〈さる事務所で餌をもらう「トラ」。名を呼んだら、食事中にもかかわらず、こちらを向いてくれた〉
数年前のできごとである。
Aさんのお宅から家出したインコが2週間ぶりに帰宅した。
ほとんど諦めていた家族一同、狂喜して迎え入れたが、可愛がる前にびっくりする羽目になった。
何と、以前とは〈別人〉のように、ガツガツと餌を食らい尽くす。
その荒々しさに一同、押し黙ってしまった。
特段、籠の中を嫌がる様子もなく、ガツガツする以外は、以前の鳥そのものだという。
お聴きして、疑問が次々に湧いてくる。
ひもじかったのはわかるが、戻って来られるくらいならなぜ、もっと早く帰巣しなかったのだろう?
もしかして、最初のうちは自由を満喫し、やがて、現実の厳しさを知ったのだろうか?
それなら2週間は、自由と安心を天秤にかけた時間だったのだろうか?
そもそも、彼は自由を求めて窓から飛び立ったのだろうか?
それとも、ただ、そこに隙間があったから、プイッと出てみただけなのだろうか?
Aさんは、インコが死んだ後、ペットを飼わなくなった。
理由は口にされない。
なぜか、お訊ねしない方がよいという気がして、そのままにした。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0
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俳人中村苑子は少女の頃に家出を決意した。
故里
生きくる幾年
わが故里を
出でむと思ひし今日なり
天城の山を眺むる我はも
故里捨てむと思ひ
幾日月睦みし人を
忘れんとはすれど
忘れかねつつ
ふと見やる心はむなし
ひろびろと
澄める秋空
若き日には心の飢餓感がある。
ここにいたままでは満たされないという不安や不満や予感もある。
肉体の飢餓なら食事で消えるが、心の飢餓は何によって去るか、本人にもわからない。
心が彷徨うだけではおさまらず、〈ここ〉にいるのに〈居場所〉を探す。
そして、家を出る。
故里を捨てる。
行く先の茫漠たる広さだけが、あてもないのに、希望の受け皿となる。
さて、フランスの社会学者ミシェル・ウェイビオルカ氏は、4月25日付の朝日新聞において、人と人とを「人種」や「文化」という言葉で分断しようとする思想・風潮の危うさを指摘している。
「必要なのはお互いに知り合いになることです。
ある学校に貧しいイスラム教徒の子供しかいなくて、別の学校には中流家庭のユダヤ人の子供だけ、また別の学校には外交官や大企業のアメリカ人子弟しかいない。
そんな風だと、みんな一緒に過ごした場合のようには、寛容で民主的になりにくい」
「異なる文化にこういう立場を採ります。
『私はあなたの特殊性を認める。あなたは私たちの文化の中で存在する権利がある』とした上でこう付け加えます。
『しかし、普遍的な価値は受け容れなければならない』。
例を挙げましょう。
以前、アフリカのマリ系の移民の間で行われていた女子割礼について、フランスで問題になった。
これは野蛮な行為です。
普遍的な価値に反します。
当事者たちには『あなたにはあなたの文化と共に暮らす権利はある。しかし、限界がある。女子割礼はそれを超える。ただ、それをわかってもらえるよう説明します』と」
「ほどほどの多文化主義というのは説明する多文化主義です。
相当な時間もお金もやる気も民主的な精神も必要。
しかし、この方向で進むしかないでしょう」
今後、世界が一つになってゆく過程においては、無数の問題が出てくるに違いない。
そうした場面では常に、先入見の縛りから離れた眼力と、柔軟な感受性や思考力、そして解決を目指して諦めない粘り強さが求められよう。
それらは主として若い方々にある。
異文化の人々と知り合いになり、お互いの文化の特殊性を認めつつ普遍的な価値について議論し、民主的な精神から離れず、多様で千変万化する状況へ勇敢に挑んで欲しい。
年配者は、無謀さが何を招くか、頑なさが何を招くか、無慈悲さが何を招くか、思考停止が何を招くか、力に頼る安易な対立への傾斜がいかに危険で愚かしいか、これらのことごとを体験として語ればよいのではないか。
中村苑子は87才で死を迎えるまで、この詩が納められた『表紙のとれた手帖』を持ち歩いていた。
ならば、私たちはまっとうに老いるため、何を持ち歩こうか?
