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2011
02.09

チベットの風(2)

 DVD『チベットの風』の続きである。 

 最盛期には世界一と称されたデプン寺には現在700人の僧侶がいる。
 中国が来て、文化大革命に襲われる前は7000人が修行していた。
 殺され、亡命し、還俗させられ、僧侶は激減した。

 ガンデン寺もまた最盛期には9000人が修行する世界最大規模の寺院だったが、文化大革命で、僧侶は一人残らず殺された。
 ガンデン寺で、ある宗派が成立していたのが理由である。
 ダライ・ラマ法王とパンチェン・ラマがゲルク派のため、ゲルク派の創始者ツォンカパが建立した寺院は完全に破壊され尽くした。
 西チベットの高僧と支持者によって4寺が再建されているものの、今も破壊の跡が生々しく残っている。
 青年は言う。
「5年前まではダライ・ラマ法王の写真を家に置けましたが、今ではそれさえも許されません」。

 パンチェン・ラマの本山タシルンポ僧院はダライ・ラマ一世の創建によるが、今は4ヵ寺しかない。
 ラサから来た男性の話。
「一番目の寺院には、パンチェン・ラマ10世が造った世界一大きな銅製の仏像が安置されています。
 二番目の寺院には、1989年に亡くなったパンチェン・ラマ10世の墓があります。
 仏塔中にある遺体に、当局が防腐処理をしました。
 三番目の寺院には、パンチェン・ラマ4世の墓があります。
 中国が来るまでは、たくさんの寺院がありました。
 それらはすべて破壊され、パンチェン・ラマ5世から9世の墓は、最後の墓へ一緒に納められました。
 6000人いた僧侶は800人になってしまったのです」。

 チベットには転生ラマ(トゥルク)として崇められる高僧がたくさんいる。
 13世紀に転生ラマ制度が始まってからは、歴代ダライ・ラマ法王と歴代パンチェン・ラマが転生ラマの代表とされた。
 歴代ダライ・ラマ法王は、5世から政治と宗教の実験を握る国家元首となった。
 歴代パンチェン・ラマは、タシルンポ僧院の座主を務め、阿弥陀仏の化身として尊ばれている。
 パンチェン・ラマが亡くなると、ダライ・ラマ法王が次のパンチェン・ラマの転生者を承認・選定する。

 1989年、パンチェン・ラマ10世は、こうした声明を発表した4日後、謎の死を遂げた。
「中国のチベット支配は、チベット人へ対し、利益よりも多くの害をもたらした」。
 パンチェン・ラマ10世亡き後、11世を建てる必要が生じた。
 亡命中のダライ・ラマ法14世は、チベットにいるゲントゥン・チューキ・ニマ少年を、ダライ・ラマ法王認定のパンチェン・ラマ11世とした。
 しかし、すぐに、この少年は家族と共に行方不明となった。
 中国政府は後に、ニマ少年の拉致を認めている。
「本当のパンチェン・ラマ11世はチベット人ですが、家族共々、どこにいるかわかりません。
 中国の刑務所に拘束しているのでしょう」。
 政府はギエンツェン・ノルブ少年を11世として立た。
「パンチェン・ラマ11世は二人います。
 一人はダライ・ラマ法王に認定され、もう一人は中国政府が立てました。
 北京にいるのは中国擁立のパンチェン・ラマです。
 北京のパンチェン・ラマがツガツェやラサの訪問に際して、政府は法律を作りました。
 民衆は外に出、スカーフ(カター)を持って歓迎しなくてはいけません。
 皆は彼がパンチェン・ラマだと信じていると言いますが、内心ではまったく信じてはいません。
 中国政府が立てたからです」。
 少年だったパンチェン・ラマは現在20才になり、活動させられている。
 もちろん、中国政府が立てたパンチェン・ラマはダライ・ラマ法王に認定されてはいない。
 だからこのパンチェン・ラマを信じているチベット人は誰もいないのである。
 中国人すら信じるだろうか?


 これは何世紀も前の遥か昔にあったできごとではなく、わずか半世紀前に始まり、たった今、この地球上で継続している現実である。
 人権侵害という耳慣れた言葉でくくってしまえないほど現実離れし、想像を絶する弾圧である。
 人間を人間扱いしない政治体制の中国が軍事・経済・政治各方面で世界へ大きな影響力を及ぼしつつあるという事実、数百万人の人々が暮らす一国が丸ごと簒奪され、民族が一人もいなくなるようにし向けられているという事実の途方もなく巨大な暗黒。
 私たちは、国会で誰一人この問題を採りあげようともしない国に安閑と暮らすことを恥じないでいられようか。

