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2015
10.16

Q&A(その12):親不孝が悔やまれる時にはどうしたらよいか? ―正命の救い―

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〈映画『唐獅子牡丹』の高倉健と池部良〉

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〈お釈迦様が悟りを開かれた菩提樹の周辺〉

 若気の至りで愚連隊だったAさんが、ようやく自立するのを待っていたかのように、女手一つで育て上げた母親が病気で急逝しました。
 Aさんは茫然自失、何も手につかず、当山を訪れました。

「身体と心の芯が折れました。
 何もできません。
 ああすればよかった、こうすればよかった。
 なぜ、ああしてやれなかったんだろう、なぜ、あんなことをしたんだろう?
 毎日、悔いてばかりいます。
 酒ばかり飲んでいます。
 もう、わけがわかりません」

 お話ししました。

孝行のしたい時分に親はなし、子養わんと欲すれども親待たず、などと言われているとおり、私たちは大人になると、育ててもらったことなどすっかり忘れてしまいがちです。
 そのうち、不意に親は倒れます。
 子供は悔いる。
 ある意味、仕方のないパターンであると言えます。
 親不孝と言っても、親元を離れ、自立していれば、いつも、お父さんありがとう、お母さんありがとう、と思わずに暮らすのは当然です。
 若いうちは、仕事も遊びも恋愛も、自分の目の前のことに一生懸命やるので精いっぱい。
 何かのおりに、〝ああ、親に育ててもらったおかげだ〟と感謝したり、親の誕生祝いを贈ったりするのがせいぜい。
 しかし、いつか必ず、親が倒れたと知って愕然とする。
 その時、一気に、孝行が足りなかったと気づく。
 これが自然な状態です。
 気づいたなら、自分にできる限りのことをするしかありません。
 もちろん、これで充分という基準はどこにもなく、誠意ある多くの子供たちは〝これしかしてやれない〟あるいは送ってから〝何もしてやれなかった〟と悔いるものです。
 もちろん、やれるだけやったから悔いはない、と自他共に思える方も確かにおられ、頭が下がる経験は少なからずありますが……。

 ドイツ人の意識調査によると、ものごころがついてから19才までは、友人が一番の関心事です。
 それから40才までは伴侶、恋人。
 50才までは仕事。
 70才までは健康、誰かのために役立つこと。
 その後は霊性や自然。
 
 人生がこのように推移して行く中で、親が元気に過ごしていてくれる場合は、自分の健康や利他の行いへ意識がシフトする頃に親の健康や暮らし方に問題が生じたりして、具体的な親孝行をしながら最期まで見届けるといった流れになりますが、人生はそう、順番どおりには進みません。
 失恋で落ち込んでいるところへ不意の連絡が入ったり、仕事に追いまくられているまっ最中に親元へ駆けつけねばならなかったりします。
 多くの方々が親不孝悔いながら生きる日々を体験するのです。
 かつて、高倉健は映画の主題曲『唐獅子牡丹』で唄いました。
『積もり重ねた不幸の数を、何と詫びようかおふくろに』
 小生は、半世紀も前に聴いた歌声がいまでも耳から去りません。
 ややもすればロクでもない時期を過ごさねばならない男性たちは、この歌や映画に〝おふくろ、ごめん〟と心で泣いたものです。
 
 さて、親不孝が当然、みたいなお話ばかりしましたが、決して親不孝を推奨しているのではありません。
 そろそろ、どうしたらよいか、へ移りましょう。

 作家の村上春樹さんは、誹謗や中傷にどう対処しているかと尋ねられて、こう答えています。
『規則正しく生活し、規則正しく仕事をしていると、たいていのものごとはやり過ごすことができます』
 この『やり過ごす』がポイントです。
 自分が親不孝だった、親孝行が足りなかった、と悔いているのは自分です。
 だから、もちろん、自分の問題なのですが、そうした思いは、自分の意志でつくったものではありません。
 自分の心に生じたものです。
 言い換えれば、自分に〈やって来た〉のです。
 それは、村上春樹さんの心へ誹謗や中傷が飛び込んで来たのと、本質的には同じです。
 Aさんにとっては親御さんの死によって自分の心に生じた悔いですが、村上春樹さんにとっては情報としてもたらされた攻撃です。

