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2015
03.25

誰もが等しく宝ものを持っていることに気づけるか? ―テロリストの思考、仏教の思考(その1)―

201503240010123.jpg

 3月24日付の産経新聞は「
テロリストの軌跡・チュニジア襲撃(下)」において、実行犯の心が急変していた様子を報じた。

「『あなた方は本当のイスラム教徒ではない』。
 チュニジア博物館襲撃事件を実行して射殺されたジャーベル・ハシュナーウィ(19)が、家族に言い放った。
 聖典コーランに極度に傾倒するようになって間もなくのことだ。

 イスラム過激派が広く共有する思想に、『タクフィール(不信仰者宣告)』がある。
 たとえ同じイスラム教徒でも、信仰が足りない人や『敵』に協力的な人を不信仰と決めつけ、殺害さえ正当化する。

 高校生のジャーベルは『普段は家族と言い争うことはなかった』(兄のムラード)。
 が、こと宗教に関しては家族さえも一方的に断じる教条的な言葉には、過激思想の萌芽(ほうが)がある。」

「後にジャーベルとともに射殺されるヤシン・アビーディ(27)にも、似た傾向があった。

 昨年、ヤシンの近所に住む幼なじみはガールフレンドとお茶を飲んでいたところ、ヤシンから『男女交際はハラーム(宗教上の禁忌)だ』と難詰された。
 周囲との交際を絶っていたヤシンから聞いた久しぶりの言葉は、極めて攻撃的なものだった。」

「比較的ゆとりのある家庭で不自由なく育ち、真面目との評価も受けてきた2人。
 だがその性格は、信仰心が強くなるに従い他者への不寛容につながっていった。」


 狂信者が他の価値観を認められなくなる典型的なパターンである。
 肉親の情や恩さえもが、たやすく見えなくなり、忘れ去られる。
 心の目に頑強なフィルターがかかったのである。
 このフィルターはどこから来るか?
 難問を解くカギが、お釈迦様の悟りにある。
 仏教思想の根幹をなす十二因縁である。

 密教研究の専門誌『密教メッセージ NO20』(「密教21フォーラム」発行)において、北尾克三郎師は、難解とされているこの理論をわかりやすく説かれた。

1 無明(ムミョウ)
 人間と生きとし生けるものはみな生存欲(個体維持と種族保存の欲求:呼吸・睡眠・飲食・生殖・群居・情動など)をもって生まれてくるが、生の始まりにおいて知識はない。
2 行(ギョウ)
 だからまず、その生存欲にもとづいて活動する。
3 識(シキ)
 活動することによって学習し、世界を識別する。
4 名識(ミョウシキ)
 識別された世界がイメージとなったファイルされる。
5 六処(ロクショ)
 それらの識別されたイメージファイルによって、眼・耳・鼻・舌。身体・意識がはたらく。
6 触(ショク)
 眼は色・かたち・動き、耳は声・音と音のリズム・メロディー、鼻は匂い、舌は味(甘味・辛味・苦味・酸味・塩味)、身体は感触(動作の機敏さと強さ、物質の重さと軽さ、硬さと軟らかさ、熱さと冷たさなど)、意識は意味をとらえる。
7 受(ジュ)
 感受されたイメージが快・不快を生む。
8 愛(アイ)
 その快・不快が対象への愛憎を生む。
9 取(シュ)
 愛憎が対象への執着(煩悩)を生む。
10 有(ウ)
 その執着があるから生存が生じる。
11 生(セイ)
 生存があるから生が生じる。
12 老死(ロウシ)
 その生があるから老いて死ぬ。


 その結論である。

「以上の考察によって、釈尊は『人間の煩悩が識別を因とし、執着を果としている』(縁起論)とし、そのことによって『印と果をもたらす識別は人間の意識がつくりだしたものに過ぎないから、もともとはなかったものである。因がなければ果は生じないし、果がなければ因もない』(縁滅論)と結論づけた。
 しかしまた、果としての執着があるから、その執着が因となって人間は生きることができると結論づけた。
 その『縁起論』と『縁滅論』が〝方便〟であり、また、執着によって生きることを認め、その執着を許す心が〝慈悲〟である。
 仏教の根幹がここに誕生した。」


