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2016
10.13

弥勒菩薩と未来

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 み仏はどなたも独特だが、お大師様が最期にその浄土を目ざされた弥勒菩薩(ミロクボサツ)の独自性も際立っている。
 お釈迦様が入滅されてから56億7千万年後に、この世へ下生(ゲショウ)して、まだ迷っている生きとし生けるものを、6万年かけて救い尽くされるという。
 50億年と言えば、太陽の寿命に近い。
 だから、未来仏(ミライブツ)や当来仏(トウライブツ)とも称される。

 その徳を讃歎する経典にはこう説かれている。

「そもそも弥勒(ミロク)の真言は○他を縁として菩提(サトリ)への〇修行を成就(カンセイ)する願と○利他を縁とす大いなる○乘(クルマ)にこの世の人々を○乘せて生死(ショウジ)の海度す○菩薩(ボサツ)の本誓(チカイ)を表象(シメ)すなり。」


弥勒菩薩の真言は、他者を自分と差別せず、苦を抜き、楽を与えたいと思う誠心によって、まっとうな人間になろうとする自分の願いを成就させ、同時に、他者を救うための大いなる教えという乗り物に皆を乗せ、この世の苦と迷いとを脱する手助けとなる菩薩本来の誓いを示している)

 私たちは、お釈迦様が2500年前にはっきりと指摘した勘違いや迷いから抜け出られていない。
 相も変わらず自己中心的に欲を膨張させ、正しい制御法と転換法の実践に取り組んではいない。 
 資源を食い潰しつつ寿命を伸ばしはしたが、環境が破壊される中で、生きる人々は増えたので、世界的な苦の総体が減っているとは到底、思えない。
 ついには、核というモンスターを生み出し、それを世界規模で統御する手段がないという危機的状況に陥った。
 古代ギリシャでは、廷臣ダモクレスにその幸福を讃えられたディオニュシオス1世が彼を王座に座らせ、頭上に抜き身の剣を頭髪で吊し、他者からは気づかれにくい権力者の危険性を説いたが、そうした故事に学んでいると思える権力者は少ない。
 そして、私たち自身もまた、核が〈ダモクレスの剣〉であることをどれだけ認識しているか極めて憂慮すべき状態であると思う。

 日本に住む人びとが広島・長崎で惨禍を体験しただけでなく、世界を幾度も破滅させるだけの核兵器が世界中に配備され、幾度もの原発事故にもかかわらず、日本を初めとした国々が核発電に走ってなお、ダモクレスの剣を感じとれないのだろうか。
 福島第一原発はもちろん、ロシア・アメリカ・チェコなど世界中で深刻な事故が相次いでいるのに、脱原発に舵を切った国はドイツ他わずかな国々しかない。
 平成16年、美浜原子力発電所が事故を起こし、福島原発と同じ水蒸気爆発で死者5名を出したことなど、もう忘れ去られている。
 あの時は不幸中の幸いで放射能漏れには至らなかったが、もしも北方から風が吹く時期に放射能が漏れたならば、京都も名古屋も、もちろん琵琶湖もアウトとなろう。
 机上の話は別として、膨大な住民はいったい、どうやってどこへ逃げられると言うのか?
 小生は、福島原発の事故に際して、〝自分たち夫婦と父親は逃げない〟と覚悟した時の気持を忘れられない。
 恐らく、東北に住む人びとの多くは、まだ、あの時の思いを捨てないでいるはずだ。
 だからこそ、東北の人々には、広島・長崎の方々と並んで、声を挙げ続ける歴史的使命と責任があると信じている。

 お釈迦様は、弥勒菩薩の救いを説き、それを信じたお大師様はその浄土を目ざし、私たち信徒もまたその教えを信じて人類の未来を想う。
 生きものの世界がある限り、生存環境を意識的に、かつ劇的に変え得る能力を持つ人間には、生存に適した環境を保つ責任がある。
 今、生きている人間には、まっとうな環境をバトンタッチしつつ死んで行く責務がある。
 責任、責務に生きてこそ、人間は人間たり得る。
 
 弥勒菩薩もその浄土も畢竟(ヒッキョウ)、私たちの心にある。
 心を澄ませて想像し、観想し、「おん まいたれいや そわか」と真言を唱えるところに感得の機会が訪れる。

「その真言の効験(コウケン)を○ただ誠心(ヒタスラ)に信念し○弥勒菩薩(ミロクボサツの御心(ミココロ)に○帰依(キエ)し委(ユダ)ねて憑(タノ)むなら〇この尊われらにこの世での○無上の救いと利益(シアワセ)を○必ず与え給(タモ)うなり。」


