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2010
10.19

『大日経』が説く心のありさま六十景 その14「無諍心(ムジョウシン)」

 私たちの心にある仏性が輝こうとする時、邪魔をする曇りがあります。
 せっかく霊性が機関車としてはたらこうとしているのに、ブレーキがかかります。
 貪りや怒りや迷いを脱し、感謝や平安や智慧を獲得するためには、心の揺れ動いているありさまを正確に知る必要があり、『大日経』は、悟る前の曇った心模様を60の面から解き明かしています。
 その指摘を一つづつたどり、しっかり省みることにしましょう。
 第14回目です。

14 無諍心(ムジョウシン))
 これは、何も決められない優柔不断な性向です。

「是非倶(トモ)に捨つ」

 仏法は人と人がぶつかり合わないで互いのためになる生き方をする道を説きます。
 しかし、それは、正邪善悪の判断をしないということではありません。
 正しい判断力を身につけた上で、「正」や「善」の実現には心のコントロールという方法で立ち向かいます。

 釈尊の高弟として有名な舎利弗(シャリホツ)と目蓮(モクレン)は、二人ともバラモンの家に生まれ、誕生日が同じでした。
 利発な少年二人は、当時名高かった聖者サンジャヤを訪ね、教えを請いました。
 サンジャヤは典型的な懐疑論者で、自分から何かを主張せず、相手の判断を崩します。
 その典型が、「死後の世界はあるか?」との問への答です。

「私が『死後の世界は存在する』と考えれば、『死後の世界は存在する』と応えるだろう。
 しかし、私は、そうだと考えない。
 そうだろうとも考えない。
 それと違うとも考えないし、そうではないとも考えない。
 そうでないのではないとも考えない」

 二人は、誰にも負けそうにないこの論理をたちまちマスターしましたが、当然、飽き足りません。
 やがて舎利弗(シャリホツ)が釈尊と出会い、目蓮(モクレン)と一緒に弟子入りする際、それまでの師であったサンジャヤにも声をかけました。
 サンジャヤは拒否しましたが、その弟子500人のうち250人は二人と行動を共にしました。

 自分の主張をはっきりさせないのも一つの態度ではありますが、それは自分を可愛がるだけで、創造性が欠如しています。
 やがて釈尊の両腕とも称された二人が、こうしたところで満足できなかったのは当然です。
 カメのように頭を出したり引っこめたりして、いつも自分を安全なところにおいて生きようとする人は少なくありません。
 しかし、信頼される人、人望の厚い人、人徳のある人は必ず、〈自分を懸けて行う〉人です。
 西郷隆盛などはその典型と言えましょう。

 無諍心に安住していたのでは、智慧も慈悲も眠ったままになります。
 眼を覚ましましょう。

〈はっきりしています〉
221018 0032



「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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