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2013
06.24

思うとおりの人生を歩むには ─小さな克服の大切さ─

20130624011.jpg
〈種たちの運命は……〉

 思うとおりの人生とは、願いがかなう人生であり、成功の人生です。
 自分が学んだ〈道筋〉について簡単に書いておきます。

1 やりたいものを見つける

 最初は気持が上滑りするだけで、なかなか〈自分をかける〉ところまでは行けないかも知れません。
 しかし、誰かに「どうしてもやりたいの?」と訊ねられた時に、いつも、「そう、どうしても」と答えられれば大丈夫です。

2 やる上で何が弱点かを考える

 ここが大事です。
 たとえば、サッカーの選手になりたいと思った時、身体が弱い、人とぶつかるのが怖い、といった自分の弱点をしっかり見つめましょう。
 それでもやりたいなら、本当に「どうしても」であることが確認できるし、自分の弱点を認めていれば、やがて、他人を思いやる気持も開いてゆくからです。

3 必要なものや条件を考える

 どのようにしてできるようになり、どのようにしてやり続けられているのか、がわかると、やりたいものの内容が、より、具体的に見えてきます。
 何であれ、やっている人が輝いているように見えるならば、輝かせている努力が隠れており、それは、光を見ているだけでは気づきにくいものです。
 水面を滑るように移動する水鳥たちは皆、水面下では懸命に足をバタバタさせています。
 地震で倒れないしっかりしたお墓を建てる石屋さんは、まず、穴を掘り、網のように組み上げられた鉄の棒を入れてコンクリートの土台をつくっています。
 居合の稽古では、強く剣を振る時よりも、腰を沈め動きが止まった瞬間にぶれないあたりが難しいのです。
 
4 やる順番を決める

 手順を考えると、未来が具体的にイメージできます。
 このイメージが確立されていれば、多少の困難があっても、次のステップが待っていることを信じてやりぬけます。

5 弱点克服法を考える

 そして、やって行く中で、どうすれば弱点克服できるかをよくよく考えねばなりません。
 そうすれば、〈逃げない人〉になり、自分に厳しくなり、希望的観測に流されないようになります。
 たとえば、警察官になりたいと思った場合、もしも、自分が臆病だったならば、そこから決して逃げられはしません。
 臆病であるという現実に目をつぶり、試験勉強をしているだけでは、最後に失敗します。
 いいかげんでは通用しないのが実社会であり、自分がいいかげんなままであれば、目的が達成できないのはもちろん、いいかげんな人やいいかげんな現実しか縁にならなくなり、まっとうな人生は歩めません。
 弱点克服をきちんと考え、実行すれば、必ず勇気が出てきます。
 最初は小さな〈克服〉であっても、それを積み重ねれば、必ず、やりがいが出てきます。
 長所による表向きの大きな成功よりも、誰にも知られない小さな克服に、確かな手応えが感じられるようになれば、しめたものです。
 そして、ここを確立しておけば、スランプの時もあたふたしません。

 メモしておいた師の教えを整理してみれば、あたりまえのことばかりですが、娑婆で大失敗し、中年で新たな出発をした私にとってはありがたい教えでした。
 特に、「長所による表向きの大きな成功よりも、誰にも知られない小さな克服に、確かな手応えが感じられる」あたりがポイントです。
 これがないと、謙虚になれず、いわゆる〈本もの〉にもなれないような気がします。
 分野は違いますが、初めて『山楽耕』の大枝邦良師にお会いした時、「本ものをめざしましょう」と言われたことは忘れられません。
 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





