五智如来のお智慧の内容を、私たちにわかりやすく説かれたのが「優しさ・厳しさ・正しさ・優雅さ・尊さ」という教えです。
私たちの心にある仏心がきちんとはたらけば、私たちの心からもみ仏の光が発せられ、妄知(モウチ…おかげさまと心の底から思えない惑った心)も邪知(ジャチ…万事を我がためとするよこしまな心)も消え失せます。
さて、「正しさ」は、五つの恩を深く想う時に実現されます。
それは、国家社会の恩、親とご先祖様の恩、人間や生きとし生けるものの恩、師や教え導いてくださる方の恩、仏法僧(ブッポウソウ)の恩です。
今回は、「人間や生きとし生けるものの恩」について考えてみましょう。
1 生きものの世界と根本仏大日如来
言うまでもなく、私たちは生きものです。
生きもののほとんどは、他の生きもののいのちをもらって自分のいのちをつないでいます。
霊性と知力のある人間は、この事実を知れば、おのづから感謝の念が湧いてきます。
稲も、大豆も、白菜も、ブリも、鶏も、黙っていのちを差し出し、私たちを生かしてくれます。
もしも、こうした事実に対してありがたいと思えなければ、心のどこかが錆び付くか壊れかけているのではないかと強く疑ってみなければなりません。
きっとこの先、まっとうに生き続けられはしないからです。
経典は、鳥の声も虫の音も、小川のせせらぎや草木のざわめきも、すべて大日如来の説法であると説いています。
そう聴き取れるかどうかは、私たちの心が曇らず、美しい鏡面のようになっているかどうかにかかっています。
では、ケンカする猫の唸り声や、台風で大波が打ち寄せる音などはどうなのか?
血が流れ、船が壊れても、等しく〈説法〉なのか?
耐え難い悲劇としか受け取れないものまでもありがたい説法であるとはどういうことか?
2 人間の限界と悲劇
故福田恒存は書きました。
「行動といふものは、つねに判断の停止と批判の中絶によって、はじめて可能になる。」
たとえば、私たちがフグを食べる時、きちんとした店で出してくれるのだからきっと大丈夫だろうと思って注文しますが、実際は、フグの安全自体に関する情報をほとんど得ておらず、もちろん、現物を調べるといった確認などしてはいません。
たとえば、おつき合いしている彼女へ「頃はよかろう」と思ってプロポーズする時、実際は、彼女が、親の勧めで心ならずもお見合いした男性に惹かれ始めていたとて、何ら不思議ではありません。
つまり、私たちは状況のすべてを知った上で判断し、行動できるはずはないのです。
あり合わせの情報で一旦、思考を止めないと行動へ移れません。
「不十分な資料によってのみ、行動している。」
「資料は無限にあり、刻々に増しつつあるものであり、のみならず、行動によってのみ、あるひは明かされ、あるひは新しく発生するからだ。
私たちは認識のためにも、行動しなければならぬ。
そして失敗するであらう。
それが悲劇の型である。
喜劇は、このいきちがひからの脱出を描く。
それだけのちがひだ。」
私たちは、あり合わせの情報と、あり合わせの判断力で行動します。
そこには必ず〈あり合わせ〉という限界によってもたらされる失敗が付きものです。
善意が裏切られ、傷つき、あるいは破滅させられる悲劇が生まれます。
こうした構造で生きている私たちの目に映る世界から悲劇はなくなりません。
では救われようがないかと言えばそうではありません。
私たちは、悲喜劇の〈主人公〉であるだけでなく、〈観客〉でもあり得るからです。
3 悲劇を超えさせるもの
私たちは小説や映画や舞台などを通して何を観るか?
