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2016
09.14

救いのありか ─観るべきもの─

 お大師様は説かれた。

「もし自心を知るはすなわち仏心を知るなり
 仏心を知るはすなわち衆生の心を知るなり
 三心平等なりと知るをすなわち大覚(ダイカク)となづく」


(もし、自分自身の心の真姿を知るならば、それはそのまま、み仏のお心を知ったことになる
 み仏のお心を知るならば、それはそのまま、人々の心を知ったことになる
 自分自身の心と、み仏のお心と、人々の心の3つをつぶさに知る人を、大いなる覚りを開いた方という)

 自心仏心衆生心が平等であるという教えは、すでに『華厳経』で説かれている。
 華厳宗を高く評価されたお大師様は、この平等を得る方法として具体的な修法を示された。
 私たちはそもそも、み仏のお心を宿した者同士であり、そこに気づき、そこを開き、顕せば、み仏に成れる。
 即身成仏(ソクシンジョウブツ)の可能性はすべての人々に与えられている。
 真の平等は、この気づきによってもたらされ、自分が本来の尊さをもって生きられるだけでなく、誰もが尊い者として生きられる世界になる。

 私たちは生まれた時点で、一人一人が持って生まれたものも、生まれ育つ環境もすでに平等ではない。
 しかし、厳格な階級社会にあってすら、お釈迦様は、人は生まれによって人間としての貴賤は決まらず、生き方が貴賤を決めると説かれた。
 国王に対しても、極貧の者や売春婦に対しても、わけへだてせず、真に救われる先を示された。
 仏法によって誰もが救われ得るのは、誰もが等しく救われる可能性を持っているからである。
 その可能性の根拠が〈仏心〉の共有である。
 この真実は経典に説かれ、それを現実化させる方法として修行や修法がある。

 当山にはさまざまな事情を抱えた方々が来山される。
 これまで宗教を考えたこともなかったが、急に自分のいのちがあといくばくもないことを知って、死後の相談に駆け込まれる。
 困った成り行きで親のお骨を埋葬できなくなった方、あるいは宗教が違う親子や夫婦も、途方に暮れて足を運ばれる。
 私たちの生きざまや困りごとは、お釈迦様の時代も、お大師様の時代も、今も変わらないのだろうと、いつも思う。
 僧侶や寺院は、お釈迦様やお大師様の心で〈絶対の平等〉に立ち、ことに当たるだけだ。

 それを仏性と言おうが霊性と言おうが構わない。
 要は、お互いが、お互いの心の源底に持っている尊いものを認め合うこと。
 そこから〈真の平等〉の世界が必ず観えてくる。
 ことを行う具体的な手段は知恵であみ出せばよい。
 問題はその前の平等を観る智慧にある。
 仏法の空気を吸うだけでも、冒頭の教えに一歩、近づける。
 救いの扉は皆さんのそばにある。
 



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2016
06.11

生きとし生けるものは父であり母 ─今もいる奴隷2千7百万人─

2016-06-11-0001.jpg
リサ・クリスティン氏の写真をお借りして加工しました〉

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〈彼女たちは毎日、石を背負い、山の石切場から麓まで運び降ろす。それが生涯のすべてとは……。〉

2016-06-11-0003.jpg
〈幾世代にもわたって水銀などに汚染され続ける劣悪な作業場。これは現在の光景である。〉

 お釈迦様もお大師様も、私たちと同じ人間です。
 違うのは悟られたということ。
 それは、個別の一人間でありながら、人そのもの、あるいは生きものそのもの、あるいはこの世そのものとしての存在を生ききったということでもあります。
 別世界の一端がお大師様の言葉にあります。

六道(ロクドウ)・四生(シショウ)は、みなこれ父母(ブモ)なり。
 蠉飛(ケンピ)・蠕動(ゼンドウ)も仏性(ブッショウ)あらざること無し。」


 六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天というこの世のすべての世界です。
 四生とは、卵生(ランショウ)・胎生(タイショウ)・湿生(シッショウ)・化生(ケショウ)です。
 生きものは、卵から生まれるもの、胎内から生まれるもの、ジメジメしたところから生まれるもの、何もないところから生まれるもののいずれかであると考えられていました。
 蠉飛の「蠉」はボウフラであり、フラフラと飛び回るものです。
 蠕動はうごめき、這いずるものです。 
 つまり、どんな生まれをして、どんな世界に生きるものもすべて、「父母」であり、「仏性」を持っているとされたのです。

