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2016
02.01

イラク戦争と靖国神社への祈り(その17) ─お葬式をしてはいけない日?─

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 平成16年1月、自衛隊のイラク派兵に鑑み、仏神と祖霊のご加護で自衛隊員の無事帰還をはかるべく、靖国神社へ向かって托鉢行を始めた。
 世界の情勢が急変を見せ始めた今、そのおりの記録を加筆訂正しながら再掲しておきたい。
 不戦日本の願いを込めて。

 いったん帰山してからの法務が相次ぐ。

○お葬式のできない日(2月25日)

 午前中、長年患っておられたAさんへ引導(インドウ)を渡した。
 覚悟の出立は見事だった。
 午後、終り次第新幹線に乗る予定で地鎮祭の出張祈祷にでかけたところ、枕経のご依頼が入った。
 またしてもご不幸である。
 B家では、大黒柱が不治の病にかかって以来、不測の事態を想定し、かねて、奥さんをはじめご一族が額を寄せあってお寺選びをしておられたのだという。
 忌中の提灯を目印に玄関のドアを開けたら、「よくおいでくださいました」とお揃いでお迎えいただいた。
 寺院が〈選ばれる〉時代にならない限り仏教は衰退すると信じ、日々法務に邁進してきた者としてはまことに心強い。

 さて、ご親族はお葬式の日取りに頭を悩ませておられた。
 諸事情を考え合わせると4日目がよいのだが、4という数を忌む風習があり、どうしたらよいかわからないという。
 4日目にするか、それとも5日目にするかという選択である。

 まず、喪主様から教えを問われた。
「ご住職様、仏教上、どうなっているのでしょうか?
 どういう問題がありますか?」
「私たちは自分で自分の生まれる日も亡くなる日も決められず、生き死にに関することごとにおいて良い日も悪い日もありません。
 だから、俗信は別として、日柄による修法上の障碍は何もありません。
 当山は、どのようにも対応できます。
 どうぞご都合のよい日をお選びください」
 極力、皆さんのご意志を尊重しようと、議論の結果を待った。

 案の定、聡明な喪主様が道理によって場をリードし、俗信に左右されず、御霊が早く成仏への道へ入り、ご遺族もまた大仕事を速やかに済ませられるよう4日目と決した。
 それを確かめてから「その日は初七日をご守護くださるお不動様のご縁日です」と申し上げた。
 全員が信頼の眼差しを向けて来られ、場にかすかに漂っている不安や不満の気配は霧消した。
 み仏の教えは、真理真実に立ち、気まま心や愚かさや怒りによって自ら苦を招く生き方から脱するための慈悲ある智慧である。
 俗信に対して適切な判断をもたらす智慧の鏡ともなる。
 今日も確かなご縁の糸を結んでいただいた。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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2014
02.24

3月の守本尊様と真言 ─文殊菩薩─

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地鎮祭にて八方天地十方世界を守る守本尊様方のご加護をいただく〉

 3月は、啓蟄(ケイチツ)と春分(シュンブン)の卯月(ウヅキ…3月6日より4月4日まで)です。
 3月は卯(ウ)の月なので、守本尊文殊菩薩(モンジュボサツ)様です。

 文殊菩薩様は、『過現未来業報智力(カゲンミライゴッホウチリキ)』をもって、過去から現在を通り未来へと連なる因と縁と果とのつながりを見極めるお力をくださり、悪しきことをせず良きことを行うようお導きくださいます。
 文殊菩薩様は、卯年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊でもあり、身体においては、主として腕や手をお守りくださいます。
 また、数え年3・12・21・30・39・48・57・66・75・84・93・102才の方々を今年一年、立春から節分までお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、暖かさが嬉しい月を心豊かに、無事安全に過ごしましょう。


21080819 009

 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた文殊菩薩様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められたご本尊様です。(奉納受付中)

