勤勉な日本人は、コツコツとはたらき、コツコツと蓄えてきた。
はたらいて貯蓄した財は、過去の結晶であり、未来の安心を担保してくれる宝ものだった。
過去が作った歴史は生きた証(アカシ)であり、庶民は貯蓄の数字に証を確認し、憂き世で耐えつつ生きてきた自分を肯定する根拠にできた。
あらゆる職業、あらゆる階層の人々がこうして積み上げた350兆円は、日本人の文化の象徴だった。
小泉内閣の「貯蓄から投資へ」の功罪はいろいろ議論されているが、こうした、「コツコツとはたらき、コツコツと蓄える」姿勢を尊ぶ思想と文化の破壊こそが最大の問題点だったのではなかろうか。
数日前、再会した山形県鶴岡市の古民家は、朽ち果てつつも、威厳を保っていた。
たかだか60年しか生きていない者が逆立ちしてもかなわない柱石の風合いは、350年という時間の熟成作用によって創られた文化の重みを示していた。
私たちは、この重みの前で立ち尽くす心を忘れなければ、砂漠のように乾いて無慈悲な未来を創らずに済むことだろう。
今、ここにいる自分の、あるいは家族の、あるいは猫の、あるいは山の〈犯しがたさ〉は、すべて過去が育てた聖性である。
落ち着いて聖性を確認する時を持ちたい。
聖性を示すものを大切にしたい。
一人一人がこうした落ちつきを取りもどせば、日本の文化も失いつつあったものを取りもどすことだろう。
庶民の貯蓄は、まぎれもなく、日本人の文化と密接に結びついていた。
投資をする心と貯蓄をする心は違うのである。
投資を否定する必要はないが、貯蓄する心を軽視してもならないと思う。
皆が〈儲かる〉社会になれば、皆が〈豊かに暮らせる〉わけではない。
私たちはいかなる社会を求めているのか、よく考えたいものである。
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はたらいて貯蓄した財は、過去の結晶であり、未来の安心を担保してくれる宝ものだった。
過去が作った歴史は生きた証(アカシ)であり、庶民は貯蓄の数字に証を確認し、憂き世で耐えつつ生きてきた自分を肯定する根拠にできた。
あらゆる職業、あらゆる階層の人々がこうして積み上げた350兆円は、日本人の文化の象徴だった。
小泉内閣の「貯蓄から投資へ」の功罪はいろいろ議論されているが、こうした、「コツコツとはたらき、コツコツと蓄える」姿勢を尊ぶ思想と文化の破壊こそが最大の問題点だったのではなかろうか。
数日前、再会した山形県鶴岡市の古民家は、朽ち果てつつも、威厳を保っていた。
たかだか60年しか生きていない者が逆立ちしてもかなわない柱石の風合いは、350年という時間の熟成作用によって創られた文化の重みを示していた。
私たちは、この重みの前で立ち尽くす心を忘れなければ、砂漠のように乾いて無慈悲な未来を創らずに済むことだろう。
今、ここにいる自分の、あるいは家族の、あるいは猫の、あるいは山の〈犯しがたさ〉は、すべて過去が育てた聖性である。
落ち着いて聖性を確認する時を持ちたい。
聖性を示すものを大切にしたい。
一人一人がこうした落ちつきを取りもどせば、日本の文化も失いつつあったものを取りもどすことだろう。
庶民の貯蓄は、まぎれもなく、日本人の文化と密接に結びついていた。
投資をする心と貯蓄をする心は違うのである。
投資を否定する必要はないが、貯蓄する心を軽視してもならないと思う。
皆が〈儲かる〉社会になれば、皆が〈豊かに暮らせる〉わけではない。
私たちはいかなる社会を求めているのか、よく考えたいものである。
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築300年以上経った古民家がとり壊されるというので、保存を願う大学教授などと共に、山形県鶴岡市へ向かった。
宮城県は早朝から雨降りで、長靴をはいてでかけたが、山形県へ入った途端に雨があがり、かんかん照りの下での調査となった。