 この世に生まれた私たちは否応なく、このように生きている。
 変えようのない事実であり、ここに観られるのが人生の真実である。
 お釈迦様はまず、この理を悟られた。
 しかし、私たち凡夫はなかなか理解できないので、身近に起こる事象に応じて、理解できる範囲をわかりやすく説かれた。
 それが対機説法(タイキセッポウ)である。
 事象は膨大であり、説法の解釈も時により、所により、人によりさまざまなので教典も膨大なものとなった。
 この全体像をまとめたのがお大師様の「十住心論(ジュウジュウシンロン)」である。
 「十住心論」の解説書としてお勧めなのは、古くは文豪菊地寛著「弘法大師とその宗教」(大東出版社刊)であり、最新かつ最奥と思われるのが、高野山開創1200年を記念して出版された満福寺住職長澤弘隆師著『空海の総合仏教学』(ノンブル社刊)である。

 さて、重大なポイントはここにある。
「執着によって生きることを認め、その執着を許す心が〝慈悲〟である」
 お互いが、生まれた瞬間から否応なく識別行為と執着によって生きている以上、同じ存在パターンを持ち、同時に、それぞれが皆、異なった心といのちで異なった人生を生きているという事実をそのままに観れば、自他の生はおのづから〈等しく〉〈愛しく〉感じられるではないか。
 また、ものごとが因縁によって起こる(縁起論)以上、起こって欲しくないものごとは原因を滅すればよい(縁滅論)という原理は、よりよい自分、よりよい世の中を創るための適切な方法を見つけ出そうという意欲をもたらす。
 この方法こそ、真の意味での「方便」である。
 方便を見つけ出させるはたらきを智慧という。
 だから仏教は慈悲と智慧の宗教である。
 心の目に頑強なフィルターがかからぬよう予防し、治療する方法が慈悲と智慧にありはしないか?

 以下、(その2)としたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





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2014
10.05

「おん」と「うん」の話 ―オウム真理教の失敗と真の仏陀(その2)―

201410050001.jpg
〈春昼堂さんの観音様です〉

 前回(その1)の続きです。

1 上昇し、戻ってくる

 オームと口にしながら祈り、ついに絶対の安寧を得ても、それだけでは真の悟りではなく、〈人間の地平〉にたち戻り、人々の〈賢明な友人〉になってこそ仏陀、すなわち悟りを開いた人と言えます。
 ゴヴィンダ師は説きます。

オームは普遍性への上昇であり、フームは普遍性の状態の、人間の心の深みへの降下である。
 フームはオームなしにはありえない。
 しかし、フームはオーム以上である。」


 オームによって高まり、清まりして苦しみを離れ、そこにありながら今度は、フームと深まり、凡夫の生活にある真実世界を開きます。
 ゴヴィンダ師はウパニシャッドの文を紹介しています。

「現世的なもののみを崇拝する者は暗闇の中にいる。
 しかし、無限なもののみを崇拝する者は、さらに大きな闇の中にいる。
 両者を受け入れる者は、前者の知識によって自らを死から救い、後者の知識によって永遠性を獲得する。」


・現世的なもののみを崇拝する者……見聞きし、泣き笑いする現実だけが実在であると思い込み、み仏や悟りを考えず、欲やモノに流されている人々
・無限なもののみを崇拝する者………抽象的で概念的な知識や観念のみを尊び、喜怒哀楽の中で生き死にする生(ナマ)の現実を軽視・蔑視する人々

