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2016
05.13

中国人学生の死とネット社会の問題 

2016-05-13-0001.jpg

 産経新聞の「北京春秋」は5月12日、「ある大学性の死」を報じた。
 以下、記事を追ってみる。

「先月、21歳で死去した西安電子科技大学の学生、魏則西氏のことが最近、中国のインターネットで話題となっている。

 滑膜肉腫という難病にかかった魏氏が検索サイト最大手『百度』で、北京にある軍系病院が、米国の大学との共同研究の成果として『生物免疫療法』という画期的な治療法を行っていると知った。
 両親と共に親戚中から20万元(約340万円)をかき集め、4回の治療を受けたが効果はなく、腫瘍は肺に転移した。

 友人を通じて米国などの病院に問い合わせ、嘘の公告にだまされたことに気づいた。
 自身が受けた治療法は海外で否定されたもので、共同研究を行った事実もなかった。
 魏氏は亡くなる直前、ネット上で『あなたは人間性のなかの最大の〈〉は何だと思うか』の一文を書き残した。

 魏氏の死が大きな話題となり、虚偽の情報を流した病院は営業停止となった。
『百度』にも批判が集まった。
 病名を検索すれば、広告料をより多く払った病院が上位にランクされて出てくるシステムを導入しているため、偽情報が氾濫し、患者がだまされることが以前から多かったという。

 中国では政府批判はすぐに削除され、書き込んだ人が逮捕されることもよくあるが、いかがわしい医療公告は取り締まり対象となっていないようだ。(矢板明夫)」


 この一文はあまりにも重い。
「あなたは人間性のなかの最大の〈〉は何だと思うか」
 仏法的に、が何であるかは明確である。
 慈雲尊者は説いた。

「瓔珞経(ヨウラクキョウ)に『理に順じて心を起こすを善といい、背くをと名づく』と説く。
 仏性(ブッショウ)に順じて心を起こすを善といい、これに背くをという。」


 心の源底にある仏性という満月のような鏡に照らしてみれば、何が善で何がであるかは明確にわかる。
 そこにはたらくごまかしようのない道理に合っていれば善であり、背いていれば悪である。
 お大師様は、鏡に気づかず、鏡が塵に覆われた状態で右往左往する状態から、鏡そのものに成り切った状態までを10の段階に分けて説かれた。
 食欲と性欲に支配される生活から、み仏そのものとなる生活まで、私たちは同じ人間とは思えないほど異なる一生を送る。
 嘘の公告で大借金をし、無念の思いで死んで行った魏氏の問いかけは、中国の人々に対して「我が身を振り返る」ことを訴えたのではないだろうか?

 ネットの検索システムにも大きな問題がある。
 海辺の砂のようにたくさんある情報から本ものや、自分が本当に必要としているものを探すのは、非常に困難だ。
 どうしても、検索して上位に引っかかった対象から選ぶことになる。
 だから、情報の提供者も探索者も〈上位〉を意識するが、そこにはカラクリがあって、広告料や手数料の金額によってランクが決められるとしたなら、公正で開かれたネットではなくなる。
 お金が万能で、〈袖の下〉があまりにもあっけらかんと横行したり、環境汚染が放置されたり、食品にまでも粗悪品が流通している社会構造の罪も重い。

 いずれにしても、個人的な悪もあれば社会的な悪もあり、個人的な、あるいは社会的な悪行(アクギョウ)となれば、積まれた悪業(アクゴウ)は必ず自他へ苦しみをもたらす。
 魏則西氏の呻きと問いかけは決して〈他人ごと〉ではない。
 悪業を避けるには、心の鏡から塵芥を拭き取る不断の努力が欠かせない。
 お経を学び、読誦し、瞑想や写経を行うことは、重要な方法である。
 興教大師は説かれた。
「月の浄徹(ジョウテツ)なるを見て 心の浄性(ジョウショウ)を観ぜよ」
(穢れをまとわぬ清浄な光を放っている満月を見て、自分の心の奥底も又、清浄であることに気づくべし)
 実践したい。




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2016
02.06

イラク戦争と靖国神社への祈り(その19) ─善悪とは?修行とは?─

2016020500012.jpg
〈造化の妙〉

 平成16年1月、自衛隊のイラク派兵に鑑み、仏神と祖霊のご加護で自衛隊員の無事帰還をはかるべく、靖国神社へ向かって托鉢行を始めた。
 世界の情勢が急変を見せ始めた今、そのおりの記録を加筆訂正しながら再掲しておきたい。
 不戦日本の願いを込めて。

