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2011
08.23

2011年9月の運勢

 2011年9月の運勢──平成23年9月(葉月…9月8日から10月8日まで)の運勢です。
 運気の流れを参考にし、人間修行六波羅密(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

一「変革」が行われます。
 改革が流行語になってからずいぶん経ちました。
 今や誰しもが〈変えよう〉と先を競っているかのようです。
 しかし、世の中の実態はどうでしょうか。
 約千六百年前の中国に、僧肇(ソウジョウ)という学僧がいました。
 さもないことから王の怒りに触れ、斬罪を申し渡された彼は、一週間の命乞いをし、その間に『法蔵論』という重要な論文を書きました。
 彼が遺した臨終の偈(ゲ)です。
「四大(シダイ)元より主なし。
 五陰(ゴオン)は本来空(クウ)なり。
 首(コウベ)をもって白刃に臨めば、猶(ナオシ)、春風を斬るがごとし」
(地・水・火・風の四つによってかりそめに成り立つこの身体には本来、自分という主がいるわけでもない。
 肉体と精神をつくる五つの要素もすべて本来固定的な実体はなく、空である。
 白刃が差し伸べた首を斬るといっても、春風に白刃をふるうようなものである)
 僧肇がいのちがけで説いた空の思想は現代へと引き継がれています。
 このように、人びとの意識を変える真の変革は生やさしい姿勢では実現できない大事業であることをよく考えたいものです。

二「性急」に走れば失敗の元になります。
 損得の結果を性急に求める効率第一主義にあっては皆が功を焦り、競って我が名を立てようとしますが、それだけでは危うい人生であり、危うい社会です。
 法輝という行者は、長年の修行にもかかわらず納得が得られないので、死のうと思って山へ入り、出会った住職に勧められるままに寺で一夜を明かすことにしました。
 そこでご本尊様へ祈っているうちに、ご本尊様は怖ろしい憤怒の相に変わりました。
 死の恐怖を感じましたが、ここで死ぬのならそれもよいとかまわず祈り続け、夜が明けたらまた、やりなおす決心がつきました。
 師の元へ戻り、新たな気持で修行を続けたところ、ご加持の法力が身について自他を救える行者になりました。
 謙虚に自分の力を見つめながらまじめに生きれば、時間はかかってもやがて周囲の人びとや仏神に認められ、助力も得て、真の実力が身につくものです。
 自己過信による性急な行動は、その反対の結果を招きかねず、要注意です。

三「情」や「気持」だけでは共倒れになりかねませんが、それを途切れさせないよう。
 沿岸部で被災した若いAさんが人生相談にご来山されました。
「もう一度、海でやりたいという親たちのために自分も役にたちたいのですが、何もできないし、意欲もまったく湧かず、どうにもなりません。
このままだめになってしまいそうです」
 お話ししました。
「貴方の意欲がさっぱり湧かないのは当然です。
 いきなり大規模に突きつけられた無常の前では、立ち止まってしまうのが自然です。
 前向きにならねばと無理をする必要はありません。
 役に立ちたいという気持を途切れさせないでいれば、必ず、やらねばならないことや、やりたいことが出てきます。
 それをコツコツと進めているうちに、いつしか意欲が湧いていることに気づくことでしょう。
『役に立ちたい』という心こそが、み仏の説く慈悲心の根本です。
 あらゆる善き心、善き生き方の泉ですから、涸らさないようにしましょう。
 これを持っている貴方は大丈夫です」

四「学ぶ」機会が増えます。
 子供向けのアニメ『ポケモン』すら、自己犠牲や連帯や憐れみや自然の猛威と救いなど重要なテーマを含んでいます。
 学ぶ心は何をも教えとし、師とします。

 今月も六つの修行を行いましょう。
 皆さんの開運を祈っています。

布施(フセ)行と運勢]水を供えましょう。
 精進の人は天狗にならず、力の範囲内でことを行い無事安全です。
 不精進の人は目下をバカにして一人浮いてしまい、共同事業を潰しがちです。
[持戒(ジカイ)行と運勢]塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人は目上を立てているうちに実力者の加護を得て成功します。
 不精進の人は強情か優柔不断かで失敗しがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢]お花を供えましょう。
 精進の人は派手な付き合いを慎み、温和にして人望を得ます。
 不精進の人は外見や言葉に内実が伴わず、やがて馬脚を現し、失敗しがちです。
[精進行と運勢]お線香を供えましょう。
 精進の人は争いごとを事前に避け、清明な生活を送れます。
 不精進の人は争いごとに巻き込まれ、疑心暗鬼になって不安や不信に悩まされがちです。
[禅定行と運勢]飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は質素で知的なやり方が支持され、繁栄へ向かいます。
 不精進の人はケチや自分本位が祟って開運のチャンスを失いがちです。
[智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人は正しいことを着実に行い、運勢が上向いて無事安全です。
 不精進の人は一気に成功しようと派手にふるまい、叩かれて悪運を招きがちです。

