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2015
10.03

滅罪の経典は? ―理趣経の主人公―

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〈随心院の金剛薩埵(コンゴウサッタ)像〉

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〈内山永久寺の愛染明王像〉

 滅罪のために読誦する経典について記します。

滅罪に用いる経典の一つは『理趣経(リシュキョウ)』

 お釈迦様の入滅から500年ほど経った頃には、大乗仏教の経典があり、定型句を唱える修法ができていました。
 また、み仏を心中に念じ、お名前を唱えて祈りを込める唱名(ショウミョウ)も行われていました。
 後になって、南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)、南無大法教主釈迦如来(ナムダイホウキョウシュシャカニャライ)などと唱えられ、やがては南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)や南無三界万霊(ナムサンガイバンレイ)なども加わりました。
 それらが懺悔(サンゲ)から始まるのは、悪い心のままではお経を唱えても効力がはたらかないためであり、〈完全に正しい生活〉のできない私たちは、過失を償わないと前へ進めないからです。

 真言宗では日々、『理趣経(リシュキョウ)』をお唱えします。
 この経典名は通称で、正式には「大楽金剛不空真実三摩耶経(タイラキンコウフコウシンジサンマヤケイ) 般若波羅蜜多理趣品(ハンジャハラミタリシュホン」と言います。
 この経典には、金剛薩埵(コンゴウサッタ)の悟りと誓願が説かれています。
 金剛薩埵は〈真言行者〉の理想像であり、たくさんのご本尊様へ祈る経典全体を司るご本尊様は古来、愛染明王(アイゼンミョウオウ)であるとされてきました。
 「大楽金剛」は金剛薩埵の異名であり、菩提心(ボダイシン…悟りの心)を具現した真言行者の理想像です。
 「三摩耶」は誓願です。
 仏道修行には必ず誓願が必要です。
 誓い願う志のないところに修行への決心つまり発心(ホッシン)はあり得ません。
 お釈迦様もお大師様も、探求せずにはいられぬ思いから、堅固な決心一つをもって修行に入られました。

 金剛薩埵誓願はこうです。
大欲(タイヨク)と大楽(タイラク)をもって衆生を導く」
 大欲とは、煩悩(ボンノウ)から離れた清浄で無限の意欲です。
 大楽とは、他の喜びを我が喜びとして味わう無限の楽しみです。
 いのちのエネルギーに穢れが伴っているからといってエネルギーを減少させ、自ら枯れて行くことが目的ではなく、清浄なエネルギーに転換させて、活性化をはかるところにこそ、仏教が万人を救う目的も根拠もあります。

 また、金剛薩埵は右手に五鈷金剛杵(ゴココンゴウショ)を持っていますが、それは仏陀と同じ浄金剛心(ジョウコンゴウシン…浄らかな悟りの心=仏心)をしっかり抱いていることを意味しています。
 私たちは煩悩によって仏心を隠してしまっていますが、仏心は決して壊れないので金剛と呼ばれます。
 また、金剛薩埵が左手に金剛鈴(コンゴウレイ)を持っているのは、打ち鳴らす音によって、み仏を静まった状態から目覚めていただき、お喜ばせするためです。
 それは同時に、自分自身の悟りを求めてやまない菩提心(ボダイシン)を目覚めさせ、菩提心そのものになることでもあります。

 このような金剛薩埵を主人公とする経典が『理趣経』なのです。




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 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





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2015
09.20

少年の夢と卍 ―週刊新潮の表紙に想う─

201509190005.jpg

201509200001.jpg

 ある方から連絡があった。
週刊新潮の表紙に、住職が言っているイメージどおりのイラストが載っていますよ!」
 購入して、つくづく眺めた。
 画家成瀬政博氏の「表紙のはなし」にはこう書いてある。



 風船を持った少年のうしろ姿は
 に憧れる人生のようです
 ひとり一人のは 形を変えたり
 消えてしまったりするけれど
 人類の変わらぬのいちばんは
 戦争のない世界です
 それは 果しなく見つづけた
 もし 日本の総理大臣が 国連で
『今から私たちは 憲法九条を
 実現する努力をいたします』と
 宣言したらどうでしょう
 ああ 風船持つ少年のうしろ姿よ」