○善修行(2月27日)

 ご祈祷を行うため、早朝から上京した。
 東京駅はもちろん、周辺のビルなどの警備態勢にもただならぬ様子を感じた。
 宮床の雪が嘘のような快晴の下、春の陽を浴びたサラリーマンのワイシャツ姿が醸し出す長閑さと、オウム事件の首謀者に死刑が言い渡されようとしている緊迫感とが、何の違和感もなく共存していた。
 麻原 彰晃の弁護側は、「一連の事件は弟子たちの暴走であって、被告は無罪」と主張したが、東京地方裁判所は求刑どおり死刑を言い渡し、弁護側はただちに控訴した。

 帰山してすぐ、お通夜へ向かった。
 通夜振舞いの席で事件に関する質問が相次ぎ、殺人戦争について皆さんと対話を行った。
 
 釈尊は、「を為すなかれ、善を為すべし、自らを浄めよ。これが諸仏の説くところである」と説かれ、何よりも善をはっきりさせるよう指導された。
 オウム真理教の行為は明らかにであり、多くの犠牲者を生んだ。
 彼らの業(アクゴウ)は、幹部の死刑で償いきれるものではない。
 のパワーはすさまじい。
 その非道に巻きこまれた方々は、首謀者や教団を憎んでも憎んでも憎みきれるものではなかろう。
 心中は察するに余りある。
「なぜ自分が被害者にならねばならなかったのか?」
「なぜ子供が死なねばならなかったのか?」
 こうした答が期待できない問いを発せずにおられず、「麻原を憎まないでいられない自分が悲しい」という袋小路に入った方は、どこに救いを求められるのだろう。

 もしも、犠牲者やその身内が、み仏へおすがりした場合、こうしたお定まりの説法など何の役に立とうか。
「すべては空(クウ)なので、こだわらないように」
「いつまでもとらわれてはいけません」
 これだけで、そうですか、と深く納得し救われることはなかろう。

 かと言って、全ては因と縁によって成り立っており、変化して止まず、時空に屹立(キツリツ)しているものは何もないという道理がベースと成っている仏教は、そこから離れた真理を説き得ず、そこから離れた救いの手も差し伸べられない。

 釈尊はそこで、自分が汗を流すことによって真理を〈つかむ〉実践法を説かれた。
 典型が、一人娘を失ったキーサゴータミーの指導である。
 悲しみと絶望のあまり半狂乱になった彼女へ、釈尊は「一人の死者も出したことのない家が見つかったなら必ず救おう」と約束し、彼女は村中を訪ね歩いたが、ご先祖様のいない家は一軒もなかった。
 夢中で歩き、疲れ果てて釈尊のもとへ戻った彼女へようやく、釈尊は無常の理を説き、一瞬にして苦から解放した。
 こうした〈つかむ〉ための手段を方便(ホウベン)と称する。
 対機説法と呼ばれる釈尊の指導法は相手により、状況によって千差万別だった。
 言い換えれば、釈尊は千本の手に象徴される無限の方便を持つ千手観音である。
 こうした方便は、2500年の時をかけて整理され、深められ、修行の手引きであるお次第となった。
 自分に合った師を見つければ、必ずや師は適切な方便を授けるだろう。

 さて、善悪についてはどうだろう。
 十善戒の布教に生涯をかけた慈雲尊者は「瓔珞経(ヨウラクキョウ)」の一節をもって明快に説かれた。

「理に順じて心を起こすを善といい、背くを悪と名づく」


 道理・真理に合った心が善であり、背く心が悪である。
 尊者は続けて断じる。

「仏性(ブッショウ)に順じて心を起こすを善といい、これに背くを悪という」


 つまり、「理」は「仏性」であり、み仏の子である万人に具わった仏性が輝けば、身体も、言葉も、意志も、善なるはたらきをするのだ。

 ならば、「方便」とは、「仏性」を輝かす方法に他ならない。
 たとえば写経である。
 お手本となっている文字の一つ一つがそのまま写されれば、一文字一文字に秘められたそれぞれのみ仏が立ち上がってくるとされている。
 また、〝自分はうまくないな〟と気づくことが、仏性を汚しているものに気づくきっかけであるとも説かれる。
 たとえば経文を読み真言を唱える読経である。
 気分によって激しい抑揚がついたり、異様なだみ声になったりすれば、経典の清浄さはどこかへ行ってしまう。
 読み手の心はご本尊様やご先祖様へ届くだけでなく、聴き手の心へも鏡のように映し出されることを忘れないようにしたい。