 弥勒菩薩を感得し、この世に浄土を保ったままで次代へ渡せるかどうかは、私たちの一心にかかっている。




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2016
09.09

映画『太陽の蓋』を観てください ─東日本大震災被災の記(第187回)─

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〈どこか懐かしい露地〉

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広島平和記念資料館に新しく展示された血染めの服。真っ白だったのに、いくら洗っても色が落ちないという〉

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広島平和記念公園に立つ招霊木(アガタマノキ)は、いつ眺めても味わいがある 〉

 広島平和記念資料館でのうち合わせを終え、広島市の「横川シネマ」へ向かった。
 佐藤太監督の『太陽の蓋』を観るためだ。
 原爆から再興した時期と変わりないかのような小さな商店街の中に映画館はあった。
 数軒先に暖簾のかかった食堂があり、昼食を摂ろうと覗いたら、スタンドだけの店内は、常連客とおぼしき中高年の男性でぎっしり。
 皆さん、昼飯を食いに来たのではなく、昼酒を飲みに集まっているのだ。
 お邪魔にならぬよう早々に辞し、近くの蕎麦屋で空腹を満たして上映時間よりかなり早く映画館へ入った。
 ちょうど前の作品が終わったばかりらしく、ご高齢の男女が次々と出てくる。
 ひげ面ながら、さっぱりした風情の館主は快くホールでの待機を認めてくださり、読書をしながら待った。

 河合弘之弁護士の事務所から連絡があって知った作品は、期待を超えた完成度だった。
 あの大震災と原発事故からの5日間、政府と東電と報道機関はどのように対応し、被災した人々はどのように行動したのか?
 現役の政治家などが実名で登場する「真実のジャーナリスティック・エンターテインメント」と銘打っただけあり、充分な資料に裏付けされたことが窺える力作だ。
 制作者橘民義氏はパンフレットの冒頭で信念を述べている。

「地震国にいっぱい原発を造った人たちがいる。
 その人たちはそれを安全だと言い続けた。
 その人たちは、これほど大きな事故が起きても、子供たちが甲状腺ガンになって苦しい思いをしても、ふるさとに帰れない人が10万人以上いても、それでも反省の色もなく原発を再稼働しようとしている。
 そしてもう一つ見逃せないのは、その人たちは事故の責任を自分たちではなく、他のある一点に押しつけようと画策した
 私がこの映画を作りたいと思ったのは、事故以来今日まで大きく歪曲して伝えられた事実を正確に伝え直したいと思ったことに他はない。
 改めて検証した資料は、現場に一番近いところから選んだ。
 その場にいてモンスター(原発)と闘った人が書いた文献、虚偽の発言が許されない国会事故調査委員会の記録、どうしても事実を隠すことが出来ない東京電力に残されたビデオ、そして直接取材して得られた多くの人々の生の声などだ。
 ここから発見された新しい事実は今までの日本のメディアが伝えてきたものと大きく違う
 これら真実に一番近い情報を元にドラマとして構築した。
 この映画は世界の隅々まで広めたい。
 真の物語として100年先200年先まで残したい。」


 私たち日本人はあの時、それぞれなりの最善を尽くそうとしたのではなかったか?
 それでもなお、原発は人間が到底コントロールしきれないモンスターであることを、私たちは骨の髄まで教えられたのではなかったか?
 日本が生き残れたのは、各現場の尽力もさることながら、原発4号機の燃料プールへ水が流れ込んだ奇跡的と言うしかないできごとなど、数々の僥倖によることを知り、〈次の事故による生き残りはない〉と知ったのではなかったか?
 だからこそ、私たちはあの時、原発からの脱却を決意したはずではなかったか?

 止められた原発の再稼働について、事故に際しての避難経路の確保があらためて厳しく問われ、〈本当に逃げられるのか〉と調べてみれば、そんなことは不可能であることを、この事故と事後の経過は明らかにした。
 狭い国土に密集しながら生活している私たちは逃げようがないのだ。
 だからこそあの直後、欧米人や中国人などはこぞって日本を後にした。
 原発を造った会社は、事故を事実上〈起こり得ない〉と主張してきたが、それが虚構であることを、この事故は明らかにした。
 産・官・学が何を主張しようと、島国であり地震国である日本では、今回同様、いつ、〈想定外〉の地震や津波に襲われようと何の不思議もない以上、「安全」な原発など造りようがないではないか。

