--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016
12.03

Q&A(その32)自業自得なら廻向で救われない? ─因果応報と空の話─

2016-11-11-0191.jpg
〈四国の路傍に〉

 人生相談に来られたAさんから、ご質問をいただいた。

三回忌などの廻向(エコウ)って何ですか?
 仏教は自業自得ではないのでしょうか?
 どうして、あの世へ行った人が、この世の人の祈りで救われるのでしょう?
 それでは、死後に拝んでくれる人さえいれば、この世でさんざん悪事をやっても大丈夫、ということになりませんか?」

 もっともな疑問だ。
 お答えした。

「確かに因果応報なので、善きことを行えば善き報い、悪しきことを行えば悪しき報いがあり、それは皆、その人自身の問題です。
 ではなぜ、祈りの功徳を廻し向けられるのか?
 それは、ありとあらゆるものが本当は、いっさいの枠を離れた(クウ)だからです。
 また、私たちは、の内容をすべて把握できないことも考えておく必要があります。

 例えば、一輪のタンポポを踏んだとしましょう。
 それは一見、自分とタンポポの間で起こった小さなできごとにしか思えませんが、タンポポを当てにしていたハチやチョウチョにとっては、蜜を得る先がなくなったことを意味します。
 あるいは、タンポポの根元にいた小さなミミズまで一緒に踏み潰したかも知れません。
 また、花を踏んでしまったという小さな悔悟の念が、懺悔させ、慈悲心を育てるかも知れません。
 それまでは、いつも花を見つけたら踏まないように心がけていたはずなのに、つい踏んでしまった自分の注意力が散漫になっていると気づくかも知れないし、アッと思っても足が止まらなかったことに、〝自分は年をとってしまった〟と嘆くかも知れません。
 このように、ありとあらゆるモノもできごとも、無限の連なりの中で生じ、滅しているので、神ならぬ身には全体像など知り得ないのです。

 また、例えてみましょう。
 まず、自分のために勉強をすれば成績が上がり、精神も豊かになります。
 希望する進学も可能になるでしょう。
 これは自分に対して結果が出ている状態ですね。
 一方、病気で苦しむ人たちを見捨てられず、救いたいと一念発起して勉強し、首尾良く医師になって活躍するならば医療の力はどこまで及ぶか、はかり知れません。
 実は、御霊のために供養という善行(ゼンギョウ)の功徳(クドク)を回し向ける廻向は、後者の世界と同じです。

 我(ガ)にとらわれない清浄な心で、正しい方法を用い、そして相手を選り好みせず普く供養するならば、〈枠を離れた影響力〉は当然、あの世の相手へ届き、たくさんの御霊へ届き、供養する施主(セシュ)その人自身もまた、善き影響力によって苦や悪因縁から離れる機会になることでしょう。
 自分のために行う善行は小さな因果応報としての〈世俗的善行〉であり、相手を選ばずに行う善行は無限の力を無限に及ぼす〈菩薩(ボサツ)の善行〉であり、両方共に大切です。
 だから誰かへ供養のまことを捧げたいならば、特定の相手に向かって祈るだけでなく、無限の相手に対しても廻向の心で再度、手を合わせましょう。
 その際、イメージを明確にするための伝統的文章があります。

『願わくは、この功徳をもって普く一切へ及ぼし、我らと衆生(シュジョウ)と皆共に、仏道を成(ジョウ)ぜん』。

 こうして、の心で行う善行は、あの世にいる特定の御霊のためになるだけでなく、結果的に、生きとし生けるもの全体のためにすら、なるのです。

 お盆の故事を思い出してみましょう。
 神通力第一とされた目連尊者(モクレンソンジャ)が、あの世に行った母親の様子を観たところ、餓鬼界(ガキカイ)で苦しんでおり、自分一人では救いきれないからとお釈迦様へ相談に行ったのがきっかけでしたね。
 お釈迦様は、雨季の修行が終わったら皆で祈り、その功徳で救いましょうと指導され、その通りに母親が救われたからこそ、いまだに、廻向の祈りが続いているのです。
 きっと、お釈迦様も、行者たちも、の祈りを捧げたのでしょうね。
 私たちもまた、縁に応じて、心を広く持ち、尊い廻向となる供養を実践しましょう」