 3月の守本尊文殊菩薩(モンジュボサツ)様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

「おん あ ら は しゃ のう」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


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2012
03.28

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第十六回) ─恩を仇で返された時は……─

201203270232.jpg
〈強風の日、北の町で地鎮祭を行いました〉

 菩薩(ボサツ)になるための実践道。
 第十六回目です。

「わが子のように大切に育てた者が
 私を敵のように見なしたとしても、
 病気のわが子に接する母のようによりいっそうの愛情を注ぐ
 それが菩薩の実践である」


 これはで返された相手へ菩薩はどう対応するかという問題です。

1 をどうとらえるか。

 隠形流(オンギョウリュウ)居合の道場で唱える『七言法』の6番目です。

「我、を着せずを忘れぬは、人の道を忘れず、自他の発展を願うがゆえなり」


 まず、菩薩(ボサツ)はを着せません。
 なぜなら、誰かのためになることは菩薩として当然の行為であり、そこにという特別な色をつけるのは無意味です。
 もしも自分で自分の行為へそうした色をつけたい時は、「いつか恩を返してもらいたい」という心がはたらいており、打算が伴った瞬間に行為は菩薩行から離れます。
 だから、宗教団体が恩の貸し借りと妥協で行動する政治団体になってはなりません。
 忘れられない場面があります。
 政界を志すAさんが某宗教団体の幹部と会ったところ、冒頭から、一定数の機関紙の購読やおりおりの集会所への挨拶など、いくつかの条件がつけられました。
「B先生は毎月、顔を出されて、ウチの信徒さんのウケがとても良いんです」
 鼻をうごめかせながらギラギラと迫り、宗教者が信者数をバックに恩を売る場面には、目を背けたくなりました。
 Aさんがどのように対応したかは知りません。

 そして、菩薩は受けた恩を忘れません。
 なぜなら、無限の「おかげさま」によって自分が今、ここにいられるからです。
 お大師様は説かれました。

「吾はこれ無始より已来(イライ)、四生(シショウ)六道(ロクドウ)の中に父となり子となって、いずれの生をか受けざる、いずれの趣(シュ…世界)にか生ぜざる。
 もし、恵眼をもってこれを観ずれば、一切の衆生はみなこれ我が親なり」


(私は、いつ始めがあったとも言えない無限の過去からずっと、ありとあらゆる生きものたちの世界で父となり子となって生まれ変わり死に変わりし、訪れない世界はない。
 もしも智慧の眼力で輪廻の真実を見透すならば、一切の生きとし生けるものは自分の親であることがわかるであろう)
 四生は、生まれ方によって分けられる生きものので世界です。
1 胎生(タイショウ)…胎内から生まれるほ乳類など。
2 卵生(ランショウ)…卵から孵化する鳥類や魚類など。
3 湿生(シッショウ)…湿気から生ずる虫など。
4 化生(ケショウ)…業(ゴウ)によって生ずる天人など。
 六道は業によって経巡る迷いの世界であり、地獄から天までの6つです。
 恩を忘れぬことは、僧侶として生き直す際の第一歩として欠かせません。
 だから、生前戒名を受ける方はすべて、最初に恩に背かないちう誓いを立てるのです。

2 をどうとらえるか。

 上記の理由により、菩薩にとって自分へ「恩をで返す相手」は存在しません。
 いるのは、ただ、悪しきことを行う相手です。
 目をかけてやった相手と、そうでない相手を区別して、目をかけてやった相手にだけ特別に怒ったり厳しく当たったりはしないのです。
 ダライ・ラマ七世に逸話が残っています。
 心を病んだ大臣プンポがダライ・ラマ七世へ激しくかみついた時、ダライ・ラマ七世はいつに変わらぬ慈悲をもって対応し、その後も大切にしました。

「プンポが精神的に不安定になったのはプンポ自身のせいではなく、堕落した時代のせいである」(『ダライ・ラマ 生き方の研究』より)


 この姿勢は、我が子が環境などの影響によって精神病にかかった場合の母親に例えられています。
 母親は環境などとは闘うかも知れませんが、我が子は自分が守ろうとするだけであり、決して闘いの相手にはしません。

 ただし、菩薩は、恩知らずに陥っている人へ恩を説きます。
 それは、親が子供へ「私がお前を育ててやったのに」とは言わず、太陽や農家の方やお巡りさんなどの〈おかげ〉に気づかせるのと同じです。

3 恩やをなす人と、恩やそのもののとらえ方。

 ある方が若松英輔氏著『魂にふれる』をお送りくださいました。
(多くの方々からお手紙や花や本や食べものなどをお送りいただきますが、なかなかお礼状を書けないでおり、深くお詫び申し上げます)
 その中にあります。

「死者を見出そうと願うなら『死』に目を奪われてはならない。
 それは病に近づきすぎて、病者を見失うのに似ている。
 病気は存在しない。
 いるのは病に苦しむ人間だけである。
 労苦があるのではなく、それを背負う人間がいるだけであるように、死ではなく、死者が存在しているのではないだろうか」


 死者の死を表す状況にだけ目を奪われて、死を観念するにとどまり、死者そのものを感じ、想像し、死者と交感する魂の次元へ深まる心を忘れているのではないかという厳しい指摘です。