 私たちはいつの間にか、「あの時の対応が悪かったからこうなっている」というイメージを刷り込まれてきた。
 そして、「ああいうことが起こらないようにすれば大丈夫」と思わされつつある。
 この二つのイメージコントロールこそ、この映画が断罪しているものだ。
 
 プロデューサー大塚馨氏は「プロダクション・ノート」をこう締め括っている。

「本作で描けたのは震災や原発事故のほんの一片かも知れない。
 あれから5年、これからも新たな事実が次々と明らかにされていくのだろう。
 しかしながら人々の記憶は薄れ、問題意識から遠ざかる一法であることは確かだ。
 あの時発令された『原子力緊急事態宣言』は今だ解除されていない
 首の皮一枚でかろうじて何を逃れた東日本。
 その危機的状況が現在も続いているという認識をどれほどの人が持ち続けているだろうか……。
 これは本作に関わった全てのスタッフが自分自身に問いかけた疑問でもあった。
 この作品はまだ序章に過ぎない。
 そしていつの日か新たな一歩を踏み出すため、明瞭な解を得ることを願ってやまないのである。」


 仙台市における上映は「フォーラム仙台」(仙台市青葉区木町通2-1-33)にて本日まで。
 上映開始は、11時55分。
 ぜひ、一人でも多くの方々にご覧いただきたい。
 午前2時にようやく帰山したまま、この拙稿を書いている。
 真実の力が蓋をはね除けて輝くよう、願ってやまない。




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2016
06.23

【現代の偉人伝(第228話)】 ─『原爆供養塔』を書いた作家堀川惠子氏─

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 作家堀川惠子氏は、広島の原爆供養塔を守り続けている一人の女性と、供養塔に眠る御霊の周辺を取材し、『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』を書き上げた。
 平成27年に出版された同著は、このたび大宅賞を受賞した。
 氏はこれまで、連続ピストル射殺事件を起こし、19年前に死刑となった永山則夫をとりあげた『裁かれた命──死刑囚から届いた手紙』などのノンフィクション作品を書いてきた。
 いずれの作品からも、いかに虐げられようと、行為の価値を理解されまいと、人間としての何かをかけつつ生きる者を見捨てられない必死の思いが伝わってくる。
 お会いしたことはないが、まさに菩薩(ボサツ)、生き仏であると感じている。
 今回、氏が取材したのは、今年93才になる佐伯敏子さんである。

 佐伯敏子さんは、かつて、遺骨が納められた広島の原爆供養塔を守り、遺骨を遺族のもとへ届けてきたが、今は老人保健施設に入り、ほとんど動けなくなっている。
 氏は、その人の言葉を聴き、遺族たちを訪ね、この書を書いた。

「7万人もの遺骨が納められた原爆供養塔は、いわば広島の墓標だ。」
 
「かつて原爆供養塔のそばには、遠くから見ても一目でこの場所だと分かる巨大な木碑が建っていた。
『原爆納骨安置所』と書かれたその木碑は、ある日、市民に知らされることなく撤去された。
 そして供養塔の地下室へと入る入り口に書かれた『安置所』という大きな文字も、知らぬ間に白いペンキで塗りつぶされた。
 死者の存在を示す印そして言葉は、年々、目立たぬよう細工されてきた。
 かろうじて原爆供養塔の南側に新しい案内板が置かれているのは、被曝者の遺族が、せめて『名札』くらい立てて欲しいと訴え続け、2005年になってようやく実現したものだ。
 ここに眠るのは『神』でも『仏』でもなく、『人間』である。
 さらに言えば、無差別に殺された人たちだ。
『神聖』というもっともらしい響きの中に、遺骨となった死者たちにまつわる苦しみに満ちた記憶は遠ざけられてしまった。


 今、この墓標を訪れる観光客はほとんどない。

原爆資料館では、訪問者に当時の凄惨な雰囲気を伝えてきた被曝者のケロイド人形が、2016年には撤去されることが決まった。
 広島の戦後から、死者たちの姿はどんどん消えていく。

 平和とはまるで、白いハトを空に飛ばすことであり、折り鶴を飾ることであり、緑豊かな公園や子どもらの美しい歌声にとって代わってしまったようだ。
 七〇年前、無念のまま町のあちこちで燃やし尽くされた〝死者たち〟の声は、どんなに耳を澄ましても聞こえてこない。」

「あの日、広島で一体何が起きていたのか。
 そして私たちは戦後七〇年、その事実と本当に向き合ってきたのか。
 これまで語られることのなかった、もう一つのヒロシマ。
 原爆供養塔、そこに眠る死者たちの物語を始めたい。」


