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2014
10.21

子供たちの3人に1人が味覚障害者 ―秋風や夕餉(ユウゲ)の箸(ハシ)の手くらがり―

201410210009.jpg

NHK様からお借りしてコピーしました〉

 NHKのニュースには驚いた。
 スポットライトを浴びて登場したはずの大臣が辞職しても、もはや眉一つ動かさなくなりつあるが、子供たちの3人に1人が味覚障害を持っているとは、本当に驚いた。
 マクドナルドなどファストフードによって、画一的で甘味と脂肪の旨みに慣らされてゆくことの栄養学的危険性と文化的危険性は重々承知していたが、味の濃さによって味覚がダメージを受けていたとは、本当に驚いた。

 味覚が発達するのは子供の頃で、特に10才前後の味覚は最も鋭いという。
 そこで、東京医科歯科大学の植野正之准教授の研究グループが、埼玉県内の小学1年生から中学3年生までの349人を対象に「甘み」や「苦み」など、基本となる4つの味覚を認識できるかどうか調査した。
 結果は以下のとおりである。

・酸味を認識できない…21% 
・塩味を認識できない…14%
・甘みを認識できない…6%
・苦みを認識できない…6%


 いずれかが認識できなかった子供は107人(全体の31%)である。
 こうした子供に共通している傾向は、「ジュースを毎日飲んでいたり、野菜の摂取が少なかったりしたほか、ファストフードなどの加工食品を好む」というものである。
 植野正之准教授は指摘した。

味覚が認識できなくなるとさらに味の濃い食品を好んだり食事の量が増えたりするため、食生活の乱れや生活習慣病につながるおそれがある。
 子どものたちの味覚を育てることが必要だ」

 
 目も耳もない最も単純な形のアメーバは、感じとる対象を2つに分けて生きている。
 食べ物か、そうでないか。
 ご先祖様は食べられるか食べられないか、食べてみて危険なものを言い伝えてくださった。
 人は最期が近くなると食べられなくなり、衰弱へ向かい、やがて向こうへ旅立つ。
 味覚は、生きものとしての根源的感覚である。
 それが破壊されているとは深刻な事態である。
 結果の出ていることには必ず原因があり、悪しき原因は取り除かねばならない。
 私たちは、食生活の習慣を粘り強く、改めてゆかねばならないと思う。
 私たちがどう生きるかということは、何を残すかということでもある。
 子や孫や子孫のためによき食生活の習慣を残し、伝えたい。

 小説家永井荷風は詠んだ。

「秋風や夕餉(ユウゲ)の箸(ハシ)の手くらがり」


 秋風が吹く頃、独りで夕飯を食べている。
 箸を持つ手の先へ視線は届かず、暗がりになっている。
 箸を動かすにつれて動く影法師は、いのちのない生きもののようだ。
 人が独り、生きるということは、こうした営みを続けることに他ならない。
 この真実が観えた時、味覚が貧しかったならば、心はどうなろうか?

 子供の味覚が健全に育たない社会は恐ろしい。
 そして、もしも母親が生活的に追い込まれているがゆえに子供の味覚を育てられないとしたなら、あまりにも哀しい社会ではないか。
 真に女性尊厳を尊ぶならば、キラキラしい人々にかまうことはない。
 能力や経歴や美貌や資産のある人々はそれなりに生きる場をつかみつつ生きるだろう。
 問題は、尊厳が危うくなっている大衆の側にこそある。
 華々しい「経済発展」が叫ばれている中での悲惨な子供たちの現状は、問題の深さを示している。
 子供たちと女性たちを見捨てられようか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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2010
01.31

女性と信仰 (その2)

 そもそも、先祖供養女性の化粧と共通するところがあります。
 誰かのために自分を美しく装おうのは、合掌という美しい姿になってご先祖様をご供養することに通じています。
 合掌するすなおな心が、自然に内面をも美しくします。
 そうして姿も心も美しくなって良き人生を送る徳を回向(エコウ…回し向けること)するのが最高の先祖供養です。
 女性先祖供養の主たる役割を担ってきたのには、家事の主役だった(現在はずいぶん様子が変わりましたが)というだけでなく、〈装う感覚〉にも理由があるようです。
 ただし、学校で料理をさせてみると女生徒と男生徒ではまったく気配の異なったものをつくるというベテラン調理師のお話には考えさせられます。
 それと同じように、男性には男性なりの、いわば思いきった信仰といったものが見られるからです。
 身体全体の構成はもちろん脳の形やはたらきも明らかに異なっている女性と男性とでは、信仰においてもそれぞれの色合があるのは当然ですね。