茅葺きの屋根はもう雪に耐えられず、ブルーシートがかけられてはいたが、300年以上もの長期間、智慧と工夫で保存されてきた人の住む家の存在感は圧倒的である。
目立たぬように祈り、浄めてから内部へ足を踏み入れた。
居間も客間も、もう、床が抜けかけており、つい最近までご家族が住んでおられたとは思えない。
しかし、我が身をふり返り、去年まで、同じように床が抜けかかり湿気とカビに占領されたプレハブに住んでいたことを思い出すと、苦笑してしまう。
外観も、内側もボロボロではあるが、紫がかった焦げ茶色に底光りする床柱や梁の一本一本が神々しさを湛えており、合掌させられた。
彼らが江戸時代からここに住む人々の家を支えてきたのだ。
私たち人間とは、もはや、次元の違う存在だ。
ハシゴをかけて二階、三階へ上ってみるとススやホコリやクモの巣などが行く手を遮る。
いずれも明かり取りが少なくてかなり暗い。
長方形や三角の窓の向こうに小さな青空が見えると、まるで昔話の世界へ入ったような気分になる。
茅葺き屋根を維持し、床などを補強しながら快適な生活をするためには、一般家庭では負担しきれないほどの経費がかかるため、こうした古民家は次々に取りつぶされているという。
移築するにも、普通の住宅を建てる以上の費用がかかり、そうした希望者もまれにしかいない。
舛岡教授は住民の方々や自治体の幹部へ古民家の価値を説き、有効利用の方策などを示しながら奮闘してはおられるが、時代の流れに抗することは難しいと言われる。
もしも解体して当山へ運ぶことができれば、いずれ、形あるものにして異次元の空間を造りたい。
足を踏み入れた瞬間に「エッ!」と感じてもらえれば、それだけで、日常生活の中ではたらいている感性とは異なる部分が動き出すに違いない。
それは、きっと、霊性の開発につながることだろう。
成り行きが楽しみである。
宮城県は早朝から雨降りで、長靴をはいてでかけたが、山形県へ入った途端に雨があがり、かんかん照りの下での調査となった。
茅葺きの屋根はもう雪に耐えられず、ブルーシートがかけられてはいたが、300年以上もの長期間、智慧と工夫で保存されてきた人の住む家の存在感は圧倒的である。
目立たぬように祈り、浄めてから内部へ足を踏み入れた。
居間も客間も、もう、床が抜けかけており、つい最近までご家族が住んでおられたとは思えない。
しかし、我が身をふり返り、去年まで、同じように床が抜けかかり湿気とカビに占領されたプレハブに住んでいたことを思い出すと、苦笑してしまう。
外観も、内側もボロボロではあるが、紫がかった焦げ茶色に底光りする床柱や梁の一本一本が神々しさを湛えており、合掌させられた。
彼らが江戸時代からここに住む人々の家を支えてきたのだ。
私たち人間とは、もはや、次元の違う存在だ。
ハシゴをかけて二階、三階へ上ってみるとススやホコリやクモの巣などが行く手を遮る。
いずれも明かり取りが少なくてかなり暗い。
長方形や三角の窓の向こうに小さな青空が見えると、まるで昔話の世界へ入ったような気分になる。
茅葺き屋根を維持し、床などを補強しながら快適な生活をするためには、一般家庭では負担しきれないほどの経費がかかるため、こうした古民家は次々に取りつぶされているという。
移築するにも、普通の住宅を建てる以上の費用がかかり、そうした希望者もまれにしかいない。
舛岡教授は住民の方々や自治体の幹部へ古民家の価値を説き、有効利用の方策などを示しながら奮闘してはおられるが、時代の流れに抗することは難しいと言われる。
もしも解体して当山へ運ぶことができれば、いずれ、形あるものにして異次元の空間を造りたい。
足を踏み入れた瞬間に「エッ!」と感じてもらえれば、それだけで、日常生活の中ではたらいている感性とは異なる部分が動き出すに違いない。
それは、きっと、霊性の開発につながることだろう。
成り行きが楽しみである。