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2014
05.18

他人を変える祈りが自分を変えた話

20140517007.jpg

 以前、職場の人間関係に悩み、同僚たちのためにも相手の人間性が変わって欲しいと切実な願いをかけたAさんは東京に住んでいる。
 Aさんは『法楽の会』と『ゆかりびとの会』へ入会し、遠くにいながら勉強し、祈り続けてきた。
 久方ぶりのメールにはこうあった。

「上司は朝一番の電車に乗り、工事現場については門を開けます。
 そして仕事が終われば、一番最後に門を閉めて帰ることになります。

 上司は、一番多くの種類の仕事をする現場の人間です。
 上司は、メンバーがミスをすればお客様に叱責を受けなければならないのです。

 上司は私達の体調を心配して、飲み物をくれたりしました。
 現場では、笑顔のことが多いかたです。

 上司は疲れていたと存じます。

 仕事を辞めたいと思っても辞められない立場のはずでございます。

 怒鳴り散らしたかったに違いありません。

 私達は上司の人格に問題があると考えて毛嫌いしました。
 相手の立場に立っておらず、感謝さえしませんでした。」


 そして、Aさんの短い文章は「上司の役に立ちたい」と結ばれていた。
 転迷開悟(テンメイカイゴ)とはこのことである。
 自分の心一つで、この世はじりじりと我が身を焼く地獄から、向上の機会に満ちた極楽へと姿を変える。

 もちろん、この世には、戦争や差別など、個人的な力だけでは抗しきれないほど巨大な社会的業(ゴウ)の集積が生む地獄はある。
 しかし、それもまた、解消しようとするならば、我が身がつくる業(ゴウ)を省みるところにしか真の端緒はない。
 戦争に対する想像力の欠如や争いへと傾斜する修羅の心や、あるいは自分よりも弱い立場の者へ対する高慢心や品のない自己顕示欲などを恥じ、懺悔した上で社会的業へ立ち向かえば、その刃には清浄な光が宿る。

 Aさんは確かに菩薩(ボサツ)の道を歩み始めている。
 Aさんの慈光は必ずや上司を変え、同僚を変えることだろう。
 お釈迦様やお大師様に会われた方がきっと、開ききっていない心の眼が見開かされたであろうように。

 北原白秋の『(サザナミ)は』を思い出した。

は誰が起すの。
 葦の根の青い鴨だよ。

 鴨の首月をあびるよ、
 みづかきがちららうごくよ。

 くろい影なんでうごくの。
 でこぼこの水の揺れだよ。

 おや、鴨はどこへいつたろ、
 波ばかりちららひかるよ。

 ほいさうか、鴨が見えぬか、
 あまり照る月のせゐだよ。」


 鴨は誰であろう、月は誰であろうか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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2013
06.29

大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも

2013062900002.jpg
北原白秋記念館さんからお借りして加工しました〉

20130629001 (2)
サルバドール・ダリ「足の習作」〉

 北原白秋の一首です。
「大きなる 手があらはれて 昼深し 上から卵を つかみけるかも」

 時間が止まったような真昼のシンとした静寂の中、空中からヌッと巨大な手が現れ、大きな卵を掴み去るとても超現実的なイメージがあります。
 思わず、サルバドール・ダリのデッサン「足の習作」を思い出しました。
 まぎれもなくそこにあるそのものが、そのままで、一瞬にして異次元性を顕わにし、否応なく私たちを現実からワープさせてしまいます。

 この歌には種明かしがあります。
 前後にあと二首、詠まれています。
「煌々(コウコウ)と 光りて深き 巣の中は 卵ばつかり つまりけるかも」
「かなしきは 春画(シュンガ)の上に ころがれる 七面鳥の 卵なりけり」
 冒頭の一首は、巣の中にたくさん産まれていた七面鳥の卵を見つけた人間がつかみとり、春画の上に転がしたままにしている光景なのです。

 永田和宏氏は『近代秀歌』の中で指摘しています。
「一首の歌は、必然的に前後の歌から干渉を受けて、その意味合いを微妙に変えていくものであるが、いっぽうで、一首の歌は一首の歌として独立して観賞することも必要なことなのである。
 白秋のこの歌は、一首と一連という、歌の立ち位置を考えるうえで興味深い問題を提起している歌である。」