 殺人は悪である。
 戦争も悪である。
 海軍大将となった最後の軍人井上成美(イノウエシゲヨシ)は日独伊三国同盟に反対した。

 「日本が亡びるようなときには戦争もやむをえないし、部下に死地に赴くよう命令もできる。
 しかし、国策の延長として独伊と結び、戦争に入るのは許せない。」

戦争というのはいいものではなく、私は、戦争は刑法でいう死刑と同じ必要悪だと、罪悪だと思います。
人を殺したり、人の物を破壊したり、そんなことをするのは、交戦国の権利として認められてはいるが、国の行為としては悪行為なのです。」


 何としても国民一人一人のいのちを守り抜こうという思いが感じとれる。
 およそ国をあずかる為政者は、いかなる艱難辛苦にも耐えて国民を殺さず、殺させないという強い決意を持ち、その決意は、うわべの言葉だけでなく、周囲に感得されるほどでなければならないと思う。

 善悪は、いかなる場面にあっても必ず明確にすべきである。
 むろん、善悪をあいまいにし、釈尊の教えをないがしろにする仏教などはあり得ない。
 他の悪を見て己の内なる悪におののき、善に向かって辛苦する過程が修行であり、そこを通って行く先に一段、上のステージが待っている。
 このステップアップを信じて何らかの修行を行う実践者こそが仏教徒だ。
 オウム真理教の誤りは、仏教を標榜しながら善悪の判断という根本を見失ったまま、思いつきの訓練へ走ったところにある。
 まっとうに生き、善悪をつきつめ、壁にぶつかり、その苦悩と正面から向き合った人が正当な伝授を受けて行う修行こそが本ものであり、み仏は必ずや救いのみ手を差しのべてくださるに違いない。




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2015
06.16

悪事に慣れてはいないだろうか ―ネット時代の悪、罪と罰―

20150616032.jpg

 6月14日、27才の警察官が酒気帯び運転で事故を起こし、逮捕された。
 6月14日、47才の医師が、収賄の疑いで逮捕された。
 6月10日、24才の中学校教諭が痴漢の疑いで逮捕された。
 6月5日、29才の僧侶が昨年12月に女性を殺した疑いで逮捕された。
 6月5日、62才の弁護士が預かり金2500万円を着服した疑いで逮捕された。
 もはや私たちは、こうした報道、つまり誰でもどこでも行う事にほとんど〈慣れっこ〉になっているのではないか?

 日本年金機構が標的となった125万件もの個人情報流出事件に関して語られているのは、情報管理の甘さを指摘し対策を強化する必要性と、金子を騙し取られるなどの二次被害防止に尽きている。
 しかし、膨大な人びとの個人情報を盗んだ事そのものと、盗まれた管理者がどう責任をとるべきかという二点がほとんど問題にされていないのはどういうことか?
 そもそも、ネットを利用した各種の犯罪はもはや、単純な個人攻撃や小規模な詐欺などは別として、大規模になればなるほど、まるで起こって当然な〈事故〉であるかのごとき扱いしか受けず、犯罪者が行った〈〉そのものが私たちに強く認識されなくなりつつある。
 サイバー攻撃は無体な破壊行為であり明白な事なのに、国家すらも行うという事態、あるいは、攻撃法と防御法が公に論じられ競われもする時代にあっては、そのものが意識されにくい。
 本来、人間が行ってはならぬものであり、社会にあってはならぬものなのに、があまりに巨大なので、個人としてその正体を把握したり悪しき度合いを感得できにくい。

