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2008
05.13

ほめる 1

 広島県在住のXさんから『ほめほめ便り』というものがあったことを教えていただきました。
 
 かつて、O小学校に奉職しておられた校長S先生は、手紙を通じて児童たちと感動体験についてやりとりをしておられました。
 その内容は校長室前へ「ほめあいだより」として掲示され、一人の善き行動、善き言葉、善き思いが、たくさんの人びとに共有される宝ものとなっていました。
 先生の退任に伴い、PTAが『ほめほめ集』を発刊し、その偉業を讃えました。
 当時小学生だったXさんは、今でも先生との交流を大切に心の引き出しへしまっておき、時折引いては、「あの頃願っていたように生きよう」と決意を新たにしておられます。

ほめほめ集』のあとがきです。

ほめほめ」は、叱ることをやめよということではない。「叱る」と「ほめる」は物の裏と表の関係であって、叱ることがあるからほめることが成りたつのである。
 古人が「七つほめ三つ叱れ」と言っているように、できるだけほめることを多くしたいというのが、ほめほめの心である。
 涙して、だきしめながら叱ることのできる親は、ほめることについても名人であるはずである。ただ怒ることだけは絶対に避けたいものである。

 PTAから、ほめほめの原稿を提供するよう要請を受け、迷いに迷った末ようやく決断したのが二月にはいってからのことであった。五年間およそ二四〇〇通のほめほめ集の中から、約二〇〇通を選び出すのが精一ぱいで、校正も時間が足りず、不十分のまま製本の運びとなり、強く責任を感じている。
 子どもたちとの対話の少ない校長にとって、一人でも多くの子どもたちと話したいという願いから始めたものであったが、どこまでも自発的な投稿であるため、全児童に及ばなかったことは残念であった。
 返信も執務の余暇や帰宅後など、こま切れの時間を利用して、一人ひとりと話すつもりで書いたものであって、公開することなど考えてもいなかった。したがって文章も練れておらず、裸で大衆の面前に立つ思いがして恥しいきわみであるが、ほめることへの一助にでもなればさいわいである。
   昭和X年X月X日
      S


『ほめほめ集』の一文です。

 校長先生、わたし、きのうの大休けいに、花をもってってあげるって、やくそくしたでしょう。きっときっと花をもって行ってあげるからね。だって、わたし、校長先生が大すきだもん。
 それにね、校長先生がなおしてくれた、竹馬の九ばんで一一〇歩のれました。そのとき、わたし、とってもうれしくて、それから、竹馬が大すきになりました。
 校長先生、いつも竹馬をなおしてくださって ありがとう。わたしは、校長先生が、はたらきものっていうことがよくわかいりました。だから、わたしもはたらきものになってみせます。
 このあいだ、わたしが じゅくから帰るとき、男の子がゴミをひろっていたようでした。その子は、わたしが近づいたら、はすかしいせいか、やめてしまいました。でもわたしは、その男の子が、手にいっぱいゴミを持っているのを見ました。
 わたしも、この男の子や、校長先生のように、はたらきものになって、黄金山小学校を りっぱにしていきたいと思います。

Aちゃん
 ほめほめの お手紙を 書いてくれてありがとう。校長先生は とってもうれしかったよ。それに、字がじょうずで、読みやすかったので、もういっぺん うれしかったよ。
 竹馬が、じょうずに のれるようになったことと、男の子が、ゴミをひろっていたという おたよりでしたね。
 校長先生は、Aちゃんが、まい日 竹馬のおけいこをしているのを しっていました。なんでも、まい日 つづけてがんばると、きっと じょうずになりますね。かん字のおけいこや 本をよみ、けいさんなども、まい日すこしずつ がんばると すばらしいですね。
 ゴミをひろっている男の子の、なまえは わかりませんか。校長先生も、ほめてあげたいとおもいます。Aちゃんも、石やゴミを ひろって、学校を きれいにしてくれるんだってね。たのみますよ。がんばってね。


 最近、県北におられる信徒さんのお宅をお訪ねする途中で、掲示板が目に入りました。
「そのゴミを 捨てる拾うも あなたの手」
 捨てる哀れな大人になるか、拾うまっとうな大人になるか、決まるのは子供の頃です。 
 育む大人たちの責任は計り知れません。
 
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