 確かに、伊集院静氏著『いねむり先生』の名場面を思い出すと、そうした指摘の必要性はわかります。
魂にふれる』にあるとおり、

「単に知ることは、座った人間を立ちあがらせることはできないが、『解った』者は、むしろ座ったままでいることはできない」


という状態になりました。
 名場面は、心を病んだ男と、〈いねむり先生〉こと作家色川武大氏が夜中の田んぼで踊り出し、伊集院静氏も加わって大騒ぎした後、三人それぞれの心から病んでいた部分が洗い流されたところです。
〈人間〉を通じて病気が克服されたのです。
 だから、若松英輔氏に共感はできます。
 しかし、行者としては、やはり、共通して心に抱えているものを見すえる視点も放棄するわけにはゆきません。
 空(クウ)の視点から仏性の満月を観、煩悩(ボンノウ)の群雲(ムラクモ)を観ることなく、日々訪れる多種多様な願いを持った方々へ最善の法務でお応えすることはできません。

 具体的な恩人、で向かってくる人、恩そのもの、仇そのもの、よく考えて菩薩道を歩みましょう。



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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2012
02.08

嗚咽と祈り

 最近は地鎮祭や建て替える家の供養などのご依頼も増えましたが、まだまだ、遺骨を預けたり共同墓へ納めたりといった用件でご来山される方々が多く、皆さんがお帰りになられた後で、声にならない声を感じる場合があります。
 もう、吹っ切れたかのようにふるまっていた奥さんの後ろ髪が震えながら去って行ったと思える時などは、たまらなくなり、心で光明真言を唱えます。
 皆さんの心の嗚咽がやってくると通常の言葉は消え、真言だけが救いとなります。

 昭和42年、55才になっていた作家檀一雄は『白日(ハクジツ)の嗚咽(オエツ)』を書きました。
 永年の「妄執にさえなっていた南米の自動車旅行」が頓挫した檀は、日本中を放浪しているうちに、孤独を強く感じるようになりました。

「身辺に、身近な友人がまったくと言ってよいほどなくなった。
 その昔は、先輩友人、誰彼の家を訪ねて行って、酒を飲み、談笑にふけったものだが、そのような直接の先輩知己をことごとく失った心地がする」


 太宰治、坂口安吾、佐藤春夫、亀井勝一郎、……。

「白日の嗚咽とでも言った悲しみを、この頃、私は旅先のここかしこで俄に感じることが多くなってきたのは、どう言うわけのものだろう」


 そして、こう結ばれます。

「私もまた次郎を失ったせいか。
 その昔は、写真を写すことを好み、写真機を旅先にもよく持ち歩いたものだが、この頃は、惰性で写真機を抱えて歩いていても、シャッターを切らず、シャッターを切っても、現像を行わず、かりに現像をしても、焼付を怠ったりするような習慣になった。
 自分の懶惰な習性にもよるだろうが、次郎の発病の直前に、思いがけない次郎の記録の写真があって、それが発病後に現像されてきたことの衝撃にもよるだろう。
 旅先から帰ってみると、早朝、我家の庭先にいやでもヒグラシの声を聞く。
『次郎の蝉が鳴いているよ』
と私は家内にその夏の蝉の声を聞かせるが、次郎が日本脳炎にかかった日の早朝、まるで我家は、ヒグラシの声に埋もれるようであった」


 檀はその9年後に「モガリ笛 幾夜もがらせ 花二逢はん」と詠み、亡くなります。

 先妻を失い子を失いつつ老いた作家の寂寥は、時として、あふれるように襲ってきます。
 お線香の香りや、逝った友人からの手紙といった死を連想させるものによるのでなく、皎々と陽が照っている白日の中でこそ、不意にこみ上げ、たまらなくなる──。
 声にならない嗚咽が漏れるのです。

 もうすぐ東日本大震災から1年になりますが、浜からも里からも膨大な嗚咽の気配は消えていません。
 この世であれ、あの世であれ、嗚咽するへ届いて欲しいと願いつつ祈っています。

〈お地蔵様も哭きつつ祈っておられます〉
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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



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2010
11.07

地鎮祭を行いました

 好天に恵まれた日、地鎮祭を行いました。
 魔切りをふるい、神々とみ仏のご加護をいただく修です。

〈これから結ぶについて簡単な説明を行います〉
地鎮祭 023

八方天地十方世界の神々とみ仏のご加護をいただきます〉
地鎮祭 0342

〈地にあるすべてを祓い清めます〉
地鎮祭 047
※写真は『ほこだて仏光様』の提供です




「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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