狂牛病から学ぶべきもっとも肝腎なところが、うやむやにされた。
 私たちは、私たちの所行の〈おぞましさ〉にもっとしっかり向き合うべきだったと思えてならない。
 私たちの根源的過ちにしっかり震えねば、私たちは同様の過ちに気づかず、おぞましい行為をなす存在であり続けるだろう。
 
 遺伝子や、万能細胞や、臓器移植や、治療薬など、いのちそのものに関わる科学的展開がスピードを増すと思われる今世紀が狂牛病から始まったことを肝に銘じておけば、人類に〈ある種の歯止め〉となったはずななのに……。

 原発の正体はまぎれもなく「核発電」である。
 それは、「核兵器」と共に、〈人類の分に過ぎた道具〉ではなかろうか。
 何としても廃絶せねばならないと思う。




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2015
09.19

原発がどんなものか知ってほしい(その5) ―ある技術者の遺言―

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 ここで紹介する『原発がどんなものか知ってほしい』は、原発の建設、検査、配管工事の分野で現場監督を20年以上勤めた技術者平井憲夫氏が書いた〈現場からの報告〉である。
 今回の文章には、風評被害を引き起こしかねない内容や、強い誹謗の表現も含まれているが、資料として読むため、原文のまま掲載した。
 本文の妥当性については、ネット上に様々な知見があり、ご検討いただきたい。
 なお、平井憲夫氏は平成9年1月に58才で逝去されており、福島原発事故は約14年後に起こっている。

13 もんじゅの大事故

 去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。
 もんじゅ事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。
 というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。
 もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。

 ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。
 行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。
 でも、合わない。
 どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。
 一晩考えてようやく分かりました。
 もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。

 図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm切下げなんです。
 たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。
 だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。

 これではダメだということで、みんな作り直させました。
 何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。

 どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。
 今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。

 どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。
 おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。
 でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。

 動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。
 これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。

 しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。
 美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。
 私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。
 あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。
 だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。
 この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。
「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。

 それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。
 県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。
 地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。

 普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。
 この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感がほとんどないのです。


 これまで、どれだけの〈事故〉が発表されたことだろう。
 女川原発の事故が発表されるたびに「又か」と思い、あまりに〈人間的〉過ぎるできごとの続発を訝り、呆れつつ、〝本当にこれだけだろうか?〟と疑問に思ってきたが、ようやく状況の理解ができた。
 仕事の緻密さでは世界のトップにランクされるであろう日本人が行ってこれだけの事故が起こるならば、海の向こうに林立する中国の原発がどれだけ危険か、計り知れない。
 私たちは、中国の軍備にばかり警戒の目を向けているが、続々と造られつつある中国の原発群こそ、日本の喉元に突きつけられている匕首であるという現実を忘れてはならない。
 一旦、事故が起これば、偏西風に乗った放射能は日本を全滅させかねない。
 そして、特別機や米軍機ででも日本を脱出するような〈要人〉以外、破滅から逃れられる人はいないのである。
 国の安全を本気になって根本から考えるならば、まず、やるべきことは明らかでなかろうか。

14 日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?

 もんじゅに使われているプルトニウムは、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。
 再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れないものです。

 そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使われています。
 長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。
 それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。
 半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。
 だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。

 しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。
 フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。
 だから、日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありません。

 日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。
 もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。
 つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。
 でも、それをしなかった。

 日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。
 国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても仕方がないんじゃないでしょうか。
 それに、唯一の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚してしまったに違いありません。

 世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。
 普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。
 しかし、これは非常に危険です。
 分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。
 原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。
 プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。
 だから原爆の材料にしているわけですから。

 いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。
 早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。


 何かにつけ、「非核三原則の日本だから、大丈夫です」と言うが、日米の密約で核兵器が日本へ持ち込まれていることはもはや、衆知の事実である。
 それにもかかわらず国会では、海外派兵され、米軍と一体化する自衛隊が「核兵器の輸送に関与しないか?」という質問に、「非核三原則を堅持するのであり得ない」などという答弁がまかり通っている。
 人類の敵である核兵器を廃絶させる役割を担っていたはずの日本は、資格を失いつつある。
 国民がそれとは気づかぬうちに。

15 日本には途中でやめる勇気がない

 世界では原発の時代は終わりです。
 原発の先進国のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに原発を半分にすると発表しました。
 それに、プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。
 あんなに怖い物、研究さえ止めました。

 もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。
 ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。
 世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。
 日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。
 でも、まだ止めない。
 これからもやると言っています。

 どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。
 みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。

 とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。
 日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。
 その内に何とかなるだろうと。
 そんないい加減なことでやってきたんです。
 そうやって何十年もたった。
 でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。

 もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。
 机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。

 また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。 
 メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。

 原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力談義』という本で、
「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、原発をもっともっと造ろうということになるのです」
と書いていますが、これもこの国の姿なんです。


 思想家内田樹氏は9月18日付の河北新報へ書いた。

「日本が米国の従属国であることは否定しようのない歴史的事実である。
 敗戦国が生き延びるためにはそれ以外の選択肢がなかったのだから仕方がない。
 戦後70年間、先人たちは『対米従属』を通じての『対米自立』の道を必死で模索してきた。」

「沖縄返還後、わが指導者たちは『対米従属』の作法にのみ熟達して、それが『対米自立』という国家目的の迂回(ウカイ)にすぎないことを忘れてしまった。」

「ある時期から、『米国の国益増大に資するとみなされた人』しか、国内の重要な政策決定に与(アズカ)ることができないという仕組みが出来上がった。」

 その結果がまぎれもなく現在の政治状況であり、沖縄の苦難であり、原発稼働である。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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