20110819 0112



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2011
07.30

宗教者などの愚行

「なぜ学者宗教者なども酷い事件を起こすのでしょうか?
 皆さん、いったい何を勉強しているんでしょうかねえ」
 Aさんの憤慨に満ちた質問を待つまでもなく、セクハラから殺人まで、知識が人一倍あるはずの人や、仏神を前に厳しい修行をしているはずの人たちが見せる所行には、目を覆いたくなるものがあります。

 学者については、知識を得るための学問だけでは、心にあるスキを埋められないからです。
 スキとは、魔ものの入り込む余地です。
 正しさの抜け落ちた心の空洞とでも言えるでしょうか。
 これがあるかどうかは、知識の多少や地位の高低とは関係がありません。
 スキが少ない人とは、他人とのやりとりで言い負けない人ではなく、まっとうに生きている人のことです。
 人として正しくものごとを見分け、考え、話し、行動することがすべての前提でなければなりません。
 そのために釈尊はまず正しくあるための『八正道(ハッショウドウ)』を説かれました。

 宗教者については、拝むだけではまごころが出ないからです。
 時には、行(ギョウ)と称するものが、良識常識を忘れた愚か者をつくったりさえします。
 良識常識は学ぶ機会がなければ身につかず、それは宗教の教義以前の問題だからです。
 その意味で、『八正道(ハッショウドウ)』と『六波羅蜜(ロッパラミツ)』は、世間的正しさも宗教的正しさも含む広大な教えであり、具体的な生き方として師から説かれることが望まれます。
 師は日々、接する人々や各種情報から社会的現実を学びつつ、世間的正しさと宗教的正しさのズレや衝突の問題なども含めて弟子へこの二つを説かねばなりません。
 弟子は、人々と社会と自分の姿をよく見て、自分をチェックしつつ学び、師へ質問し、修行せねばなりません。
 そうして広く施す心、常に戒めに背かない心、何があっても我を張らず耐える心などをきちんを磨くことが大切です。
 何ものをも忘れさせたり、特殊な観念に入り込んだり、あるいは心を錐のように尖らせたりするだけの修行だけをいくら行おうと、良識常識は身につかず、心も円(マド)かになりはしません。
 だから「信仰心にも人を正しく向上させるものとそうでないものがある」と説かれています。
 「まず『八正道』ありき、人として何よりもまっとうでなければならない」と説かれていることからしても、宗教者に愚行があり得るのは当然なのです。
 私は自分の〈至らなさ〉をいつも羞じており、愚行の報に接すると、彼が自分であったかも知れないと想像しては奮い立つような気持でまた、生き直しにとりかかっています。

 地位や名誉や、あるいは立場や財物のある人たちが見せる愚行は、人として肝心なものはそれらに関係がないことを如実に教えてくれるありがたいできごとです。

※この文章は、もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています。

20110710 008



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2011
07.18

7月の聖語

 お大師様の言葉です。

「せっかく悟りの智慧を映し出す鏡が心にあっても、修行という縁がなければ、実際にはたらいて利益となる力を発揮できない。
 だから、長い時間をかけて石を少しづつ磨くように、布施など六つの修行を行い、芥子を一粒づつ大きな入れ物から出して入れ物を空っぽにするような永遠の時間をかけて、あらゆる行の原因となるものを積むのである」


 以下、原文です。
「智鏡(チキョウ)心に処すれども、縁なくば則ち利物(リモツ)の力を欠く。
 ゆえに、よく石を長時に磷(ヒスラ)かして、六度(ロクド)の行を積み、芥(ケイ)を永歳(エイサイ)に耗(ヘスラ)かして、万行の因をつむ」