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



スポンサーサイト
2016
07.05

願いのかけ方、成就の仕方 ─懺悔(サンゲ)と廻向(エコウ)─

2016-07-05-0001.jpg
〈彼は彼なりの姿で……〉

 さまざまな方々が、それぞれに真剣な思いでご祈祷を申し込まれます。
 最近は、ご祈祷の前後に唱える経文を一緒にお唱えするよう、お勧めしています。

1 祈願菩薩道(ボサツドウ)

 前部にあるのは、懺悔(サンゲ)やご本尊様との約束などです。
 これまでの行いをすべて懺悔した上で、み仏を信じ、よき願いをかけるのです。

 後部にあるのは、廻向(エコウ)です。
 み仏をご供養し、よき願いをかけるという善行(ゼンギョウ)の功徳(クドク)を、有縁無縁(ウエンムエン)の生きとし生けるものへふり向け、自分が一歩でもよき人生を歩めるようになると同時に、この世もまた一歩でもよき世の中になり、自分以外の生きとし生けるものにも生きる喜びが生まれるよう祈るのです。

 これは、2500年の歴史をかけて仏教がたどり着いた菩薩道(ボサツドウ)としての仏教に縁を結ぶ人々にとって必要不可欠の行為であり、この精神あればそこ、よき願いの成就が確かなものになるからです。
 その精神とは、自利(ジリ)、利他(リタ)、両方の実現を祈りつつ、よき生き方を目ざす心です。

2 自利利他

 自利とは、自分のためになることです。
 自分がしっかりしていなければ、誰かのためにはなかなか、なれません。
 もちろん、それは、いろいろなものに恵まれていることを意味しているのはありません。
 心のライフセーバーにならなければ、心の救済はできず、すべての救済は畢竟(ヒッキョウ)、心の救済だからです。

 たとえば、病状が悪化して先の短い方と、こんなやりとりをします。
「住職さんが拝んでいてくれると言うのだから、もう、心配はなくなりました。
 必ず、お不動さんが護ってくれますね」
「そうですか、大丈夫ですよ。
 私もそのうちに行きますからね」
 
 これは、心のありよう一つで、誰にでもできるのです。
 たとえば、逝く人へ感謝し、逝く人も感謝すれば、そこには尊い思いやりのやりとりがあり、互いの救済があります。
 余分なものを取り去って心からありがとうと言えるのは、自分がよき心になり、自分が救われている状態です。
 その誠心が相手に伝われば、心のライフセーバーとして相手を救う大きな力になり得ます。

 利他とは、自分以外の誰かのためになることです。
 皆でよくなろうという心がなければ、どんな願いにも穢れがつきまとっており、真によき願いとは言えません。
 これまた、いろいろなものに恵まれていることを意味しているのはありません。
 お金や地位や知力や体力がなければ、誰かのためになれないわけではないのです。

 たとえば、受験の合格祈願に来られる方と、こんなやりとりをします。
「すばらしいチャレンジですね。
 ところで、合格したら何をやるつもりですか?」
「日本では簡単に克服できるいろいろな病気によって、世界中のあちこちで、子供たちが簡単に死んでしまいます。
 そうした子供たちを救いたいのです」

 こうした利他の志を持った方ならば、首尾よく合格すれば目標へ早く進めるのはもちろん、もし、失敗したとしても、志に即した別の方法を見つけ出して、進めることでしょう。
 合格した途端に遊びまくったり、資格を得て高慢になったりはしないはずです。
 また、受験に失敗したからといって、浮き草のようになるはずもありません。
 他のためになろうとするよき意思は、必ず自分自身をも救う力を持っているのです。

3 確かな救い

 だから、懺悔(サンゲ)ではこう唱えます。(一部です)
「無始よりこのかた
 貪瞋癡 (トンジンチ)の煩悩(ボンノウ)に まつわれて
 身と口と意(ココロ)とに造るところの
 もろもろのつみとがを、
 みなことごとく懺悔(サンゲ)し奉る」
(無限の過去から
 貪り、怒り、愚かさによって積み上げてきた
 さまざまな罪科を
 すべて懺悔いたします)

 廻向(エコウ)ではこう唱えます。(一部です)
「願わくば此の功徳(クドク)を以(モッ)て
 普(アマネ)く一切に及ぼし、
 我れ等と衆生(シュジョウ)と皆共に
 仏道を成(ジョウ)ぜん」
(ねがわくばこの功徳の力を
 広く生きとし生けるものへ及ぼし
 自分自身と生きとし生けるものとすべて一緒になり
 仏道の成就ができますように)