 以上が、序章の要点である。
 平和がいかに声高に叫ばれようと、ついこの間、平和が壊された事実はどんどん風化されて行く。
 壊される前に在った確かな平和と、それが壊される戦争とを直視せずして、本当に平和が目ざされることなどあり得ようか。
 記憶が薄れ、想像力が枯渇した時、私たちは〈繰り返す〉のだ。

 終戦直後に「また戦争をやろう」とする者はいないだろう。
 しかし、戦争はなくならない。
 原発事故の直後に「このまま原発を続けよう」とした者はいなかったはずだ。
 しかし、実際は、トップが「安全とは申し上げられない」と言うしかない新たな〈安全基準〉なるものがつくられ、まるで何ごともなかったかのように原発は再稼働されつつある。

 氏は終章に書いた。

「人間は、愚かで弱い。
 強いものにすがりつきたくなる。
 行儀の悪い隣人がいて、それをやっつけろと責めたてる力強い声が上がれば、賛同したくなる時もある。
 いざ大きな潮流が動き始めると、どんな優れた政治家も著名な文化人も作家もマスコミも、みなその流れに呑み込まれ、むしろ加担していく。
 一旦、溢れ始めた濁流にひとりで立ちはだかることができるほど、人は強くない。
 七〇年前、私たちはそのことを経験し教訓を学んだ。
 だから戦後の日本は、たとえ戦争に踏み出しそうになっても身動きのとれぬよう、二度と戦争ができぬよう、自らに対して、どこの国よりも重い手かせ足かせを課してきた。
 それは、同じ過ちは繰り返さないという覚悟の上に築いた、平和を維持するための『装置』でもあった。
 その『装置』を、もっともらしい理由を並べて強引に取り外そうとする動きが、今の日本にはある。」

「世界の国々は今、一万発を超える核兵器を保有している。
 今後、その一発も使われない保証など、どこにもない。
 二〇一五年三月には、ロシアのプーチン大統領がウクライナ危機に際して核兵器を準備したことを明らかにした。
 日本だけが世界の紛争と無縁でいられる時代では、もはやない。
 戦争はいつも些細な出来事から始まり、〝正義〟の衣をまとって拡大していく。
 そんな世界へと向かって歩を進めることは、先の戦争で命を奪われた幾百万もの死者たちへの裏切りにほかならないだろう。


 私たちは今ならまだ、平和と戦争を思い出し、あるいは平和と戦争をリアルに想像し、何を繰り返すべきではないかと、落ちついて考えられる。
 しかし、思い出すことのできる体験者が減り、ゲームで〈バトル〉慣れした若者が増え、もう少し、この〈潮流〉が強まれば、その先はおぼつかない。
 戦争も、原発事故も、語り継ぐ意思が弱まり、絶えたならば、必ず繰り返されるだろう。
 語り継ぎたいとの一心で生きて来られた佐伯敏子さん、その思いを伝えようと奮闘しておられる堀川惠子氏、生き仏たちの言葉に心の耳を傾けたい。





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2016
05.04

野球場を避難所に ─東日本大震災被災の記(第184回)─

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満福寺の大師堂に祀られた三鬼は凄まじいパワーを発揮している〉

 野球場災害発生時の避難所として整備しておくという構想がある。
 教王山満福寺(栃木県栃木市)の住職長澤弘隆師の発想である。

 すべてをドーム型にし、観客席の下を、いざという場合の管理所や医療施設や非常食などの保管庫、あるいは発電施設などに使えるよう準備しておくという。
 また、グラウンド部分へ避難者を収容できるよう、敷物や間仕切りなども用意しておきたい。
 こうすることによって、雨風をしのぎ、プライバシーも守られながら、憲法の理念が最低限であはあってもどうにか守られるのではないか。

 個人の尊重(尊厳)、幸福追求権及び公共の福祉に関する日本国憲法第13条は以下のとおりである。
「すべて国民は、個人として尊重される。
 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

 ちなみに、自民党憲法草案の第13条はこうなっている。
「全て国民は、人として尊重される。
 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。」
 国会の質疑において、現憲法の「個人」が「人」となっている点について民進党の議員から訊ねられた安倍首相は先日、笑いながら短くこう答弁し、すぐに着席した。
「さしたる意味はありません。」