 智鏡とは、心にある智慧を鏡に例えたものです。
 私たちは自己中心という色眼鏡で周囲を見るので、ありのままに世界をとらえることはなかなか難しいのですが、修行によって色眼鏡がはずれ、真実世界が心へ映し出されます。
 修行という縁があってこそ鏡は本来の役割を果たせます。
 修行六波羅密(ロッパラミツ)です。
 水のような布施、塗香のような持戒、花のような忍辱(ニンニク…忍耐)、線香のような精進、飲食のような禅定、灯明のような智慧
 芥は芥子のことで時間を象徴し、仏教では永遠の時間を以下のように例えます。
 縦・横・高さ約7キロメートルの立方体を芥子粒で満たし、100年に一度一粒づつ取り出し、それが空っぽになってもまだ尽きない時間が永遠であると想像するのです。
 いったん、「他のためになれる菩薩になろう」と決心したならば、永遠布施となる行いや、戒律にそった行いに励み続けねばなりません。
 考え、語り、行動するすべてが、布施や持戒などの徳目の実践につながらねばなりません。

 仏法の行者はこうした存在ですが、修行は寺院の中でだけ行われるものではありません。
 たとえ頭を丸めなくても、一念発起して仏道を歩もうと決心したならば、誰でもどこでも実践できます。
 被災地へ支援物資を送れば布施行です。
 カッとなった時に深呼吸をしたり、真言を唱えたりして怒りを鎮めれば持戒行です。
 軽蔑されても黙々とまっとうな仕事に励むならば忍辱行です。
 暑くとも、やろうと決めた勉強を行えば精進行です。
 周囲で突発的なできごとが起こっても、冷静に事態を把握して行動すれば禅定行です。
 人としてこうすべきであると気づいた時に、損得などを離れて実践できれば智慧行です。

 当山では7月14日にセミが鳴き始め、朝の気温も一気に下がりました。
 日中はすさまじい暑さですが、朝はもう、毛布なしでは風邪が心配になるほどです。
 季節が変わると、同じ季節を過ごした過去が思い出され、自分がいなくなった未来をも想像します。
 そして、今、確かに仏道を歩みさえすれば、〈永遠〉は瞬く間ではないかと思ったりもします。
 死の床についたダライ・ラマ一世は、死の直前、師は浄土に生まれ変わられますと言って励ます高弟へ語りました。

浄土に生まれることなど、一度たりとも考えたことはありません。
 私はこれから長い間、不浄な世界で、そこにいる人たちの助けとなるように死力を尽くす覚悟でいます。
 それ以外のことは考えられません」


 今、ここで「万行の因」を積み、わずかでも智鏡を輝かせたいものです。

〈朝靄と釈尊〉
20110717 0011

〈仕事をしているそばで本を枕に眠るクロ〉
20110717 0072



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2011
04.22

2011年5月の運勢

 前回は、「おかげさまで、やっと電話が通じました」と書きました。
 東日本大震災の発生から、もう、一ヶ月半が過ぎようとしていますが、まだ当分、〈過去〉にはなりそうもありません。
 よりいっそう、互いに思いやり、手を携えましょう。
 2011年5月の運勢──平成23年5月(5月6日から6月5日まで)の運勢です。
 運気の流れを参考にし、人間修行の六波羅密(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

一 今月は「生みの悩み」と「生みの喜び」が現れます。
 それぞれがそれぞれの場においてじっくりと力を発揮すれば確かな手応えを得られましょう。
 仏法は、人がこの世に生まれる時に八苦の一つ「生苦(ショウク)」を体験すると説きます。
 生む親も生まれる子も、生死の境を越える時間を体験します。
 無事、生まれれば歓喜に包まれ、子が失敗すれば、再度のチャレンジを期して冥界へ還ります。親が失敗すれば、この世で縁となった人々へ別れを告げねばなりません。
 新たないのちの誕生のように、定められた難所を乗り越えて新たな出発や新たな展開がもたらされますよう。

二 若い世代や新しい勢力が伸びるかどうかによって混乱後の道筋が決まります。
 外国で初めて行った戦争である「白村江(ハクスキエ)の戦い」に破れ、天武天皇は決断しました。
 国名を「日本」として自主独立の道を歩むこと、それまで「大王」だった呼称を「天皇(スメラミコト)」とすること。
 それから1350年経った今も、「日本」に「天皇」がおられます。

