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2010
01.19

罪と罰 (その3)

4 恥知らずになれば、犯した罪によって確実に自他を苦しめる災厄がもたらされます。

 恥じる心を慚愧(ザンギ)といいます。
 み仏は、「恥知らずは人間ではない」と説かれました。

「慚は自ら罪を作らず、愧は他へ教えて為さしめず。
 慚は内に自ら羞恥す、愧は発露(ホツロ)して人に向かう。
 慚は人に恥じ、愧は天に恥ず。
 これを慚愧と名づく。
 慚愧無き者は名づけて人と為さず、畜生と為す」

 慚愧があって初めて人間であり、それがなければ畜生でしかないというのですから大変です。
 
畜生とは、言葉によって善悪を考えられない存在です。
 道理を考えられず、未来を志向できない蛾は自ら火へ入って「飛んで火に入る夏の虫」となり、魚は釣り人の獲物となります。
畜生はいつも、飢えや乾きの恐怖と隣り合わせです。
 常に空腹を満たすことに追われ、創造の喜びや情緒の感激を知りません。
畜生はいつも対人間関係において使役される立場です。
 隷属が宿命となれば、希望はありません。
畜生はいつも弱肉強食の原理にあり、安心はありません。
 私たちは、常に誰かからいのちを狙われている日々に耐えられましょうか。

 こうなっては困ります。
 さて、やってしまった悪行が悪果をもたらさないで済むような努力「慚愧」を考えてみましょう。

○「慚は自ら罪を作らず、愧は他へ教えて為さしめず」
 犯した罪の重大さを認識し、これから先、自分が同じように罪作りな行為をくり返さないだけでなく、他の人も悪しき行為へ走らないように努力をすることです。
 たとえば、思慮不足で誰かを傷つける言葉を吐いてしまったならば、反省するだけでなく、失敗談を話すことなどによって、他の人も同じ失敗をしないようし向けることがそうです。
○「慚は内に自ら羞恥す、愧は発露して人に向かう」
 恥じる意識は自分自身の良心へ対して起こり、他人様の視線へ対して起こります。
 当山が五欲の一つである名誉欲を頭から否定しないのは、ここに理由があります。
 名誉そのものを目的として求め、名誉を看板として高慢心を満足させるのは愚かしいことですが、他人様からどう見えるかという意味で自分をしっかり保つ姿勢は、まっとうに生きる上で欠かせないものです。
 名誉を得た人生の達人は往々にして名誉を誇らず、名誉を軽んずる人は往々にして恥知らずな生き方をするものです。
 名誉欲が五欲の一つとして注意されるのは、それが高慢心を育てかねないからであって、名誉自体は決して無意味なものでなく、むしろ、人間の背骨をまっすぐに保たせる大切な観念であることを忘れないようにしましょう。
○「慚は人に恥じ、愧は天に恥ず」
 恥じる心は、自他・人間社会へ対して発せられるだけでなく、仏神へ対しても同じように生じます。
 この点については、中国に有名な故事があります。
 人格識見共に抜きんでて高級官僚となった楊震の元へ、取り立ててもらった王密が訪ねてきて、お金を渡そうとしました。
 楊震は断りましたが、王密は「ここには二人しかおらず、誰にも知られません」と言い、どうしても受け取らせようとします。
 その時、楊震は有名な言葉を発しました。
天知る、地知る、子知る、我知る」
 まず、天が知っている、地も知っている、君が知っている、私だって知っているではないかと諭したのです。
 天地万物として現れている〈大いなるもの〉への畏敬の念が楊震を大人物たらしめたことを忘れないようにしましょう。