それは、できごとの全体です。
そこでは、ヒーローもヒロインも悪役もすべては、あるいは意のままに行動し、あるいは行動が意のままになりませんが、すべては全体を構成するからこそ、意味を持ちます。
「個人は全体を自己に奉仕せしめることはできず、自己を全体に奉仕せしめなければならない。
必然性といふものは、個人の側にはなく、つねに全体の側にある。」
スパイダーマンがビルからビルへ飛び移っても、そのこと自体は彼がそういう存在であることを示すのみであり、囚われた美女が泣いていても、同じです。
成り行き全体の中にあって初めて、飛び移ったことが美女を救うために必要なできごとであり、彼の超能力が耀き出すためにこそ、美女の涙は必要なのです。
私たちは、日常生活にあっても、無意識のうちに、全体を観る目があると感じているからこそ、個々の悲しいできごとや辛いできごとにも意義づけをし、耐えつつ生きられます。
4 個々への合掌を通じたいのちの世界全体への合掌
私たちは、カラスが子育てをしているのを見ると微笑ましくなりますが、カラスがネズミを咥えているのを見ると目を背けたくなります。
しかし、いずれもが、いのちの世界全体を成り立たせている〈部分〉として平等であり、それらのすべてが時々刻々と〈全体〉を存続させています。
生と死とは全体のために必要であり、歓喜も悲嘆もすべてが全体を成り立たせています。
また、私たちは全体の構造の全体像を知り得ませんが、無限の多様性こそがいのちの世界が存続するための必要条件であることは感じとっています。
ウグイスの声や梅の花に合掌し、ついばまれるミミズや人の足で踏みつけられるタンポポに合掌し、いのちの世界全体への感謝を忘れず、多様性を破壊する人間の営みに抗しつつ、まっとうに生きたいものです。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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平成4年、地球サミットにおいて、12才の少女セヴァン・スズキは、伝説のスピーチを行った。
それから20年後、母親となったセヴァンは精力的な活動を続けている。
ジャン=ポール・ジョー監督は、環境ジャーナリストのニコラ・ウロ、農業に従事している思想家ピエール・ラビ、分子生物学者エリック・セラーに教授らと共に、経済優先の世界に警鐘を鳴らす映画『セヴァンの地球のなおし方』を作った。
その中には、平成12年、シュワブ財団より「世界で最も傑出した社会起業家」の一人に選出された合鴨農法家古野隆雄氏や、福井県今立郡池田町の農婦たちも登場する。
映画の中に、4人の賢者が農場で食事しながら語り合う場面がある。
その対話の一部を紹介したい。
「今は機械が人の代わりだ。
収穫機を買うと政府から補助金が出る、作業員を雇うより安い、機械なら社会保障費も不要だ。
だが石油問題を考えろ、機械による大規模耕作には未来がない、人の力に戻すべきだ」
「戦後、考案された効率のいい大量生産は古くなったわけだ、少なくともこの地域では」
人類や環境や子孫を考えて有機農法に戻る人々の間では、機械化によって人間を不要とする大規模農業は今や、「古い」危険なやり方であると考えられている。
「単作や大規模耕作などバカげた考えだ。
ボース地方やピルカディー地方なら大規模経営を考えるのも悪くないだろう。
だがここでは複数の作物を作り、近くに出荷すべきだ」
「どの地方でも私は(大規模経営に)賛成できない。
生物の多様性に対する犯罪に等しい行為だ、単作の話だよ」
「麦、米、トウモロコシ、大豆、世界の食糧生産の6割をこの4種が占め、その半分は米国で開発された遺伝子組み換え作物(GMO)だ。
大豆とトウモロコシのことだ。
地球上には3万種の食用作物がある。
生物の多様性への一番の犯罪は、マイナー品種を絶滅させることだ。
4大穀物に集中した状態で季候が変動したら、人類を養う食料が確保できなくなる、生物の特許化が進む要因にもなる。
4大穀物の特許化と生産管理は、経済史上、最大の賭けと言ってもいい」
食べ物といういのちの根になるものを、世界的規模で利益を上げるための道具としている一部金融資本の牛耳るままにさせてよい理由がどこにあろうか?