三 耐えねばならない時期には中途半端に動かずじっと耐えて出発の準備に励みましょう。
燕雀(エンジャク)安(イズク)んぞ、鴻鵠(コウコク)の志を知らんや」。
 燕雀(ツバメとスズメ)のように小さな鳥には、鴻鵠(シギとサギ)の飛ぶ世界を理解できません。
 だから、鴻鵠たちは遠くへ飛ぶための準備として高い木のてっぺんに止まりますが、燕雀たちは「わざわざあんな高い所へ登るなんて」と笑います。
 しかし、時が至れば、鴻鵠たちは燕雀たちの視界の彼方へ飛び去ります。
 また、「鳴かず飛ばず」という故事もあります。
 危ない目にあった王様は、「余計な口出しをすると死刑にする」というお触れを出して、政事を放り出しました。
 やがて国が乱れ、家臣の一人が王様へ謎かけをします。
「一羽の鳥がいて三年間、飛ばず鳴かずです。この鳥は何という鳥でしょうか?」。
 王様は答えます。
「三年飛ばない鳥がひとたび飛んだならば、天までも達するであろう。ひとたび鳴いたならば、天下を驚かすほどの声を出しもしよう。もうしばし、待て」。
 そのうちに死刑覚悟で直訴する忠臣が現れ、ついに王様は動きます。
 そして、国政を我がものにしようとしていた人々を追い払い、真に国を考える人々を選んで新たな国造りをしました。

四 リーダーは良き補佐官に恵まれれば大きな力を発揮できますが、独断的であれば挫折へ近づきます。股肱之臣(ココウノシン)」という言葉があります。
「股」は身体の腿、「肱」は肘です。
 いずれも足や手が動く場合に要となり支えとなるので、「信頼でき頼れる部下」という意味です。
 広島に原爆が落とされた昭和20年8月6日から3日後の9日、戦争終結のために御前会議が行われました。
 臨席された昭和天皇は御年44才、その股肱之臣とうたわれた内閣総理大臣鈴木貫太郎は77才でした。
 陛下の願う混乱のない終結を実現するためには天皇陛下の御聖断を賜る他の方法はないと考えた鈴木総理は、チャンスを待ちます。
 日付の変わった翌10日午前2時をまわり、ポツダム宣言を即時受諾すべきとする東郷外相と、条件付受諾を譲らない阿南陸相との両説が互いに譲れないことを見極めた上で、御聖断によって決したいと発言しました。
 もはや、議論は出尽くしており、老総理に異論を唱える者はいません。
 陛下は、ただちに即時受諾への賛意を示され、方向が決まりました。
 そのおり、陛下は涙を流されましたが、自分の心中を察しながら絶妙のタイミングをつくった鈴木貫太郎への思いがあったのではないかと言われています。

 さて、今月の修行です。
布施(フセ)行と運勢水を供えましょう。
 精進の人は自分と他人を客観的に観て判断し、無事安全です。
 不精進の人は欲を出して他人の甘言に乗り、失敗させられがちです。
持戒(ジカイ)行と運勢塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人は認められなくても誠を尽くし、陽の目を見ます。
 不精進の人は認められない不満から暴発しがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢お花を供えましょう。
 精進の人は欲をそそる話に飛びつかず、無事安全です。
 不精進の人は目先の利益に惑わされて自分を忘れ、自滅へ走りがちです。
[精進行と運勢お線香を供えましょう。
 精進の人は目的意識を堅持し、支える人たちに恵まれます。
 不精進の人は、相手の言いなりになって自分を忘れ、裏切りに遭ったりしがちです。
[禅定行と運勢]飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は守るべきものを守って無事安全です。
 不精進の人は外向きの気持が強く、おかしなものに引っかかって散財しがちです。
[智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人は小さな失敗にも自重して慎み、大事に至りません。
 不精進の人は失敗を取りかえそうと焦って強引に進み、墓穴を大きくしがちです。

 皆さんの開運を祈っています。

〈ひとひら〉
230421 009



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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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2011
04.15

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その29)「福島県の野菜を食べよう会」を行う理由─

 当山へ深く理解を示す福島県在住のAさんからご質問をいただきました。
「なぜ、法務一筋の清浄なお寺をめざしている法楽寺がここまでやるんですか?
 きちんと説明してください。
 福間県民の一人として、いろいろな方がいろいろやってくださるのは確かにありがたいのですが、二つほど、心にひっかかることがあります。
 一つは、『かわいそう』と思われることを腹立たしく思う気持です。
 何の心配もない境遇にいる人がまったく普段通りの生活の中で、『福島県の人たちがかわいそうだからキュウリを買います』と言うテレビの画面へ、『結構です!』と怒鳴りたくなります。
 自分を安全なところにおき、いつもと変わらぬ生活をしている人から、簡単に、はいわかりました、かわいそうですねなどと言われたくないのです。
 もう一つは、福島県の窮状が営利行為や売名行為や思惑に利用されていることへの反発です。
 私たちは、見せ物にされたり、何かのチャンスと思われたりすることへとても敏感になっています。
 風評被害に負けず、現場で助け合いながら生き抜こうとしている私たちには、そうした人々へ対する耐え難い思いがあります。
 法楽寺が催事を行う本当の目的を答えてください。」

