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2016
10.23

蓮華と法具になったお大師様

2016-10-23-0001.jpg

 お大師様が旅立った後、高野山が没落した時期のできごとである。
 天台宗の円仁が、弟子と荒廃ぶりを語り合ったところ、その世のにお大師様が現れた。
 次いで、真言宗の康修も現れて、「和尚に会おうと、お大師様が来ておられます」と告げた。
 円仁は驚いて起き上がり、衣装を整えて玄関に出る。
 ところが、お大師様はおられない。
 周囲を見回すと、庭に一本の蓮華が立っており、五鈷金剛杵(ゴココンゴウショ)が乗っていた。
 康修は再び、円仁の想念に現れてそれを指し示す。
「あの金剛杵は我が師である」

 お大師様は、右手に五鈷金剛杵、左手に数珠を持って入定(ニュウジョウ…瞑想のままこの世を去ること)された。
 金剛杵は不退転の智慧を、数珠は一人も見捨てない慈悲を表す。
 それは不動明王が右手に剣、左手に索(サク…縄)を持つのと同じである。

 お大師様は御遺告(ユイゴウ)で説かれた。

「吾れ閉眼の後には必ず方(マサ)に兜卒他天(トソツテン…弥勒菩薩の浄土)に往生して弥勒慈尊(ミロクジソン)の御前に侍(ハベ)るべし。
 五十六億余の後には必ず慈尊と共に下生(ゲショウ)し祇候(シコウ)して吾が先跡を問うべし。
 亦(マタ)、未だ下らざる間は微雲管(ミウンカン)より見て信否を察すべし。」


(私が亡き後には、必ず兜卒天に往生して弥勒菩薩のもとにつかえるであろう。
 仏滅後五十六億七千万年経ち、弥勒菩薩が天上からこの世へ降るおりには、必ず弥勒菩薩とともに人間界へ降り、かつて私が歩んだ跡を訪ねるであろう。
 また、この世へ降りるまでの間は、兜卒天の微かな雲間から望み見て、人々の信心・不信心を観察するであろう)

「努力努力(ユメユメ)後に疎(オロソ)かにすることなかれ」


(私が去った後も、決して、精進せず仏法を疎かにするようなことがあってはならない)

 お大師様は、弥勒菩薩のおそばから、不動明王のような智慧慈悲により私たちを見守っておられる。
 一時の流行や廃れに一喜一憂してはならない。
 信じ、精進する者は必ずお大師様と感応できる。
 お大師様とお会いできるかできないかは私たち自身の心がけ次第だ。
 ちなみに、蓮華に乗った金剛杵は、当山のお焚きあげの場にも高く掲げられている。
 この形は、あらゆる迷妄を断ち、生きとし生けるものを救う智慧慈悲を目ざす仏法の根幹であるに違いない。
「南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)」




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2016
03.05

お金が主役の時代に想う ─中沢新一・トランプ・ユダヤ原理─

2016-02-25-014.jpg

 世の中がなぜ、こうまでもすべてをお金に換算するようになったか?
 住処を調える家事や子育てまでも金銭的な尺度で〈価値〉を計られるなど異様ではないか?
 また、医療や教育までも〈商売〉にしてしまうのは危険ではないか?

 すべてを単一の価値観で数値化するという無理は、家事や子育てそのものの本質や尊さを忘れさせつつある。
 すべてを儲けなければ存続できない世界へ堕とした無理は、医療現場の混乱や教育現場の商業化を招き、医師も教師も本来の〈師〉たり得なくなっている。
 当山でお茶のみ話をされるお年寄りは、ロボットに介護されるくらいなら早く死んだ方がいいと考えておられる方が少なくない。
 人間にとっての本当の〈価値〉が、お金とモノが持つ〈数値〉とあまりにも乖離しつつある。

 思想家中沢新一氏は東日本大震災と原発事故を憂い、平成25年「グリーンアクティブ」を創設した。
 趣旨である。

「現代世界におこっているさまざまな困難な問題の根源に、私たちはグローバル化した経済を見出す。
 自然環境の破壊や人間社会の解体の奥で、あらゆるものを根こぎにし、商品化していく経済の暴走を見出すことができる。
 グリーンアクティブは目覚めつつある『緑の意識』によって、このような破壊の運動に対抗していこうとしている。
 グリーンアクティブは新しい富のかたち、 新しい豊かさの感覚、新しい人間的絆のありかたを、つくりだそうと思う。」