遺伝子組み換えを行った食物の危険性が叫ばれるようになって久しいが、食料の寡占化と工業化の危険性は省みられないままである。
「化学肥料を使えば、同じ作物の連作も可能になる。
連作を嫌う作物を無理矢理、従わせるわけだ」
「農業従事者ゼロを目指す者の理想は、蛇口からデンプンが出てくる世界だ。
バクテリアさえ遺伝子操作され、タンクの蛇口からトウモロコシが流れ出る、(これが)特許化による未来の農業の姿だ。
世界の一部の人間に権力が集中する。
農業の無人化をこのまま推し進めたら、農業が死んでしまう」
「農業が死ぬ」とは、何と悲痛な心の叫びであろうか。
人間の叫びは、生きとし生けるものの叫びでもあるように思える。
「週に三回、肉を控えることで、世界の90億人を養える。
乳がんと大腸ガンの原因のほとんどが、動物性脂肪のとりすぎだ。
動物性脂肪はさまざまな有害物質、農薬やプラスチックの成分を含んでいる。
人類は大量の有害物質を自然の中に廃棄してきた。
ローヌ川の汚染が、いい例だ。
垂れ流しの有害物質が食品に入り、それを食べ続ける(それでいいのか?)」
「農業従事者を(有機農場である)ここに呼び戻すということは、つまり、現状への反撃だ。
人道的行為さ」
「世界が豊かで美しいのは多様性のおかげだ。
人類は今、史上最大の危機に直面している。
あらゆる生物の品種が2割から3割、消滅している。
昆虫に魚、微生物、ほ乳類など、すべての種だ。
世界はこの危機を乗り越えられないかも……。
もし、ピラミッドから3割の石を引き抜いたらどうなる?
ピラミッドの頂上にいてほかの生物に依存している我々のような種に絶滅の危機が訪れる」
12月8日付の産経新聞は、京都大学教授佐伯啓思氏の「価値についての議論欠如」を掲載した。
その中の一文である。
「地方創生にせよ、人口一億人維持にせよ、女性の社会進出にせよ、いまだ具体的な姿が見えてこないし、そもそも成長戦略たりうるのかもわからない。
まだ何かが欠けているように思われる。
では何が欠けているのであろうか。
私には、根本にあるはずの価値についての議論が欠けているように見える。」
「それなりの景気回復を果たした後に、どのような社会を創出するのか。
その社会像が見えてこないのである。」
「この10年、20年で、どのような社会を実現するのか、その将来像について、ある程度の見通しがなければならない。
どのような価値に即して将来社会を構想するかという価値選択の問題でもある。」
私たちはこのまま、「4大穀物の特許化と生産管理」の世界化へ向かう方向を是認してよいのだろうか?
農業とは本来、その土地の気候風土に適したものを伝統的智慧と方法に学びながら作り、そこで消費してこそ、そこに生きる人々のいのちを養い、同時に心も豊かにする産業ではなかったか?
自然の恵みをいただき、いのちを育む農業と、商業や工業とは本質的に異なる分野であり、農業が商業や工業の手を借りるに際しては、おのづから節度があるはずではなかったか?
商業や工業がいのちにかかわる農産品を扱うには、おのづから節度が必要ではないか?
節度が消える方向へと、このまま進む時、私たちの生殺与奪の権は、「経済史上、最大の賭け」として国際金融資本が握ることになる。
いったい、誰が、いかなる理由でそれを望むのだろうか?
私たちはいかなる「価値選択」をしようとしているのか?