 そして皆さんは、ご来山された時よりも必ずいくばくか、よき心になって帰られます。
 顔に輝きが出て、言葉にも力がこもっており、すでに、ご加護はあるのです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

2016
06.24

一人になって ─苦も楽も─

2016-06-24-0001.jpg

 Aさんは、ご主人が最期を迎えた時、病室にいた。
 看病に疲れ、ウトウトしてしているうちにご主人の容体が急変した。
 すぐにナースコールを押したが、まもなくご主人は息を引き取った。
 混乱したAさんは、夫の死を自分のせいだと思い込み、心が塞り、冷えていった。

 Aさんのご心痛は、いくばくか理解できた。
 小生も義父の病室に泊まり込み、ナースコールが一瞬、遅れたという意識を持っている。
 無言の言葉は確かに交わし得たし、その眼差しも忘れてはいない。
 告げられた言葉を「受けとめました」という小生の答が届いていたと信じて疑わないが、それでもなお、遅れたのではないかという慚愧の思い、罪悪感といったものは何十年経とうと、消え去らない。

 幾度か、来山したい旨の電話があったが来山されず、そのまま、連絡の間隔が長くなった。
 やがて、睡眠中にご主人が重く覆いかぶさってきて、圧死しそうだというお話があり、医師の診断を受けるようお勧めした。
 家にいれば黒いがつきまとい、デイサービスに行けば白い靄が天井から降り、道を行けばつけ狙われていると感じ、不安が常態化した。
 心配しているうちに、ご家族から入院のご連絡をいただいた。

 Bさんは、ご主人を亡くしてから、すっかり気力を失った。
 好きだった山登りはもちろん、何をする気にもなれず、他人と接したくなくなり、家からあまり出なくなった。
 しかし、おりおりに、当山へ手紙を出した。
 お彼岸お盆年忌の供養などを申込み、来山する力は出ないけれど、ご主人が信頼していた当山との連絡を欠かさず、当山から送られる新聞『ゆかりびと』や機関誌『法楽』などを熱心に読んでおられた。

 数年後、やはり、Aさん同様、ご主人が〈圧する者〉としてたち現れるようになった。
 Bさんは「思い当たるふしはありません」と言われるが、小生は、オシドリ夫婦特有の寂しさや執着心が作用しているのではないかと感じていた。
 思い余ったBさんは、ご主人共々救われたいとの一心で塔婆供養を申し込まれた。
 そして、ついに心が晴れたBさんから届いた手紙の一部を書きとめておきたい。

 もちろん、Bさんのお許しを得ている。
 なお、手が不自由になったBさんは、一時間ほどの〈稽古〉をしてから、そのままの勢いで書かれたという。
 筆達者な人がままならなくなってなお、両手で万年筆を握った。
 いただいた手紙は当山の宝ものである。

「昨日、とても立派な『廻向之証』とお便りをいただき、ありがとうございました。
 手に取って見ていると、戒名も中央に書いてあり、まるで後光が射しているように思います。
 夫も安心して私の所から去っていきました。
 私にもご加護を祈っておりますと書いて下さり、とても力強く勇気が出ました。」

 Aさんご夫婦も、Bさんご夫婦も、当山の法友である。
 この世とあの世に別れても、いかなる状況になっても、ただただ苦を離れ楽を得られるよう、等しく祈るのみである。
 南無守本尊大法護如来。
 南無大師遍照金剛。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
04.01

4月の守本尊様は普賢菩薩です

2016-04-01-0001.jpg
〈紅梅がほころび始めた自然墓〉

 4月4日から5月4日までは「清明(セイメイ)」と「穀雨(コクウ)」の卯月(ウヅキ)です。
 3月は辰(タツ)の月なので、守本尊様は普賢菩薩(フゲンボサツ)です。

 普賢菩薩様は、『諸善解脱三昧智力(ショゼンゲダツサンマイチリキ)』という、苦を解決し心の平穏を保つ智慧をつかさどるみ仏です。
 煩悩(ボンノウ)は、自分を迷わせ、他から邪魔される魔ものを呼び込み、いざ何かをしようとする時に、思わぬ妨げとなります。
 正しい方法によって煩悩を菩薩(ボサツ)の大欲(タイヨク)へ転換させ、自分と周囲を清め、よき運命の創造に障害となる魔ものを祓いましょう。

 また、普賢菩薩様は、辰己(タツ・ミ)年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊でもあり、身体においては、主として腕や手をお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、心豊かで無事安全に過ごしましょう。