 
 昭和63年、氏は心理療法家河合隼雄氏と対談し「ブッダの」を上梓した。
 そこでこの問題に関する重大な発言を行っている。

「反共産主義の陣営に立っているロシア民族派の人たちは、ものすごく強硬な反ユダヤ主義なんですね。
 彼らが言っているのは、要するに社会主義革命というのはユダヤ人だと。」

「実際、レーニン博物館に行くと、初期のボリシェヴィキ全員で撮った大きな写真があるんですが、九十パーセントがユダヤ人なんですね。」

「スラブ民族派に言わせると、ロシアをこんなふうにしてしまったいちばんの原因は、農村を破壊してコルホーズにしたことなんですね。
 農民というのは土地に帰属して生産を行う人間だから、魂の世界というのがあった。
 それをアパートに住まわせて、教会を破壊して、そこを農場にしてしまった。
 これを推し進めている原理というのは、人間の魂は土地に帰属するということを否定する原理であり、それはユダヤ原理だと言うわけです。
 彼らこそ土地を持たない民族であって、彼らにとって重要なのはお金と知識だったわけでしょう。
 そういうユダヤ原理というものがこの地球を席巻していくのであって、ロシア革命の時に起こったこともそういうことなんだと言うわけです。」


 無論、すべてをユダヤ人のせいにするのは無理であり、偏見は厳に慎まねばならないが、氏の指摘する「お金と知識」が世界の物質文明を驚異的なスピードで発展させ、人間一人一人に自由の意識を育て、一人一人が自由意志で動ける範囲を拡大して来たことは否めない。
 私たちはある意味で解放されたが、同時に〈魂の根〉を失いつつあるようにも思える。
 その根は、農業・林業・漁業など第一次産業の世界には確かにあった。
 田畑や山や船を所有する家や地域の人びとが、伝えられ磨かれたそれぞれの知恵や、惜しまぬ汗によって生業を守り伝える時代には。
 しかし、今は時代の主役が代わった。
 そして、失いつつある重大なものが輪郭を顕わにしつつある。

 ところで、アメリカの大統領選挙にトランプ旋風が吹き荒れている。
 トランプ氏の娘も孫もユダヤ教徒であり、氏はそのことを「光栄」と語り、約束している。
「我々は100%、イスラエルのために戦う。
 1000%戦う。
 永遠に戦う」

 さて、私たちの世界、私たちの思考はどうなっているか?
 世界はどうなって行くのか?
 前述の「ブッダの」で、中沢氏はユダヤ原理をこう言う。

「帰属するものを引き離して流浪する民に変え──これは自由ということかも知れませんが──、その流浪するものを貨幣や知識に切り替えていくという原理」


 河合隼雄氏の締めくくりは恐ろしい。

「切れてしまったものをもう一度土地につなごうと思ったら、そのあいだのメッセージというのは、もうしかない……。」


 そうだろうか?
 まだ切れきっていなのではなかろうか?
 私たちはまだ、〝おかしい〟と思い、不安になり、何ものかに頭を占領されつつあることに気づくことができる。
 よく考えてみたい。




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2015
12.26

夢と希望と戦争と

201512260002.jpg

 私たちは、新たな一年を迎えてを描き、希望を持ちます。
 では、希望とはいかなるものか少々、考えてみましょう。

 文学博士大喜直彦氏は述べます。

「『』とは将来実現させたいと思っている事柄、『希望』とは将来に対する期待である。」(『神や仏に出会う時』より)

「『希望』があってこその『』である。
 『希望』がなければ、『』は単なる空想的な理想にすぎないではないか。」


 たとえば、大リーガーになるのが、そのを実現するために野球の名門校へ入学するのが希望です。
 野球部の充実している学校へ入れなければ、少年が大リーガーになりたいという願いは空想でしかなくなる可能性があると言えましょう。
 中世びとを研究している氏は、自然=神仏を身近に感じながら生活した人びとの歴史を思い起こしてみることによって、深刻な環境問題などへ対処するヒントが得られるのではないかと述べています。
 具体的な希望を持ててこそ、安全、安心な地球環境を取り戻すという夢へ向かって進めます。
 たとえば、インドや中国における深刻な大気汚染に対して、一足先にそこを通り抜けた日本は、体験と技術をもって具体的に貢献したいものです。