 罪と罰の関係がどうなっているのか、専門家でないのでよくわからないが、一人を殺してもなかなか死刑にならず、三人殺せば死刑になるなどの話を聞く。
 もしも殺人の悪が度合いとして1ならば、3つで〈悪度〉は3となり、死刑に値することになるのか?
 それならば、個人情報を盗む悪の度合いを仮に0・01とした場合、日本年金機構から情報を掠めとった〈悪度〉は12500となり、優に死刑となり得るのではないか?
 万分の1としても125、100万分の1としても無期懲役程度の重罰となろう。
 しかし、現実には、被害者個々人に悪事全体の影響力が感じられていないため、罪の大きさはなかなか認識されにくい。
 また、犯人が逮捕されても、現在の刑法によれば、他の悪事がからまなければきっと重罰は科せられないだろう。

 ネットの匿名性は、〈とりあえず〉隠れたままで、好き放題に他者を誹謗・中傷・攻撃することを容易にし、騙し、奪うことも容易にした。
 ばれないままで、好き放題ができるという安易性が礼儀や思いやりを容易に忘れさせ、他者が傷つくことへの想像力も実感も奪った。
 恥ずかしい、ばれるのが怖い、嘘を言えない、奪えない、こうした良心や良識や常識のリミッターが麻痺したまま、悪事が垂れ流し状態になっている。

 悪のわかりにくさは、戦争にも顕れている。
 かつてイラク戦争のおり、私たちは茶の間で「ピンポイント爆撃」の映像をごく普通に観ていた。
 食堂のテレビでも、あるいはデートしながらも……。
 いったいどれほどの人が、爆撃される建物や車列の現場で人体が引き裂かれ、殺され、傷を負っているか、その現実を想像し得たろう。
 また、あたかもゲームのように引き金を引く兵士のどれだけが、自分の手で人殺しを行っているという実感を持っていたろうか。
 今や兵器の開発は急速に進み、無人のヘリコプターや戦車はもちろんロボット兵士まで登場しており、相手を殺すという実感から限りなく遠ざかりつつ大量の殺人を行うことが可能になっている。
 しかし、どのような過程をたどろうが、戦争を行えば必ず人間の柔らかな皮膚が破られ、硬い骨が砕かれ、手足や首がもぎ取られ、たくさんの死者が出る。
 5月27日、国会で在職中に自殺した自衛隊員の数が報告された。
 イラクに派遣された隊員は29人、インド洋での給油活動では25人である。
 そもそも自衛隊員の自殺率は平均の約1・5倍であり、派遣者に至っては10倍近くなる。
 しかも、勤務できなくなり退職してから自殺した元自衛隊員の実態がどうなのかは明らかにされていない。
 以上は非戦闘地域でのデータであり、実際に撃ち合いをすれば隊員の心はどうなるか、とても想像しきれるものではない。
 戦争は、いかにスマートさを装っても、必ず人間の心身を壊し、滅ぼす。
 殺し、殺される戦争は人間が行い得る最悪の行為である。
 私たちがこの事実を想像、実感できにくくなっていることは本当に恐ろしい。

 ブラックバイト、ブラック企業、派遣労働の問題もしかりである。
 ネットで集められた学生やはたらく人びとも経営者や幹部と同じく血の通った人間同士であり、共に向上しつつ安定した人生を歩んで行こうという社会の倫理的基盤がなくなっている。
 労働者は、企業が利益を生むための道具として、便利に安く使われる対象でしかない。
 人間性を無視するという根源的な悪が誰にも意識されていない。
 不幸にも、はたらかされている当事者もまた、必ずしも悪の倫理的・法的実体に気づかないまま、今を生きるために相手の悪行に荷担させられ、共に社会のシステムを構築しつつある。
 社会全体がこうも無慈悲で、はたらく多くの人びとがさしたる声も上げない時代はいつ、あったろうか?
 蔓延し空気ともなりつつある悪を見過ごせば、この国は成り立たなくなるのではないか。

 悪を悪と感じ、認識し、避け、糾弾し、防ぐ感性も意識も薄れさせられかけている私たちの心、私たちの文明を直視したい。
 自分の目をこすり、瞬きし、しっかり観たい。
 悪がもたらす罪と罰をよく考えたい。
 私たちが悪に慣れつつあるのは、知らぬ間に人間と社会への信頼を失いつつあることに他ならない。
 このまま鈍磨し続ける先には何が待っているのか、よくよく想像してみたい。




