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2009
06.25

ほめる 十六

 かつてO小学校で行われていた校長先生と児童との手紙「ほめほめ便り」による交流をまとめた『ほめほめ集』からの抜粋である。
ホームページを作るのが大変だろうと、篤信の方がわざわざメールで送ってくださった。感謝してやまない。勉強会などを通じてご縁の方々へ紹介しており、寺子屋で参考にさせていただく予定である。
           ◇

PTA 副会長

 二月六日 学校で、PTAの お話しの会がありました。
 わたしたち役員は、その お世話をしました。
 その時ついあやまって、ろうかにおいてある、水を入れた ばけつをひっくりかえしてしまいました。
 さあたいへん、ろうかが水びたしになりました。
 そのとき、るすかていの児童さんたちが、手に手にぞうきんを持って来て、水をきれいにふきとってくださいました。
 わたしたちは、ほんとうに助かりました。
 そして、こんな子どもさんたちのいる黄金山小学校は、すばらしい学校だと思いました。
           ◆    
教師 H

 O小学校の便所は、校舎の下に大きな便そう(大便や小便のたまる水そう)がうめてあります。
 四五〇人あまりの皆さんの出す大小便と、そのたびに流す水とで、この便そうはすぐ一ぱいになります。
 そのたびにくみ取りの車に来ていただきます。
 工事中でくみ取り車が 校舎の裏に行けず、長いホースで表から取っていただくこともたびたびあります。
 みなさんも知っているように、汚物をモーターですいあげるときには、とってもいやなにおいがします。
 そのたびにくみ取りのおじさんたちのご苦労が思われます。
 二十四日(金)とつぜんくみ取りに来てくださいました。
 ちょうど屋体のわたりろうかをつくるため、鉄の柱をうめる工事中だったので、くみ取り車が裏にまわれません。
 脱靴室の所から長いホースで取ってもらうことになりました。
 長いホースは細いので、すい取るのにながい時間がかかります。
 その時おじさんが わたしにつぎのような話をなさいました。
「よその学校に行くと、くさいくさいと大声で言ってにげまわる。
 でも黄金山小学校の子どもはちがう。
『ごくろうさま、ありがとう、ありがとう。』と口々に言ってくれる。
 何べんも来てあげたくなる。
 こまった時にはいつでも知らせてください。」
 自分のしたうんこやおしっこでも 気もちが悪いのに、大勢の大便や小便を いやな顔一つせず、くみ取ってくださる おじさんたちに「ありがとう。」を言うのは あたりまえのことですが、この当たり前が出来ない人が 世の中にはたくさんいます。
 お世話になった人には、心から「ありがとう。」の言える人になるようこれからもみんなで心がけたいものです。
 H先生はとってもうれしかったので、すぐほめほめポストに書いて、みなさんにこのよろこびをおしらせしたいと思います。


           ◇
 児童が善いことを行い嬉しかった体験を文章にして校長先生へ送り、校長先生が書いた返事共々張り出すという「ほめほめ」の交流を綴った『ほめほめ集』は、これで終わりである。
 ちょうど、七月末で寺子屋を行う予定の講堂が完成する。
 六月二十八日、お不動様の縁日には、お迎えする本尊大日如来像が中国の港を出港する。
 寺子屋建立を掲げて『托鉢日記』第二集を出版してから十三年。
 きっと、皆々様のご加護、そして当山のみ仏様に加えて、十三仏様のご加護でここまでたどりつけたのだろう。
 まことにありがたい。
 そして、「いよいよだ」という高揚感もある。

 さて、掉尾を飾るのは父兄と先生の文章である。
 この二篇には、O小学校で行われている教育精華が如実に表れている。
 誰かが困っている時に、言われなくても手助けをする。
 感覚的に嫌でも、相手の立場を考え感謝を先にして、嫌な気持は抑える。
 これは、まさに慈悲である。
 抜苦与楽(バックヨラク…相手の苦を抜き、相手へ楽を与えること)だからである。
 こうした、奇跡とも思える教育は、「ほめる」という単純で、しかし、揺るがぬ一貫した姿勢が可能にした。
 誉められた児童は、〈信じられ〉、〈認められ〉た気持になり、心が広く豊かになる。
 校長先生という学校で最高の位にある人から賞賛を〈与えられ〉自信がつく。
 そして、さらに行為の意味を〈教えられ〉て学びを深め、学校では自分が丸ごと認められ〈守られている〉安心感を抱く。
 この「信・認・与・教・守」こそが、人間が発揮できる「優しさ」の全容である。
 O小学校では、イソップ物語の『北風と太陽』における太陽が、いつも、児童たちへさんさんと陽光を降りそそいでいる。
 こうした極楽で育つ子供たちは幸せものである。
 極楽を創るのは校長先生であり、理念を理解して協力する先生方であり、父兄たちである。
 子供たちが菩薩になると共に、先生方も父兄たちも菩薩への道を歩んでいることだろう。
『ほめほめ集』との巡り会いは、還暦を過ぎてなお未熟な行者にとってあまりにも衝撃的で示唆に富むできごとだった。
 万感の思いを込めてSさんへ感謝し、新たな出発へ向かいたい。