 以下は、普賢菩薩を讃歎する経文です。

「されば普賢(フゲン)の勝徳(スグレル)は○大日如来の三昧(メイソウ)に○住し菩提(サトリ)の心から○生きとし生ける一切の○衆生(シュジョウ)の為に利益(リヤク)する○共利(キョウリ)群生(グンジョウ)実践の○仏の願いと活動(ハタラキ)を○究竟(モクテキ)とすることにあり。」

普賢菩薩様がすばらしいのは、根本仏である大日如来の瞑想と一体化し、その悟りの心から、あらゆる生きとし生けるものたちのためになろうとして、共に助け合って生きられる世界になるよう、願い、活動することがその役割だからである)

 ちなみに、普賢菩薩様は、すべての生きとし生けるものが幸せに生きるための方法として、10種類の修行を説いています。

1  礼敬諸仏(ライハイショブツ):あらゆるみ仏を礼拝する。
2  称讃如来(ショウサンヨライ):あらゆる如来を称賛する。
3  広修供養(コウシュクヨウ)・あらゆるみ仏に供養する。
4  懺悔業障(サンゲゴッショウ):悪しき業(ゴウ)と、その障害を懺悔する。
5  随喜功徳(ズイキクドク):み仏の功徳を心から喜ぶ。
6  請転法輪(ショウテンポウリン):あらゆるみ仏が法を説いてくださるように願う。
7  請仏住世(ショウブツジュウセ):み仏がこの世におられるように願う。
8  常随仏学(ジョウズイブツガク):常にみ仏へ従い、教えを学ぶ。
9  恒順衆生(コウジュンシュジョウ):常に生きとし生けるものを尊び供養する。
10 普皆廻向(フカイエコウ):善行(ゼンギョウ)の功徳をすべて、生きとし生けるものへふり向ける。

 これを「普賢の十願」と言います。
 心したいものです。

21080819 010

 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた普賢菩薩様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められたご本尊様です。(奉納受付中)

 4月の守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時、あるいは感謝したい時は、合掌して普賢菩薩様の真言(真実世界の言葉)を唱えましょう。
 たとえ一日一回の行でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 続けて行う回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

普賢菩薩(フゲンボサツ)

「おん さんまや さとばん」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます

※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、
 こちらから無料でWindows Media Player がダウンロードできます。





 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
03.03

あらためて「供養」を考える ─供え養う恩返し─

2016-02-25-016.jpg

 今月は春彼岸を迎えます。
 私たちは何気なく「供養する」と言い、お線香やお花を手向けますが、そもそも「供養」とは何でしょうか?

1 供養は「供える」こと

 供養の「供」は「供える」であり、誰かへ何かを捧げることを意味します。
 捧げる相手は誰か?

 一つには聖者であり、み仏です。
 お釈迦様の時代には、托鉢をしながら法を説く聖者が到着したなら、まず足を洗い、食事を摂っていただきました。
 その上で説法を耳にしました。
 小生などのような一介の行者も托鉢の最中、寒い日は温かなお茶を、暑い日は冷たいジュースを心ある方々から差し出していただき、そのおかげで修行を続けられました。
 これが供養です。

 また、ご本尊様をお祀りしてある場所にはたいてい、お線香を点す香炉があります。
 お線香を立て、ご本尊様に感謝し、精進を誓い、その上で、善願の成就を祈ります。
 これが供養です。

 そしてもう一つには御霊です。
 経典は説きます。

「亡者のために善根(ゼンコン)を修すれば、亡者はその功力(クリキ)により、悪業(アクゴウ)を転じて三塗(サンズ)に堕するを免れる」
(亡き人のために、善き結果を招く力となる善き行動をとり、その功徳を亡き人へ廻し向ければ、亡き人は、生前の悪業による因縁が消え、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちることを免れる)


 私たちは親を亡くした時、〝ああ、自分は何て親不孝だったんだ〟〝ああ、もう、親孝行できない〟〝これから親孝行しようと思っていたのに〟などと後悔しがちです。
 まさに「後悔先に立たず」であり、「孝行のしたい時分に親はなし」です。
 しかし、まだ、できることがあります。
 それが供養です。

 意図するとしないとにかかわらず犯してしまう悪行(アクギョウ)の因縁は自分であの世まで、そして次の世まで抱えて行くしかありません。
 それを救うのがみ仏であり、み仏の心を持った私たちです。
 上記のとおり追善供養(ツイゼンクヨウ)すなわち、この世の人が自分の善行による功徳をあの世の人へ廻し向けるよう祈るならば、み仏のお導きによってその願いはあの世へ届き、あの世の人の悪業を消す力となるのです。

