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2016
11.17

煩悩を敵視しない ─心をまっとうに弾ませる智慧─

2016-11-11-210.jpg
〈救いを求めて〉

「あれこれと煩悩(ボンノウ)が多くて、悩みが絶えません。
 私みたいな者は地獄行きでしょうね」

 笑い話混じりでも、あるいは真剣な目でも、こうした質問は不断に続いている。
 小生はこんなふうに応えたりする。

「自分が一つの生命体として生きたいと思う以上、煩悩はなくなりません。
 でも、もし本当に、生きたいと思わなくなったなら、心は弾むでしょうか?
 心が弾む毎日であってこそ、生きている甲斐があるのではないでしょうか?
 問題は、どういう心がけで、どう弾むかにかかっています。
 この〈どう〉をつかむためには、智慧が必要です。
 知識ではありません。
 それは、仏教を学び実践することによっても得られますが、決してそれだけが得る道ではないし、仏教徒なら誰でも智慧を身につけているわけでもありません。
 多様な人生の多様なステージで、まっとうに、真剣にやっていれば、必ずなにがしかの形でつかめることでしょう。
 なぜなら、それは自分の心の中に求めるしか得ようのないものだからです。
 だから、悟りを得る方法として、『大日経』は『実(ジツ)の如(ゴト)く自心を知る』と説いています。

 もちろん、〝こんな気まま勝手な自分の心に大切な智慧などあるはずがない〟と思うかも知れません。
 自分は悟ったなどと公言する尊大な人の高慢さに比べたら、あなたの謙虚さは宝もののように貴いのですが、諦めてはもったいないと思います。
 私たちは一人残らず、み仏の子です。
 み仏からいのちと心を授かってこの世へ修行に来ている以上、心の核としての仏心は必ずあり、仏心を灯火として安寧と感謝で生きられるか、それとも憂き世の暴風雨に翻弄(ホンロウ)され、混乱と憤懣で生きるかは、仏心に気づくか気づかないかによって異なります。
 そして、人生がさまざまであるように、きづくチャンスもさまざまです。
 まっとうに、真剣にやっていれば、いかなる境遇でも、いかなる仕事をしていても、必ずチャンスは巡ってきます。

 もちろん、気づくとは言え、これが仏心だと指し示せるものではありません。
 ただ、深い感謝の念が特定の対象を超えて無限に広がり、あらゆるものと〈共に在る〉と実感され、自分を含めすべてが〈在る〉ことそのものに対して堪えきれないほどの愛おしさを覚えるようになれば、気づいた証拠と言えそうです。
 そうなった時、もはや煩悩があるかないかは問題になりません。

 自分の煩悩とその恐ろしさに気づいたならば、モグラ叩きのようにやっつけたいとイメージするのではなく、他者のよき生き方や、生きものたちが無心に見せるいのちの躍動に感応する心を錆び付かないようにしたいものです。
 そして、お手本として学ぶ謙虚さを失わないようにもしたいものです。
 そもそも私たちは、この世に生まれ落ちてから、いったい、どれほどたくさんのお手本のおかげで生きてきたのでしょう。
 心のありよう次第で、アリも、コスモスも、新聞配達のおじさんも、ホームの駅員さんも、すべてお手本に見えてきます。
 そうした意味で、み仏は究極のお手本です。
 だから密教では、即身成仏(ソクシンジョウブツ)つまり、お手本に成り切ってしまおうとします。

 自分の煩悩に気づき、これではいけない、情けないと意識する人は、大切なスタート地点に立っています。
 その謙虚な気持を失わなければ、きっと周囲に〈仏心の輝き〉を発見することでしょう。
 輝きを認めるすなおな気持を失わなければ、きっと自分もそうありたいと思うはずです。
 そこから先は、それぞれのタイプや生きて来られた過程や、今の環境などにより、千差万別の形で〈方法〉を探そうとされることでしょう。
 寺院へお詣りしたり、経典を読んだり書いたりするのも一つのやり方です。
 どうぞ、自在にお考えください。」

 人であれ、社会であれ、自然であれ、周囲にかけがえのない価値を感じ、自分がそのために役立とうとするならば、弾んでいる心のどこに煩悩があろうか?
 煩悩即菩提(ボンノウソクボダイ…迷いはそのまま悟りでもある)とはこのことである。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





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2016
11.02

年忌供養の経文 ─身体と言葉と心を一つにしよう─

2016-11-02-0001.jpg

 年忌供養などを行う際、ご参列の皆さんにお唱えしていただく経典が最近、ようやくまとまり、用い始めた。
 御霊のためにお唱えしたい経文を集めると、どんどん長くなってしまい、一緒にやる方々が大変なので、ずいぶん試行錯誤してきた。
 かつてまとめた経典を毎日、ずっと読んでいてくださる方々もあり、頭が下がる。
 まず懺悔(サンゲ)して自分を清め、お導きくださるご本尊様をお讃えし、供養のまことを捧げ、その功徳を普く及ぼすという基本が皆さんにご理解いただければありがたい。

