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2012
11.15

寺院はいかにあるべきか?(その9) ─み仏の智慧を主とし、自分の知恵を従者とする(その1)─

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愛敬寺の本尊不動明王

 寺院と仏教徒はいかにあるべきか?
 それを問う第九回目です。

◎戒めの面

3 み仏の智慧を主とし、自分の知恵を従者とする

 私たちは煩悩(ボンノウ)を離れた智慧がはたらきにくく、どうしてもぶつかり傷つけ合うからこそ、至心にみ仏へおすがりするのではなかったでしょうか。

 お釈迦様は説かれました。

「我が身を慎み、自分の心を信じてはならない。
 心は結局信じられるものではない。
 我が身を慎み、心を情欲の対象となるものと接してはならない。
 対象によって動かされた情欲が災いを生ずるからだ。
 アラカンの悟りを得て初めて、自分の心は信じられるものとなる」


 お大師様も説かれました。

煩悩を抱えた私たちは愚かであり、自分で覚る智慧を持ってはいない。
 だから、如来はご加護のお力を下さり、私たちのおもむくべき先を示してくださる。
 おもむくべき所の根本は優れた教えによらねば示されない」


 私たちはなかなか自分への執着から離れにくく、自己中心になり、互いが自分第一だから必ずぶつかります。

 日本の政治状況は酷くなる一方ですが、新聞記者Aさんは述懐されました。
「私はずっと政治家と接してきましたが、感服したのは故伊東正義と故大平正芳でした。
 二人とも私心、我(ガ)がなかったからです。
 心からお国のためと思い、自分の出世や手柄などを望んではいませんでした。
 今はもう、政界にああいう人はいません」
 また、同じく記者Bさんも言われます。
「とにかく目立ちたがる。
 先輩を平気で年寄り扱いする。
 目立たない〈ぞうきんがけ〉はしません。
 一見優秀そうな若手政治家に共通の問題です」
 そう言えば、私たちはいつ頃から「自分が一番」などと公言してはばからない人物を怪しまなくなってきたのでしょうか?

 脇道へそれてしまいました。
 仏教徒がみ仏の智慧におすがりするとは、経典に書かれている文章を鵜呑みにすることではありません。
 普段は、ものの見方・考え方の道筋を学び、道理に反する身勝手な理屈に陥らないよう気をつけましょう。
 切羽詰まった時は、いったん思考の堂々巡りを止め、経典の文章に目を通したり、あるいは読み慣れた経典を読誦したりしてみましょう。

 出家してまもなく、師から指示されました。

「困ったら世間へ逃げてはならない。
 経典へ飛び込め」


 まじめにやっていてもなお、追いつめられる場合があります。
 その時、何とか〈うまくやろう〉と、いわゆる方便を探したりします。
 師はこの方法を禁じました。
 それは〈我〉のレベルでしかないからです。
 切羽詰まった時は危機である一方、一段レベルアップするチャンスでもあります。
 古人は「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と言いました。
 溺れかけた時、無我夢中でもがくよりも、いのちを捨てたつもりで流れに身を任せればいつか浅瀬に流されもします。
 捨て身になれば窮地を脱することができるかも知れません。
 ただし、むやみといのちを粗末にするだけでは無謀でしかありません。
 もしも火事になったなら、普通は風下へ逃げますが、状況によっては火をくぐり抜けて風上へ向かった方が助かる場合もあります。
 ここで、火の怖さに追い立てられるだけでなく、冷静沈着な判断と実行する勇気をもたらすものが「経典へ飛び込む」ことであり、「身を捨てる」ことでもあります。

 タクシードライバーAさんは敬虔なお不動様の信者です。
 ある時、タクシー強盗に遭い、刃物を首筋へ突きつけられました。
 Aさんは殺されると思いましたが、いつの間にか真言を唱えていました。
 そして、頭の上に青空が広がったような気持になり、落ちついて強盗を諭しました。
 強盗は神妙になり、そのまま交番へ同行したそうです。

 どんなに勉強したつもりでも、どんなに努力をしたつもりでも、決して「自分が一番」などと思い上がらず、常にみ仏のおみ足を頭上へ戴くような気持で謙虚に学び、謙虚に生きたいものです。
 そうすればこそ、ピンチはチャンスになり真のレベルアップがもたらされます。
 



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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
11.09

死後のある日

20121109001.jpg
〈つかの間のかけはし〉

 栃木県へお詣りにでかけました。
 兄弟子が新しいお寺愛敬寺を開山したのです。
 本尊が不動明王、隣には愛染明王(アイゼンミョウオウ)がおられます。
 礼拝して護身法を結び、般若心経、真言と短い修法を終えて眼を開けたところ、光景が一変しています。
 なぜか、懐かしいのです。
「どこでお会いしたお不動様だろう?」
 いくら考えても思い出せません。
 もちろん、そうです。
 仏具店で出会ったお像を安置し、住職が数回、護摩を焚いたばかりなので、私がこれまでお会いしたはずはありません。
 しかし、帰り際にお堂を外から眺めてみても、初めてお訪ねした場所なのにどことなく既視感デジャヴ)が感じられます。
 建物やご本尊様そのものの形というより、空気感の懐かしさがあります。

 昼食をいただき、日が傾き始めた柿の木のある駐車場の前で別れを告げる直前、不意に気づきました。
 托鉢から指導してくださった兄弟子は私よりずっと若く、元気で、後継者の指導にも熱心です。
 さっきの既視感は、兄弟子が人々の幸せを願って新たに始めた寺院が隆盛となり、死後の私がそこを訪れる日が来ることを告げていたのです。
 死後の私が再び訪れる日をすでに感じとっていたのでしょう。
 お大師様が説かれた影向(ヨウゴウ…見えぬ身で向かい現れる)とはこの実現なのかも知れません。

 修法は不思議です。
 時空を超えます。
 だからこそ、遠隔加持法が行えます。
 
 頼もしい親子と必ず少し退がって夫へ寄り添う奥様の笑顔に送られて帰山しました。
 もちろん、いただいたご供物の数々だけでなく、大きな安堵をお土産に。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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