 ここでいう「父母」は、私たちそれぞれにとっての具体的な父親や母親を指すのではなく、いのちの源のような、あるいは存在の基盤のような、尊さを持ったかけがえのない存在であるという意味でしょう。
 なにしろ、父母が揃わない限り、私たちは決してこの世へ生まれ出られないのです。
 そして、「仏性」とは仏に成る可能性なので、文章全体として言わんとしていることはこうなりましょうか。

 いかなる生まれをして、いかなる世界にあろうと、皆、等しく欠かせず、かけがえのない存在であり、たとえ虫けらのようなものにすら、仏性が宿っている。

 ここがつかめれば、輪廻転生(リンネテンショウ)の真実性がわかります。
 私たちは、過去の因縁に促され、〈たまたま〉人間として、今ここにいる自分として生まれてきただけのことです。
 目の前にいるネコとして、あるいは庭で鳴いているウグイスとして生まれてきたと仮定することも可能です。
 そして、死後、いかなるところに、いかなるものとして生まれようと何の不思議もありません。
 何ものとして承けようと、生は等しく生なのです。

 こうしたことを想う時、自分の行いがこの世にもたらしている影響の重さに気づきます。
 暴力、戦争、環境汚染、自然破壊、人権蹂躙、無慈悲な殺生、これらの恐ろしさが胸に迫ってきます。
 たとえば、写真家リサ・クリスティン氏が平成27年に発表した「現代奴隷の目撃写真」には息を呑んでしまいます。
 氏は「NGOフリー・ザ・スレーブ」の活動にかかわり、世界中で奴隷の実態をカメラに収め、告発しました。
 驚くべきことに現在、世界中で、少なく見積もっても2千7百万人以上の人々が奴隷となっています。
 

「この数字は大西洋横断奴隷貿易時代にアフリカから移送された人の倍です。
 150年前 農場に送り込まれた奴隷の値段はアメリカ人労働者の年収の3年分でした。
 現在の貨幣価値ならば約5万ドルです。
 ところが今日では わずか18ドル程度の借金のせいで、一家族が何世代にも渡って奴隷になってしまうのです。
 驚くべきことに、奴隷制度は世界全体で年間130億ドル以上の利益を生み出しています。

「今日の奴隷を駆り立てるのは商業です。
 奴隷扱いされる人々が作る商品には価値がありますが、商品を作る人々は使い捨てです。
 奴隷制度は世界中どこでも違法ですが、奴隷は世界中至る所に存在します。」


 こうした現実を知ると、人間が変わらない限り世界は変わらないことを痛感します。
 世界が変わらなければ、人間は救われません。
 今、日本でどうにか平穏な日々を暮らしている自分が死後、ガーナのジャングルで、一日の大半を鉱山労働に費やし、非人間的な扱いをされつつ若死にして行くことを想像した時、平然としていられましょうか?
 私たちは、今の自分が救われたければ、まず、今の自分がどう生きているかを考えたいものです。
 もちろん、酷い社会的共業(グウゴウ)に押し潰されまいと必死に抵抗しているかも知れません。
 しかし、それでもなお、自分自身を問題にしなければ、世界は根本から変わり得ません。
 舛添問題の狂騒を見るにつけても、真に自分を省みることの重大さと困難さがわかります。

 生きとし生けるものに「父母」を観て、まず、自分から「仏性」に生きようではありませんか。




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2016
06.09

Q&A(その23) ─過ちを清めるには?─

2016-06-04-0006.jpg

 人生相談でいただくことの多いご質問である。
過ちを犯してしまいましたが、心の問題なのです。
 どうすれば償えるでしょうか?」

 私たちは、嘘をついてはいけないことを知っている。
 盗んではいけないことを知っている。
 しかし、どうしても〈やらかしてしまう〉存在だ。

 では、ハッとした時に何をすれば、悪行(アクギョウ)の償いができるか?
 それは、懺悔(サンゲ)と善行(ゼンギョウ)である。
 心底から悔い改めねばならないし、本当に〝悪いことをしてしまった〟と思えば、必ず何かよいことをしないではいられない。

 では、どう悔い改めればよいか?
 まず、我欲に引きずられがちな日常生活から、ちょっと離れる必要がある。
 さもないと自分可愛さから、自分に対する言い訳や、社会に対する言い逃れ、あるいはごまかしを生じ、肝心の罪悪感をうやむやにしたくなる。