 いずれも極論に走っており、問題です。
 理想的なのは、両極端を離れた人です。

・前者の知識によって自らを死から救う人……現世をよく観て、人々が空(クウ)を知らず、こだわり、自己中心的な気持によって真の思いやりが持てず苦しんでいることに学び、やがては死をも克服できる人
・後者の知識によって永遠性を獲得する人……概念や観念によって考えるだけでなく、そうした思考を生かした体験をすることによって真実を生き、現在の自分がそのまま不動の永遠へとつながってゆく人

 両方のタイプを身につけた人になりたいものです。
 
 始まりのオームは「おん」であり、帰依です。
 終わりのフームは「うん」であり、真理・真実による救済です。
 オームによって幻の我(ガ)を離れ、苦を脱して絶対の安寧つまり解脱(ゲダツ)の世界へ入ります。
 しかし、いのちも意識も、他者との関係性の中でしか存在できません。
 もう〈自分だけ〉は大丈夫、と、仙人か神にでもなったような気持になるのは錯覚です。
 誰一人として天地自然、人間社会といった現実の〈おかげ〉なくして生きてはいられないからです。

 ゴヴィンダ師は説きます。

「オームの体験はフームの体験によって覆われ完成させられなければならない。
 オームは太陽でフームは大地の如くである。
 眠った生命を目覚めさせるには、太陽光線は大地の中へ入ってゆかねばならない。」


 苦を克服し、無限の強さと清らかさと温かさで太陽のようになった魂は、生まれ、死に、泣き、笑う有限な現実に溶け込み、今という瞬間の中に無窮の時間をつかむような境地へと達してゆかねばなりません。

「より深いフームの体験に到達しそれを理解するためには、オームの体験を経過していなければならない。
 オームがマントラの始まりにあり、フームがおしまいに置かれる理由はここにある。
 オームにおいて自己を開き、フームにおいて自己を与える。
 オームは知識の扉であり、フームはこの世においてこの知識を悟るための扉である。」


2 フームが魔除けの力を持つ理由

 ゴヴィンダ師は最後に、なぜ、フームが「悪魔を打ち破り魔軍を撃退する」のか、その秘密を解き明かします。
 サンスクリットの「フ」には、「犠牲にする。犠牲の行為または儀礼を遂行する」という意味があり、フームには「犠牲の響き」があります。
 ところで、お釈迦様が認める犠牲はただ一つ、自己犠牲です。
 師はお釈迦様の言葉を示します。

「ブラフマンよ、私は祭壇の火には
 どのような木もくべはしない。
 私が燃やす焰の中でのみ燃やすのだ。
 私の炎は絶え間なく燃え、自ら燃え続ける。
 ――心がその祭壇である。
 その祭壇の上の焰――それはよく抑えられた自己である。」


 密教では、願いを込めた護摩木を護摩壇で焚きますが、それは外護摩(ゲゴマ)と言う修行です。
 それを体して心で焚く護摩は内護摩(ナイゴマ)と呼ばれており、この教えそのものです。

 また、フームは大地へ触れる触地印(ソクチイン)という印を結びながら唱えられますが、それにも深い意味があります。

「仏陀はその仕種によって、今生および前世において為してきた無数の自己犠牲の行為の証人として、大地の神を勧請(カンジョウ)するのである。
 この至高な犠牲の力こそが、〈悪魔(マーラ)〉を打ち破り、魔軍を撃退するのである。」


 このように、密教の真言も印も観想も、すべて、お釈迦様に始まる真理と真実を探求する歴史の精華です。
 真言は単なる魔除けの呪文ではありません。
 明確で生き生きした心象のはたらきが言葉となったものです。
 