 そこでAさんは今、悔いに押し潰されそうになっておられます。
 一方、村上春樹さんはどうか?
 淡々と仕事を中心にした生活を続け、情報をやり過ごしています。
 Aさんは、それができないからこうして来ているんです、とおっしゃりたいでしょう?
 でも、きっとできるはずです。
 たとえば、朝、定刻に起きる、決まった手順で歯を磨く、慣れた手つきで顔を洗う、腹具合に応じてトイレへ行く。
 これらは皆、『規則正しい生活』の一部です。
 どうぞ、そのことを意識しながら、明日、起きて、歯を磨き、〝規則正しく歯を磨いている〟と気づいてください。
 同じように、顔を洗い、トイレへ行き、そう気づきながら朝食を摂れば、Aさんを落ち込ませているものはきっと、はたらきを弱めていることでしょう。
 お釈迦様も、私たちが迷わず、過たずに生きる方法の一つとして、規則正しくなすべきことをなす正命(ショウミョウ)を説かれています。
 これは誰にでも可能なのです。
 どうぞ、試してみてください。
 おおげさな話をした割には大した結論でなくてすみません。
 ご加護を祈っています」




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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2014
06.09

お墓に松柏を植えた話 ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その73)─

2014060911102.jpg
〈「ウサギ野仙哉」君(松尾佳央理さん画)の新作です〉

 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。
 今回も、親孝行の心が動物たちに通じたお話です。

○許孜(キョシ)の故事

 これは、中国の『氏族排韻(シゾクハイイン)』にあるお話です。

 晋の時代、東陽に許孜(キョシ)という孝行息子がいました。
 字(アザナ)は季義です。
 とうとう両親を送り終え、身はやつれ、骨もぼろぼろになりながら一生懸命に土を運び、墳墓を造り、松柏を植えました。
 ところが、一頭の鹿がやってきて、樹木をメチャクチャにしました。
 精根尽き果てた許孜が嘆き悲しんでいたところ、翌朝、その鹿は猛獣に襲われて死にました。
 後に、その里を孝順里(コウジュンリ)と呼ぶようになりました。

「許孜(キョシ)自ら墓を作り
 松柏(ショウハク)を植えて墓となす」


 昔の中国では、墓地・廟前に松や柏を植える慣習がありました。
 一つには、樹木を、拠り所、あるいは依り代とする宗教心によるものでしょう。
 もう一つには、常緑樹の気高さによるものでしょう。
 『論語』は説きます。

「歳(トシ)寒くして、然(シカ)る後(ノチ)に松柏(ショウハク)の彫(シボ)むに後(オク)るるを知るなり」

(暖かなうちはどの樹木も生き生きとしているが、寒くなり年が暮れる頃ともなれば、他の樹木たちが葉を落とし哀れな姿になる中で松や柏が枯れずに緑を保ち、ようやくその値打ちに気づかれる。
 そのように、人間も又、災難や逆境にあってこそ、真価が明らかになる。
 平時に淡々と学び、じっと修練を重ねるところに松や柏の常緑のような値打ちがある)

 日本でも、いわゆる御神木は全国いたるところにあり、神社の祭では「おんばしら」が用いられ、五重塔の心柱をみ仏そのものに見立てたりもします。
 人間も含めて生死のサイクルが早い動物と違う樹木に一種の神聖さを感じるのは、古今東西、変わらない私たちの心性の一部ではないでしょうか。
 親孝行や宗教心といった誠心が人間以外の動物にも伝わるという今回の物語も、言い伝えられてゆく価値がありそうです。




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2014
06.07

澄んだ心の感応 ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その73)─

201460050062.jpg

〈解体される……、ご苦労様でした〉

 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。
 今回は、親孝行の心が虎に通じたお話です。

○顔鳥(ガンチョウ)の故事

 これは、中国の『廣輿記(コウヨキ)』にあるお話です。

 漢の時代、顔鳥(ガンチョウ)という人がいました。
 亡くなった父親を弔うために何度も何度も土を背負って運び、お墓を造りました。
 それを見かねた烏(カラス)たちが群がり、それぞれがくちばしに土を含み、一緒にお墓へ積みました。
 烏たちはとうとう、一羽残らずくちばしを傷めてしまい、その地は烏傷(ウショウ)と名づけられました。

 このお話は明の時代に陵墓類を集めた『大明一統志』にも紹介されており、義烏(ギウ)県の東方四里ほどのところに、この故事を書いた石碑が建っているとされています。
 義に感じる烏という県名までできていたようです。