 ともあれ、この歌を支えているのは「昼深し」です。
 太陽が中天にあり、盛り上がる陽の気が止まって陰の気へ切り替わってゆく真昼には、常に動いている万物にもまた止まる瞬間があるかのような感覚をもたらす場合があります。
 種田山頭火は恐ろしい作品を遺しています。
「昼ふかく草ふかく蛇に呑まれる蛙の声で」
 野原にいる彼を包んだ静止の時間にポンと飛び込んできたカエルの声が、昼の深さと草の深さを際立たせたのでしょうか。
 それとも、すべては昼の深さがもたらした幻想なのでしょうか。

 また、活きた感性の広がりにも驚かされます。
 北原白秋といえば、28才のおりに作詞した『城ヶ島の雨』が真っ先に思い浮かびます。
「雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる
 雨は眞珠か 夜明の霧か それともわたしの忍び泣き
 舟はゆくゆく 通り矢のはなを 濡れて帆あげたぬしの舟
 ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの心意気
 雨はふるふる 日はうす曇る 舟はゆくゆく 帆がかすむ」
 その2年後にこうしたシュールな歌が生まれているとは……。

 ちなみに、私がときおり、サルバドール・ダリの作品に触れるのは、しゃきっとさせてくれるからです。
 たまたま出会った冒頭の一首にもかなり、しゃきっとさせられました。
 もしも皆さんが短篇小説にそれを求めるなら、本谷有希子氏の『嵐のピクニック』がお勧めです。
 特に「私は名前で呼んでる」などをサッと読むと、頭脳回路がガラガラポンされて爽快になること請け合いです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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2008
11.28

日本の歌 98 ─揺籃のうた─

揺籃のうた
  作詞:北原白秋 作曲:草川信 大正10年、『小学女生』に発表

1 揺籃(ユリカゴ)のうたを
  カナリヤが歌うよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ

2 揺籃のうえに
  枇杷(ビワ)の実が揺れるよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ

3 揺籃のつなを
  木ねずみが揺するよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ

4 揺籃のゆめに
  黄色い月がかかるよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ


 この歌は、子守歌の代表格である。
 もちろん、唄ってもらった記憶はない。
 子供へも唄ってやった記憶はないが、妻の歌声を聞いたこと、また、子供の寝顔を見ながらこの歌を思い出したことはある。
 妻と二人で、黙って我が子の寝顔へ見入っていたのは昨日のできごとのようだ。
 子供を安らかな眠りへ導くための子守歌が、親にとっても安らぎとなるのは不思議なものである。

 寝顔と歌のあった場面を思い浮かべると、今の生活に伴って発生しているいかなる問題も夢幻のように思えてくる。
 確かにあった〈真実〉、過去となってしまったが時を超えていつでも魂へ響く〈真実〉こそが実在であり、転変極まりない現象世界はかりそめのものでしかない。
 真実世界とかりそめの世界は表裏一体である。
 苦楽、泣き笑いが交錯する時間の流れの中に、キラッと光り、永遠にとどまる瞬間がある。
 その時、私たちは真実という宝ものに出会っている。
 宝ものがあるからこそ、かりそめの世をどうやら生き抜けられる。
 それは「み仏からの贈りもの」に相違ない。

 運転中に、古美術鑑定家中島誠之助氏の話を耳にした。
 彼は、「マニアックになってはいけない」という。
 膨大なものや情報が行き来する現代にあって、関心と研鑽の対象が狭い分野だけでは、きちんと感性を磨けないのだ。
 感動が土台になり、その上に知識という家が建って初めて感性がはたらくともいう。
 知識が先走ると、どうしても欲という家が建ち、だめになる。
 文学であれ、音楽であれ、美術であれ、あるいは風景であれ感動の対象は無制限である。
「佳い」と感じる感性は何に対してもはたらくものであり、純粋な感動によって磨かれた感性は、どこにでも「佳い」ものを見つけられるはずである。
 かねて流行語になっている「オタク」に感じていた危険性を、彼は見事に解き明かしてくれた。

 まことのもの、よきもの、うつくしきものは、真実の見せる三面である。
 真善美に魂が感応し、感動という土台の上にさまざまな家が建てられる人生であれば幸せと言えるのではなかろうか。
 この歌も、その土台にかかわる貴重な作品であることは疑いない。
2007
09.10

日本の歌 32 ―この道―

39 この道
  作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰作 昭和2年『童謡百曲集』第3集に発表 