3 観音菩薩のオームとフーム

 さて、穏和な観音様の真言(マントラ)は、最後に強力なフームを含む「オーム マニ パドメー フーム(オーム、宝珠よ、蓮華よ、幸いなれ)」です。
 この真言は、観音様が私たちを救うために、たとえ地獄でさえも現れてくださるという智慧と慈悲の〈最高の表現〉です。
 冒頭の言葉に「フームはオーム以上である」とされているとおりですが、このことを知ったからといって、すぐに救われるわけではありません。
 ゴヴィンダ師は、至心に唱え、魂が感応すれば「閃光のように現れる」ものを感得できると説きます。
 ちなみに、北尾克三郎師は、「うん」についてお大師様が説かれた解釈をかいつまんで述べられました。
「『ウ字』そのものは、もともとあるがままに存在していて生じたものでないものは、損なうことも減ることもないことを象徴する。」(「エンサイクロペディア空海」より)
 至心に唱える〈自分〉は、いかに輪廻転生を繰り返そうといつも自分であり、万物が生じ、滅する場である宇宙もまた、ずっと宇宙です。
 損なわれることもなければ、減りもしません。
 こうした境地に立てれば、時に応じことに応じて菩薩(ボサツ)らしく自己犠牲的行為を行い、悪魔につけいる隙を与えないことでしょう。
おん」から「うん」へつながる世界の完成です。

 チベットの人々はこう学びつつ観音様の真言を唱えているので、かつてNHKが取材したとおり、死魔に負けず平安な暮らしをしてきました。
 しかし、その生活も文化も今、中国政府によって消滅させられようとしています。
 ちなみに、日本の真言宗が唱える聖観音様の真言は「おん あろりきゃ そわか(帰命します、蓮華尊よ、成就あれ)」です。




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





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2014
09.22

祈りを込めた木簡(モッカン)は六角形 ―無限のつらなりへ―

20140921012422.jpg
六角形の木簡〉

20140921010112.jpg
〈木簡マンダラ〉

 人類は地・水・火・風をずっとイメージしてきた。
 仏教がそれに空(クウ)を加え、お大師様が識(シキ)も加えて六大(ロクダイ)の思想ができた。
 北尾克三郎師は「エンサイクロメディア空海」において、六大を物理的秩序とし、解説した。

 空海の『即身成仏義』即身の詩の第一句に
六大無碍(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり」(固体<地>・液体<水>・エネルギー<火>・気体<風>の存在要素と、それらから成るあらゆる生命とその生命の有する知覚<識>は、空間<空>の中で常にさえぎるものなく、無限に結びつき、とけあっている)とある。

 同じことを『生態学入門』でも説く。

「住み場所は、空間であり場所である。それは、生物自身が、そして世界の構成要素自身が、すべては空間的にしか存在していないという構造によっている」
とある。

 また、
「各種生物の生存するこの空間は、物質によって形成される地形<固体>と、その場所の気候<エネルギー>や土壌、水質<液体>と、大気<気体>によって物理的特性をもち、そこを棲み分ける生物(植物/動物)によって、景観という相互に知覚<意識>しあう環境を生じている。
(このあらゆる生物の有する知覚能力とエネルギー代謝による広義の意味での意識が空海の説く<識>である。この要素を加えて、地・水・火・風・空・識の六大を存在の構成要素としたのは空海の先見であった)
とある。

 空海は今日の生態学によって分析された存在の根元となる要素とまったく同じ要素をすでに洞察していた。
 そうして、それらによって形成される物理的秩序の中にヒトの存在を置いた。


 大乗仏教の根幹は菩薩(ボサツ)になるための六波羅蜜(ロッパラミツ)行である。
 当山では六角形のマンダラに表し、修行を行っている。

20140922六波羅蜜の修行

 今回、当山は、「不戦日本」の祈りに賛同される方々の願いを込めた木簡(モッカン…木製のお札のようなもの)を六角形とした。
 六角形はマンダラを形成し、どこまでも連なることができる。
 お大師様が説かれた六大の思想にちなみ、人間存在の構成要素すべてをかけて不戦を願い、菩薩(ボサツ)の行をふまえ、同志の思いを堂内いっぱいに広げてゆきたい。
 日本国中へ広げたい。
 世界へ、地球へと広げたい。
 申し込まれた順に貼られる木簡は無限につながり、広がる。
 願いをエネルギーとし、不戦日本を貫きたい。
 その先にこそ、世界の平和も見えてくるのではないか。




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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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