 お堂に皆さんの声が響くと荘厳さが増すだけでなく、場が柔らかく、温かくもなる。
 終わった後の皆さんの顔には清々しさが漂う。
 時には、小中学生がしっかり読んで、周囲が驚き、喜んだりもする。
 せっかく読んだ経文を手放せなくなる方もあって、たちまち増刷が必要になる。

 増刷といっても、当山ではほとんど自前でやる。
 パソコンと印刷機で経文を刷り上げ、あとは手作業で製本テープを貼ったりする。
 そこには住職の信念が顕れ、職員さんたちの誠意も表れる。
 こうして出来た経典を一緒にお唱えすると、同じ井戸の水を汲む仲間であると実感される。

 終わってから鋭い質問をいただき、貴重なやりとりが生まれる場合もある。
「読むのに必死で、ご供養の気持がどこかへ飛んでいましたが、よかったのでしょうか?」
 お答えする。
「まず、ご供養したいと心から願う気持でイスに座り、あとは経文に没頭すればよいのです」

 人としてやるべきことをきちんとやりたいと思って行動を起こし、思いやりの心で寺院へ詣で、必要な努力をし尽くせばそれ以上のことはない。
大日経』は説く。

「菩提心(ボダイシン…悟りを求める心)を因とし、大悲(ダイヒ…無限の思いやり)を根本とし、方便(ホウベン…正しく有効な手だて)を究竟(クキョウ…究極)とす」


 目的意識を持った時はその思いをしっかりさせ、読経に入ったならば経文へ没入し、その時々に、身体と言葉と心のはたらきを一体化することが肝要だ。

 たとえば、「病気が治りますように」と思って般若心経を唱える際、頭が病気に占領され、経文は口だけで暗誦されているのなら、身体と言葉と心がバラバラになっており、理想的な状態ではない。
 般若心経を唱えながら頭では〝お腹がすいた〟と思っているのと同じパターンであるということに気づけば、問題の大きさが実感される。
 私たちはどうしても〈バラバラ状態〉に陥りやすく、そこが迷いであり、悪業(アクゴウ)の土壌になりやすい。
 瞑想などで、身体も言葉も心もみ仏の世界に一致すれば即身成仏(ソクシンジョウブツ)だ。

 上記のやりとりが最近、制服をまとった中学生との間で行われた。
 唱えやすいので、お仏壇の前でやりたいと言う方もおられる。
 肝腎なものが皆さんの心へ届くためには工夫が欠かせない。
 ご縁の方々はそのことを教えてくださる。

 お大師様は説かれた。

「仏法は人によって興り、人によって廃れる」


 そして、時代は人によってつくられる。
 時代を嘆くだけでなく、ご縁の方々と一緒になすべきことをなしてゆきたい。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2016
10.09

寺子屋での法話と対話 ─心のゆとり・死刑廃止・入我我入・ご加持など─

2016-10-08-0010.jpg
入我我入のイメージ(『マンダラの読み方』よりお借りして加工しました)〉

2016-10-08-0011.jpg
〈ご加持のイメージ(『マンダラの読み方』よりお借りして加工しました)〉

1 心のゆとり

 今回の寺子屋では、主たるテーマとして、「優雅さ」「心のゆとり」について皆さんと共に考えました。
 それらは、家族など、親しい間柄を円滑に保つための秘訣です。
 できごとと守本尊様の関係などについてもお話ししました。

2 世の中のできごと

 最近、全国で問題が続出している政務活動費についての話題も出ました。
 もちろん、基本的には政治家本人の規範意識の問題でしょうが、議員同士であれ、役所の職員がからんだ場合であれ、ある程度、馴れ合った人間関係の中で、「正しさ」という面の弛みが引き起こした状況だからです。
 活発なやりとりがあり、皆さんの関心の高さが窺えました。

 10月7日に日弁連が初めて死刑廃止の宣言を行ったことも話題になりました。
 出席者の多数決によって「2020年までに死刑制度の廃止を目指し、代わりに終身刑などの導入を検討する」としましたが、宣言に反対する人々もいて、全会一致には至りませんでした。

 寺子屋に参加したAさんのご意見です。
「もしも、死刑囚のような凶悪犯が社会復帰したならば、急に、まっとうな人として生きて行けるでしょうか?
 第二・第三の事件を引き起こす可能性があまりにも高くはないでしょうか?
 また、犯した罪の意識は時が経つと共に薄れ、社会復帰したならば、少なくとも心に抱くものは軽くなって行くことでしょう。
 それに比べ、被害者のご遺族は、悲しみや苦しみや憎しみが固まることはあっても、それほど薄れて行くとは思えません。
 もしも、死刑の廃止によって加害者の心が楽になり、被害者の心がが重くなる傾向を助長するならば、不平等であると思います。」

