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2016
11.15

お地蔵様とお不動様の救い

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 鎌倉時代中期、無住(ムジュウ)は密教と禅を学び、臨済宗東福寺派の長母寺で法務を行いつつ、10巻もの説話集『沙石集』を書いた。
 彼は、臨済宗の開祖栄西から伝わる秘書『地蔵の決』についても記している。

「その中の肝心に、地蔵大日の柔軟(ニュウナン)の方便(ホウベン)の至極(シゴク)、不動は強剛方便(ゴウゴウホウベン)の至極(シゴク)となり。」

(その中の最も大切な部分として、地蔵菩薩は大日如来の優しい方法による救済不動明王は大日如来の厳しい方法による救済を、究極的につかさどるというものがある)


 以下、その一部を意訳した。

「ある時、恵心僧都(エシンソウズ)の妹である安養の尼が気絶した。
 僧正勝算(ソウジョウショウサン)は不動明王のマントラでえある火界呪(カカイジュ)を唱え、恵心僧都が地蔵菩薩の御宝号を唱えつつ修法した。
 やがて息を吹き返した尼が言った。
不動明王が火炎の前に立ち、お地蔵様が手を引いてくださいました。』」

「ある時、恵心僧都に給仕していた弟子が突然、亡くなった。
 彼にはモノにとらわれる気持があった。
 一人の僧侶に不動明王のマントラである慈救呪(ジクジュ)を唱えさせ、僧都は地蔵菩薩の御宝号を唱えつつ修法した。
 蘇生した弟子は言った。
『4、5人の男たちに持ちものを奪われ、抵抗したけれどだめでした。
 是非も問わず奪うのはおかしいとさらに抗議すると、髪を結い、白い杖を持った2人の童子が現れて男たちを追い払い、取り戻してくれました。
 さあ、これを持って帰ろうと思った途端、息が出ました。』」

地蔵は柔らかにふるまい、不動は荒々しく助ける。
 事実は口伝(クデン)が真実であることを証明している。

 地蔵と不動の適切な救いがなければ、生き死にに伴う苦しみから離れられないのは明らかである。
 地蔵は、いかなる迷いの世界にあろうとも、いかなる世界に生まれようとも、お救いくださる。
 不動は、まっとうに生きようとする時に邪魔をする業(ゴウ)による障りも、貪り・怒り・愚かさも、あらゆる魔ものたちの障害も取り除いてくださる。
 地蔵の救いによって迷いの世界から抜けだし、不動の救いによって魔ものたちから逃れることなくしては、安寧の世界に入れない。
 納得できるまでよくよく考えるべきである。」


 日本中で武士が殺し合った時代から700年以上経った今でも、秘法は守り伝えられ、お地蔵様とお不動様のご加護は確かである。
 四国の霊場にはそれぞれご本尊様がおられる一方、この二尊は、ほとんどの寺院で祀られ、祈られている。
 お地蔵様のお慈悲とお不動様のお智慧なくしては、この世をまっとうに生きられないだけでなく、臨終後の行く先も危うい。
 本当に〈相手を選ばない思いやり〉というものを考えてみよう。
 行き詰まったら静かに唱えてみよう。
「おん かかか びさんまえいそわか」
 本当に〈自己中心的でない道理〉というものを考えてみよう。
 行き詰まったら静かに唱えてみよう。
「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」
 お地蔵様とお不動様の世界が感じられるに違いない。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2016
11.02

年忌供養の経文 ─身体と言葉と心を一つにしよう─

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 年忌供養などを行う際、ご参列の皆さんにお唱えしていただく経典が最近、ようやくまとまり、用い始めた。
 御霊のためにお唱えしたい経文を集めると、どんどん長くなってしまい、一緒にやる方々が大変なので、ずいぶん試行錯誤してきた。
 かつてまとめた経典を毎日、ずっと読んでいてくださる方々もあり、頭が下がる。
 まず懺悔(サンゲ)して自分を清め、お導きくださるご本尊様をお讃えし、供養のまことを捧げ、その功徳を普く及ぼすという基本が皆さんにご理解いただければありがたい。

 お堂に皆さんの声が響くと荘厳さが増すだけでなく、場が柔らかく、温かくもなる。
 終わった後の皆さんの顔には清々しさが漂う。
 時には、小中学生がしっかり読んで、周囲が驚き、喜んだりもする。
 せっかく読んだ経文を手放せなくなる方もあって、たちまち増刷が必要になる。

 増刷といっても、当山ではほとんど自前でやる。
 パソコンと印刷機で経文を刷り上げ、あとは手作業で製本テープを貼ったりする。
 そこには住職の信念が顕れ、職員さんたちの誠意も表れる。
 こうして出来た経典を一緒にお唱えすると、同じ井戸の水を汲む仲間であると実感される。

 終わってから鋭い質問をいただき、貴重なやりとりが生まれる場合もある。
「読むのに必死で、ご供養の気持がどこかへ飛んでいましたが、よかったのでしょうか?」
 お答えする。
「まず、ご供養したいと心から願う気持でイスに座り、あとは経文に没頭すればよいのです」

