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2008
05.21

6月の俳句

 6月は水無月(ミナヅキ)です。
 俳人で信徒総代でもある鈴木悦子さん(仙台市太白区在住)の句です。
 鈴木さんは、機関誌『法楽』と新聞『法楽かわら版』へ何年にもわたって投稿しておられます。(掲載が月遅れになる場合があります)

かく生きし枝垂桜と立つ

 古い枝垂桜の花々は枝が折れんばかりに咲き競い圧倒的な存在感で風に揺らいでいる。
 人と眺めている作者は、眼前にある大樹が過去の膨大な時間の結晶であるであることを感じ、同じく〈ここまで生きてきた者〉として深い共感と納得と喜びに胸がいっぱいである。
 それは、傍らにいる人とも共通しており、三者は一体である。
 桜の笑顔は、自分の人生を丸ごと賞めてくれるかのようだ。
「立つ」が結論「生きし」を呼び、「これでもういい」という達観を超えた大肯定となっている。
 作者特有の勁さが存分に発揮された。

再会に散り急ぐ花とどめませ

 「再会」は、今年も満開の時節を迎えて眺められる桜と、久方ぶりに会った人の両方を対象にしているのではないか。
 作者は、行く時間を惜しみ、あまりに潔く散ろうとする桜に「ちょっと待って」と思いをぶつけている。 
 それは、帰らねばならないへの惜別と重なっており、行ってしまうのは重々解っていならがも、ゆとりを持ってこう言ってみるところに味わいがある。
 恋愛における「行かないで」と異なり、定めし、コンサートにおけるアンコールといったところだろうか。

百合の香にこもり本読む雨一と日

 ここでも、「こもり」が部屋にこもる百合の香と部屋から出ない自分との両方を示している。
 たたでさえはっきりした主張のある香が、しっとりした雨の日であればなおいっそう強く自分を包み込む。
 外出を阻む雨が、同時にぜいたくな空間を守ってくれている。
 これはもう、本を読むしかない。
 般若心経の「心にさわり無し」である。
 これ以上充実した時間と空間があろうか。

老鶯に至福の刻や朝目覚め

 鶯は春を告げる鳥だが、鳴く期間は意外に長く、夏になっても練れた上手な声を響かせている。
「あっ、まだ鳴いている」と思える頃が最も節回しが巧みで声色は艶やか、かつ円かでもあり、感心しているうちにいつの間にか役割を終えている。
 だから、最高の声を聴かれるのは、一年数度しかない。
 それを耳にして目覚めるなど、至福と言う以外に表現のしようはない。
 最高の一瞬をとらえる俳人ならではの句と言えよう。

紅枝垂影さす池に灯をともす

夏立ちぬと近況語り合ふ

紅しだれ友と楽しむ会席

夏つばめプリン揺るる午後三時

バラ活けて雀踊に行く気なし


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