2014
09.15
ジャズ、ありがとう! 「ビバップス」バンザイ! ―ジャズフェスティバル―
〈華やかに〉
〈切々と〉
〈突き抜ける〉
仙台ストリートジャズフェスティバルの大トリで「ビバップス」にいる知人が演じると聞き、でかけた。
ピアノ、ベース、ドラムのリズム陣にエレキが二本加わり、ペット、サックス、トロンボーンが吹きまくるという豪華な陣立ては相変わらず華やかで、演奏者の高揚した魂が把になって「人生、嬉しいじゃないか!」と訴えかけてくる。
ピアノはどこまでも端正だ。
ベースはたとえようもなく誠実だ。
ドラムの抑揚は隙なく決まっている。
低いエレキはズンズンと地へ届き、高いエレキは鳥のように飛び回る。
ペットはあまりにも真っ直ぐだ。
サックスはあまりにも深い。
トロンボーンはあまりにも人間的だ。
そもそも、モダンジャズは不思議な音楽である。
1950年代から60年代になぜ、あそこまで完成度を高められたのか?
世界大戦の後、〝家畜以下〟とまで言われるほどの扱いを受け続けてきた黒人層から何が起こり、なぜ、短期間に到達してしまったのか?
かつてジャズ・バーを経営をしていた作家の村上春樹氏は、こう語っている、
「物語を語ることがあなたを癒します。
良い物語を語ることができれば、あなたは癒されます。
『ねじまき鳥クロニクル』は、僕が言うところの『全体小説』にしようと努力しました。
登場人物によって語られる物語の集まりなのです。
登場人物はお互いに癒しあっています。
あの小説は癒しの本なのですよ。
あなたが外の世界、新しい景色の出現に心打たれた時、その愛があたなを癒します。
良い物語を語ることは愛の行為だと思います。
そのことが、僕が本を書く理由だと考えています。
僕は、自分自身を癒したいと願っているのです。」
そもそもジャズとは、不屈の魂が幾層にもなっている覆いをすべて突き破り、青空へ達したいという〈人間〉の営みではなかったか?
多くの天才的演奏者がドラッグへ走ったのも、突き破りきれないもどかしさに耐えられなかったからではないか?
事実、破滅する前に戻ってきた彼らの中には、以前の神がかり的な技術とは色合いの異なった形で〈神〉の世界を感じさせるまでの作品を残している者もいる。
こうした営みは「癒し」と言えるのかも知れない。
しかし、現代人がイメージする優しさにくるまれて得られる癒しとはまったく様相が異なる。
壮絶な戦いの果てにようやく見えた、あるいは見えるような気がした、そういった青空ではなかったか。
マイルスもコルトレーンもエバンスも、死屍累々の戦場をかろうじて生きぬいた人々である。
若い日々、こうした苦闘と癒しに接し続けた村上春樹氏が「癒し」と言う時、悠然と水面を滑るアヒルが水面下で激しく足を動かしている様子が連想される。
語り口のさりげなさは、かえって、氏の隠された戦いを想わせる。
さて、「ビバップス」の演奏を聴いた帰り道、とても解放された気分だった。
癒しの本質は解放ではないか。
自分の「物語」をちゃんと創り、あるいは語るための欠かせない下準備ではないか。
半世紀前に魂をかけてその方法を確立してくれた人々の恩恵を受けてこそ、今の演奏者も聴衆も癒され、救われ、未来への足どりに力を込められる。
ジャズ、ありがとう!
「ビバップス」バンザイ!
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。
「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8
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