この映画に示される賢者たちの言葉は重い。
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10月12日、恒例の寺子屋において、シンポジウム「ガンの渡りとふゆみずたんぼ ─多様性を守り共生する道─」を行いました。
パネリストは「日本ガンを保護する会 ラムサール・ネットワーク日本」の会長である呉地正行先生です。
当日の講義の内容については、あらためて詳しくまとめますが、最後の「生きものの賑わいは、なぜ必要か」というところで引用された『酋長シアトルからのメッセージ』が強烈な印象でした。
シアトルは、今から200年以上も昔、アメリカ大陸へ侵入してきた人々によって土地もいのちも奪われたアメリカインデイアンの酋長です。
先生は、[安定した生態系]を大切さを説かれました。
「父はわたしらにこうって聞かせた
わたしらは大地の一部だし、大地はわたしらの一部なのだ。
いいにおいのするあの花たちは、私らの姉妹だ。
クマ、シカ、大わワシ、私らの兄弟だよ。
岩山の峰、草原、ポニー……
みんな、同じ家族なのだ。」(「酋長シアトルからのメッセージ」より)
示された図にあるのは、文字どおりの円満世界です。
ここにあるのは、まぎれもなく自然との共生があり、それは神道のアニミズムであり、仏教の「おかげさま、おたがいさま」でもあります。
同じく、[安定した生態系]において次の文章を示されました。
「わたしたちは知っている
血が人をつなぐように、すべての存在は網のように結ばれあっていることを。
人は、このいのちの網を織りなすことはできない。
人はわずかな網のなかの一本の糸、だから、命の網に対するどんな行為も、自分自身に対する行為となることを。」(「酋長シアトルからのメッセージ」より)
ここにあるのは、インド神話における帝釈天が織りなすインドラ網の感覚であり、心理学者ユングが晩年にたどりついた仏教のマンダラ思想です。
私たちができることは、せいぜいが網の利用であり、無限のつながりがある網そのものを創り出すことはできません。
そして、誰もが決して単独の存在者ではあり得ず、ひと言のつぶやきですら必ず何かの原因となるのです。
マンダラの網は同時に、原因と結果を結ぶ糸でもあります。
思いやりから発する「あの人の病気が早くなおりますように」は、やがて強い思いとなり、言葉となり、行動となり、自他を深い慈悲の世界へ誘うかも知れません。
憎しみから発する「あいつめ!」は、やがて強い思いとなり、言葉となり、行動となり、自他を傷つけ合う修羅の世界へ誘うかも知れません。
先生は続いて、[不安定な生態系]の恐ろしさを説かれました。
示された図にあるのは、たくさんのいのちたちへ与えられていた本来の場所が空白となり、いびつになった世界です。
「亡き祖母の声は、こう語った
おまえが教わってきたことを、おまえの子らに教えなさい。
大地はわたしたちの母であることを。
大地にふりかかることはみな、大地の息子とむすめにも、ふりかかるのだということを。」(「酋長シアトルからのメッセージ」より)
ここでは、因果関係の網が人間対人間の世界だけではなく天地万物をも網羅して漏らさないことを示し、網は、空間と同時に、時間の世界でも無限に連なっていることを示しています。
お釈迦様が前世と現世と来世を説かれたのも、同じ理によります。
もしも、私たちが空へ汚染物質を吐き出し、地を、水を毒薬で穢すなら、その報いは自分へふりかかるだけでなく、子々孫々へも恐ろしい影響を与えかねません。
そして肝心なのは、こうした教えが先祖から子孫へと伝えられるべき叡智であることです。
同じく、[不安定な生態系]において次の文章を示されました。
「建てることや所有することへのきりのない欲求のために、
私たちは、かえって、持っているもののすべてを失いかねない。」(「酋長シアトルからのメッセージ」あとがきより)
かつて、私たちは、湿地を埋め立てて田んぼにし、やがて、国策によって一部を放棄し、その過程で明らかに[不安定な生態系]をつくり続けてきました。
また、果てしなく山野を町にと造り替え、その過程で明らかに[不安定な生態系]をつくり続けてきました。