 同じくBさんのご意見です。
「人間としてやってはならない一線を越えた時に死刑が待っていることは、少なからぬ抑止力になっているはずです。
 それが外されたならば、中高生ですらあまりにも簡単に人を殺してしまうような状況は必ず、悪化すると思います。
 また、死刑にならないことを悪用して、いずれ社会復帰できるのだからやってしまえ、と策謀をめぐらす者もあるでしょう。
 そして、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚がいまだに生きていることに象徴されるとおり、国家の判断で死刑になるべき者が一日一日と生きているために、国民の税金がつぎ込まれている実態は納得できないものがあります。
 これはあまり言うべきことではないでしょうが、死刑囚の近親者の中には、決まった以上、死刑になって早く一件落着となって欲しい人も少なからずいるのではないでしょうか。
 被害者の周囲の人々が第二の被害者であるのと同じように、加害者の周囲の人々もまた、第二の被害者なのです。
 死刑が廃止されれば、事件に巻き込まれてしまった人々の〈事実上、被害者であるという立場や意識〉を引き伸ばしてしまわないかと恐れます。」

 お二人のご意見には、国内世論に通じるものがあります。 
 日本では、アンケートをとると、いつも8割前後の方々が死刑制度の存続を望んでいます。
 一方、世界中で死刑廃止が加速しており、昨年、死刑を執行した国は、日本を含めてわずか25ヶ国しかありません。
 中でも、経済協力開発機構(OECD)に加盟している35ヶ国のうち、通常犯罪について死刑制度があるのは日本、アメリカ、韓国だけです。
 韓国ではここ20年、死刑は執行されていません。
 先進各国の人々と私たち日本人との間で、死刑制度に関する意識が大きく異なっているのはなぜか、よく考えてみたいものです。

3 救われる道筋

 私たちは清浄で温かな仏心(ブッシン)を持っているのに、我執(ガシュウ)という覆いがかかり、それをうまくはたらかせられないで苦しみます。
 しかし、覆いのないみ仏をイメージしたり、感得したりすることはできます。
 聖なるイメージと自分との距離を縮めるのが仏道の修行であり、それは、日常生活の中でも、お線香を立てたり、お水を供えたりする供養によって行われます。
 お線香の煙を見ながら〝私も自分を燃やし切るお線香のように精進します〟と誓い、実践すれば、一歩、〈生き仏〉に近づきます。
 特定の修行によってそれを体得するのが「入我我入(ニュウガガニュウ)」です。
 定められたお次第を進めて行くと、次第にみ仏が行者へ入り込み、行者もまた、み仏へ入り込み、最終的には一体化して即身成仏(ソクシンジョウブツ)が完成します。
 ここまで行くのは、誰でもが簡単にできることではありません。
 だから、ご加持(カジ)という間接的な方法があります。

 心身のエネルギーを回復したいなどの願いを持っても、直接、み仏に成ろうとするやり方は難しいので、行者が間に入って受者とみ仏のパイプをつなぐのです。
 行者がアンテナとなり、み仏のお力が救いを求める方へ流れ込むよう、法を結びます。
 それは、月影が水に映り、それを眺めて心が涼やかで穏やかになるようなものです。
 晴れた日ならば、誰でもが空を見上げ、名月を楽しめますが、曇りや雨や雪の日は、そうはゆきません。
 そして、私たちは心が荒れた日ほど、満月の救いが必要です。

 ご本尊様の前ですなおな心になり、問題を解決するためにお力をいただきたいと願えば、誰でもがご加持を受けられます。
 困った時の神頼みでよいのです。
 み仏は私たちの霊性における父母であり、究極の場面で「お母さん!」と叫ぶように、赤児としておすがりできないはずはありません。
 ──入我我入(ニュウガガニュウ)とご加持(カジ)。
 行者は前者によって救われ、受者は後者によって救われます。
 お大師様が私たちへ伝えてくださった法により、共に救われようではありませんか。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2016
10.08

罪と不動明王

2016-10-08-0002.jpg
 
 お不動様の経典には、こう説かれています。

「我が身を見る者は、菩提心(ボダイシン)を起こさん。
 我が名を聞く者は、惑を断じて善を修せん。
 我が説を聴く者は、大智慧を得ん。
 我が心を知る者は、即身成仏(ソクシンジョウブツ)せん。」


 お不動様のお姿を見れば、まっとうに生きようという気持が起こります。
 ご尊名を聞けば、迷いを断ち、善く生きねばならないと思います。
 経文を学べば、大いなる智慧が得られます。
 お心を知れば、この身このままで、本来み仏である真姿に生まれ変われます。