 朧な太陽へ向かって立つ少年の〈赤〉は、への情熱、燃えるいのち、そして果てしない戦火でもあろう。
 小生は、愛染明王(アイゼンミョウオウ)のまとう〈赤〉を直感した。
 愛染明王は、大日如来が生きとし生けるものを敬愛し、お慈悲で導く思いと力を私たちへ示すために明王となって現れた憤怒尊である。
 経典は、私たちにこびりついて離れない愛欲に染まったエネルギーをそのまま、自他を救う力へ転換させてくださると説く。
 私たちは、他人を押しのけても自分が欲しいものを得ようとする一方で、時には、自分の身を捨てても誰かを救わずにいられない。
 気ままに生きれば我利我利亡者(ガリガリモウジャ)となって悪業(アクゴウ)を積む私たちは、智慧と思いやりを持てば、ただちに、〈み仏の子〉たる本来の姿で生きられる。
 そのことを煩悩即菩提((ボンノウソクボダイ)と言う。
 この少年は、我欲で生きるのだろうか?
 それとも思いやりで生きるのだろうか?

 風船の〈青〉は安心や平和の象徴である。
 世界中の信号は、「進んでも大丈夫」という安全を青色へ託している。
 何かのトラウマなどを抱えていなければ、多くの人々は、空や海や湖の〈青〉を厭わないだろう。
 それは、心を静め、清め、深め、広がらせる。
 だから、真っ赤な少年は風船を手放せない。
 少年の手は風船をつかみ、飛んで行かぬよう制御してように見えるが、実は、風船に制御されてこそ少年の〈赤〉は、我欲でなく思いやりとして燃える。
 その〈青〉が心へ染み込まぬ限り、決して、風船を手放してはならないのだ。

 足元の小さなネコは、見る者を観ている。
 問いかけてもいる。
「お前はどうなのだ?」

 少年は立ったままだが、両手はダラリとしてはいない。
 力を込めた姿勢である。
 どう観ても、お釈迦様がお生まれになった時にその尊さを表した「誕生仏」そのものだ。
 日々、摩耶夫人(マヤブニン…お釈迦様の生母)と誕生仏の前で不戦日本を祈っている者にはすぐ、わかる。
 これは誓う姿でもあろう。
 彼は遙かなお天道様へ誓っている。
 それは何か?
「夢は捨てない」

 全体の構図を眺めると、いつも九字を切り、卍の印を結んでいる小生には、卍に見える。
 少年の右腕と風船に対応する左腕の形、そして、左上の太陽と右下のネコは、明らかに卍を成している。
 卍とは何か?
 太陽が天空を永久に回転する動きを象徴する卍は、繁栄・幸福・瑞祥(「密教大辞典」)の兆しとしての吉相である。
 小生は、一日として、祈りの中で卍を用いぬ日はない。
 何しろ、卍は招福法の決め手なのだ。

 少年の「夢」こそ、世界平和の決め手ではないか。
 今日も不戦日本を祈ろう。


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2014
02.03

平成26年のカレンダーをお分けしています

 櫻井恵武先生制作のカレンダーをお分けしています A2版(420 × 594 ミリ)
2013110500222 (4)善通寺愛染明王…強大な清めと戒めと導きのお力が感じられます
2013110500222 (5)○四国八十八か所本尊…お大師様の願い「転迷開悟」が感じられます
2013110500222 (1)弘法大師般若心経…三蔵法師の経典をお大師様が書き写されました
 いずれも送料140円でお送りいたしますので、どうぞお申し込みください。(もしも、ご志納金を納められたい場合の目安は一枚千円です)新たな一年間、皆々様へ大きなご加護がありますよう祈っております。