しかし、今、その実態が明らかになりつつあります。
明らかになった問題点を放置すれば、つまり、貪婪な消費社会の飽くなき欲求のままに生きれば、「すべてを失いかねない」のです。
7月10日、産経新聞は米マサチューセッツ工科大学から発せられた警鐘を報じました。
「中国の華北で1980年まで実施されていた暖房用石炭の無料配布政策に伴う大気汚染で、華北の住民の寿命が華南に比べ5年以上も短くなった」というのです。
影響を受けた住民は5億人に上り、奪われた寿命は25億年分とされています。
そして、今現在、中国の各地では、健康な人ですら防毒マスクを手放せなくなっています。
それでもなお、山村を潰してマンション群をつくり、農民から田畑を奪って都市の住人に仕立て上げ、世界中から食糧を買い集めるだけでなく、アフリカ各国を自国の田畑にしようとしています。
こうした隣国の状況を見聞きするにつけても、私たちは、いち早く[安定した生態系]の構築へと文明の舵をきらねばならないと思われてなりません。
あちこちで政治的、軍事的緊張が高まる中、国民の食糧を国内でまかなえることがいかに大切かということもまた、見直されねばならないのではないでしょうか。
消えそうになったシジュウカラガンも、消されそうになった酋長シアトルからのメッセージも、私たちへ重大な真実を告げています。
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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第140回)─多様性を認め共生する再出発─
東日本大震災の後、私たちは、これまでの生き方をふり返り、しっかりやっていかなければ犠牲になられた御霊へ申しわけないと思いつつ、ここまできました。
ガランとなった浜辺と瓦礫になった家や車を目にした時、托鉢でお世話になったあの方もこの方も、あの家もこの家もなくなってしまったことに、なかなか現実感がわかず、ただ、足元が崩れ去ったようで立ってはいられない感覚に襲われました。
何度か浜辺で祈るうちに、なくなったのは人間や人間の生活だけでなく、イヌやネコや虫や鳥や草花や木々たちでもあることが深く胸に迫り、喪失感は増しました。
人間を含め多様な生きものが複雑な縁の糸で結ばれ、輝きつつ、成り立っている世界がそっくりなくなったのです。
2年後の今、人間が縁を取りもどし、自然や生きものたちとの縁も取りもどすための努力は真剣に続けられています。
今回の寺子屋における「日本雁を保護する会」会長呉地正行先生のお話は、単に震災前への再興というだけでなく、新たな方向性を考える上で大きな示唆をいただけるものと考えています。
かつては日本全国で見られた普通の渡り鳥だったガンを絶滅寸前にまで追いやったのは、鳥が住めない環境にしながら進んできた私たちの文明です。
先生は、ガンの群れを取りもどす活動を通じて、冬の田んぼに水を張る「ふゆみずたんぼ」が「ガンなどの水辺の生きものの生息地の復元と、生きものの力を活かした新しい農法」に役立つことをつきとめられました。
ガンを呼び戻すことは、人間も他の生きものたちと同じ生きものとして、自然の恵みを共に受けつつ生存してゆく本来の姿に気づく道でもあります。
日本に飛来するガンの約9割は、宮城県北部の伊豆沼・内沼・蕪栗沼周辺で越冬します。
栗原市の若柳小学校では『生きもの田んぼ』として「ふゆみずたんぼ」を守る活動が行われ、「ふゆみずたんぼの歌」も唄われています。
東北人は、被災した東北の地にあるこうした道を積極的に歩みたいものです。
現代文明は、生活を豊かにする一方で、人間という生きものが自然から離れ、環境を破壊し、発達した武器で戦うという一面をも、もたらしました。
人間に都合よく他の生きものたちをどこまでも排斥してやまない私たちの心は他人をも排斥し、感情や理屈や宗教で角突き合わせる社会をも、もたらしかねません。
今、私たちに必要なのは、〈多様なものをすなおに認める柔軟性と寛容さ〉そして、〈多様なものと共に生きる感性と思いやり〉ではないでしょうか?