 捧げるものは何か?
 まず、形あるモノです。
 お線香、お花、お水、お灯明、お食事、これが古来、「五種供養」と言われるセットです。
 そして、手を合わせる前に、塗香(ヅコウ)というお香を両手へ塗ります。
 ここまでできれば「六種供養」の完成です。

 形あるモノを用意すればそれで終わりではありません。
 ここまでは〈準備〉の段階です。
 それぞれのモノは捧げる誠心の象徴であり、肝腎のまごころ、決心、そしてその実践を捧げてようやく真の供養になります。
 モノと心との対応は以下のとおりです。
・線香…精進(ショウジン)…励むこと。
・水……布施(フセ)…施すこと。
・花……忍辱(ニンニク)…耐えること。
・灯明…智慧(チエ)…自心にあるみ仏の智慧をはたらかせること。
・飯食…禅定(ゼンジョウ)…心が乱れぬよう心身を整えること。
・塗香…持戒(ジカイ)…戒めに背かぬ生き方をすること。
 この六種供養はそのまま、菩薩としての基本的修行である六波羅蜜(ロッパラミツ)の修行道になっています。
 大乗仏教の目的である〈菩薩として生きること〉を実践しようとするならば、六種供養を徹底するのが入り口であり、六種供養は誰にでも可能な成就法でもあります。

2 供養は「養う」こと
 
 供養の「養」は「養う」であり、誰かの何かを大きく育てることを意味します。
 誰の何を養うのか?

 それはまず、この世で供養する人自身の善根(ゼンコン)です。
 善根とは、あらゆる善きことの根本となるものであり、〈根〉がなければ、勁(ツヨ)い幹は伸びず芳しい花も咲きません。
 この根が何によってもたらされるかと言えば、善き行い(善行)であり、それに伴う善き影響力(善業)です。
 因果応報の理は、過去世、現世、来世を貫いて揺るがず、善行は必ず善業と善根を生み、いつか必ず善き結果をもたらします。
 悪行は必ず悪業と悪根を生み、いつか必ず悪しき結果をもたらします。

 供養が自分の善根を養うのには二つの面があります。
 一つには、心と言葉と行動を用いて供養という善き行為を行うことによって、とかく過ちを犯しがちな〈私たちの心と言葉と行動(三業と言います)〉が、どんどん、限りなく清浄で温かな〈み仏の心と言葉と行動(三密と言います)〉へ近づいて行きます。
 お寺や、お仏壇や、お墓で至心に合掌する人の姿は尊いものです。
 供養は、この世で苦しむ私たちが生き仏になる近道なのです。
 お釈迦様以来、人類が2500年にもわたって行ってきた自他の苦を除くための根本的な方法である供養が忘れ去られようとしているかに見える世相は残念です。
 心を心地好くするするための手軽なノウハウへ飛びつくよりも、叡智と実践に裏付けられた供養をこそ実践していただきたいと願ってやみません。
 何しろ、ご先祖様がいない人は一人もなく、救われ得る道が万人に開かれているのです。

 もう一つには、自分自身の善根を育てます。
 まだ、花を咲かせるまでに至ってはいなかった根や幹や枝や葉へ水を施すような供養という善行は、きっと善根が早く花をつけるための力となることでしょう。

 また、亡き人が生前に積んだ善根をも養います。
 亡き人が生前に花を咲かせるまでに至ってはいなかった根や幹や枝や葉へ水を施すような生者の廻向は、きっと亡き人の善根が、あの世や次の世で花を咲かせる力となることでしょう。

3 供養は「人間修行」であること

 上述のとおり、モノを捧げる供養という行為は、亡き人のためになるだけでなく、同時に自分自身を清め、魂を磨くための修行道です。
 こうした意味で、先に逝った方々はすべて、私たちへ人間たる尊厳を輝かせるための修行を行う機会をお与えくださっているのです。
 自分のいのちと心が無数のご先祖様のおかげでこの世へバトンタッチされてこそ、今ここにあることを省みれば、ありがたく、ご恩を感じることでしょう。
 そのご恩にお応えするための最も簡明で誰にでも実践できる方法が供養です。
 共にご恩返しをしようではありませんか。
 無限のみ仏と、無限のご先祖様、そして、未成仏霊も含めあらゆる先亡の方々へまごころを込めて。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン




back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。