 また、新朝を開いた皇帝王莽(オウモウ)は、「烏傷」を「烏孝(ウコウ)」と改めさせました。
 傷ついたカラスでは地名としてなさけないし、孝行を称えてやろううと考えたのでしょう。
 もっとも、王莽は中国が世界の中心であるという中華思想を強く抱き、「高句麗」を「下句麗」と改名しようとして混乱を招いたりもしました。

 原文です。

「顔鳥(ガンチョウ)墓の土を負えば、烏鳥(ウチョウ)来たりて運び埋(ウ)む」


 前回、学んだのは、楊威(ヨウイ)の心が虎に伝わった話でした。
 今回はカラスです。
 山懐(ヤマフトコロ)にある当山では、墓地でお経を読み始めると、いろいろな鳥たちが一緒に鳴いてくれることが珍しくありません。
 仙台市や富谷町などから来られる方などは、びっくりされます。
 あるいは、枕経に駆けつけたお宅で、別室に隔離された故人の愛犬がお経に合わせて「ワオーン、ワオーン」「クーン、クーン」と鳴いたりすると、皆さんのすすり泣きがいや増したりもします。
 ネコにはこうした体験がありません。
 もっとも、托鉢で立ったままお経を唱えていて、正面から頭陀袋(ズダブロ…首にかけた黒い布袋)に飛びつかれ、読経を止められもせずに困ったことなどはありましたが。

 さて、ともすると、都会人には厄介者扱いされるカラスですが、私たちのそばにいて、おりおりにポンと通じ合ったりもします。
 種田山頭火の名句です。

「鴉(カラス)啼(ナ)いてわたしも一人」

 こんな添書きがあります。

放哉(ホウサイ)居士(コジ)の作に和して」

 尾崎放哉(ホウサイ)の句に和する気持で詠んだというのです。

「咳をしても一人」

 放哉の世界は絶対の孤独です。
 苦しくて咳をする。
 苦しいのは自分、咳をするのも自分、そして咳を聞くのも自分しかいません。
 苦しみも咳も決して望むものではないのにそれらと共にしか自分の存在はない。
 だからといって放恣になっているのかと言えばけっしてそうではなく、証拠は「しても」の「も」にあります。
 この「も」によって孤独を確認している精神の強靱さ。
 そして、「も」は、誰かが咳を聞いていたわってくれることを望んでいるのではなく、いたわってくれる人がいないことを嘆いているのでもなく、じっと、ただ、そこに在る石のような存在そのものに徹する姿を示しています。

 そうした点からすれば、山頭火には、自分以外にカラスがいます。
 カラスの「カアー」と鳴く声は天地の存在を意識させ、出て行った心がたちどころに反転し、天地の間にたった一人で声を聞く自分を意識させます。
 放哉の咳は自分から出ました。
 カラスの声は外から聞こえてきました。
 しかし、それはどちらでも同じことです。
 遍満し、森羅万象に感応する心からすれば、自分の身体も身体を包む外界も、変わりはありません。

 放哉山頭火も、読み継がれ、心の振り子を揺らし続けているのは、孤独が暗黒に陥っていないからではないでしょうか。
 当山の瞑想では、自分の心を光明世界へと解き放ちます。
 たった一人の自分が、たった一つの心を解き放つ先に、み仏の世界を観ます。
「こうして呼吸している自分、生きている自分、生かされている自分……。
 この自分はどこから来て、どこへいくのでしょうか。」

 顔鳥(ガンチョウ)はきっと、親を失った悲しみのうちにも、孝行という澄んだ心は輝きを失わなかったのでしょう。
 その光明世界では、人間もカラスも、とりわけ区別はありません。
 おのづから通じ、カラスにもおのずから、同調という感応と行動が生まれたのでしょう。
 山頭火放哉もまた、澄んだ心の世界にいた人々だったのでしょう。




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2014
05.22

貧しくても親のご葬儀を行い織姫に救われた話 ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その71)─

20140522057.jpg

 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。
 今回は、きちんとお葬式をした孝行息子と織姫のお話です。