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8
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地下鉄サリン事件から20年となり、オウム真理教に関する報道が増えた。
あの事件やオウム真理教から教訓とすべきことは多々あるが、出家(シュッケ)と家出(イエデ)の違いを見分けることは重要である。
出家とは目的を持って家を出ることであり、専門的仏教者を目ざす者は一時的に日常生活を離れ、修行一筋の生活へ入る。
家出とは家を捨てることであり、家庭での生活を続けたままでは自分の抱えた問題を解決できないと諦めて親兄弟を見限る。
両者の決定的な違いは家や家族との関係にある。
出家において家を離れ、家族や友人から離れるのは、あくまでも途中経過であり、やがてはそうした人々と共によりよい世界を創ることが不動の目的となっている。
ところが家出は、家を見限り、家族や友人を切り捨ててフリーになりたいがために行う逃避行動であり、再びそうした人々と共生しようという積極的な意志はない。
仏教で説く修行者は、以下のとおりである。
「今の自分のままでは親や社会やご先祖様などの恩に報いられないので、愚かさを離れ、真に役立てる人間を目ざす者」
つまり、菩薩(ボサツ)を目ざすのである。
地蔵菩薩も観音菩薩も、釈迦如来や阿弥陀如来に匹敵する悟りを開いていながら、私たちのおそばに顕れ、お救いくださることを願いとしており、救う相手を選ばず、〈見捨てる〉〈見限る〉という行為ほど菩薩から遠いものはない。
オウム真理教や、その末裔である「アレフ」や「光の輪」はどうか?
家や社会への不満を逆手に取り、「ここへ来れば大丈夫」とばかりに教団内へ引き込み、一旦、入信したならば決して帰そうとしない。
手放さない方法として、信者へ家や社会の恩を忘れさせ、国家を含め外部の一切を憎悪させ、軽蔑させ、敵視させるマインドコントロールを行う。
教団の内部は一切が善であり、外部は一切が悪であるという独善的な妄想の帰結が地下鉄サリン事件を始めとする数々の犯罪行為である。
麻原 彰晃は明言している。
「対立する者は消せばよい」
これが誤ったポアであり、現在の「過激派組織IS=イスラミックステート」などに共通する過激思想の終着点である。
まっとうな宗教と怪しい宗教の見分け方が明らかになった。
1 出家は方法としてあり得るが、家出をさせるものは疑うべきである。
2 信者を囲い込み、教団外の仏神や人間を憎悪させ、軽蔑させ、敵視させるものは疑うべきである。
問題のある様相は現在、宗教団体に限らず、一般的にも散見される。
専門的な機関は別として、「いつでもおいでなさい」と子供や若者に家出を勧め、〈我が家〉へ留め置こうとするものは疑うべきである。
家出者が気ままにできる場所を天国と誤認させてマインドコントロールし、社会から孤立させ、あげくの果ては犯罪へ巻き込むケースがどれだけあったろうか。
最後に確認しておきたい。
自分や家族や社会などへの落胆や失望や絶望から出家することはあり得る。
そこでまっとうな指導者は必ず〈恩〉を説く。
ちなみに現在、伝統仏教においては、出家の時点で「親や、社会や、生きとし生けるものや、仏法僧への恩に報いる」ことをご本尊様の前で約束せねばならない。
憎悪し、軽蔑し、敵視する者は真の出家者として認められない。
いかに有名であろうが、大きかろうが、すばらしい人道を掲げていようが、〈内部にのみ真理がある〉と説くものは危険である。
西暦2000年を期してできあがった「地球憲章」にはどう書かれているか?
「平和とは、自分自身、他人、他の文化、他の生命、地球、そして全てがその一部を構成する、さらに大きな全体との間の、適切な関係によって創られた総体であることを認識しよう。」
万物に真実を見出す柔軟で親和と思いやりに満ちた人間となるよう精進するのが、これからの時代に求められている真の宗教ではないか?
高野山開創1200年目を迎える真言宗では、ご縁の方々と共にめざしている。
「相互礼拝 相互供養」
(互いに尊び合い、互いに思いやろう)
この「互いに」から除外される人は誰一人いない。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA
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