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2012
03.25

お堂の建立や修復はどう進めればよいのか

 東日本大震災後、こうしたご相談が急増しています。
「どうやってお堂建て替えたらよいのでしょうか?」
「どうやって莫大な修復工事をまかなったらよいのでしょうか?」
 もちろん、他山の住職からではなく、困惑した、あるいは苦しんでいる、あるいは悲しんでいる、あるいは怒っている総代さんなどからのご質問です。
 そこで簡単に私見をまとめてみます。

○やるべきこと

1 工事の必要性と予算を明確にする。

 なぜ、いかなる建物が必要なのか、住職聖職者として宗教的必要性による判断を行い、寺院を支えていてくださる方々からのご意見にも耳をかたむけ、理想の旗を立てるのがスタートです。
 聖地における宗教行為を行うための建物なので、その真の意味と価値は聖職者にしか判断できませんが、それがご本尊様へ帰依する方々のお心とかけ離れていてはならないので、チェックを受ける必要はあります。
 もちろん、同じ宗派内で規模の順番を争うなど、宗教的必要性以外の世俗的価値判断が入ったりしてはなりません。
 そうした穢れが取り付くと、理想が真の理想でなくなります。
 もしも穢れた計画が成功した場合、住職は世俗的価値で動いたという過ちを犯し、旗振りをされた方々にも余分な慢心が生じ、苦しんだり怒ったりしつつご寄進した方々にとって、仏縁そのものが〈やっかい〉と感じられてしまいかねません。

2 必要性を広く訴え、皆さんのご誠心に任せてご寄進を募る。

 寺院は、ご先祖様を託しているお宅だけのものではありません。
 なぜなら、ご本尊様はみ仏であり、み仏は、導き、救う相手を決して選ばないからです。
 寺院はそうした真の意味で公的性格を有しているので、寺院の宗教的必要性は広く開示され、それに同感、納得、賛同してくださる方々のお心全体によって造られ、維持されるべきです。
 また、ご寄進は当然、真の布施という行為によって行われねばならず、住職も、推進してくださる方々も、必要性に耳をかたむける方々も、真の布施の何たるかを明確に認識してからことを進めるべきです。
 ご寄進が正しい宗教行為である布施となるためには、三つの条件があります。
 布施する方にとっては、完全に自発的であり、見返りを求めず、感謝が伴うこと。
 布施を受ける側にとっては、宗教的理想以外のものを持たず、受ける布施の内容によって中身も相手も区別せず、すべてをご本尊様へ納められるものとして徹底的に尊び、相手へも等しく感謝すること。
 布施される金品は、正しい方法によって得られたものでなければならず、勤労奉仕などにあっても、余分な思惑を伴わないこと。
 これがご誠心による布施です。

○やってはならないこと

1 いわゆる〈頭割り〉によるご寄進の実質的強制。
 
 これが仏法を穢し、檀家本来の意味を歪め、寺院を堕落させ、寺院へ不信を抱かせ、ひいては仏教離れや寺離れをもたらす諸悪の根源であることは、当山の「脱『檀家』宣言」に詳しく述べてあります。
 聖なる修行道場であるべき寺院は、真の布施によってのみ成り立たねばならないし、真の宗教行為がなされていれば、み仏が必ず成り立たせてくださるはずです。
 
2 住職の私財の秘匿。

 住職は出家得度した聖職者であり、基本的に、私財を蓄えることはあり得ません。
 だからこそ、清々しい心で理想を掲げ、後ろめたさを持たずに善男善女へご寄進を呼びかけられるのではないでしょうか。
 たとえば1億円の建物を造る時、住職が最初に3千万円を寄進して、差額を檀家さんからのご寄進でまかなおうとするケースなどには問題があります。
 まず、住職が個人的に3千万円を蓄えていたことは理解を得られないでしょう。
 住職は、ご本尊様へ納められるありがたいお布施で生かしていただいている行者なのだから、蓄財などせず、一切合切を投げ出さねば先へ進めません。
 もしもこうなってしまった場合は、住職が檀家さんと同列に奉加帳へ名前を連ねたりせず、3千万円と言わずありったけの私財が宗教法人へ寄進され、宗教法人はそれを含めて準備できる総額を計画のベースとして提示すべきです。
「私腹を肥やす聖職者」は最悪のイメージであり、仏法を貶める元凶です。

 以上、未熟な私見をざっと述べました。
 原理原則に則り、ことを単純化して純粋に進めれば、み仏が道をつくってくださると信じているのですが……。
 皆さんの望まれる良き計画が順調に進みますよう。合掌

20120325002.jpg
〈まだ、池には氷の張る朝です〉



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2007
02.24

ブームの怪

 ゼネコンの役員さんがご来山されました。
 あちこちのお寺へ行くと、住職から決まって聞かされるのが「若い人たちが来ない」「お墓の後継者が減っている」というぼやきだといいます。
“なるほど。それで、皆さんどうしているんだろう?”
 あるいは有益なヒントがあろうかと勝手な期待をしつつ、次の言葉を待ちました。
 とにかく自分の修行と法務で精一杯の毎日なので、情報は大変ありがたいのです。
 ところが、貫禄十分な役員さんのにこやかな表情と一緒に口から出た言葉には愕然としました。
「どこのお寺さんも、今のうちに本堂を建て替えたり改修工事をしておきたいということで、ちょっとしたブームになっています」

 若い人たちが教えと法に惹かれて足を運ぶようにするのではなく、檀家さんがあるうちにご喜捨を募って建物を立派にしておこうというのです。
 これではまるで、老舗のお菓子屋さんの常連客が減ったからといって商品に改良を加えるのではなく、借金して店舗改装をするようなものです。
 建物は残っても商売が廃れればおしまいではありませんか。
“本当にそんなことがあるのだろうか?”
 どうにも腑に落ちず、釈然としません。
 壇信徒の数が増え続けている当山は、特別なことをしているわけではないからです。

 たとえば、ご葬儀のおりに、戒名の意義やお線香を捧げてご供養する意味などを欠かさずお話し申し上げますが、こんなことは住職なら誰でも知っているはずであり、仏法においては基本中の基本に関する法話です。
 いやしくも衣をまとっているプロに不可能な仕事ではありません。
 しかし、それが乾いた布が水を吸うようにご縁の方々の心にしみ込みむものす。
 昨日も、すべてが終わってから、お祖母さんを失った若いご夫婦に改まってお礼を言われました。
「この二日間は自分たちの人生にとってとても有意義な日になりました。
 これまでは、お墓参りをしても戒名の意味は解らないし、お墓に向かって手を合わせても自分は一体何をしているのか、明確に意識できなかったからです。
 どういう心で手を合わせるのが供養なのか、はっきり解りました。
 これからはご先祖様がつくってくださった修行の機会を生かして行こうと思います」
 こんな時は心の底からありがたく、み仏と御霊と目の前にいる方へ合掌してしまいます。

 若い人たちは決して仏神に無関心なのではなく、きっと、“そうか!”“ああ、ありがたい”と納得でき、感謝する機会が少ないのでしょう。
 そうした体験をしていただくために必要なのは、皆さんにとって必要な教えを理解しやすくお話し申し上げ、求める方へはご加護をいただけるよう法力をもって祈れば良いだけのことです。
 それは、運転手さんが安全運転をし、新聞配達さんがきちんと郵便物を届け、八百屋さんが新鮮な野菜を提供してくださるのと同じく、プロとして生きる以上、当然な範囲でしかありません。
 これからも、仏法への信頼を取り戻すため、微力をもって法務に邁進します。




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