〈真実〉
230207 008




「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
10.06

言の葉 (1) ─大人の文化─

 このところ、まったくテレビを観ていない。
 新聞数紙に眼を通すだけの日々で特に忘れられない三つの言葉を書きとどめておきたい。
 

「お仕えした方の息子さんと思って接してきた」


 前衆議院議員中川昭一氏(56歳)の急逝に涙する写真の下に書かれた衆議院議員鈴木宗男氏(61歳)の言葉である。

 鈴木氏は、大学在学中から中川氏の父故一郎氏の秘書を務め、一郎氏が57歳でやはり急逝した時に、いち早く現場へかけつけた一人である。
 その後行われた選挙では、昭一氏と4度戦うことになった。
 ガンを克服して衆議院議員を続ける彼は、現在、東京高等裁判所において斡旋収賄などの罪で有罪判決を受け、最高裁判所へ上告している身である。
「お仕えした方の息子さん」に挑戦したことを含め、その政治活動にはさまざまな評価が下されていることを承知の上で、この言葉を選択した。

 同一選挙区で、政治家として死ぬか生きるかの戦いを演じる相手は政敵である。
 鈴木氏なりの政治的主張には、決して譲れないものがあるはずである。
 それでおもなお、鈴木氏は、昭一氏の父親への恩を忘れず、人間として大切な心を保ち続けてきた。
 この事実は重い。
 彼が選挙民に指示される理由の一つが解った。

 思い出すのは、かつて中国で吹き荒れた文化大革命の嵐である。
 毛沢東思想を踏み絵として人々が裁かれ、踏む人は親であれ子であれ師であれ、子が親が弟子が厳しく糾弾し、罪人として町中を引きずり回した。
 イデオロギーが唯一絶対の尺度となり、人々は黒か白かに色分けされた。
 黒とされた人は、を断たれた。
 糾弾する人は、親子師弟のを断つことで英雄とされた。
 そして、親の生年月日を覚えている若者は十人に一人と言われる国になった。

 日本でも、平成15年に行われた小泉郵政選挙においてそれとパターンの共通する戦いが形成された。
 当山は、小泉首相を「シヴァ神」、劇場政治の主役と観客が作る気配を「狂風」として警戒した。
 今さら日本の政治に人倫を求めるわけではないが、国家権力による人倫のあからさまな無視は、必ず途方もない荒みをもたらすからである。
 案の定、「政治家が使い捨てであるのは常識である」と公言した首相の遺した傷はあまりにも大きかった。

 鈴木氏がハンカチを用いながら口にした冒頭の言葉は、毀誉褒貶の大きい人が漏らした言葉であるだけに重い。
 恩を忘れず、ふるまいに気を配ろうとする姿勢は〈大人の文化〉を創る。
 若者には反逆し破壊する姿勢やエネルギーがあって良い。
 しかし、社会の色合いとしては、大人の文化が根底に流れるものであって欲しい。
 人倫が活きている社会は潤いと安心をもたらすからである。



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2008
12.11

新疆ウイグル自治区で行われた核実験について

 東京新聞(平成20年11月21日)の「特報」をご紹介します。
 当山は特別な政治的立場に立つものではありませんが、人の道に関する重大な問題は、仏法上、見捨ててはおけず、注目し、宗教者としてできる範囲の対応をして行きたいと願っています。

 東アジアでは北朝鮮の核兵器開発が国際社会から問題視されているが、中国は既に1950年代半ばから核兵器開発にまい進してきた。
 少数民族が居住する新疆ウイグル自治区で行った核実験は40回以上に及ぶ。
 しかし中国政府は実験データはもちろん、実施の事実すら公表していない。
 核汚染や周辺住民への被害はこれまで闇の中だったが、その実態が日本人科学者の手によって初めて明らかになりつつある。(外報部・浅井正智)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「旧ソ連時代、中国の核実験による放射線の影響は、(新疆ウイグル自治区の)ロプノル核実験場から北西に約千キロ離れた隣国カザフスタンで監視さていた。
 そのデータを2001年に入手したことは、中国の核実験の実態を追跡する上で大きな意味があった」
 原発事故のチェルノブイリや臨界自己の東海村をはじめ、世界各地の 放射線被害の現地調査を手掛けてきた札幌医科大学教授(放射線防護学)は、札幌市内の研究室でこう語りはじめた。
 中国は実験現場を公開していないが、どう調査したのか。
 用いたのは、旧ソ連が監視していた中国の核実験威力や爆発温度、風向き、さらに風下のカザフスタン東部マカンチに実験直後に降り積もった核分裂生成物の分析から、新疆ウイグル自治区の被害を推定するという手法。
 現地調査をせずに核汚染を科学的に分析するこの方法を適用することで、中国が隠し続けてきた核実験災害の実施時期に突破口をひらいた。
 中国が同自治区で行った核実験は、1964年か96年までに延べ46回とみられ、「これらの実験のために致死レベルの放射線を浴び、死亡した住民は19万人と推定されると高田教授は具体的な数字を挙げた。
 劣悪な医療環境などから、その4倍の75万人が死亡したとする説もあるという。
 死に至らなくとも、白血病やその他のがんの発生、胎児への影響が高まる地域には 129万人がいたとみられる。
 核実験はもう10年以上 行われてはいないものの、「住民の健康被害は続いており、まさに現代の問題」にほかならない。
 
