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2013
02.27

3月の聖語 ─心がよい方向へ向いているかどうかを調べるには?─

2013022700011.jpg

 お大師様の言葉です。

「地獄は恐ろしいところだと言われているが、必ずしもそうではない。
 善心を発揮すれば仏が救ってくださるからである」(空海BOTより)


 芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』は、お釈迦様が極楽から地獄へと救いの糸を垂らしてくださる物語です。
 せっかく昔の善行が認められて地獄から抜け出せるチャンスをもらったのに、自分だけが助かりたいという我欲を出したために、カンダタは再び奈落の底へと落ちました。
 このお話は、善行を実践する者にやってくる善き報いを手に入れられるかどうかは、心がけ次第であることを示唆しています。
 善行者に善き縁が訪れるのは、まじめに勉強していれば周囲にまじめな仲間ができるのと同じです。
 仲間の誰が一生のつき合う親友となるか。
 それは、一歩、レベルの進んだ魂の感応があるかどうかにかかっています。
 天運をつかむために祈りましょうと説かれているのはこのことです。

 つまり、心をよい方向へと変化させる努力がなければ、なかなか天運はつかめないのです。
 よい方向へ向いているかどうかを調べる方法は何か?
 それは、はっきりしており、「誰かのためになりたい」と思っているかどうかにかかっています。

 正直にチェックしてみましょう。

 仏道は、自分が苦から離れるためだけにあるのではありません。
 山などの静かな所に籠もって瞑想し、仙人のような無の境地になっても、真の仏道である菩薩道(ボサツドウ)から観れば「どうぞご勝手に」という範囲でしかありません。
 それよりは、介護の現場で腰の痛みに耐えつつはらたく人や、病気で苦しんでいるのに看護婦さんへ笑顔でありがとうと言う努力をしている人の方が遥かに、菩薩道(ボサツドウ)にかなっています。

 3月11日の供養会にあたり、善男善女から続々と写経が送られてきています。
 どれを読んでも、自分にできることをしたいという温かで誠実で真剣な菩薩の思いが伝わってきます。
 お大師様が説かれたとおり、たとえ地獄に堕ちたとて、よき心になりたい、すなわち誰かのためになりたいという布施(フセ)の心がけがあれば、み仏はお救いくださるのです。
 笑顔で感謝の言葉を述べるのも布施行、運転中に進路を譲るのも布施行です。
 そして、布施行ができる以上、すでに救われることが証明されています
 
 私たちは、いつでも、どこでも、み仏の御手中にあって救われ得る存在であることを忘れずに今日も生きましょう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2008
02.24

大吉と小吉 ―おみくじについて―

大吉」は吉がたくさんあり、「小吉」は吉があまりないと考える方が多いのではないでしょうか。
 この場合の大小とは、陽陰であり、大きさではありません。

 大吉とは、ある吉の多くが、もう、明らかになっているということであり、それは、視点を変えれば、すでに運を使い果たしつつあることです。
 大吉が出たならば、自らを慎み、いただいた運を将来へ活かせるよう、智慧をはたらかせねばなりません。
 舞い上がってばかりいたならば、鉄腕アトムが墜落するような羽目に陥らないとも限りません。

 小吉とは、吉が、まだそれほど表面化していないということであり、それは、視点を変えれば、宝の山が明らかになるのはこれからだとも言えます。
 小吉が出たならば、バカにせず大いに感謝し、「おかげさま」と周囲へ施し、徳をもって上手に引き出さねばなりません。
 なあんだと捨てたりしたら、天運に見放され、宝の山を失うばかりでなく、感謝の薄い心が畜生道へ導くかも知れません。

 大凶が出たならば、凶運が出尽くしつつあるので、謙虚に我が身を省み、やがて廻り来る春をゆったりと待つゆとりを持つ努力が大切です。
 運命転化の時はもうすぐです。
 あまりガッカリしたなら、春の便りになかなか気づけないかも知れません。

 凶が出たならば、正邪善悪の判断をしっかり行い、大きな凶事をもたらしかねない悪心をきれいさっぱり切り放つことです。
 そうすれば、早く運気の流れを上昇へと転じさせることができましょう。
 タカをくくっていたならば、泥沼やアリ地獄に足を踏み入れてしまうかも知れません。

 さて、中吉は、吉運がどちらへ転ぶかはっきりしない状態です。
 仏神を尊び、ご先祖様を供養し、天運をつかみたいものです。

 おみくじは、ただ占うだけで「ああ、そうか」と終わりにしてはなりません。
 仏神のお知らせを活かすか、それともドブに捨てるかは、私たちの心次第です。 
 教えに学び、智慧をもってやりましょう。
 
2005
07.04

運命を創るのは誰か

 例祭を終え、いつものように皆さんと一緒に仏器を磨いていたら、Sさんから質問がありました。
「運命は自分で切り開けるものですか?それとも人生は誰かに決められているんでしょうか?」
 Sさんご一家は熱心に精進しておられ、お父さんの読誦しているお大師様の経典はかなり古びています。
 きっとこの問題も、いろいろな説を勉強しながらご家族で何度か話し合っておられたテーマなのでしょう。