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2015
05.24

真智の開発をめざして(その17) ─他者の善行に感応する心─

201505240001.jpg

 五智如来のお智慧の内容を、私たちにわかりやすく説かれたのが「優しさ・厳しさ・正しさ・優雅さ・尊さ」という教えです。
 私たちの心にある仏心がきちんとはたらけば、み仏の光が発し、妄知(モウチ…おかげさまと心の底から思えない惑った心)も邪知(ジャチ…万事を我がためとするよこしまな心)も消え失せます。
 さて、今回は「優雅さ」について考えてみましょう。

2 善行者を讃歎する

 私たちが、餌や縄張りを争って醜く牙をむき出し、血を流す獣たちと違い、相手のためを思い合う優雅で穏やかな人間らしい心性を発揮しながら生きるためには、善行の人を素直に誉め称えられなければなりません。
 他人のき行いを見聞きして、自分が恥ずかしくなったり、相手が神々しく感じられたり、涙が滲んできたり、希望を持ったりする心を失わないようにしましょう。
 貶したり、無視したり、反発したりといった反応では情けないというしかありません。
 また、しきものを誉め称えてはなりません。

 ここで考えねばならないのは、そもそも、何がで何がかという問題です。
 慈雲尊者(ジウンソンジャ)は明確に述べました。

仏性(ブッショウ)に順じて心を起こすをといい、これに背くをという。
 本性に身口意(シンクイ)相応すれば十おのずから全きなり。」


(私たちが本来的に持っている〈み仏の子〉としての清浄な心の核に従って発せられた心のありようを善と言い、その核に背いて発せられた心のありようをという。
 人間が人間たる本来的な性根、性分に相応して身体と言葉と心がはたらけば、み仏が説かれた十の善き戒めは達成される)

 修法する身としては、経典に説かれている仏性を求めて心を深めて行けばすっかり解き放たれた状態となり、そこは「霊性の庭」とでも呼べるのではないかと感じています。
 この庭に立って行動しても、語っても、思っても、それ以外にありようはないので、普通のモノサシで白黒を判断するような意味での善ももありません。
 しかし、そここそが人間が人間であることを証す場であり、慈雲尊者が説かれた「善」は、この世界のことだろうと考えています。
 仏性霊性の「性」は決して観念的な文字ではなく、一身に実証できる〈本来性〉なのです。

 慈雲尊者はこうも説かれました。

「善は常に仏性に順ず。
 は常に仏性に背く。
 法として是の如し。
 ただ迷う者が迷う。
 知らぬ者が知らぬばかりなり。」


 最近、ドローンを飛ばし、他人や社会への迷惑を考慮しない少年(15才)と、その行為につながる人々の問題が報道されています。
 善悪の判断や法律の網を超えて広がったネット社会は、面白ければよい、ワクワクすればよい、珍しければよい、儲かればよい、目立てばよい、といったレベルの行動を広げつつあります。
 そこでは、自分の〈心の波の大きさ〉と、社会の〈反応の大きさ〉のみが問題であり、倫理は崩壊して行きます。

 また、親や配偶者の死を隠して年金を不正受給する事件が後を絶ちません。
 公私の別うんぬんという前に、人間は一人残らず〈おかげさま〉によって一生を生き抜く社会内存在であるという認識が消えて、死を個人的なものとしか考えられなくなった心の荒廃が背景にあります。
 また、最近、亡くなった妻のお骨を一部、スーパーのトイレに廃棄した男(68才)が逮捕されました。
 生前に苦労をさせられ、憎んでいたというのが男の言い分です。
 生まれる、死ぬ、といった人間の尊厳にかかわる決定的なできごとすら、損得勘定や憎しみといった感情と同列に置く社会は薄ら寒く感じられます。
 葬送に関することごとを壁や石に刻んだ古代人の温かな思いはどこへ行ってしまったのでしょうか。

 医学博士宮城音弥氏が『霊―死後、あなたはどうなるか』にこう書いたのは平成3年です。
「現代の日本には慣習的宗教はあっても、宗教心は希薄である。」
 宗教が消えれば倫理は基盤を失い、好き嫌いや激情が主役となり、善も悪もあまり意識されなくなります。
 それは、誰もが幸せを手に入れられなくなることを意味します。
 
 他者の善行に魂が震わされ、自分を省みられる人間であり続けるためには、自分の仏性を感得する必要があります。
 そのための導きが十善戒です。
 自分に「不殺生(フセッショウ)」と言い聞かせていれば、生きものを救う人の尊い行為に心が反応します。
 自分に「不瞋恚(フシンニ)」と言い聞かせていれば、じっと忍耐する人の尊い行為に心が反応します。
 何としても「ただ迷う」ばかりでなく、「知らぬ者」のままで過ごさぬよう、学びたいものです。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2015
03.02