「おん さんまやさとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



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2005
10.24

五欲の問題 4 ―天人五衰 4―

 欲の問題の続きです。

4 色欲
 色欲は、種の保存の本能とも言うべき最も根源的なところから出ています。
 そのために、ものごころがついてから灰になるまで、異性の存在は常に最大の関心事の一つです。
 それは、人生に潤いを与える場合もあり、この上ない苦しみ・辛さ・憂いを与える場合もあります。
 男性の色欲は女性への「優しさ」として現れます。
 女性の嬉しい様子が自分の喜びとなります。
 そして、思いが深まれば、自然に相手を守ろうとするようになります。
 こうなった男性は、自分が相手にとって一番でなければ気が済みません。
 女性の色欲は男性への「アピール」として現れます。
 自分のアピールしているところを解ってくれる男性が現れるまでは、自然に自分を守ります。
 そして、自分を解り守ってくれる相手へ気を許しやがては身体を許せば、相手のためにますます自分を守ろうとします。
 
 男女が一組になり、心身が満たされ、やがてはいのちのバトンタッチをする子供を授かればめでたしめでたしですが、人間の他の生きものと決定的に異なっているところは「あいまいさ」にあるので、ことは、そううまくばかりは行きません。
 草木であれ、ケダモノであれ、人間以外の生きものたちの一生は〈時が来れば、自然に時に応じたことを為す〉だけで、実に単純です。
 人間だけは自由気ままにさまざまな想念を持ち、さまざまな行動を行います。そこに創造性が生まれ、同時に悪も芽生えます。
 この特殊性が、色欲における問題を生じさせてしまいます。
 
 色欲は人倫を破壊し、修行を妨げるので、仏教においては「不邪淫戒」として厳しく戒められています。
 釈尊の説法についてはこれまでいろいろと学んだので、ありがたいことに当山と同じ名前の法楽寺を縁とする江戸時代の名僧慈雲(ジウン)尊者の説く「不邪淫戒」に学びましょう。
『十善法語』の意訳です。

「この不邪淫戒は、万巻の書を暗唱する者ですら、持たねば身に災いが来る大切な戒めである。
 はなはだしい場合は、家を滅ぼし国を滅ぼす。
 この戒に背かなければ一生、心安らかである。
 学者も愚者も、同じように慎み守らねばならない」
「国の乱れもこの戒が破られることを元として起こる。
 家の礼節の破壊も、身の礼節の不備もこれを元として起こる。
 謹慎に戒を守る者は、神々の冥助が得られる。男性も女性も、我に属せぬ者に心を寄せてはならない。みだりに狎れ睦まじくしてはならない」
「淫欲は身心を縛り、重なり来る憂いとなる。
 愛欲に随順すれば、この世界はことごとく執着の地獄となる。
 淫欲・愛欲が流れれば我を一番とする高慢となり、あるいは争いを起こす」
「愛欲は心身の安寧と澄んだ智慧の障害となるので、戒律で深く戒められている」

 尊者は、色欲による「乱れ」が身を滅ぼし、家庭を崩壊させ、ひいては社会関係すら破壊してしまうと説かれました。
 乱れは、親しくなるべきでない相手と「狎れ親しむ」ところに起こり、そうした「いい加減さ」は昂じて人格を賤しくし、精神の背骨を砕きます。
 
 男性の「優しさ」が向けられるべきでない相手へ向けられること、女性が自分を大切にし「守る」意識が薄れること、これが「いい加減さ」の現れです。

 心をあいまいに揺れ動くままに任せていれば、はてしなく、いい加減になることでしょう。
 倫理・宗教の必要性は、たやすくケダモノになり得る人間の尊厳を守るところにあります。
 尊者は「正義不邪淫戒」と説かれました。
 色欲の相手はただ一人と思い定めましょう。
 この単純な決意が、一夫一婦制の私たちにとって正義と尊厳を守る生き方になります。

 欲の問題は、次回が最終回となります。




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2005
07.18

お墓によって吉凶はあるか?女性が建ててはいけないか?