1 この道はいつか来た道
  ああ そうだよ
  あかしやの花が咲いてる

2 あの丘はいつか見た丘
  ああ そうだよ
  ほら 白い時計台だよ

3 この道はいつか来た道
  ああ そうだよ
  お母さまと馬車で行ったよ

4 あの雲もいつか見た雲
  ああ そうだよ
  山査子(サンザシ)の枝も垂れてる


 鈴木三重吉が創刊した『赤い鳥』に共鳴した北原白秋は「童心に還れ」と主張して「浪漫主義の詩王」とまで讃えられ、西条八十や三木露風と共に子どもたちの心を表現し続けた。
 童心は母親への思慕が核となって成長し、やがては生きとし生けるものへの優しさとなって拡がる。
 
 文学に志した白秋は早稲田大学をめざし上京しようとするが、家業を継がせたい父親は絶対反対だった。その志を認め成就を祈り続けた母親は、親以上の存在だったのではなかろうか。
 思い出は「お母さま」に凝縮され、「かたじけない」という根本感覚を得た白秋は崇敬の念をもって母親を心の満月へ招き入れている。

 体験も、思い出も、白秋個人のものである。
 しかし、霊性の発露によって表現された心模様は、第三者の霊性へ訴える力がある。
 霊性は仏心の顕れであり、仏心はあらゆる人々が共有するいのちの大海である以上、当然である。
 この歌を守って行きたい。
2007
06.21

日本の歌23 ―からたちの花―

29 からたちの花

   作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰 大正12年「赤い鳥」に発表

   14年作曲され、オペラ歌手藤原義江が唄った


   

1 からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ

  からたちの棘はいたいよ 青い青いはりの棘だよ



2 からたちははたの垣根よ いつもいつも通る道だよ

  からたちも秋は実るよ まろいまろい金のたまだよ



3 からたちのそばで泣いたよ みんなみんな優しかったよ

  からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ



 普通、詩は詩人の体験などから生み出されるものですが、この歌は、作曲した山田耕筰の生い立ちを聞いた北原白秋が、自分の生家にあったからたちの花を思い出しながら作りました。

 

 明治19年に生まれた山田耕筰は、10歳の時、医師で伝道者だった父親が他界したため、巣鴨の印刷工場へ奉公に出されました。

 強い人間に育って欲しいと願った母親は、病気以外で家へ帰ってはならぬと言い聞かせました。

 工場の労働条件は酷く、約束だった夜学へはほとんど通わせてもらえず、朝から晩までこき使われる毎日でした。

 食事も乏しいもので、秋にはからたちの実を摘んで食べたこともありました。

 頑張り抜こうとした山田耕筰は13歳で身体を壊し、ついに母親の元へ帰りました。



 北原白秋が作った短い詩には、山田耕筰の思いが凝縮されています。

「青い青いはりの棘」は、厳しく辛い環境です。

「まろいまろい金のたま」は、空腹を満たす自然からの贈り物です。

「泣いたよ」は、からたちの垣根に隠れて密かに涙を流した思い出です。

 そして、「みんなみんな優しかったよ」は、大病を患って生死の境を彷徨った人間にもたらされた、すべてを赦す大きな心です。

「泣いたよ」に「みんなみんな優しかったよ」が続くとは、何という流れでしょうか。

 おそらくは、山田耕筰のそうした心の昇華をはっきりとつかんだ北原白秋が乾坤一擲で作った一節でありましょう。



 詩が発表されたのは山田耕筰が37歳の時、そして彼は39歳になってから曲をつけました。

 詩は一番二番三番となっていますが、曲は全部を通した一曲になっています。

 4分の2拍子と4分の3拍子が代わる代わる現れ、ト長調ですがトで終わるのは最後だけ、それも高いトで、PPP(ピアニッシッシモ)にフェルマータ(適当に長く伸ばす記号)がついているという繊細さです。

 特に、「まろいまろい」がピアノで始まってフォルテとなり、「たまだよ」までの間にピアニシモまで抑え、さらに「からたちのそばで泣いたよ」がピアニッシッシモになっているあたりは圧巻です。

 最後の「からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ」は、ピアノからピアニッシッシモまでどんどん弱くなり、「よ」は消え入るようなイメージです。



 日本人でなければ、作り得なかったのではないでしょうか。

 文字通り不朽の名作と言うべきです。





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