お釈迦様の前に悟った方々はなにを説かれたか? ―過去七仏(その2)―

201503020001.jpg
〈たくさんの女が唱和される力にお支えいただき、般若心経百万返の供養会は無事、終了しました〉

 お釈迦様は言われました。
「私はただ、過去の聖者たちが悟られたことに気づいただけである」
 では、その「過去七仏」とは?
 第二回目です。

4 クルソンブツ

「譬(タト)えばの華を採(ト)るが如(ゴト)く、其(ソ)の色(シキ)甚(ハナハ)だ香潔にして、味を以(モ)って他に恵施(ケイセ)す。
 道士(ドウシ)聚落(ジュラク)に遊んで人を誹謗(ヒボウ)せざれ、亦(マタ)是非を観ぜざれ。
 但(タ)だ自ら身行(シンギョウ)を観じて諦(アキラ)かに正、不正を観ぜよ」


 他人様の言うこと、なすことについて、あれこれと批判するより先に、自分が何を考え何を行っているかをよく省みて、それが正しいか正しくないかを冷静に判断することこそが行者のありようで、そうした人は、美しく恵みにあふれ、たちへ恵みを施す花のごとき存在になるのです。
 と花のたとえは後に、お釈迦様が異なった観点から用いています。
が蜜を集める際に、花びらを壊さずおいしい蜜だけを集めるように、行者は人々の気持や生活へ余分な波紋を及ぼすことなく、注意深く托鉢や修行をせよ」
 私たちは安易に、「あいつはけしからん」「あの人って嫌ねえ」と「誹謗」し、「あの人は正しい」「この人は間違っている」と厳しく、険しく「是非」を云々しますが、テレビに出ている人たちがそうしてワイワイやっている様子に引きずられないようにしたいものです。
 一緒になって興奮している自分自身の姿を鏡に映してみる想像力と、自分は何をどれだけ知り、考えて判断しているのかを省み、恥じる謙虚さを失いたくないものです。

5 クナゴンムニブツ

に執して軽戯(ケイゲ)すること莫(ナ)く、当(マサ)に尊寂(ソンジャク)の道を学すべし
 賢者は愁憂(シュウウ)すること無く、常にの所念(ショネン)を滅すべし」


 思い定めたを保って離さず、の高みから落ちない学びと実践の道を歩むことが大切で、つまらぬことに憂いを抱かず、の周囲にあるものによって迷わされないのが賢者です。
 吉田松陰は、自分の本分を知ることこそ人生の目標であると説き、3月1日に放映されたNHK大河ドラマ『花燃ゆ』においても、高杉晋作に対して「あなたのは何ですか?」と問いかけています。
 また、同ドラマにおいて、自分の人生も社会も斜に眺める高杉晋作へかけた久坂玄瑞の言葉が強烈でした。
「お前の人生がつまらんのは、お前自身がつまらんからじゃ!」

6 カショウブツ

「諸(モロモロ)のを作(ナ)すこと莫(ナカ)れ、衆(モロモロ)のを奉行(ブギョウ)すべし、
 自(ミ)ずから其(ソ)の意を淨(キヨ)めよ、是(コレ)諸仏の教えなり」


 しきことはどれも決して行わず、きことはなるべくたくさん行い、そうした自分自身の努力によって心を清めて行くのが悟った人々の教えです。
 は確かに親や先生や本などによって教えられ、やがてその人なりの判断尺度が形成されても、究極的には、自分の良心あるいは仏心とでも言うしかない自然な心の反応に従うしかありません。
 ここに説かれる「自ら」には、理論やドグマではなく、人間の心に本来そなわっている清浄な核といった感覚があり、仏教は根本的に性説に立っていることがわかります。
 慈雲尊者(ジウンソンジャ)が説かれた「仏性(ブッショウ)に順じて心を起こすを善といい、これに背くをという」は不滅の教えです。
 世界の創造者でなく私たちの心におわすみ仏の救済に〈救い漏れがない〉という仏教の信念は、私たち自身に皆、仏心が具わっているという確信なしに成り立ちません。




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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