 一方、法学博士小室直樹氏は述べました。

「人類社会はつねに過程のことである。
 最終的な桃源郷しか考えない人は困ったものだ。
 それに理想とは、現実に可能ないくつかの選択肢の中で最良と思われるものごとである。
 実現可能性が証明されないものは、理想ではなくて白昼夢である。」(『新戦争論』より)


 ここで言う「理想」は、上記の「希望」にほぼ該当します。
 たとえば、まったく勉強をしないでテストが0点ならば、進学という希望は理想的な進路ではなく、白昼夢にしか過ぎません。

文明が崩壊した状態は野蛮である。
 野蛮とは自然状態のことである。
 本能のおもむくままということである。
 文明社会は、今さら、『自然』に戻るわけにはいかない。
 『自然』とは、文明社会がもっとも恥ずべきもの、百方手を尽くして避くべきものである。」

「日本人は自然が好きだ。
 自然を愛好し、人工は忌むべきものだと考える。
 しかし、この表現をぎりぎりつめてゆくとたいへんなことになる。
 文明の否定につながりかねない。
 『人工』こそ文明の核心である。」


 私たちが生きている地球上は、人間にとって、文明に覆われた世界です。
 ヒマラヤやアマゾンの秘境といっても、排気ガスの影響から逃れられる一坪の土地もなく、飛行機から眺められる時点ですでに、文明の下にあることを意味します。
 人間は、ありとあらゆる分野に対して、常に〈人工〉をはかっています。
 私たちは、工夫せずに生きられないいきものだからです。
 氏は、こうした観点から説きました。

戦争は、自然の次元にあるものではなく、高度に人工的なものである。」

戦争とは、国際紛争解決の最終手段である。」


 戦争平和も、私たちの工夫から離れて自然に存在することはありません。
 平和な世界を〈夢〉見るならば、私たちはいかなる〈希望〉を持てばよいのか、よくよく議論される一年であって欲しいものです。




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2015
12.24

殺人者の夢枕に思う ─夢・亡霊・廻向─

20151223000123.jpg
〈磨かれ、鮮やかな紅色をまとった六地蔵様〉

1 殺人事件と夢枕

 12月22日、奈良県警は、無職の川中浩容疑者(52才)を殺人の容疑で逮捕した。
 殺されたのは内縁の妻(82才)である。
 川中容疑者は滋賀県警に自首した。
「実は口論になって人を殺した。
 被害者が枕元に立って、仕事も手につかなくなった」
 
 夢枕に立つ被害者の亡霊に悩まされて自白した例としては、昭和46年に8人の女性を殺した大久保清事件が思い出される。
 スポーツカーに乗り画家を装った被告は幾度も刑務所暮らしをした結果、連続殺人事件を起こし、逮捕後も暴れたりしたが、最後は夢枕に立つ被害者たちの亡霊に耐えきれず自白した。
 また、4人の遺体が埋められていた現場近くでは、ことが発覚する前から幽霊を見る人が相次いでいた。
 被告は証言を覆さないと誓い、2年後に前橋地裁で死刑判決を受けても控訴せず、その3年後には東京拘置所で死刑が執行された。
 被告は最後まで死霊に怯え、死刑を怖れていたが、謝罪や懺悔は一切、なかったとされる。

2 制御できない無意識

 犯人は二人とも夢枕に立つ亡霊を見て、どうにもならないところまで追いつめられたが、それは当然である。
 無意識が起こすものであり、無意識の領域は意識つまり自我が直接、関与できないので、見たくなくても止められず、無意識の世界が変化するまでその夢は反復され得る。

無意識の自立性は情動が起こる時に始まる。
 情動は思いどおりにはならない本能的な反応であって、その反応は意識の合理的な秩序を自然力の爆発によって攪乱する」(カール・ユング著『個性化とマンダラ』より)

「我々は無意識を無と呼ぶが、しかしそれは潜在している現実である」(カール・ユング著『個性化とマンダラ』より)