 さて、本題だが、師は指摘する。

「毎年のように大地震・風水害・火山噴火などの自然災害が起きるたび、行政当局からの避難勧告・避難指示に従って住民が避難する先は決って学校の体育館。
 持病があったり、足腰が不自由な高齢者も、体調のすぐれない人も、妊産婦も、乳幼児をかかえた女性も、幼い子供たちも、硬く冷たいフロアに毛布一枚で雑魚寝。
 冷暖房もない、トイレはすぐに汚物がつまり汚臭があたりに漂い、食べ物飲み物もなかなか届かず、やっと食べ物にありつけるかと思えばおにぎり一つをもらうのに2時間も3時間も並ばされ、プライバシーもなく、人間としての尊厳などどこにもない、我慢・忍耐の限界で生きることを延々と強いられる不便・不自由なストレス生活。
 基本的人権だとか主権在民だとか、この国はとくに政治家(とりわけ民進党・共産党・社民党)は口を開けば『民主主義、民主主義』と言いますが、災害避難所の体育館で納税者である住民を人間以下扱いしておいて何が民主主義か、どこが主権在民か。
 主権者たる国民に長期間人間以下の生活を強いる行政の非人間性や不作為は明らかに憲法違反です。
 この国の行政は、避難住民をとりあえず安全で大勢の人を収容できる建物に集めることしか考えておらず、それ以上のことは想定にないのです。
 憲法第25条は『すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある。国は、すべての生活部面において、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない』(生存権)と言っています。
 避難生活は『すべての生活部面において』『健康で文化的な最低限度の生活』には含まれないのでしょうか。
 避難住民は『すべての国民』に入らないのでしょうか。
 ともかく、学校の体育館などでの長期の避難生活は人権無視です。

 そこで、何とか最低限の人間らしい避難生活はどうすればできるかです。
 一考を案じました。
 どこの都道府県にも何ヵ所かある高校野球のできる野球場
 あれを必要と思われる数だけ、国と都道府県が災害特別事業予算を組んで『全天候型・冷暖房付・ドーム式野球場』しかも堅固で耐震性高くリフォームし、いざ稼動という時には、グラウンド部分には100m×100mの床と2m×2mの間仕切りスペースを2000ヵ所、1日でできるよう関係資材を備蓄しておき、残余の部分にはさまざまな業務ごとの受付・相談や食べ物飲み物の受け渡しなどのためのテントを建て、スタンド下には避難業務の本部、臨時病院または医務室、医師・看護師の寝泊りなどの控室、医薬品・医療機器倉庫、飲み物・食糧庫、発電設備・機材倉庫、燃料倉庫、調理給食室、情報発信室、関係者寝泊り控室、ボランティア寝泊り控室、報道関係控室、大浴場・シャワー室、娯楽室、キッズ遊び場等々、必要に応じて確保しておきます。
 これくらいものがどこの都道府県にも当然のようにあって、いざという時に住民が体調を崩さず安心して長期避難に耐えられるようにしておくのが、基本的人権・民主主義先進国ニッポンの行政というものではありませんか。」

(「」内は師の文章をそのままお借りした)

 野球場のみならず、さまざまな大規模施設に師が提案されたような検討を行う余地があるのではないだろうか。
 それにしても、こうした避難施設が事実上、用意しようのない原発事故は恐ろしい。
 福島原発ほどの大事故が現に発生していながら、机上の空論に限りなく近い避難計画を根拠にして原発を推進するなど、個人の尊厳が守られている国とは思えない。
 私たち自身が自らを守る方法について、さまざまな世界から発せられる具体的な提案や、地域のさまざまな知恵も結集しながらよく考えたい。
 真の民主主義が幸(サキワ)う日本であるために。




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2016
04.29

東日本大震災被災の記(第183回) ─避難者の死亡と交通事故─

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〈福島民友様よりお借りして加工しました〉

 4月27日、東京地裁は、福島第1原発事故後に避難先で死亡した患者2人の遺族が東京電力に計約6600万円の損害賠償を求めた訴訟の判決を言い渡した。
 計約3100万円という金額は、交通事故の損害賠償訴訟の判例が基準とされた。
 1人当たりの慰謝料の基準は2千万円である。
 原告側の新開文雄弁護士は言う。
原発事故で死亡した苦痛は交通事故の場合より大きいと主張したが、認められず残念だ」

 原発事故交通事故に似た偶発的なできごとであろうか?
 東電の責任もさることながら、国策として推進してきた原発の安全神話がこの事態に大きくかかわった国家の責任はないのだろうか?
 この先、同様の判決が繰り返されるのだろうか。




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