「両方の要素があるものですよ」とお答えしました。
 よく「開運」と言いますが、開運とは、ただ漠然と良いことが起こるということではありません。
 いわゆるタナボタを夢見ているだけでは、永遠にボタモチは口にできません。
 人生の方向性を決めてまっしぐらに向かってこそ、自分の持っている力が発揮でき、新しい局面が現れます。開けるのです。
 しかし、問題なのは、方向性を具体的に決められない場合です。
 自分が本当は何をしたいのか、何をすべきかが判らない場合です。
 特に若いうちは、そのあたりで右往左往するものです。
 どうすべきか?
 答は一つしかありません。
「人生の真実」「人生の目標」「自分らしい生き方」、何であれまじめに探し続けることだけです。
 真剣に探しながら生きている姿勢は人間としてまっとうなものであり、必ず見つける「縁の時」チャンスが来ます。ここまでは自力です。
 
 今度は、それをつかめるかどうかですが、自分の力だけでは自ずと限界があります。
 ライバルが現れるかも知れません。
 足を引っ張る人も出てくることでしょう。
 事故や病気や突発的なできごとが妨げとなるやも知れません。
 仏教ではそれを天魔といい、打ち破ってくださるのは守本尊様方です。
 もしも夫婦円満など実際の良縁を持続させようとして苦境に立ったならば、文殊様がお救いくださいます。
 つまらぬ因縁をつけられるなど仮の悪縁を祓いたいならば、千手観音様がお救いくださいます。
 生霊は虚空蔵菩薩様が祓ってくださいます。
 人生における真のチャンスはそうそうあるものではなく、それをつかむ「天運に恵まれる」とは、仏神のご加護があるということです。天魔に負けないということです。
 もしも、首尾良くチャンスをつかみ運が開けた時、すなおな方なら心のどこかで「おかげさま」と感じているはずです。
「おかげ」とは守本尊様に他なりません。
 
 各界の第一人者とのインタビューを続けている作家の高任和夫氏は
「彼らの共通点は志を持っていることです」
に加えて、
「偉ぶる人は一人もいません。どなたも謙虚です」
と言いました。
 皆さん、何ものかのおかげがあってこそ今があると感じておられるということでしょう。

 冒頭の問いへの答は、「まっとうに生き『おかげさま』を忘れなければ、自力を発揮でき、仏神のご加護をいただいて善き運命が創られる」ということになりましょうか。




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2005
06.21

五力 18 ―信力 4 ご利益をいただくには―

 ご本尊様の「ご利益をいただく」とは、「自分の隠れた力を発揮し、天運を引き寄せる」ということです。
 
 そもそも私たちは持っている脳細胞の2割も使っていないのですから、未成熟であると同時に大きな可能性を秘めた存在です。
 脳がそうであれば脳の指令で動く身体も同じです。現に「火事場のバカ力」と言うではありませんか。
 だから、善き願いを叶えたいのであれば、まず必要なのは「自分の力を信じる」ことです。
 やれるはずだが何かが足りない、あるいは何かに支えて欲しいと思うからこそご本尊様の前へ来られたわけですから、そこをしっかりさせねばなりません。
 医療の力で病気を克服できるのは自己快癒力があるからだというのと同じ理です。

 また、願いをかける以上は、ご本尊様を「信じる」ことが欠かせません。
 自分の未熟な部分や、力を発揮できていない面や、袋小路を突破する智慧を補っていただくわけですから、人生がかかっています。
 目的地へ行くのに走っては間に合わないと判断して自転車に乗るのなら、自転車がちゃんと走ることを信じなければ始まらないではありませんか。
 そして、自転車を自分の足でこぐのと同じく、自分の意思でご利益をいただく、お力をいただくといういう姿勢が必要です。

 もう一つ決して欠かせないのは、「こうしたい」という目的意識をはっきりとさせることです。  前へ進もうとして後から押してもらいたいのなら、ハンドルは信じる方向へとしっかり握りしめていなければなりません。ハンドルを握るのは自分だけです。

 こうして心の準備ができたなら、あとは、ご祈祷であれご加持であれ、法を受けている間は、心身の力を抜き、ゆったりと過ごせば良いのです。(念ずるべきところはちゃんとご指導します)
 思いこみやこだわりや堂々巡りで疲れ、緊張している心身は解放を求めています。 歪み凝り固まったものがほぐれてこそ、大海のようなご本尊様の世界へ溶けこみお力をいただけます。
 我の強い人には法が届きにくく、すなおになれる人へは法が届きやすいことははっきりしています。
 天運はすなおな人にこそ訪れます。
 ご本尊様のお力は大宇宙の力であり、それは小宇宙である私たちの中にもあります。
 我という障害物が取り払われて二つが共鳴し一つになればこそ良い結果が得られるのです。
 
 この世を構成しているのは物質が5パーセント、エネルギーが25パーセント、暗黒エネルギーと呼ぶしかない謎のエネルギーが70パーセントであることを思いだせば、私たちはすなおに、謙虚になれ、希望も持てるのではないでしょうか。




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