多様性を認め、共生を目ざす姿勢は、文明の歪みを矯正し、無慈悲さに蝕まれつつある日本人の心へ潤いをもたらすことでしょう。
空のガン、川のホタル、田んぼのドジョウやイナゴなどと共に生き、穏やかで瑞々しい文明を創ろうではありませんか。
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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
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10月12日の寺子屋は、「日本雁を保護する会」会長の呉地正行先生から、雁の保護と「ふゆみずたんぼ」についてご講演をいただきます。
30年の歳月をかけて「シジュウカラガン」の回復事業に取り組み、世界で初めて水田に注目したラムサール条約湿地「蕪栗沼・周辺水田」の実 現に 尽力された呉地正行先生は、「雁という文字は、人(イ)と鳥(隹)がひとつの屋根(厂 )の下に共生している」と指摘し、雁と水田農業との共生を目指す「ふゆみず たんぼ(冬に水を張る 田んぼ)」の普及をめ ざしておられます。
当山の自然農法『法楽農園』においても「ふゆみずたんぼ」を実践する計画です。
ご講話をお聴きし、いきとしいけるもの は〈多様性〉と〈共生〉によって存在しており、人間もまた、互いを尊び合うことでのみ平和で豊かな地球に生きられることを確認したいものです。
呉地正行先生の『雁よ渡れ』を読みました。
「僕がほんとうに参ったと思ったのは、夜明けとともにねぐらから飛び立つ時の、人を圧倒する光景である。
東の稜線を染める一筋の光が伊豆沼の水面に差し込んだ。
黒々とした雁の大きな塊にひび割れが生じた。
明るさが増すにつれてそれが小さな個体に別れ、ゆっくしと滑るように動き出した。
お互いを確かめ合うような鳴き声で騒々しさが増す。
湯がたぎり始めるように動きと鳴き声が活発になったと思った次の瞬間、何かの合図を受けたかのように群れは水面を離れた。
一瞬の静寂の後に、キャハハーンという鳴き声とギシギシギシという羽音が天を埋めた。」
「入り江を、また伊豆沼をとよもす(鳴り響かせる)雁の飛翔には魔の力がある。
初対面以来、忘れがたく思っていた雁に対する僕の心はここでついに金縛りにあった。
人生に一度、人は人生の方向を狂わす何ものかのとりこになることがある。
僕はそれにつかまった。」
学園闘争で東大が入学試験をとりやめた年、物理学に興味を持って東北大学へ入ったものの、生き方そのものが最大の問題となりました。
「僕は成り行きまかせで社会に組み込まれていくのではなく、内的欲求のほとばしりによって一瞬一瞬を充実させる生き方を選ばねばならないと考えた。」
そして伊豆沼の雁と出会われました。
「雁は僕の人生を狂わせた。
それにうらみを持っているわけではない。
むしろ礼をいいたいくらいである。
素晴らしい人生の送り方を教えてもらった。
それに彼らの生活を調べると、人間が学ぶべきことが多い。」
○雁は一夫一婦制で家族一緒に行動する
父親が鳴き声とくちばしで示す方向へ、家族揃って移動する。
一緒に食事をしていて、場所を変えたい場合は誰かが頭を左右に振って合図をする。
同意すると同じように頭を振り、全員が同意すると飛び立つが、一羽でも頭を振らなければ移動は中止となる。
家族から一羽でも落伍者を出さないためである。
○雁は多勢が力となる
二家族が同じ場所で食事をしようとした場合、本格的なケンカにはならず、家族数の少ない方が遠慮する。
数の多い家族に属する幼鳥が、数の少ない家族に属する幼鳥や成鳥をいじめる場面があるとは、人間社会を思わせる。
○雁は団結して守る
昔、ハンターに打たれて(現在は禁止)一羽が倒れた時、6、7羽が取り込み翼で扇ぎ立てた。
そして、上空からハンターに波状攻撃をしかけたという。
タカにつかまった仲間を地面に押さえつけられたヒシクイ6、7羽が、タカを取り囲んで翼でめった打ちにし、失神させてしまったこともある。
『雁よ渡れ』を読むと、雁のかげがえのなさも、雁を守るための環境保全の重要性も、強く胸に迫ってきます。
本書をご覧の上、ご講話を聴いていただければ、ご講話が、よりわかりやすくなることでしょう。
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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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