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2013
08.17

みやぎ四国八十八か所巡り道場で第一回目の合同巡拝を行いました

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 8月15日午後3時より、『みやぎ四国八十八か所巡り道場』の合同巡拝作法どおりに行いました。
 守本尊のお地蔵様へ祈り、できあがった7カ寺分のお堂を巡り、東日本大震災で亡くなった方々や、戦争で犠牲となった方々、そして万霊のご供養を行いました。
 善男善女のお志により、道場は一歩づつ進んでいます。
 木立を通ってくる風。
 あちこちにいるカブトムシやクワガタ。
 道場は救済の場でもあります。
 皆さん、ぜひ、ご協力をお願いします。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





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2012
08.19

子や孫のためにふり返っておきたい(その15) ─礼儀を重んじて活発なれ─

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16 「れ」 礼儀を重んじて活発なれ
 元気に進め。
 しかし礼儀を忘れるな。
 敬いを忘れる少年は断じて偉くなれない。
 偉人も英雄も礼儀正しい人ばかりだ。
 乱暴を恥とせよ。


 礼儀正しくありながら、元気にやる。
 ここでは、しつけができた上で子供の持てる力を伸ばす方法が端的に示されています。

 まず、親も先生も、子供が元気かどうか注意深く目をかける。
 これがすべての始まりです。
 元気という言葉はそもそも「減気」であり、病気から快方へ向かうことでした。
 さらに「しるし」「あらわれ」を意味する「験」を用いた「験気」となり、今では、悪しきものがなく元来の力にあふれている「元気」と表現するようになりました。
 最近、いじめが日本だけでなく各国でも社会問題になっていますが、親も先生も、生徒が本当に元気かどうかをよく観ておけば、早く手を打てるような気がしてなりません。
 もしも、目をかけ、異変を感じたなら放置しないという当たり前のことがなかなかできないとしたなら、教育においてやるべきことの順番を考えなおす必要があるのではないでしょうか。

 さて、礼儀とは、必ずしも決まり切った挨拶やお辞儀だけを指すのではありません。
 たとえば、こんなできごとを考えてみましょう。

 津波に遭った方々が学校の体育館へ避難していました。
 被災者は朝5時に起きて交代でゴミ集めをします。
 それも、体育館だけの分ではなく、一般の校舎の分も処理します。
 家族や家や仕事や車などを失った被災者は、お世話になっているという気持で一生懸命に敷地全体のゴミを集め、手押し車に乗せて収集車が来る場所まで運びます。
 やがて登校して来た生徒たちの中には、そうして汗を流す人々へ「くそばばあ、臭いぞ」などと罵声を浴びせる連中もいます。
 気の弱い被災者は二階などから飛んでくる言葉を怖れ、当番に当たっても行動できなくなりました。
 被災した屈強の男性が付き添い、生徒たちを叱り飛ばしながらゴミを運ばねばならない日もあったそうです。
 被災者たちは、水くみ場やトイレなどをぞうきんまでかけてきれいにしますが、土足で汚しても平気な生徒たちが少なくありません。
 先生へ実情を話しても、「校長へ伝えておきます」と返事されるだけで改善されない例も多々、あったそうです。
 こうなった理由は二つ、考えられます。
 一つは、学校は高台にあるので、生徒も先生も、眼下に見下ろす地域の人々のように悲惨な体験をしておらず、被災者がおかれた厳しい環境や辛い気持などを〈我がこと〉として受けとめられないのでしょう。
 もう一つには、常々の道徳的教育も、大震災という事態へ対応する教育も行き届いていないのでしょう。
 とても残念でなりません。

 真の礼儀は大いなるものに額(ヌカ)づき、他人を重んじ敬う心として発し、作法はふるまい全般に及びます。
 礼儀作法しつけるには、常日頃から自然を恐れ感謝し、仏神を畏れ敬い、人間が身体と言葉と心で行うことごとの善悪美醜を敏感に感じとれる心を育てねばなりません。
 大震災が社会と一人一人にとって何であるか、何をもたらしつつあるか、被災者はいかなる環境でいかなる思いで過ごしているか、きちんと教え、考えさせ、想像させねばなりません。
 また、ゴミ集めの件については、「こっちは施設を貸して不自由な思いをしているんだから」などど努々(ユメユメ)思わず、「ご皆さんご自身のことだけでも大変なのに、まことに相済みません。ありがたいことです」と被災者を思いやり感謝し、子供たちの心もそうした方向へと導かねばなりません。
 掃除の件については、普段以上にきれいになったことを奇貨として、「これからは、こういう風にきれいに使いましょうね。そうすると心もきれいになります」などと教育したいものです。