 昨夜、ご年配の檀家さんから人生相談がありました。
「お墓を守っている妹がいるんですが、古くなり傷もついたので修理しようとしたら、お寺さんから修理でなく建て直しなさいと言われました。
 見積額は300万円近くにもなります。
 途方に暮れていたところ、今度はテレビで、有名な占い師が、女性がお墓を建ててはならないと言っていた場面を見て、いよいよ困っています。どうすれば良いんでしょうか?」

 以前『法務ノート』に書いたものを記します。
 あの時は、Kさんが、占い師からお墓を傷ついたままにしておくと祟られますと言われたことがきっかけでした。

 お墓はみ仏に降りていただき、御霊と一族をお守りいただくための聖なる場ですから、そこに乱れがあって良いはずはありません。
 きちっとした形を目にして正しい教えを聞き、すなおに手を合わせればまっすぐで穢れない心がつくられます。
 しかし、形が崩れたものを目にしたり、教えがなかったり、ただ怖がっていたりすれば、心にも歪みや隙や汚れが生じることでしょう。
 そうした欠陥を放っておく姿勢自体が、自らの運勢を暗い方へと傾かせ、無神経さやいいかげんさを利用する悪しき者たちに利用されだまされる場合があるかも知れません。
 新しい仏壇が入りご本尊様の開眼供養の修法をした後で、「ご本尊様には必ず真っ正面を向いていていただくように気をつけてください」と申し上げる場合があります。
 また、僧侶は、常に仏器などをきちっと左右対称に並べてから修法をします。
 それは「完全」「最高」をその本性とするみ仏をお呼びするのにふさわしくないからです。
 無垢をめざしている御霊へ失礼だからです。
 このように、「欠陥のあるお墓を放っておくと気がかりだ」という感覚には理があります。
 ただし、それはすべて自分の心にかかっており、相手がこちらへ祟るのではありません。
 
 理のない者や真の解決法を示さず利用しようとする者は、必ず怖がらせ不安にさせます。
 そうした者に耳を貸さず理を解すれば、あとは今の自分ができることを実行するのみです。
 もしもお金がないならば、詫びて供養の心を篤くすることです。
 折節に、プロに供養してもらうのも良いでしょう。
 そうしていれば、決して運勢が傾くことはありません。
 むしろ、そうした健気な心がご先祖様へ届けば「よし、ここは何としても護ってやらねば」といっそうご加護をいただけるかも知れません。

 Tさんは、遠くにあるお墓に身内のお骨が納められているのですが、種々の事情によって近所へ移すことが難しく、「いつの日か、必ず移すか分骨するかしよう。
 それまでの間、お骨はなくともあるつもりでお墓を造って供養しよう」と思い立ちました。
「良いんでしょうか?」と真剣です。
 もちろん結構なことです。
 親族間のもめごとや旦那寺との軋轢などが重なり形は極めて変則的になっていても、供養する心は必ず御霊へ届きます。
 御霊は私たちの魂が発するものを感じながら自由に移動していますから、み仏のご加護があって自分を供養してくれる場が造られれば、そのお慈悲とまごころに感応してお喜びになられます。
 ご守護と供養の心が薄い場所よりも、教えが説かれ、環境も良く、暖かい心で建てられた場へ来られ、ご一族をお護りくださるに相違ありません。

 さて、質問への答です。
「修理は良くない、建て直しなさい」については、たとえば何かの危険性があるといった物理的要因でもあればともかく、道理がありません。
 隠れた都合があるのではないでしょうか。
 み仏のため、御霊のために自分でできる範囲のことを堂々と行ってください。
 それ以上、人としてまことのある行為はないのですから。

「女性がお墓を建てると良くない」などと言う話に怯える必要はまったくありません。
 釈尊もお大師様も、そんなことで男女の区別をしてはおられません。
 まして、少子高齢化・男女共同参画の時代をどう生きるか、その道理を考えてもすぐに判ることです。
 いくら有名な人の言葉でも鵜呑みにしてはなりません。
 ただただ怯えてはなりません。
 供養についてはプロの僧侶へお訊ねください。
 み仏の説かれた教えと正統な修法をもってお応えします。
 ご安心ください。




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