 夢は自我のコントロール圏内にはないが、自分のと無関係ではない。

「デカルトが『考える』ことを重視したのに対して、たましいは『想像する』ことを重視する。
 想像(イマジネーション)こそは、たましいのはたらきであり、それを端的に体験するのは夢であろう。
 夢の大切な特徴は、それが人間の意識的自我によって支配できぬことである。
 夢は自我のつくり出したものでない証拠に、われわれは夢の展開がどうなるかまったくわからないし、『思いがけない』人物が登場し、展開が生じる。
 つまり、夢創作の主体は自我ではない。
 このような夢を創り出す主体をたましいであると考えてみるのである」(河合隼雄著『宗教と科学の接点』より)


 私たちは、実際には見たことのない光景を夢の中で幾度も見ることがある。
 意識の外に追いやりたい、記憶から消してしまいたい被害者の様子が繰り返し夢に登場したとて、何の不思議もなく、かつ、どうしようもない。
 夢にうなされ、目覚めては烈しい情動が起こり、事実を口にせずにはいられなかった二人の葛藤はいかばかりだったことか。

3 亡霊廻向

 では、亡霊はいるのか?

 一つは、死後、転生(テンショウ)する先が定まっていない中有(チュウウ)の御霊である。
 行く先がわからず、かつ、引導(インドウ)も渡されぬままの死者は、浮遊するしかない。
 インドのギュメ寺元管長ドルジェ・ターシー師は説く。

「中有の状態は決して楽ではありません。
 むしろ苦しみそのものです。
 なぜなら自分の生まれる先を必死で探さねばならず、また自分の心の投影であるさまざまな化けものや猛獣が現れて本人を苦しめるからです」


 だから、引導とご供養は重要である。

 もう一つは、この世への執着心により地獄などへ堕ちた御霊である。
 同じく、ドルジェ・ターシー師の言である。

「死ぬ際にとりすがって泣きつくと、死に向かう者の気持は大きくとり乱されます」
「死ぬ前にはその人が喜ぶようないい話をしてあげるのです」
「仏法に関する話をしてあげて、法に心が向く状態で死なせてあげることが死者を見取る最高の方法です」


 だから、感謝をもって送ること、ご葬儀における「お別れの言葉」に託すまごころなどは重要である。

 こうしたことを考えても、〈浮かばれない〉御霊が犯人に対して強い怨みの念を持ち続け、生死を超えた広大な無意識の領域で何かの感応が起こり、犯人の〈悪夢〉につながったものと思われる。
 ちなみに、当山では、さまざまな修法の最後にこうした願文を唱える。
「いまだ成仏せざる者には、願わくは成仏せしめん」
 修法の功徳(クドク)を未成仏霊へ廻向(エコウ…廻し向けること)するのである。
 当病平癒や商売繁盛のご祈祷でも、三回忌供養の修法でも、目的とする内容の如何を問わず、ご本尊様からいただいたお力の一部を未成仏霊へふり向け、少しでも成仏への縁としたいと願っている。
 善き願いをもって修法の場に臨んだ善男善女にとっても、善行(ゼンギョウ)の功徳を広く廻向することがさらなる善行となり、本来の目的達成の力となるはずである。

4 日常生活における廻向

 最後に廻向について述べておきたい。
 もちろん、最高の廻向は寺院での修法を依頼することだが、日常生活においてもそれは可能である。
 たとえば咲いている花を見た時は、御霊に対して誓いたい。
〝自分もこの花のように、いかなる雨風にも耐えて自分なりの心の花を咲かせます。
 だから、どうぞご安心ください。
 どうぞ、お見守りください〟
 そして言葉どおりに忍耐し、きちんと生きる姿を見ていただくのである。
 これこそが、菩薩(ボサツ)になるための「忍辱行(ニンニクギョウ)」であり、その功徳を廻向することは、在家の方々にとってすばらしい善行になる。
 こうした善行にいそしんでいれば、無意識の世界が穢れたり歪んだりせず、悪夢にうなされることもあまりないはずである。