 元気で礼儀正しい子供にするため、親と先生がまず、どうあらねばならないか、よく考えたいものです。




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2011
10.13

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その29)─礼儀と社会─

 江戸時代寺子屋などで盛んに学ばれていた人倫の基礎を説く『実語教(ジツゴキョウ)・童子教(ドウジキョウ)』について記します。
 日本人の宝ものである『実語教童子教』が家庭や学校で大人にも子供にも学ばれるよう願ってやみません。

「人倫(ジンリン)礼(レイ)有れば
 朝廷に必ず法在り
 人として礼無きは  
 衆中(シュウチュウ)又過(アヤマ)ち有り」


(人間一人一人が礼儀を大切にすれば、
 政府も必ず法に則して政治を行う。
 人間から礼儀がなくなったなら、
 社会は過ちに満ちる)
 
 よく「礼儀作法」と言います。
 これは礼儀作法が一緒になった言葉ですが、あくまでも礼儀が先で、作法とは洗練された礼儀の実践法法です。
 では礼儀とは何か?
 それは、自ずからなる敬意の表現です。
 よく「礼儀正しい」という言い方をします。
 それは、「敬うべき相手をきちんと敬う心があり、それがふるまいに表れている」という意味です。
 ここには〈べき〉があり、そこには伝統の重みがあると同時に、若い方々からすなおに受け入れられにくいという難点も含まれています。
 礼儀は目上を敬うところから始まりますが、目上の典型は自分より年長者であり、親であり、先生であり、先輩です。
 もしも、先輩が自分をいじめ、親がいつも夫婦げんかをし、先生が暴力を振るい、先輩が後輩をこき使うならば、〈べき〉をどうして受け入れられましょうか?

 子供たちへ礼儀の何たるかを教えるためには二つの法法があります。

 一つは、年長者や親などが礼儀を尊ぶ生き方をして見せることです。
 そのための心構えはただ一つです。
 目下へも、目上へも、子供へも、親へも、生徒へも、先生へも、同輩へも、伴侶へも、誰にでも敬意をもって接すること。
 当山へは、法事などで老いも若きも一緒に来山される場合が多々、あります。
 私は当然、大人へも子供へも等しく挨拶の言葉をかけますが、大人と同様の挨拶をする子供も結構います。
 挨拶が返ってくるのではなく、先に立派な挨拶をされて大きく相好を崩させられる場合すら、少なくはありません。
 そうした時、私は観察します。
 マニュアル的に言葉が発せられているのか、自然に言葉が出ているのか──。
 もしも自然さを感じられれば、ようやく本当の安心と喜びが心へ広がります。
 周囲の人びとが、人間を敬い、自然を敬い、生きものを敬い、仏神を敬っている環境に育った子供には、必ず敬う心が育ち、真の礼儀が身につくことでしょう。

 もう一つは、作法をしっかり身につけさせることです。
 形から入るのです。
 そこで不可欠なのは、できる限り作法の背景について話し、もしも子供から質問が出たなら、必ず〈敬意の話〉をしてあげることです。
 ここで「こういうものだ!」と押しつけてしまうと、子供は反発して言うことをきかなくなるか、もしくは表面ではマニュアル通りの作法を行っても、心は敬意の育たない乾いたものになってしまう危険性があります。
 剣道であれ、相撲道であれ、茶道であれ、医道であれ、仏道であれ、およそ「道」と名がつくものはすべて型という「形」から入ります。
 型を血肉になるまで繰り返して身につけなければ、奥義は究められません。
 そして、最近、ある大病院の院長先生から「自分の未熟をまた、知らされた。まだまだ勉強が足りない」という言葉を聞きましたが、道にはきっと到着点はないのです。
 では、どこまでも続く繰り返しを可能にさせるのは何か?
 それはという名の覚悟であり、仏道では発心(ホッシン)と称します。
 子供に作法を教えるならば、どこかでこうした覚悟に似た「そうか。そうしよう」という思いを起こさせ、「そうしないではいられない」姿勢へと導きたいものです。
 前述の、〈自然に〉挨拶のできる子供になって欲しいのです。

 こうして私たちが敬意を持つ人間になれば、国家社会の動きも、きっと、人間への敬意をふまえたものとなることでしょう。
 もしも私たちが人間を敬わず、自然を敬わず、生きものを敬わず、仏神を敬わなければ、社会に人道から外れた過ちが満ちるのは当然です。
童子教』は童子への教えですが、大人もまた、学び直す必要がありそうです。