 実験地点はシルクロードの要衝として栄え、日本人が好んで観光に訪れる楼蘭に近い。
「地下核実験で地下水が汚染されている恐れがあり、飲むのは避けるべきだ」と警告する。
 46回の実験のうちメガトン級の地表核爆発は67年、73年、76年の3回。
 核爆発は爆発点により、空中、地表、地下に分類されるが、地表爆発は核汚染された土壌の粉じんを巻き上げ、周辺および風下に大きな放射線災害をもたらす。
 高田教授によると、メガトン級の地表書く爆発は米国も旧ソ連も内陸では行っていない。中国はそれを3回強行した。
 インターネットの動画サイト「ユーチューブ」では中国の核実験の映像が見られるが、防護服などを着ていない人々が巨大なきのこ雲に向って万歳する姿が映し出されており、安全面の対策を講じないまま実験を行った可能性が極めて高い。
 ただ中国当局は一つの重要な「配慮」をしたとみられる。
 67年と73年のメガトン級地表核爆発は同じ6月に行われ、当時の気象記録からカザフスタン方向に風が吹いていたことが分かっている。
「毛沢東ら共産党指導者のいる北京に゛核の砂゛が飛んでいかない季節を選ぶという最大級の配慮をしたはずだ」と高田教授は皮肉を込めた。
 残る1回のメガトン級爆発時(76年11月)の気象データは、今のところ判明していない。
 11月という季節から、核の砂は北風によって南に隣接するチベット自治区に運ばれた可能性が考えられるが、解明は今後の研究に委ねられている。
 
 高田教授は研究成果をまとめ、北京五輪に合わせて今年、著書「中国の核実験」(医療科学社)を出版した
 先月下旬、アルゼンチンで開かれた国際放射線防護学会でも「中国の核実験災害と線量評価」と題し報告を行った。
 これまで謎に包まれていた中国の核実験の実態から見えてくるものは、「主にウイグル人が居住している場所で、安全面の対策も立てず、国家によって犯罪的実験を行った。」(高田教授)というおぞましい現実だ。
 3回のメガトン級爆発は、すべて文化大革命(66~76年)という未曽有の大混乱の間に行われている。
 中国共産党は81年、新中国成立以来の歴史を総括する「歴史決議」で、その文革を「過ち」と公式に認めた。
「ならば」と高田教授は強調する。
「文革の熱狂の中で行われた危険な核実験の過ちも認め、データを開示し、被災者の補償をすべきだ。それをしない限り、中国は決して国際社会から信頼される国家にはなれない」


2008
03.21

彼岸供養会が終わりました

 おかげさまにて、とどこおりなく彼岸供養会を終了しました。
 ご参詣の方々が心を込めた真言の読誦が優に一時間を超え、小さな本堂は極楽浄土になりました。
 法話は、「真言の力」です。

 今日、私たちが祈っている間も、チベットでは、僧侶や若者たちが中国の軍隊と警察によって次々に連行され、秘密の収容所へ送られていることでしょう。
 どれだけの人びとが抹殺されつつあるか見当もつきません。

 一昨日、ある新聞に、ラサ市でタクシーの運転手をしている中国人男性の話が、小さな記事として掲載されました。
 武装警察とみられる部隊が中心部の住宅を一軒づつ廻り、人びとが「トラックの荷台に家畜が放り込まれるように」乗せられ、連れ去られたというのです。
 悪寒が走りました。
 以前、上映会を行ったドキュメンタリー映画『チベット チベット』で、中国軍がチベットへ侵略した際の様子が、まったく同じ表現によって証言されていたからです。
 中国政府は、強硬手段をとっていないと表明していますが、装甲車はもちろん、映画のヒーローのように完全武装をした警察官らが大量に投入され、外国メディア関係者を閉め出した地域は、地獄と化していないなどと信じられましょうか。

