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2012
11.17

自然墓と墓碑について

20121118002.jpg
〈この写真は河北新報さんに著作権があります〉

201210170011.jpg

20121016001 (2)
〈模型の大きさは実物の半分以下です〉

 11月11日付の河北新報に「山、川に囲まれ安らかに」という紹介文が載った自然墓(シゼンボ)の件で、ご質問が多数、寄せられました。
 見に来られる方も後を絶ちません。
「お骨を砕かないで、普通に納骨できるのか?」
墓碑はどうなっているのか?」

 一番目のご質問については、記事にもあるとおり、散骨ではないので、お骨を砕く必要はありません。

 二番目のご質問については以下のとおりです。

 大工さんが忙しくてまだ模型しかできていませんが、自然石の上へ高さ2メートル、幅60センチメートルほどの木製の塔を建てることになっています。
 古い墓標をイメージしたまったく独自の発想です。
 木片へ自由に戒名や願いなどを記していただき、組み立てた木材の一片へ貼り付けます。
 四方から見えるようになり、正面からよく見えるようにしたい方は正面(東向き)へ、目立たなくしたい方は裏(西向き)へというように、申し込み順に掲示したい場所へ貼り出します。
 何も表示しなくてよいと願う方は、それでも構いません。
 相当頑丈には造りますが、いずれは朽ち果てます。
 たとえば50年も経ってそうなった時は、後代の住職や心ある方々が必ず良い方法を考えてくれることでしょう。
 現物をご覧になりたい方はもう少々、お待ちください。合掌




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2011
10.03

自然葬『里山葬』についての説明会

10月2日(日)午後6時より、仙台市泉区福岡にある公民館をお借りして、地域の山を活用することになった〈地域への新参者〉として、ご挨拶の会を開いていただきました。
 30戸のうち半数を超える家の方々が集まってくださり、議員の先生まで招かれている中で、「みやぎ四国八十八か所巡り道場」と「里山葬」について計画の概要をお話し申し上げました。
 貴重な里山を守り、里山が聖地となって人びとのために役立つよう努力するので、たとえば山でキノコを作りたいなどのご希望があれば、どんどん申し出て欲しいなどと胸中を披瀝しました。

 さて、成り行きです。
 そもそも、この会は、一住民の「我々の知らないうちに散骨の準備をしているようだが、けしからん。早く説明会をして欲しい。そうでないと大問題になるぞ」という抗議に端を発しています。
 そのため、「道場」となって今もイノシシやカモシカやリスなどが見られる里山が守られるという面については誰しもが沈黙し、「散骨」だけが議論となりました。
 会場で配った資料の一部です。


自然葬里山葬』について

 今般、当山が予定している自然葬についての要点をまとめました。

一 場 所 
 当該地北東方向の一角で、雑木に囲まれたごくわずかな部分。
二 方 法 
 全国的に用いられている機器を用い、何の粉かわからないほどの粒子にしたお骨を林間に撒く。
三 目 的 
 ①思想的宗教的理由により、身近な山で眠りたいという人びとの切実な願いに応えるため。
 ②今回の津波により沿岸部でお身内を亡くされ、当山へ人生相談に訪れた結果、お骨を預かるなどしている方々の中に、「お墓はいらない。津波の来ない山で眠らせてやりたい」というお申し出が数件あり、宗教者として切実な願いに応えるため。
 ③当該地は、かねて当山が宗教行為を行う聖地として篤信の方が取得しておられたものであり、その時点で鎮めの法を結んだ場所へ私のお骨も散骨するため。(なお、当山の共同墓『法楽の礎』を契約された方々から「一緒に眠って欲しい」とのお申し出があり、私のお骨を分骨して共同墓へ入れることになっている)

 以上、真剣で厳粛な宗教行為であることを御理解たまわりますよう心よりお願い申し上げます。


 まず押さえておかねばならないのは、散骨はお骨を何の粉かわからないほど細かく砕き、山や川や海や空に撒くという葬法で、法律による規定は何もないということです。
 お骨を埋める「埋骨」ではないので、墓地埋葬法の適用を受けず、許可なども一切、必要ありません。
 散骨に関する法的根拠は、法務省が発表した「社会的習俗として宗教的感情などを保護する目的だから、葬送のための祭祀で、節度をもって行われる限り問題はない」という見解のみです。
 問題が起こるとすれば「節度をもって行われる」かどうかという一点のみです。
 そこを逸脱しない限り、日本国憲法第20条「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」で守られた厳粛な宗教行為であって、何人も誹謗中傷、あるいは妨害などを行うべきではありません。
 当山はこの客観的事実を顧問弁護士と仙台市役所で確認した上で、徐々に計画を進めていました。