 恥知らずになることを恥と思い、やらかした失敗がこれからの糧となるよう、しっかりやろうではありませんか。 



「おん あみりたていせい からうん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2005
07.30

気高さ

 7月23日に東京都で震度5強を記録した地震に際し、呼び出しを受けた緊急対応の業務要員34人のうちたった13人しか登庁しなかかったという新聞記事には、怒りではなく、崩れ沈んで行く日本の将来をはっきりと観たような気がしました。
 日本を支える首都東京の抱える最大の問題は、地震やテロへの危機管理です。
 いざという時に計画通りそれを実行するのは人です。
 いかなる情報網を駆使しようと、いかなる機材や物資を整えようと、ことを為すのは畢竟、人でしかありません。
 それがこの体たらく。しかも、都庁から徒歩で30分以内という新宿周辺に用意された3LDKで家賃5万円弱と破格の待遇である「災害対策住宅」に住んでいるにもかかわらずです。
 テレビで登庁しなかった職員を追い出す可能性に言及した石原都知事の表情には、今までに見せたことのないような苦渋が漂っていたやに聞きました。
 無理もありません。
 緊急時の首都を任せねばならない部下が信用できないのです。
 もしかしたら、都政への意欲が薄れたかも知れません。

 日本人は、これほどまでに「気高さ」を失いました。
「恥知らず」と口に出してみても、あまりに空しいだけです。
 とにかく、人間の核がボロボロになりました。
 戦後たった60年で心がここまで破壊されたかと思うと、精神復興の道のりの遠さに立ちすくんでしまいす。
 宇宙の真理や人生の真実を探求するはずの学問の府までが企業と化して金儲けに走り、学校教育では精神の復興どころか、はやりの思想や外国語など享楽的な消費文明に役立つ技術を教えようとやっきになっています。
 敬語や社会語をちゃんと使えない人が、英語や中国語をしゃべれるからといってまっとうな社会づくりに貢献できるとはとても思えません。
 もちろん、生まれ、育ち、生きている祖国の言葉をないがしろにする人が、外国人から尊敬されるはずもありません。
 すべてに先んじなければならないのは、日本語が正しく使え、礼儀と責任を持って円滑な社会生活の送れる人間になることです。

 故杉浦日向子さんが魅せられてやまなかった江戸時代の日本文化は、世界一のレベルにありました。初めて世界のひのき舞台へ登場した日本人は男も女も賞賛を受け、明治政府は東洋で唯一、国々を飲み込もうとする西洋諸国に互する強い日本を創りました。
 ロシアに勝った日本は、アジアの人々へ勇気と希望を与えました。
 太平洋戦争に敗れたとはいえ、日本が西洋文明に蹂躙されず毅然としている姿は、アジアの国々の独立をうながしました。

 日本ではそのようなニュアンスの報道はあまりありませんが、イスラム過激派の爆弾テロが世界中へと拡散しつつあるのは、「ただれた」と表現したくなるほど欲望むき出しの西洋文明への嫌悪が、背景にあるに相違ありません。
 敬虔なイスラム教徒には、アメリカ的なものはきっと汚らわしく思えてならないのでしょう。
 自衛隊のいるサマーワも、きな臭くなってきました。
 自衛隊の活動が現地の人々の生活に役立っているのは確かでしょうが、
 その恩恵に一番浴し、利権を得ているのが一握りの金持ち階級であるという情報があります。
 信仰を基にして生活している庶民が彼らの生活ぶりに汚らわしさを感じているとしたら、そして自衛隊を「汚らわしい」アメリカの同盟軍として見るならば、自衛隊もやはり嫌悪の対象になることでしょう。
 自衛隊員一人一人は懸命なはずです。
 日本の恥にならぬよう最善を尽くしていることと信じています。
 しかし、いかんせん、日本そのものが、汚らわしく恥ずべき姿になりつつあります。
 国のありようの犠牲になることなく、一刻も早く無事帰還できるよう祈る思いです。
 日本が嫌悪と暴力の対象にならぬよう、祈るのみです。

 み仏のご様子を一言で形容するなら「気高い」となりましょう。
 大日如来も釈尊も地蔵菩薩もすべて気高く、人格の完成態を示して手招きしておられます。そこへ一歩でも近づいてこそ、み仏の子である人間の一生です。
 失われつつある気高さを何としても取り戻しましょう。
 取り戻す姿をもって次の世代を導きましょう。沈み行く日本を護りましょう。

今年も気高い百合が咲きました




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