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2008
11.28

日本の歌 98 ─揺籃のうた─

揺籃のうた
  作詞:北原白秋 作曲:草川信 大正10年、『小学女生』に発表

1 揺籃(ユリカゴ)のうたを
  カナリヤが歌うよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ

2 揺籃のうえに
  枇杷(ビワ)の実が揺れるよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ

3 揺籃のつなを
  木ねずみが揺するよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ

4 揺籃のゆめに
  黄色い月がかかるよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ


 この歌は、子守歌の代表格である。
 もちろん、唄ってもらった記憶はない。
 子供へも唄ってやった記憶はないが、妻の歌声を聞いたこと、また、子供の寝顔を見ながらこの歌を思い出したことはある。
 妻と二人で、黙って我が子の寝顔へ見入っていたのは昨日のできごとのようだ。
 子供を安らかな眠りへ導くための子守歌が、親にとっても安らぎとなるのは不思議なものである。

 寝顔と歌のあった場面を思い浮かべると、今の生活に伴って発生しているいかなる問題も夢幻のように思えてくる。
 確かにあった〈真実〉、過去となってしまったが時を超えていつでも魂へ響く〈真実〉こそが実在であり、転変極まりない現象世界はかりそめのものでしかない。
 真実世界とかりそめの世界は表裏一体である。
 苦楽、泣き笑いが交錯する時間の流れの中に、キラッと光り、永遠にとどまる瞬間がある。
 その時、私たちは真実という宝ものに出会っている。
 宝ものがあるからこそ、かりそめの世をどうやら生き抜けられる。
 それは「み仏からの贈りもの」に相違ない。

 運転中に、古美術鑑定家中島誠之助氏の話を耳にした。
 彼は、「マニアックになってはいけない」という。
 膨大なものや情報が行き来する現代にあって、関心と研鑽の対象が狭い分野だけでは、きちんと感性を磨けないのだ。
 感動が土台になり、その上に知識という家が建って初めて感性がはたらくともいう。
 知識が先走ると、どうしても欲という家が建ち、だめになる。
 文学であれ、音楽であれ、美術であれ、あるいは風景であれ感動の対象は無制限である。
「佳い」と感じる感性は何に対してもはたらくものであり、純粋な感動によって磨かれた感性は、どこにでも「佳い」ものを見つけられるはずである。
 かねて流行語になっている「オタク」に感じていた危険性を、彼は見事に解き明かしてくれた。

 まことのもの、よきもの、うつくしきものは、真実の見せる三面である。
 真善美に魂が感応し、感動という土台の上にさまざまな家が建てられる人生であれば幸せと言えるのではなかろうか。
 この歌も、その土台にかかわる貴重な作品であることは疑いない。
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