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2010
09.01

ある克服

 Aさんは一流大学を出て一流企業に勤めましたが、社員の三分の一がうつ病などで心を病み、三分の一が肝臓などの身体を病み、残りの三分の一が激烈な出世競争をする現実に見切りをつけて陶芸家になりました。
 もちろん、ある程度の下準備はしていたものの、収入はサラリーマン時代の半分にもほど遠い生活になりましたが、奥さんは一言も文句を言わず、家庭を守りました。
 父親譲りの頭脳と繊細さと思いやりを持ち、母親譲りの明るさも持った息子Bさんは、やはり一流大学から一流企業というコースをたどり、傍目からは、順風満帆の一家に見えました。
 しかし、Bさんはある日、突然、帰郷します。
 まったく目が見えず、まつげも頭髪もすっかり抜け落ちた様子に家族は仰天しましたが、Aさんはすぐに事情を察しました。
 二度驚いたのは、家まで送ってきてくれた女性がはっきりと言ったからです。
「これで良いのです。
 お父さん、お母さん、Bさんと結婚させてください」
 Bさんは横で、黙って頷いています。
 Aさんは、Bさんの不憫さと、これほどの女性を獲得したあっぱれさに、涙を流しました。
「──息子はじっとここまでガマンしたか。
 それにしても、よくやった……」

 家族は何も訊かずにすべてを受け容れました。
 会社を辞め、結婚したBさんは徐々に回復します。
 目を覆っていたベールが薄皮を剥ぐように一枚二枚と落ち、闇が靄となり、景色となり、視力が戻ったのです。
 そして、春の息吹が濃くなった頃、宣言しました。
「私は板前になります」

 サラリーマンが会社を離れた途端に人生の迷子になりやすいことをよく知っていたAさんは、また、何も訊かずに受け容れました。
 そして10年、皿洗いから出発したBさんは東京都新橋の一店舗を任されるまでになります。
 さらに5年、独立を許され、オーナー兼親方となりました。
 Aさんは、退職後にもわずかに残ったつながりを活かし、息子が激戦区で生き残られるよう陰から後押しをしました。

 5年後の現在、さして大きくもない料理屋は、Aさんが務めていた会社の社長などもひんぱんに訪れる隠れた名店となりました。
 Aさんは言葉少なに教えてくれ、ニヤッと笑いました。
「最近では、息子の店に、~社の社長も会長も来るんだってさ」
 察した私は応えました。
「そうか、おめでとう、快哉だな!」

 卓越した作品を生み出すAさんですが、芸術家は、傍から見る人が思うほど、収入がありはしません。
 Bさんがどれほどの苦闘を重ねてここまで来たのか、第三者には想像もつきません。
 しかし、AさんとBさんが親子して何かを克服したのは瞬時にわかりました。
 かなり以前、内容を告げず「息子のためにご加持をしてくれ」と頼まれた時の実態も初めて知りました。
 その時、私には「快哉」という言葉しかありませんでした。
 そして、まだ訪れたことのない〈名店〉を密かに訪れてみたい、と強く思いました。
 開店の知らせと共にAさんからもらった店の名刺は、今も、財布の中でじっと機会を待っています。

〈猛暑に負けず〉
2208019 005



「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
12.27

人間の底力 (2)

 ブログ「人間の底力 (1)」へ書いたアメリカ人Aさんである。
 彼女は学生時代、政治家を志したが、実際にその世界で下働きをしているうちに、同じような志を持っていたはずの人々がそれを脇へ置き、あるいは失いつつ政治家としての階段を登って行く現実に失望した。
 世界旅行へでかけ、立ち寄った日本で英語教師をしているうちに仏教徒となり、結婚もした。
 今は、食生活や漢方などの研究をしつつ健康維持に関する広範囲な仕事をしている。
 研究熱心なAさんは、筋金入りのサーファーでもある。
 屈託のない笑顔を輝かせながら、重い言葉を吐く。

「自分が実際に自分の手で助けてあげられる人々を一人づつ助けることが一番確実なやり方だと思っています」


 もしかすると、日本では、政治に頼らずに世を変えようとするこうした人々が5人、10人と増えつつあるのではなかろうか。
 そんな夢想を抱かせるAさんの存在感は大きい。

 Bさんは、文字どおり最愛の妻を失い、心の均衡に支障をきたし、当山へ来られた。
 み仏の確かな救いを感じつつも、まだ、十全の状態には戻っていない。
 そんなBさんにとって、世間が浮き立つクリスマスからお正月の時期は辛い。
 手紙をくださった。