2012
11.09

死後のある日

20121109001.jpg
〈つかの間のかけはし〉

 栃木県へお詣りにでかけました。
 兄弟子が新しいお寺愛敬寺を開山したのです。
 本尊が不動明王、隣には愛染明王(アイゼンミョウオウ)がおられます。
 礼拝して護身法を結び、般若心経、真言と短い修法を終えて眼を開けたところ、光景が一変しています。
 なぜか、懐かしいのです。
「どこでお会いしたお不動様だろう?」
 いくら考えても思い出せません。
 もちろん、そうです。
 仏具店で出会ったお像を安置し、住職が数回、護摩を焚いたばかりなので、私がこれまでお会いしたはずはありません。
 しかし、帰り際にお堂を外から眺めてみても、初めてお訪ねした場所なのにどことなく既視感デジャヴ)が感じられます。
 建物やご本尊様そのものの形というより、空気感の懐かしさがあります。

 昼食をいただき、日が傾き始めた柿の木のある駐車場の前で別れを告げる直前、不意に気づきました。
 托鉢から指導してくださった兄弟子は私よりずっと若く、元気で、後継者の指導にも熱心です。
 さっきの既視感は、兄弟子が人々の幸せを願って新たに始めた寺院が隆盛となり、死後の私がそこを訪れる日が来ることを告げていたのです。
 死後の私が再び訪れる日をすでに感じとっていたのでしょう。
 お大師様が説かれた影向(ヨウゴウ…見えぬ身で向かい現れる)とはこの実現なのかも知れません。

 修法は不思議です。
 時空を超えます。
 だからこそ、遠隔加持法が行えます。
 
 頼もしい親子と必ず少し退がって夫へ寄り添う奥様の笑顔に送られて帰山しました。
 もちろん、いただいたご供物の数々だけでなく、大きな安堵をお土産に。




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2008
01.18

仏界の確かさを共有すること ―今年の抱負 その2―

 これも抱負です。

 愛染明王(アイゼンミョウオウ)の慈眼にお導きいただき、思いもよらぬ成り行きで拙稿を書いている。
 平成十九年、仙台市で行われた『四国八十八ヶ所「本尊写真・細密画展示会」四国遍路文化を世界遺産に』の会場に掲げられた一枚の写真の前で立ち去りがたくなったことがすべての始まりだった。
 愛欲貪染をそのまま清浄なる菩提心とする三昧に住する愛染明王のお顔は黒を含んだ紺色で、凄まじい憤怒の形相だが、驚嘆すべきことに、大きく見開いた御眼には潤いの光が宿り、澄んだ優しさが溢れ出ていた。 
 心の奥底まで見通されたような衝撃に背中を押されて声をかけた櫻井恵武(サクライメグム)氏のご厚意によって、後日、当山へ来られた善通寺の愛染明王は、日々、因縁解脱の行を見守っておられる。
 
 八十八ヶ所の本尊を収めたDVDから流れる歌声には、二度目の衝撃を受けた。
「読経から臭みを除く」ことを自らへ課しているからである。
 密厳国土の妙なる音楽には、いかなる余分なものもあろうはずはなく、意密をのせたいのちの息吹が身密に支えられて丹田から発し、喉という楽器を自然に揺らして口密となって現象世界へ流れるものが読経である以上、それは限りなく清浄でなければならない。
 一瞬のごまかしも、一切の妥協も排した厳しい姿勢の産物に違いない夢慧(ユメサト)氏の歌は、まぎれもなく、そうした世界のものである。
 香の芳しさが天界・仏界へも届くが如く、歌声に込められた魂から発する尊き想いは現象世界を超えて行く。

 さて、展示会のもう一人の主役だった細密画家橋聡(アキラ)氏が、ひょんなことから来山し、談義の後に残して行かれた高幡不動尊の絵に、「二度あることは三度ある」ことを知らされた。
 A四版の尊像をまじまじと眺め、最初は技法に眼を奪われたが、やがて、信じられないほど確かな質感がいつしか存在感へと変わっており、身震いさせられたのである。
 そもそも仏宝とは、誰しもの心に霊性の核となって潜んでいる至上の人格であり、現象世界に存在する仏像は、祈る者が誠心を捧げることによって霊性を耀かせる機縁となる聖像である。
 それは魂入の修法により、行者や信者の祈りによって、「活きるみ仏」となる。

 日々の法務とは異なった角度から尊き存在の確かさを教えていただいた三度のできごとは、一行者への強い叱咤激励(シッタゲキレイ)となった。
 行者の使命は法力を磨き、救いを求める方々と、その確かさを共有することだからである。
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