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2008
05.13

ほめる 1

 広島県在住のXさんから『ほめほめ便り』というものがあったことを教えていただきました。
 
 かつて、O小学校に奉職しておられた校長S先生は、手紙を通じて児童たちと感動体験についてやりとりをしておられました。
 その内容は校長室前へ「ほめあいだより」として掲示され、一人の善き行動、善き言葉、善き思いが、たくさんの人びとに共有される宝ものとなっていました。
 先生の退任に伴い、PTAが『ほめほめ集』を発刊し、その偉業を讃えました。
 当時小学生だったXさんは、今でも先生との交流を大切に心の引き出しへしまっておき、時折引いては、「あの頃願っていたように生きよう」と決意を新たにしておられます。

ほめほめ集』のあとがきです。

ほめほめ」は、叱ることをやめよということではない。「叱る」と「ほめる」は物の裏と表の関係であって、叱ることがあるからほめることが成りたつのである。
 古人が「七つほめ三つ叱れ」と言っているように、できるだけほめることを多くしたいというのが、ほめほめの心である。
 涙して、だきしめながら叱ることのできる親は、ほめることについても名人であるはずである。ただ怒ることだけは絶対に避けたいものである。

 PTAから、ほめほめの原稿を提供するよう要請を受け、迷いに迷った末ようやく決断したのが二月にはいってからのことであった。五年間およそ二四〇〇通のほめほめ集の中から、約二〇〇通を選び出すのが精一ぱいで、校正も時間が足りず、不十分のまま製本の運びとなり、強く責任を感じている。
 子どもたちとの対話の少ない校長にとって、一人でも多くの子どもたちと話したいという願いから始めたものであったが、どこまでも自発的な投稿であるため、全児童に及ばなかったことは残念であった。
 返信も執務の余暇や帰宅後など、こま切れの時間を利用して、一人ひとりと話すつもりで書いたものであって、公開することなど考えてもいなかった。したがって文章も練れておらず、裸で大衆の面前に立つ思いがして恥しいきわみであるが、ほめることへの一助にでもなればさいわいである。
   昭和X年X月X日
      S


『ほめほめ集』の一文です。

 校長先生、わたし、きのうの大休けいに、花をもってってあげるって、やくそくしたでしょう。きっときっと花をもって行ってあげるからね。だって、わたし、校長先生が大すきだもん。
 それにね、校長先生がなおしてくれた、竹馬の九ばんで一一〇歩のれました。そのとき、わたし、とってもうれしくて、それから、竹馬が大すきになりました。
 校長先生、いつも竹馬をなおしてくださって ありがとう。わたしは、校長先生が、はたらきものっていうことがよくわかいりました。だから、わたしもはたらきものになってみせます。
 このあいだ、わたしが じゅくから帰るとき、男の子がゴミをひろっていたようでした。その子は、わたしが近づいたら、はすかしいせいか、やめてしまいました。でもわたしは、その男の子が、手にいっぱいゴミを持っているのを見ました。
 わたしも、この男の子や、校長先生のように、はたらきものになって、黄金山小学校を りっぱにしていきたいと思います。

Aちゃん
 ほめほめの お手紙を 書いてくれてありがとう。校長先生は とってもうれしかったよ。それに、字がじょうずで、読みやすかったので、もういっぺん うれしかったよ。
 竹馬が、じょうずに のれるようになったことと、男の子が、ゴミをひろっていたという おたよりでしたね。
 校長先生は、Aちゃんが、まい日 竹馬のおけいこをしているのを しっていました。なんでも、まい日 つづけてがんばると、きっと じょうずになりますね。かん字のおけいこや 本をよみ、けいさんなども、まい日すこしずつ がんばると すばらしいですね。
 ゴミをひろっている男の子の、なまえは わかりませんか。校長先生も、ほめてあげたいとおもいます。Aちゃんも、石やゴミを ひろって、学校を きれいにしてくれるんだってね。たのみますよ。がんばってね。


 最近、県北におられる信徒さんのお宅をお訪ねする途中で、掲示板が目に入りました。
「そのゴミを 捨てる拾うも あなたの手」
 捨てる哀れな大人になるか、拾うまっとうな大人になるか、決まるのは子供の頃です。 
 育む大人たちの責任は計り知れません。
 
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