 もしも悪夢に苦しむ時は、いつでも修法を受ければよい。
 東日本大震災後、急に濁った井戸を埋めたAさんは悪夢に悩まされるようになった。
 井戸の修法を受けた日から悪夢は去った。
 若い頃からやりたい放題だったBさんは、急に奥さんを亡くしてから眠れなくなり、当山の門を叩いた。
 あらためて御霊のご供養を行ったところ、体調を取り戻された。
 いずれも、〈思い当たる節〉があるのに放置しておいたのが原因だったと推測される。

 夢は知らせであり、警告であり、導きでもある。
 それは、自分の生活を陰から動かす無意識という氷山が水面上に出した頭のようなものであり、慎重に対応したい。




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2015
09.20

少年の夢と卍 ―週刊新潮の表紙に想う─

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 ある方から連絡があった。
週刊新潮の表紙に、住職が言っているイメージどおりのイラストが載っていますよ!」
 購入して、つくづく眺めた。
 画家成瀬政博氏の「表紙のはなし」にはこう書いてある。



 風船を持った少年のうしろ姿は
 に憧れる人生のようです
 ひとり一人のは 形を変えたり
 消えてしまったりするけれど
 人類の変わらぬのいちばんは
 戦争のない世界です
 それは 果しなく見つづけた
 もし 日本の総理大臣が 国連で
『今から私たちは 憲法九条を
 実現する努力をいたします』と
 宣言したらどうでしょう
 ああ 風船持つ少年のうしろ姿よ」


 朧な太陽へ向かって立つ少年の〈赤〉は、への情熱、燃えるいのち、そして果てしない戦火でもあろう。
 小生は、愛染明王(アイゼンミョウオウ)のまとう〈赤〉を直感した。
 愛染明王は、大日如来が生きとし生けるものを敬愛し、お慈悲で導く思いと力を私たちへ示すために明王となって現れた憤怒尊である。
 経典は、私たちにこびりついて離れない愛欲に染まったエネルギーをそのまま、自他を救う力へ転換させてくださると説く。
 私たちは、他人を押しのけても自分が欲しいものを得ようとする一方で、時には、自分の身を捨てても誰かを救わずにいられない。
 気ままに生きれば我利我利亡者(ガリガリモウジャ)となって悪業(アクゴウ)を積む私たちは、智慧と思いやりを持てば、ただちに、〈み仏の子〉たる本来の姿で生きられる。
 そのことを煩悩即菩提((ボンノウソクボダイ)と言う。
 この少年は、我欲で生きるのだろうか?
 それとも思いやりで生きるのだろうか?

 風船の〈青〉は安心や平和の象徴である。
 世界中の信号は、「進んでも大丈夫」という安全を青色へ託している。
 何かのトラウマなどを抱えていなければ、多くの人々は、空や海や湖の〈青〉を厭わないだろう。
 それは、心を静め、清め、深め、広がらせる。
 だから、真っ赤な少年は風船を手放せない。
 少年の手は風船をつかみ、飛んで行かぬよう制御してように見えるが、実は、風船に制御されてこそ少年の〈赤〉は、我欲でなく思いやりとして燃える。
 その〈青〉が心へ染み込まぬ限り、決して、風船を手放してはならないのだ。

 足元の小さなネコは、見る者を観ている。
 問いかけてもいる。
「お前はどうなのだ?」

 少年は立ったままだが、両手はダラリとしてはいない。
 力を込めた姿勢である。
 どう観ても、お釈迦様がお生まれになった時にその尊さを表した「誕生仏」そのものだ。
 日々、摩耶夫人(マヤブニン…お釈迦様の生母)と誕生仏の前で不戦日本を祈っている者にはすぐ、わかる。
 これは誓う姿でもあろう。
 彼は遙かなお天道様へ誓っている。
 それは何か?
「夢は捨てない」

 全体の構図を眺めると、いつも九字を切り、卍の印を結んでいる小生には、卍に見える。
 少年の右腕と風船に対応する左腕の形、そして、左上の太陽と右下のネコは、明らかに卍を成している。
 卍とは何か?
 太陽が天空を永久に回転する動きを象徴する卍は、繁栄・幸福・瑞祥(「密教大辞典」)の兆しとしての吉相である。
 小生は、一日として、祈りの中で卍を用いぬ日はない。
 何しろ、卍は招福法の決め手なのだ。

 少年の「夢」こそ、世界平和の決め手ではないか。
 今日も不戦日本を祈ろう。


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