○董永(トウエイ)の故事

 これは、中国の『孝子伝(コウシデン)』にあるお話です。
 
 董永(トウエイ)という貧しい小作人(コサクニン…田畑を地主から借りて農業を営む農家)は、毎日、父親を荷車へ乗せて歩きながら農業にいそしんでいました。
 父親が亡くなり、我が身を主人へ売って借りた銭十貫で礼法に従ったお葬式を行いました。
 弔いのすべてを終えた帰り道、とても美しいご婦人と出会います。
 その人は妻になりたいと願うので、二人で主人のもとを訪ねました。(この時代の小作人は、何でも地主へ相談せねばならなかったのです)
 主人は、絹300匹(ヒキ…1匹は2反分の量)を織り上げたならば、董永の借金は棒引きにし、女性の願いも聞き入れようと答えます。
 妻は、たった1か月で織ってしまい、驚いた主人は、約束通り二人の願いを許可しました。
 やがて妻は自分が天の織女(オリヒメ)であり、天帝の命により、その孝行へ銭をもって報いたのだと告げ、天へ帰りました。
 なお、『列仙伝』に、董永の子供である董仲(トウチュウ)は織女(オリヒメ)が生んだ子供であるとの記述があるそうです。

「董永(トウエイ)一身(イッシン)を売りて
 孝養の御器(ギョキ)に備(ソナ)う」


 仕事柄、ご葬儀については、さまざまな人間模様を観てきました。
 たとえば、仙台市のAさんは、生活保護を受ける身でありながら、自分と老いた親のために毎月、共同墓の契約金を分割で納め、ご葬儀代も貯金しておき、きちんと役割を果たされました。
 100才近い親を送り、身内の方々へささやかな食事もふるまうAさんは、人生の一大事を成し遂げた晴れやかで神々しい相貌(ソウボウ…顔つき)を見せました。
 我が子の堂々とした姿に、親御さんもきっとあの世で喜び、これ以上ない安心を得られたことでしょう。
 おかげさまでしたと頭を下げるAさんは生き仏と思え、こちらの頭はAさんよりも低くなりました。
 人の道をまっとうする意志の力、成し遂げた人の美しさには心底から敬服させられます。

 貧しい董永が我が身を売ってでも親のご葬儀を行ったことは理解できます。
 それが天帝の目にとまり、望外のできごとが起こったのも因果応報と感じられます。
 私たちは決して目先の損得に流されるだけの存在ではなく、仏性(ブッショウ)を存在の核としているという確信が深まります。
 当山では、お大師様の教えと伝法に則り、このように瞑想します。
「自分の心とは何でしょう?
 この満月のように澄みきっているのが自分の本当の心です。
 月は、欠けたり、雲に隠れてしまうことがあっても、月そのものは、変わることなく煌煌と輝いています。
 同じように、自分の心も本来、清らかなものなのです。」
 遙かな昔、董永は人の道をまっとうしました。
 そして、世知辛い今の世で、Aさんも人の道をまっとうしました。
 満月のような心に従ったのです。




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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2014
04.11

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その70)─若返りの秘訣は?─

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 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。
 今回は、親孝行が母親を若返らせたお話です。

○刑渠(ケイコ)の故事

「刑渠(ケイコ)老母を養いて
 食(ショク)を噛(カ)めば齢(ヨワイ)若く成(ナ)る」


 中国の『孝悌録(コウテイロク)』にあるお話です。

 その昔、會稽(カイケイ)に刑渠(ケイコ)という人がいました。
 幼少のころ父親を失って以来、ずっと、母親に孝養を尽くしてきました。
 食べものを与える時は、まず自分が口にして安全を確認しました。
 病気になれば、夜通し看病しました。
 冬は床を暖めてから寝かせ、夏は扇いでやりました。
 朝ご飯も夕ご飯も母親の口に合うものを用意して与えたので、母親は70才になってもまだ、30才ほどにしか見えなかったそうです。

 日本は世界に冠たる長寿国であるばかりでなく、若さづくりにおいてもトップクラスであると言われています。
 医学や化粧品などの進歩、あるいはウォーキングブームなどの健康志向、また、高齢者世代の生活力の安定などが理由であるとされています。
 その一方で、核家族化は止めようのない社会の変質をもたらし、高齢者が自らの力で生きようとし、死の準備もととのえるようになりました。

 こうした時代に生きていると、刑渠の話は別世界の趣がある一方、ハッとさせられもします。
 目をかけ、手をかけられて生きていれば、歳をとっても活き活きしていられるのは、人間だけではありません。
 植物たちも、あるいは、犬や猫も同じです。
 そこには、人も花も動物も皆、同じ〈いのち〉を生きている者同士であるという静かで深い肯定的な歓びがあります。
 この歓びがいのちの力となり、相手へも伝わるのではないでしょうか。
 私たちがここを感得する霊性のはたらきを鈍らせなければ、たとえ親孝行などの倫理的行動が形を変えようとと、人間社会は健全に保たれることでしょう。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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