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2012
10.30

「ゆかりびとの会」主催の芋煮会を終えました ─自然墓の申し込み・女子会の結成─ 

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即身仏の石碑を前にして〉

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〈先人も歩かれたこの道〉

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〈聖地を守るお地蔵様と大震災で犠牲になった方々をご供養するお塔婆〉

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〈さあ、また一歩、前へ進みましょう〉

 10月28日、荒天となるのを覚悟の芋煮会でしたが、幸いにして午前中は晴れ、大和町宮床の信楽寺(シンギョウジ)跡地と仙台市泉区の「みやぎ四国八十八か所巡り道場」見学は傘を使わずに行えました。
 信楽寺では、「興廃は人による」というお大師様の言葉を思い出しました。
 天皇の命によって造営された東北随一の伽藍(ガラン)も、創建当時は60人に及ぶとされた行者たちも今は物語の中で語られるだけであり、現地は草が伸び、樹木を支える大地でしかありません。
 今も私たちへ訴えかけてくるのは、やはり、即身仏(ソクシンブツ…生きたままで瞑想に入り亡くなった御霊)となられた住職が眠る石碑でした。
 地域の区長さんがわざわざ帰り道でご説明をくださり、ご自宅に伝わる信楽寺ゆかりのお宝を『宮床宝蔵』で保管してもらっているというお話には、あらためて歴史的な場であるという実感を深くしました。
 八十八か所巡り道場ではほとんどの方がぐるっと廻られ、聖地の気配を実感していただきました。
 気温が低くなったせいか、参道を遮る蜘蛛の巣がほとんどなく、カにも悩まされませんでした。
 芋煮会の会場へ着くころから雨になりましたが、広い会場は秋を楽しむ善男善女でいっぱい、日本に住むありがたさをあらためて実感しました。

 さて、会場やバスの中では楽しい会話も真剣な会話も交わされ、寺としては大きなできごとが二つありました。
 一つは、住職から考え方を詳しく聴いて納得したというAさんが、自然墓(シゼンボ)の契約第一号となってくださったことです。
 契約を検討中の方々も少なからずおられます。
 まず理想の旗を掲げ、それに賛同、協力してくださる方が現れて目に見える形となり、やがて参加される方が重なって発展するという理想的な流れとなっているのはまことにありがたいというしかありません。
 もう一つは、帰り道に、バスの中で「女子会」を結成しようというご提案があり、拍手、承認という雰囲気になったことです。
 自主的に支えようとしてくださる方々は三宝の一つ僧宝(ソウボウ)です。
 仏宝(ブッポウ)と法宝(ホウボウ)とで三本柱となる僧宝は、プロの僧侶だけを指すのではありません。
 み仏を信じ、法を尊び、寺院を守ろうとする人々すべてが等しく僧宝です。
 見学し、楽しみ、その結果「皆でこの寺院を守ろう」という声が上がったことは、次代への引き継ぎを考えつつある当山にとってはまことに力強い限りです。

 実り多い一日は、新たな出発の日でもありました。
 感謝に耐えません、合掌




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2010
08.04

足立区の即身成仏(ソクシンジョウブツ)について

 足立区の事件そのものについては触れませんが、111歳になっていたはずの男性がミイラ化するきっかけとして即身成仏を望んでいたとの報道があり、密教の根幹である即身成仏思想について誤解が生じているのではないかと懸念してこの稿を書きました。
 マスコミのほとんどは、実際に日々、修法を行っている行者への取材をほとんど行わず、修法を端から見ている人の感想や、修法や慣習を調べ分析している人の意見しか採りあげないからです。
 真実は覆い隠されたままであるとの実感があります。

 さて、即身成仏については、お大師様(弘法大師空海)が『即身成仏義』で明白に説いておられます。
 それは「この身に即して仏に成っている」ことであり、この場合の「身」とは、ある特定の人の身体のみを指すのではないことを、まず、押さえておきましょう。

「いわく身とは我身・仏身・衆生身、これを身と名づく」。


「身」とは自分の身体であり、み仏のお身体であり、いのちあるものの身体である、すなわち、特定のはたらきをもっているもの全てを指します。
 だから、それは

「不同にして同なり、不異にして異なり」


ということになります。
 たとえば自分の身体と、お不動様のお身体と、友人の身体は別々だけれども、み仏の眼からご覧になられれば、それぞれが一緒になってあの世この世の存在全体をなしているのであり、分けようがないのです。
 見知らぬ南国で椰子の実がポトンと落ちるこできごとと、自分が今お茶を飲んでいるできごとは一見、何の関係もないかのようですが、世界の全体は、二つのできごとを含んでこそ成り立っています。
 もしも突然、自分がお茶を手にしたまま消えたならば、世界は一瞬にして崩壊してしまうことでしょう。
 それは、膨らんだ風船に小さな穴が開いたのと同じです。

 こうした真理はとても理解しにくいので、当山も、いつもは「身体も言葉も心も、み仏に合わせて、この身このままで仏になりましょう」と説法していますが、厳密に言うならば、「身体も言葉も心も、本来、この身このままで仏であることに気づきましょう。同時に、ネコも、ユリも、家族もすべて、み仏であることに気づきましょう」となるのです。
 なぜなら、『大日経』で説くインドの言葉「アビサンボーディ(成仏)」には「仏に成る」という意味はなく、「仏である」のが正確な内容だからです。
 大日経に正面からぶつかり、完全なマスターを求めて唐へ行ったお大師様のみが、この真理をつかんで帰国され、『即身成仏義』を著されました。
「本来仏である」と説く日本の各宗派はすべて、密教を土台にしている所以です。
 お大師様は、法を結べば、いつでも即身成仏の世界へ入られました。
 だから、2年前に自分の寿命を知った際、〈現世が即身成仏の浄土である〉という真理と、〈あの世へ行っても終わりの来ないのが菩薩行である〉という真理を示すために、印を結び座したまま別れを告げるという方法を決断されたのでしょう。

 こうして本質的なところを考えると、修法したままこの世に別れを告げたお大師様を慕うあまり、飲まず食わずでミイラになる「即身仏」と呼ばれる方々があらわれたのも理解できます。
 万民を永久に救うため、生きながらにしてみ仏そのものになり果てた姿を示し、人々を目覚めへ誘ったのでしょう。
 死してなお変わらぬ救済の意志を示し、仏法の真実を証明したのでしょう。
 
 しかし、皆さん、もしも、「そうか、即身成仏という方法があったのか」と考えるならば、今回見つかった加藤宗現氏のような死を迎えようとしてはなりません。
 まず、正統な密教寺院で正しく学び、「ああ、自分もこの世もすべて成仏している」と深く実感できる心を作られるよう、正しい修行をしてください。
 その結果として、手には印を結び、口には真言を唱え、み仏になったまま最期を迎えたいと願えるならば、その時点で「即身成仏」は完成されています。
 必ずしもミイラをめざす必要はありません。(めざすのは自由であり、尊い決断ですが……)

 ただし、最後につけ加えておかねばなりません。
 人の死は、形にかかわらず、いずれも例外なく厳粛です。
 自ら選んだ死を貶めてはなりません。
 ただただ、その思いを忖度し、黙って寄り添い、合掌しましょう。

 故加藤宗現氏の冥福を衷心から祈ります。合掌

〈じっと成仏しています〉
220803 016





「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



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