 1950年、チベットを侵略した中国は、「チベットへ行くなら解放してやる」と言って囚人たちを送り込み、半世紀以上にわたって敬虔な仏教徒たちの国を蹂躙してきました。
 そこで生まれ、育ち、あるいは各地へ散った若者たちが、ダライ・ラマの説く「非暴力」に共鳴しつつも、「もはやこれまで」と腹をくくって立ち上がったのでしょう。
 そして、かつて猛威をふるった文化大革命のおり、毛沢東の思想を受け容れないからといって子供が親の髪の毛をつかんで町中を引きずり回し、密告された人が突然姿を消した状況と同じく、思想と暴力による弾圧を受けているのでしょう。
 それは、私たちの想像をはるかに超えているに違いありません。
 
 東へ伝わった密教は日本で洗練され、北へ伝わった密教はチベットで洗練されました。
 日本において行者も導師も行う五体投地は、チベットにおいてさかんに実践され、大地へ五体を投げだしては立ち上がり、また投げだして尺取り虫のように寺院をめざす人びとの姿は、強く訴えかけるものがあります。
 み仏へ帰依し、み仏と一体になるために唱える真言は世界のどこでも共通しており、私たちが唱えた真言は、ダライ・ラマの肖像画さえも掲げられない圧政の下で、密かに信仰の燈火を燃やし続ける人びとの真言と響き合い、眼に見えぬ力となっていることでしょう。
 お大師様は

「真言は不思議である。
 よく学びきちんと唱えれば無明を除いてくれる。
 たった一文字にも無限の理を含み、唱えるその身はそのままに仏であることを実証する」

と説かれました。
「一字に千理を含む」の教えは、「一字が千里をも超えて真実世界を現す」ことでもありましょう。

 共に唱えた真言は、み仏を供養し、御霊を供養したばかりではなく、チベットの人びとをも供養しました。
 これからも、遙かな地で虐げられている人びとへのみ仏のご加護を願い、至心に唱えましょう。
2005
08.27

原理主義という狂風

 8月22日、アメリカキリスト教福音派の右派を指導するパット・ロバートソン師(75歳)は、自分の宗教番組の中で、ベネズエラのチャベス大統領を暗殺すべきであると主張しました。
 理由は、チャベス大統領が「アメリカにとり極めて危険で、共産主義浸透とイスラム過激主義を助長している」というものです。
 イラク問題などによりブッシュの苦戦となった前回の大統領選挙で、彼の創始したキリスト教団体クリスチャン・コアリション(キリスト教徒連合)は選挙の中核となって動き、ブッシュ再選を助けました。

 世界第4位の石油輸出量を誇るベネズエラは、1980年代から90年代にかけて新自由主義グローバリゼーション(市場原理を最優先する経済の世界化)が進められてそれまでも顕著だった貧富の差は一挙に拡大し、多くの国民が生活苦におちいりました。
 98年、大統領に選ばれたチャベスは貧富の差の解消をはかり、5年後には満足な家すらも持てない庶民へ保健・医療活動を広げようと「居住区に入ろう(バリオ・アデントロ)」計画を進め、この2年間で5000カ所もの診療所を造りました。
「アメリカの裏庭」と言われ、ただただアメリカと一部特権階級のためにむさぼられていた国力を広く国民一般のものとし、行く行くは「南米諸国家共同体」を創ろうという動きすら始まりました。

 ホワイトハウスが沈黙を守る一方、チャベス大統領はこの発言に対して「この人物が誰かも知らない」とし、ことを荒立てようとはしません。

 24日、批判が相次いだためパット・ロバートソン師は謝罪しましたが、依然として
「米国によるチャベス暗殺計画が本当なら、われわれは実行すべきだ。戦争より安くつく」
「無実の傍観者の群れに車が突っ込もうとしているなら、ただ惨劇を待つことはできない。ドライバーの手からハンドルを奪い取らねばならない」
と述べています。
 ヒトラーやフセインのようになる前に暗殺すべきだというのです。
 自分たちの掲げる原理の旗を絶対的なものとして批判や反対を許さず、原理に従わぬものは悪であり、滅んで当然だという姿勢です。

 強者が弱者を抹殺しようとする、それはまさに弱肉強食の行き着く果て、獣の世界です。
 ここには人倫はありません。
 かつて中国で毛沢東が文化大革命を推進した時、権力者による原理主義のローラー作戦は中国人の人倫を破壊し尽くしました。
「革命」という錦の御旗に従うかどうかという物差し一つで人々は白か黒かに分けられ、従わないからといって子が親を、生徒が先生を、兄が妹を糾弾し町中をひきずりまわしました。
 原理主義が骨肉を争わせたのです。
 革命の狂風が止んだ後の調査によれば、親の生年月日を覚えている20歳以上の中国人の割合は約10パーセントという惨状になっていました。
 この資料を目にした時の衝撃は忘れられません。
 何という愚かさ、恐ろしさ、浅ましさ、悼ましさでありましょうか。

 これらのできごとは、決して他人ごとではありません。どこかの国でもよく似た風が吹き始めているではありませんか。




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