 離れる先が宗教の世界である。
 だから、仏教においてもキリスト教においても、懺悔の作法は洗練されてきた。
 当山の例祭は必ず懺悔から始まる。

 古来の作法には叡智が宿っている。
 常に過去のデータや判断が書き換えられる科学の世界とは異なり、宗教の世界ではむしろ、年月を経て研究され、実践されてきた作法にこそ信頼がおける。
 それは、無数の人間が導かれつつ真実性を検証してきたからである。

 もう一つの善行(ゼンギョウ)はどうか?
 そもそも善行(ゼンギョウ)とは何か?
 経典は「仏性(ブッショウ)にすなおな行為」であると説く。

 仏性(ブッショウ)とは、私たちに本来そなわっている、み仏の子たる霊性のことである。
 誰でも持っているのなら何の問題もなさそうだが、月に群雲(ムラクモ)がかかるように、自己中心の我欲(ガヨク)によって覆われている時間がどうしても長くなる。
 まず、自分が生きねばならないからだ。

 では、どうすれば群雲を(ムラクモ)払えるか?
 身体と言葉と心のはたらきを仏性(ブッショウ)に合わせればよい。
 その方法もまた、歴史に磨かれた経典に説かれており、大乗仏教(ダイジョウブッキョウ…皆共に救われようとする仏教)の基本は六波羅蜜(ロッパラミツ…6つの修行道)の実践である。

 さて、6月8日、総勢100名様ほどの中で、こんなお話を申し上げた。
「私たちはどうしても自己中心的に生きてしまいますが、お地蔵様や観音様はそうでなく、自己中心というものがないから菩薩(ボサツ)様なのであり、私たちも、誰かの役に立とうとしたり、始めたことはやり遂げようと精進したり、生きとし生けるものへ感謝をしたりしているうちに、だんだん菩薩)ボサツ)様に近づけます。
 そうした小さな実践を続けていれば魂が清らかになり、この世への執着心や、死への不安や恐怖心が消え、如来様の世界と感応し、安心で生きがいのある日々が送れます」

 六波羅蜜(ロッパラミツ)を学んで善行(ゼンギョウ)を実践したいならば、実践者であろうとする行者に学べばよい。
 苦を抜き楽を与える慈悲の体現者である菩薩(ボサツ)様や如来(ニョライ)様をお祀りしている寺院には、この世の幸せとあの世の安心を得るきっかけがある。
 自分の行いにハッとした時は、懺悔(サンゲ)と善行(ゼンギョウ)を心がけたい。




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2016
05.26

仏教で幸せになれるか ─本ものの僧侶は?─

2016-05-26-0004.jpg
〈いつでも、どこでも瞑想し、生き仏だった明恵上人(ミョウエショウニン)〉

 人生相談に来られたAさんから訊かれた。

仏教を信じれば幸せになれるんですか?
 お坊さんは皆さん幸せなんですか?」

 こんなふうにお答えした。

 デカンショという言葉を現在の高校生や大学性の諸君は知っているだろうか?
 自分は何者か?自分は何のために生きているのか?なぜ戦争はなくならないのか?といった人生の根本的な問題に悩み、デカルト、カント、ショーペンハウエルなどの哲学者や聖人賢者たちに答や救いを求めずにいられない若者たちは、一昔前、こう唄った。

「デカンショー、デカンショーで半年暮らす
 よいよい
 あとの半年ゃ、寝て暮らす
 よーいよーい
 デカンショー」
 そして、到底、理解できそうにない哲学書などを読みあさった。

 その一人、ショーペンハウエルが辛辣なことを言っていた。

「純粋な僧侶は最高の栄誉に値する存在である。
 けれどもほとんど大抵の場合、僧衣は単なる仮装なのであり、この仮装のかげに本当の僧侶がひそんでいることは、あたかも、仮装舞踏会の場合におけると同じように稀なのである」

 日本の僧侶も、厳しい指摘をした。
 平安時代後期に真言宗を立て直した興教大師(コウギョウダイシ)である。

「名を比丘(ビク)に仮って伽藍(ガラン)を穢し 形を沙門(シャモン)に比して信施を受く」

(名ばかりの出家修行者として寺院に住み、形だけ出家修行者に似せて信仰を受け、布施を受ける)

 本ものの僧侶だからといって聖人君子ではない。
 本ものの僧侶でありたいと決心し、袈裟衣を穢すレベルの修法であっても、未熟を懺悔してあきらめず、本ものでありたいと願い、精進して止まないのが本ものの僧侶ではなかろうか?