20111010 00822



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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん あり きゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2010
12.04

安心したお祖父ちゃん

 事情によりご葬儀ができなかったAさんのお骨をお預かりしました。
 ご一族、関係者、それぞれの立場があり、なかなかまとまらなかったけれども、ようやくご葬儀を行い、来年になったらおを建てて納骨しようという段階に至ったのです。
 最近は、事後しばらくしてから戒名を受けたり、「やっぱり、やらなきゃ」と葬儀を行ったりする方、あるいは納骨しないでいたお骨を連れてこられる方が激増しました。

 さて、故人には、生前、会えなかった孫のBちゃんがいます。
 まだ2歳になっていません。
 このBちゃんは、故人が亡くなって以来、夜になると決まって座敷の奥の暗がりを指さし、「お祖父ちゃんが、そこに来てるよ」と言うのです。
 もちろん、姿形は誰の目にも見えませんが、毎日の日課になってしまった様子に、ご家族はとても心配でした。
 ところが、当山へお骨を預かった日を境にして、お祖父ちゃんはパッタリとBちゃんのところへ現れなくなりました。
 ただ、Bちゃんは、
「ああ、近くですっかり安心した。喉が渇くので、何か欲しい」
とお祖父ちゃんの口調で言いました。
 これにはご家族も心底、驚いたそうです。
 当山はお骨を引き受けた方が住むBちゃんの家から車で10分もかからないほどの近さにあり、護摩法を行うので乾燥気味だからです。
 そして、今日、ご家族がAさんの好きだったコーラを持参し、この話をされました。

 聞き流してしまうことも含め、こうしたできごとをどう考えるかは人それぞれでしょう。
 当山は、心の病気になっておられる場合は別として、「霊が見える」「呪いが聞こえる」といった話はあまり気にとめませんが、実際に祈る現場に関して起こる想像もできないようなできごとは、真摯に受け止めます。
 そして立ち止まり、通じているもの、通じてくる相手へ想いを馳せます。
 行者にとって、そこまでが法務であり、見える世界も見えない世界もリアリティにおいて変わりありません。

 ご家族へ申し上げました。
「さっそくコーラを供えてご供養しましょう。
 フタを開けないでおいてみますか?
 もしかすると、だんだん減るかも知れませんね」
 ご家族は、お任せしますと言って帰られました。

 その後どうするか一瞬、考えましたが、作法通りフタを開けてお供えしました。
 やはり、御霊を〈試す〉行為はできません。
 それにしても、Bちゃんの第六感は大したものです。
 変な方向へ行かず、霊性を輝かせて生きるよう、まっすぐに育つよう祈らずにいられません。
 お祖父ちゃんもきっと、そう願っているはずですから。

〈リヒャルト・エルツェ期待』(1935年)。偉大な感性はナチスによる悲劇を予感していました〉
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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2008
11.03

菩薩への第一歩

 寺子屋では、何かを食べる際に「感謝誓いの言葉」を唱える予定です。

「一滴も天地の恵み、一粒(イチリュウ)も労苦の賜物(タマモノ)、粗末に使えば恩に背き、不足に思えば徳を失う。
 大切に扱い、世のため人のために、身と心を養わん。
 一つには、すべての悪しきことをやめましょう。
 二つには、すべての善きことを行いましょう。
 三つには、すべての人々のためになることを行いましょう。
 いただきます」


「お恵みの食をいただき、心豊かに力(チカラ)身(ミ)に満つ。
 願わくばこの心身を捧げて、己(オノ)が業務にいそしみ、誓ってご恩に報(コタ)えまつらん。
 ごちそうさま」


 たったこれだけの作法でも、食事するたびに毎日行えば、必ず心に感謝と意欲が生まれ、強まりましょう。

 かつて、【現代の偉人伝 第8話】において、ニューヨークの悲劇「9・11事件」に関する二人の英雄的行動をとりあげました。
 事件直後、現場に向かい、人知れず懸命の救助活動を行った元救急治療士チャック・セレイカと元海兵隊員ディヴィッド・カーンズです。
 他人の不幸を見捨てておけずに立ち上がり、黙々と力を尽くし、また、静かに日常生活にへ戻る清らかさ──。
 誰でもがこうした「市井菩薩様」になれます。
 その第一歩が、いのちを養ってくれる食べものたちへの感謝であると考えています。

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