「この時期になると、皆が、TVが、街中が楽しそうにすればする程、妻を思い出してどうしようもない寂しさと孤独感におそわれます」


 涙腺が緩み鼻がムズムズしつつ続きを読んで瞠目した。
 永年のヘビースモーカー生活と縁を切ったのだという。
 しかも、最大の気晴らしだったパチンコも止めた。
 再開の衝動に襲われた時は、当山のご本尊様を思い出して踏みとどまるそうである。
 人並はずれて感受性が強く、何種類もの言葉を自在にあやつられるほどの才人がたった一人で依存症と闘い、克服しつつある。
 Bさんが本調子を取り戻すように祈っている職員たち共々、泣けた。
 これほど強烈な克己心があろうか。
 克己心こそが菩薩となるためのスタート点である。 

 Aさんも、Bさんも、悪しき共(グウゴウ…皆が意識せぬ間に作る社会的な)が吹き荒れるこの世界で、強く立ち、清浄な光を発している。
 人間の底力を教えていただいた。
 勇気をいただいた。
 それは当山にとっても、このブログを読んで下さった方々にとっても、新しい年を拓く力になることだろう。



「おん さんざんざんさく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
10.15

NHK文化講座「生活と仏法」講義録 37 ―怒りと怖れの克服─

 怒りは、年月かけて積んだ福徳を一瞬にして吹き飛ばしてしまう恐ろしい煩悩です。
 10月14日に学んだ『法句経ダンマパダ)』の「忿怒品(フンヌホン)第二十五」は、その害毒について諄々と説いています。

忿怒は法を見ず、忿怒は道を知らず、よく忿怒を除く者は、福喜常に身に随う」

怒りが起こると真理が解らなくなる。怒りが起こると仏道が見えなくなる。怒りを除く者は、いつも福徳と喜びに満たされている)

 カッとなったりムッとなったりすると、解っているはずの「ものの道理」がどこかへ吹き飛んでしまい、考えてもいなかったようなことを口走ったり、とんでもない行動に出たりします。
「ものの道理」は、やりたいことにつける順番を誤らせない基準ともなりますが、怒りが起こるとそれが真っ白になってしまいます。
 人望や信用を得るには長い年月を要するのに、失うのは一瞬です。
 暴力事件や殺人事件のほとんどに怒りが介在していることは容易に想像できます。

 さて、感情は脳内物質の分泌量と関係があり、ノルアドレナリンは怒りなどを、その変化したアドレナリンは怖れなどを司るとされています。
 しばしば怒りや怖れを抱くようになると、こうした脳内物質が血液中に糖分を増やし、糖尿病を引き起こしたりするケースもあるとされていますから、そうした面からも怒りっぽい方は要注意です。

 対処法は、やはり忍辱(ニンニク)行の実践に尽きます。
 を捧げ、「我、雨風に負けず咲くのごとく、堪え忍び、心のを咲かせん」と心に刻みましょう。
 さらに行を進めるならば、合掌し、忍辱行を守る菩薩様の真言を唱えましょう。

「おん ばぎゃばてい きしゃんてい だりじ うん はった」


 こうした実践によって身体は堅固になり、家庭や職業が安定するといった福徳も得られましょう。

 ところで、怒りは凡夫にとっては害毒だけれども、み仏にとっては必要な場合があります。
 普段、私たちが相手のつまらぬ言葉などでカッとなるのは、わけもなく怒りが起こった状態です。
 しかし、み仏が悪しき心を調伏(チョウブク…ねじ伏せること)したり、息災(ソクサイ…災いを抑えること)をはかったりしてくださる場合の怒りの表情は、慈悲と智慧に裏打ちされています。
 不動明王がその代表的なもので、経典は「表には憤怒の相を表し、内心には深く憐れみを垂れたまう」と説いています。
 私たちもまた、社会悪などに立ち向かう場合の公憤は必要です。
 それが虐げられている人々への思いやりなどに発したものであれば、問題を解決するための妥当な方法がきっと見つかることでしょう。