 まことにありがたいご指摘です。
 これは、「なぜ、お線香を捧げるのか?」という問いについての答え方と同じパターンになります。

 私がこう質問すると、多くの方々は答えられます。
「佳い香りがするから」
「お香は、向こう側へ逝った方々の食べ物だと聞いたことがあるから」
「邪気を祓って清らかになる感じがするから」
「香りに乗って、自分の気持が届くような気がするから」
「香りが届いて、ご先祖様がやって来られるような気がするから」

 今度は私が答えます。
「とてもすばらしい気持が表れていますね。
 そう感じたり、思ったりする心を大切にしてください。
 お線香を捧げる実践を続けてください。
 でも、供養の意義としては、もっと深いものもあり、そこまで考えてこそ、慣習ではない真の宗教行為になります。
 釈尊が入滅された後、捧げるお線香やお花などについての考察が進められ、卓越した行者たちはついに、それらが人間修行の根幹にかかわっていることに気づきました。
 捧げものと修行との関係です。
 仏道に励み菩薩(ボサツ)をめざす行者は必ず六波羅密(ロッパラミツ)行を行います。
 悟りへ至るために欠かせない6つの心をつくる修行です。
 では、お線香と修行はどういう関係にあるか?
 お線香は、いったん火をつけられれば淡々と自分を燃やしながら佳い香りをふりまき、燃え尽きた後にも佳い香りを残します。
 この姿こそ『精進』そのものであって、行者はお線香の香りと共に精進の心をつくり深めます。
 だから、皆さんはお線香を捧げる時、『お線香のように精進しますから、どうぞ安心してください。どうぞお守りください』と念じてください。
 皆さんが人間修行を行い、お線香のように精進する姿を見ていただく以上の供養はありません。
 このように、お線香を捧げる供養には、深い意義もあります。
 ぜひ、佳い香りを捧げるという気持から、精進の誓いまで、心を深めてください。」

 では、このパターンと今回催す会の関係はどうなのか?
 佳い香りを捧げようとしてお線香を点すことと、福島県の方々は大変だろうなと思ってキュウリを買うことは、同じく〈第一段階〉です。
 では、精進の誓いと同じ〈第二段階〉は何か?
 それは「共業(グウゴウ)に気づき、共業(グウゴウ)を清めようとすること」です。
 だから「風評被害は恥ずかしい・原発事故はみんなの問題」としました。

 私たちは生きながら善い業も積み、悪い業も積みます。
「私は業が深いから……。」などという場合は、「私は悪業をたくさん積んできたから、その結果、今の境遇になったのはしかたがない」という意味です。
 こうした一人一人の業が集まって共業という社会的な業がつくられています。
 業の堆積が歴史であり、わたしたちが今、どういう社会に住んでいるかを考えれば、これまで積まれた業の様子が理解できます。
 今の日本全体にとって最大の問題は原発事故の帰趨です。
 原発は私たち皆が積み上げた業の結果として造られ、悪魔となって私たちを追いつめています。
 事故の根本原因は、原発を造った共業であり、地震と津波は、事故を起こした間接的な原因(縁)であることをはっきり認識したいものです。
 だから、問題を解決するための出発点は、「自分たち皆でつくった悪しき共業は、自分たち一人一人が善い業を積むことによって変えねばならない」と気づくことにあります。

 悪しき共業の結果としてもたらされた苦を共有し、一人一人が善い業を積まなければ社会は変わらないという認識を肝に銘じていただく機会をつくるのは宗教者の役割です。
 事故の現場では、昼夜を問わず我が身を捨てた奮闘が続けられ、農家の方々は出荷制限や作付け禁止などに打ちのめされ、風評被害に追い打ちをかけられてなお、農業の未来のために奮闘を続けておられます。
 ぜひ、「福島の方々は大変だろうなあ」と心から思いやり、実際に野菜を買って食べ、「自分もかかわっているのだから、自分のできることをやる」実感を持っていただきたいと心から願っています。


〈笑顔です〉
230415 0062



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