 会場からいただいたご意見の一部です。

「まず地域住民へ説明してから役所へ行くなどして欲しかった。住民に言われてから説明会をやるのは、住民無視ではないか」
「近くにある寺へ、この話は通してあるのか」
散骨をして欲しい人びとへ応えようとする崇高な気持はあっても、住民の気持へ応えようとしなかったのはどうしてなのか」
「散骨は地域の風習にないので、何となく気持が悪いような気がする。こうした気持はどうしてくれるのか」
「近くの山で散骨が行われていることが知れ渡ると、このたりで作っている米が売れなかったり値下がりしたりするなど風評被害の出る恐れがある。その責任はどうとるのか」
「この山から出る井戸水を使っている人の気持はどうするのか。近く沢があり、水が流れて行く先も心配だ」
「散骨が初めはポツポツでも、将来どっと多くなれば、どうするのか」
「粉骨してから散骨すると言うが、勝手に山へ入り込んで人骨を捨てる人があったならどうしてくれるのか」
「お化けや幽霊が出たらどうしてくれるのか」
「住職は自然を守り、きちんとやると言っても、住職の跡継ぎがどうするかわからない」
「誠意があるなら何度でもここへ通へ。一度や二度で理解させようなどと考えてもらいたくない」
「もし住民そろって反対してもやるのか」
「何ヶ月も前から通路を造ったりしていたようだけど、住民は工事に気づいていても何をするのか知らされていなかった。黙ってやっていて、説明しろと言われてからやるのでは遅すぎる」

 およそ1時間半をかけ、質問や疑問にできるだけ誠意を持って対応しました。
 もちろん、〈そもそも論〉のいくつかは封印しました。
 フーテンの寅さんならずとも「それを言っちゃあお仕舞いよ」となるからです。
 ご来山される方々の人生相談を受けながら「仏法」と「ものの道理」のみで考え、生きている人間なので「説法を聴きにきたのではない」と言われ、心中で苦笑する場面もありました。
 住民の方々にとっては、私の拙い説明を気に入らない面も多々あったはずですが、別段、つるし上げ状態でもなく、穏やかな話し合いに終始したのはとてもありがたく思っています。
 ただし、日本は法治国家であり、土地の売買も自由な時代にあって、当該地が寺院の所有となり〈半永久的に自然が守られることが地域にとってどうなのか〉という大所高所からの発言を行う方が一人くらいおられれば、もっと嬉しかったという気持もあります。
 今後は、当山を信じ願いをかけておられる方々のご希望を実現するため、同時に、住民の方々からも当該地が聖地としてすなおに認められるよう努力します。
「散骨をして欲しい人びとへ応えようとする崇高な気持はあっても、住民の気持へ応えようとしなかったのはどうしてなのか」とのご指摘を忘れずに。

〈ペット供養墓『空』のてっぺんで、彼は何を考えているのでしょうか〉
20111002 0072



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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
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2008
07.11

散骨を思いとどまった方

 亡くなった方をお送りするのは、最も身心をすり減らす法務です。
 しかし、やり遂げた後は、役割の重さに「自分のような者がこのような大役を果たさせていただけるとは、何とありがたいことか」と感謝の心が起こります。
 そしてその思いに後押しされ、また、気力を奮い立たせて法務へ向かいます。
 送る役割を死ぬまで続けるのは、やはり、自分の因縁の結果であると深く納得できます。

 また、お通夜の修法後には戒名についての法話を行い、葬儀の修法後には五種供養についての法話を行いますが、皆さんが〈人生の根本〉、〈人生の大事〉に関して心が開いている時、肝心の教えをお伝えできることにも感謝せずにいられません。

 最近、「身内が、お寺に世話になりたくないから散骨してくれと言って亡くなりました。こうした場合もお経を唱えていただけますか?」という問い合わせがあり、もちろん、二つ返事で駆けつけました。
 修法が終わり、さまざまな質問をいただきました。

「故人の願いと遺族の考えが異なる場合は、どうすべきでしょうか?」
「誰一人、自分の死後の始末を自分でできる人はいません。
 まず、死に臨んだ方が、亡くなる前に、そのことを自覚せねばなりません。
 もちろん、自分の願いを言い遺すのは当然ながら、あとは信じて任せるよという広い心が必要です。
 そして、この世にいる方々は、故人の思いを大切にしながらも、これからずっと供養をして行く自分たちの考えや都合も勘案せねばなりません。
 きちんと納得できる方向へ進まなければ、結局、供養の誠を尽くすことが難しくなるからです」

「『俺の骨は思い出深い海へ撒いてくれと』言われ、その気持は充分に解りますが、どうしてもそうし切れない気持もあります」
「私たちは、亡くなった方の身体が唯のモノとなり、焼かれることで、無常の鬼に心を引き裂かれます。
 その一方で、白々としたお骨が残ることで無意識ながら永遠を感じ、親愛の情をどうにかそこにつなぎ留めて心のバランスを保つのが人生の真実です。
 斎場の方々が実に丁寧にお骨を取り扱い、遺族ももちろん、その最終的な帰属をどうするか真剣に考えるのは当然です。
 もちろん、お骨も長い年月の間にいつかは自然へ還りますが、少なくとも炉の猛火をのり超えた時点では『生き残った』大切な宝ものなのです。
 今回の場合、共同墓『法楽の礎』へ収めてみ仏にお守りいただき、折々に訪れて供養することを基本にし、分骨した一部だけを海へ撒かれてはいかがでしょうか」

「彼は私の人生のすべてでした」と言うAさんは、お骨を散じたならば後を追いたいと考えておられましたが、正しく供養を行いながら自分を向上させることが妻の幸せを願っていた亡夫にとって最も嬉しく安心なことであろうと気づき、当山の檀家になられました。
 花をたむけては忍耐を誓い、お線香を灯しては精進を誓い、お水を供えては布施を誓う道へ入られました。

 み仏の教えと、み仏のご加護は偉大です。
 自分のすべてを尽くして、み仏と御縁の方々へお仕えしたいと願っています。
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