 最後の一行だけは、体験上の確信を持つに至っていませんが、上の三行は、深く納得できます。
 自分の人生を振り返り、生き方を根本から考え、死なねばならないことを深く自覚しながらも死に行く道筋が見えず、途方に暮れた一人の赤児となってお不動様の前に座る時、まっとうに生きるという一筋の道が心中に開けてきます。
 そうした心になれば、善悪を言挙げせずとも、良心仏心に従って善く生きないではいられなくなります。
 至心に経文や真言を読誦し、自分の頭で考えれば、一語一句の意味を知るというよりは、お不動様が〈言わんとしているところ〉がわかり、世間的にうまくやるという世界ではなく、人間として迷わずに済む方策が生まれます。
 これだけは、一行者として言えます。
 お不動様が根本仏大日如来の使者とされていることは真実です。
 

「無始(ムシ)よりこのかたの無量の罪、今世(コンセイ)犯すところの極重(ゴクジュウ)の罪、日々夜々(ニチニチヤヤ)に作るところの罪、念々歩々(ネンネンブブ)に起こすところの罪、真言の威力をもって皆消滅す」


(無限の過去より積み重ねてきた計り知れないほどの罪、意識するとしないとにかかわらず生まれてこのかた犯してした重く重い罪、日夜、生きることに伴う罪、思っても歩いても常に犯してしまう罪たち、それらをすべて、真言の威力で消滅させよう)

 自分の罪を自覚する者としては、「南無転迷開悟不動明王」「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」と唱えないではいられません。




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2016
09.22

情報流と入我我入の話

2016-09-22-00010.png
〈寺林俊様よりお借りして加工しました〉

2016-09-22-0011.jpg
〈「東北大学 菅沼・阿部研究室 研究室紹介よりお借りして加工しました〉

 あるテーマの研究をめぐり、東北大学の工学博士菅沼拓夫教授をお訪ねした。
 研究室のビジョン「情報流制御による次世代ICTの創生」は大変興味深いものだった。
 私たちが生きものとして過ごしている〈リアル空間〉と、コンピューターやネットワークが創り出す〈サイバー空間〉の間に発生する〈情報流〉が、両者の間をスムーズに流れ、双方を生かすシステムや技術を開発しておられるという。
 白鳥則郎名誉教授が提唱する「共生」の実現へ向かうのだ。

 情報流は現在、個人情報がどんどん集められるなどして、サイバー空間の方へは順調に流れているが、リアル空間への流れは、サイバー攻撃や個人情報の悪用などの問題が多く、課題山積らしい。
 菅沼・阿部研究室としては、そこを突破しようとしておられる。

 お話を聴きながら、「入我我入(ニュウガガニュウ)」つまり、ご本尊様が行者へ入り、行者もまたご本尊様へ入る密教の即身成仏(ソクシンジョウブツ)法を考えていた。
 ご本尊様を前にして、あるいは思い浮かべながら印を結び真言を唱え、行者は徐々にご本尊様へ近づく。
 行者の口から出る真言がご本尊様へ吸い込まれて行く。
 しかし、これだけでは一方通行であり、修法としては未成立だ。
 ご本尊様の御口から木霊(コダマ)のように真言が還って来なければならない。

 もちろん、軽々に「お化けが見える」「神の声が聞こえる」と称する世界の話ではなく、行きと返りが同時となる往還(オウカン)の感得に全身全霊をかけねばならない。
 行者の気持ばかりが先行すると、いくら夢中になって唱えても、行きっ放しになる。
 自分が唱えた実感があるだけでは、いかに盛大であろうが即身成仏に無縁だ。
 そうかといって、ご本尊様から発するものを感じ取ろうとする意識ばかりが先行すると、前述のように妙な思い込みが起こる。
 そうして〈行き〉にのめり込むのも、〈返り〉を求め過ぎるのも、熱心な行者が非常に陥りやすい世界であり、『大日経』は、そこに留まることを厳しく戒めている。

 極めて微妙で深遠な往還を求める密教の修法は、科学の世界で菅沼教授が探究しておられる形に通じるものがあると思えた。
 私たちの心がきちんとしないまま、安易に仮想空間へ入って行けば、人生の浪費や現実の混乱などをもたらしかねない。
 仮想空間からの情報を安易に受けとめれば、いかなる者に意識を操られるかわかりはしないし、思わぬ自滅が待っているかも知れない。
 科学の分野であれ、宗教の分野であれ、こちら側と向こう側、一見、異次元にも思える2つの世界の情報が融通無碍(ユウヅウムゲ…互いに障りとならず、生かし合うこと)に流れる時、霊性が開発され、私たちの心も文明も、確かなステップアップを行えるのではなかろうか?




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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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