 最後に、怒りの兄弟である怖れについて記します。
 怖れもまた、道理を見えなくしてしまう場合があるからです。
 たとえば、道ばたに堕ちていた縄を蛇だと思ってしまえば、怖くなって走り出したりします。
 縄を見て逃げるなど、まったくおかしなことですが、「怖い!」と思ってしまえばどうにもなりません。
 平成20年11月に米アメリカ南部サウスカロライナ州サムターで起こった事件も、恐怖心が引き起こしました。
 ハロウィーンの行事に仮装して参加していた少年が、お菓子をもらおうとしてドアをノックしたところ、強盗と勘違いした男が射殺したというものです。
 こうした怖れを克服するには、禅定(ゼンジョウ)行の実践が有効です。
 供物を捧げ、「我、己を捨てて食べ物となる生きものに感謝し、心身を整えん」と心に刻みましょう。
 さらに行を進めるならば、合掌し、禅定行を守る菩薩様の真言を唱えましょう

「おん ばぎゃばてい さらば ばんぱかりに まかなちえい うん うん うん はった」


 こうした実践によって心の塵を祓い、悪因縁を離れ、清々しい日々を送られるようになりましょう。



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2009
05.28

崩れへの抵抗力 ─高窪統教授殺人事件に思う─ (1)

 教師生活を送り、長く国際ボランティア活動を続けておられるAさんから、質問を受けた。
「なぜ、高窪教授殺人事件のようなものが起こるのでしょう。
 若者による事件があまりに多くて、いつ、何があったか覚えていられないほどです。
 こんな時代が、いつか転換するのでしょうか。
 とてもそうした兆しが見つからないのですが……」
 Aさんは危機を肌で感じておられるに違いない。
 お答えした。
「いつ、どうなるかを予測、予言することなど、とても私にはできません。
 ただ、言えるのは、事件を起こす若者の多くは、共通した心の傾向を持っているのではないかということであり、それは、時代を変えれば解消できるだろうと考えています。
 傾向とは、〈崩れ〉に対する抵抗力の弱さであり、それは、日本が経済大国にのし上がる過程においてつくられた〈欲しいものは何でも手に入る〉という神話とその崩壊が大きな原因です。
 もちろん、少子化や共稼ぎなどによって家庭でのガマンの訓練がされにくくなったことも見逃せない要因でしょう。

 私たちはモノを求めて突っ走りました。
 学歴も、お金も、地位も、すべてがモノに結びつき、私たちはいつも目の前にモノというニンジンをぶら下げられた馬でした。
 同時に、私たちは〈自分らしさ〉という幻影もまた、目の前にぶら下げられました。
 そのあげく、自分は今、ここにしかいないのに、学歴があり、地位があり、お金があり、家があり、家族に恵まれ、健康で、美しく、皆にうらやましがられる自分を求めるあまり、そうした理想の自分こそ本当の自分であり、今の自分はかりそめのものであるという倒錯した考えを持つようになりました。
 経済発展の持続によって、多かれ少なかれ国民の大部分がある程度のモノを得、自分らしい自分になれたと満足できるうちはこの倒錯が気づかれませんでしたが、いわゆる右肩が上がらなくなった途端、まさに馬脚が現れました。
 なかなか、自分らしい自分になれなくなったのです。
 さまざまな〈オタク〉の出現やアニメの流行は、何かに託していなければ〈自分がいない〉状態に耐えられなくなった人々の要請があったればこそでしょう。

 いぜれにせよ、モノを求め、心が本体である自分の外側に自分を求めるのは倒錯であって、常に今、ここにいる自分の霊性を深める以外、確固として生きる方法はありません。
 しかし、まだ、若者たちも子供を持った親たちも充分には気づかず、どんどん、自分らしくなれない若者たちを輩出しています。
 一方、ガマンの訓練が足りないので、若者たちの心はたやすく崩れます。
 そして、修復の方法を知りません。
 だから、親や周囲の気づかぬところで始まった小さな崩壊が修復されないままにだんだん大きな崩壊へと向かい、結果としてアッと驚く事件が起こるのです。
 崩れへの抵抗力がない、あるいは弱い若者たちが実に多くなりました。
 どこへ行ってもくじけてしまい、転職をくり返すなどの過程を経てだんだんと堕ちて行く若者たちの心を思うと、いてもたってもいられない気持になります。
 しかし、この状況は必ず克服できます」
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