 ところで、ショーペンハウエルはこうも言っている。 

「自分の幸せを数えたら、あなたはすぐに幸せになれる」

 自分の霊性仏性(ブッショウ)に気づこうとする仏教は、「自分の幸せ」を数えさせる教えかも知れない。
 出家したか娑婆にいるかに関係なく、本ものの仏教徒であろうとしてあきらめないのは、幸せになるための極めて有力な方法の一つであろうと思う。
 小生が幸せかとも訊ねられ、答えた。
「まあ、人様なみではないでしょうか」
 全然、気がきかない返事だった。




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2016
05.13

中国人学生の死とネット社会の問題 

2016-05-13-0001.jpg

 産経新聞の「北京春秋」は5月12日、「ある大学性の死」を報じた。
 以下、記事を追ってみる。

「先月、21歳で死去した西安電子科技大学の学生、魏則西氏のことが最近、中国のインターネットで話題となっている。

 滑膜肉腫という難病にかかった魏氏が検索サイト最大手『百度』で、北京にある軍系病院が、米国の大学との共同研究の成果として『生物免疫療法』という画期的な治療法を行っていると知った。
 両親と共に親戚中から20万元(約340万円)をかき集め、4回の治療を受けたが効果はなく、腫瘍は肺に転移した。

 友人を通じて米国などの病院に問い合わせ、嘘の公告にだまされたことに気づいた。
 自身が受けた治療法は海外で否定されたもので、共同研究を行った事実もなかった。
 魏氏は亡くなる直前、ネット上で『あなたは人間性のなかの最大の〈〉は何だと思うか』の一文を書き残した。

 魏氏の死が大きな話題となり、虚偽の情報を流した病院は営業停止となった。
『百度』にも批判が集まった。
 病名を検索すれば、広告料をより多く払った病院が上位にランクされて出てくるシステムを導入しているため、偽情報が氾濫し、患者がだまされることが以前から多かったという。

 中国では政府批判はすぐに削除され、書き込んだ人が逮捕されることもよくあるが、いかがわしい医療公告は取り締まり対象となっていないようだ。(矢板明夫)」


 この一文はあまりにも重い。
「あなたは人間性のなかの最大の〈〉は何だと思うか」
 仏法的に、が何であるかは明確である。
 慈雲尊者は説いた。

「瓔珞経(ヨウラクキョウ)に『理に順じて心を起こすを善といい、背くをと名づく』と説く。
 仏性(ブッショウ)に順じて心を起こすを善といい、これに背くをという。」


 心の源底にある仏性という満月のような鏡に照らしてみれば、何が善で何がであるかは明確にわかる。
 そこにはたらくごまかしようのない道理に合っていれば善であり、背いていれば悪である。
 お大師様は、鏡に気づかず、鏡が塵に覆われた状態で右往左往する状態から、鏡そのものに成り切った状態までを10の段階に分けて説かれた。
 食欲と性欲に支配される生活から、み仏そのものとなる生活まで、私たちは同じ人間とは思えないほど異なる一生を送る。
 嘘の公告で大借金をし、無念の思いで死んで行った魏氏の問いかけは、中国の人々に対して「我が身を振り返る」ことを訴えたのではないだろうか?

 ネットの検索システムにも大きな問題がある。
 海辺の砂のようにたくさんある情報から本ものや、自分が本当に必要としているものを探すのは、非常に困難だ。
 どうしても、検索して上位に引っかかった対象から選ぶことになる。
 だから、情報の提供者も探索者も〈上位〉を意識するが、そこにはカラクリがあって、広告料や手数料の金額によってランクが決められるとしたなら、公正で開かれたネットではなくなる。
 お金が万能で、〈袖の下〉があまりにもあっけらかんと横行したり、環境汚染が放置されたり、食品にまでも粗悪品が流通している社会構造の罪も重い。

 いずれにしても、個人的な悪もあれば社会的な悪もあり、個人的な、あるいは社会的な悪行(アクギョウ)となれば、積まれた悪業(アクゴウ)は必ず自他へ苦しみをもたらす。
 魏則西氏の呻きと問いかけは決して〈他人ごと〉ではない。
 悪業を避けるには、心の鏡から塵芥を拭き取る不断の努力が欠かせない。
 お経を学び、読誦し、瞑想や写経を行うことは、重要な方法である。
 興教大師は説かれた。
「月の浄徹(ジョウテツ)なるを見て 心の浄性(ジョウショウ)を観ぜよ」
(穢れをまとわぬ清浄な光を放っている満月を見て、自分の心の奥底も又、清浄であることに気づくべし)
 実践したい。




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