 人としてやるべきことをきちんとやりたいと思って行動を起こし、思いやりの心で寺院へ詣で、必要な努力をし尽くせばそれ以上のことはない。
大日経』は説く。

「菩提心(ボダイシン…悟りを求める心)を因とし、大悲(ダイヒ…無限の思いやり)を根本とし、方便(ホウベン…正しく有効な手だて)を究竟(クキョウ…究極)とす」


 目的意識を持った時はその思いをしっかりさせ、読経に入ったならば経文へ没入し、その時々に、身体と言葉と心のはたらきを一体化することが肝要だ。

 たとえば、「病気が治りますように」と思って般若心経を唱える際、頭が病気に占領され、経文は口だけで暗誦されているのなら、身体と言葉と心がバラバラになっており、理想的な状態ではない。
 般若心経を唱えながら頭では〝お腹がすいた〟と思っているのと同じパターンであるということに気づけば、問題の大きさが実感される。
 私たちはどうしても〈バラバラ状態〉に陥りやすく、そこが迷いであり、悪業(アクゴウ)の土壌になりやすい。
 瞑想などで、身体も言葉も心もみ仏の世界に一致すれば即身成仏(ソクシンジョウブツ)だ。

 上記のやりとりが最近、制服をまとった中学生との間で行われた。
 唱えやすいので、お仏壇の前でやりたいと言う方もおられる。
 肝腎なものが皆さんの心へ届くためには工夫が欠かせない。
 ご縁の方々はそのことを教えてくださる。

 お大師様は説かれた。

「仏法は人によって興り、人によって廃れる」


 そして、時代は人によってつくられる。
 時代を嘆くだけでなく、ご縁の方々と一緒になすべきことをなしてゆきたい。




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2016
02.06

イラク戦争と靖国神社への祈り(その19) ─善悪とは?修行とは?─

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〈造化の妙〉

 平成16年1月、自衛隊のイラク派兵に鑑み、仏神と祖霊のご加護で自衛隊員の無事帰還をはかるべく、靖国神社へ向かって托鉢行を始めた。
 世界の情勢が急変を見せ始めた今、そのおりの記録を加筆訂正しながら再掲しておきたい。
 不戦日本の願いを込めて。

○善修行(2月27日)

 ご祈祷を行うため、早朝から上京した。
 東京駅はもちろん、周辺のビルなどの警備態勢にもただならぬ様子を感じた。
 宮床の雪が嘘のような快晴の下、春の陽を浴びたサラリーマンのワイシャツ姿が醸し出す長閑さと、オウム事件の首謀者に死刑が言い渡されようとしている緊迫感とが、何の違和感もなく共存していた。
 麻原 彰晃の弁護側は、「一連の事件は弟子たちの暴走であって、被告は無罪」と主張したが、東京地方裁判所は求刑どおり死刑を言い渡し、弁護側はただちに控訴した。

 帰山してすぐ、お通夜へ向かった。
 通夜振舞いの席で事件に関する質問が相次ぎ、殺人戦争について皆さんと対話を行った。
 
 釈尊は、「を為すなかれ、善を為すべし、自らを浄めよ。これが諸仏の説くところである」と説かれ、何よりも善をはっきりさせるよう指導された。
 オウム真理教の行為は明らかにであり、多くの犠牲者を生んだ。
 彼らの業(アクゴウ)は、幹部の死刑で償いきれるものではない。
 のパワーはすさまじい。
 その非道に巻きこまれた方々は、首謀者や教団を憎んでも憎んでも憎みきれるものではなかろう。
 心中は察するに余りある。
「なぜ自分が被害者にならねばならなかったのか?」
「なぜ子供が死なねばならなかったのか?」
 こうした答が期待できない問いを発せずにおられず、「麻原を憎まないでいられない自分が悲しい」という袋小路に入った方は、どこに救いを求められるのだろう。

 もしも、犠牲者やその身内が、み仏へおすがりした場合、こうしたお定まりの説法など何の役に立とうか。
「すべては空(クウ)なので、こだわらないように」
「いつまでもとらわれてはいけません」
 これだけで、そうですか、と深く納得し救われることはなかろう。

 かと言って、全ては因と縁によって成り立っており、変化して止まず、時空に屹立(キツリツ)しているものは何もないという道理がベースと成っている仏教は、そこから離れた真理を説き得ず、そこから離れた救いの手も差し伸べられない。

 釈尊はそこで、自分が汗を流すことによって真理を〈つかむ〉実践法を説かれた。
 典型が、一人娘を失ったキーサゴータミーの指導である。
 悲しみと絶望のあまり半狂乱になった彼女へ、釈尊は「一人の死者も出したことのない家が見つかったなら必ず救おう」と約束し、彼女は村中を訪ね歩いたが、ご先祖様のいない家は一軒もなかった。
 夢中で歩き、疲れ果てて釈尊のもとへ戻った彼女へようやく、釈尊は無常の理を説き、一瞬にして苦から解放した。
 こうした〈つかむ〉ための手段を方便(ホウベン)と称する。
 対機説法と呼ばれる釈尊の指導法は相手により、状況によって千差万別だった。
 言い換えれば、釈尊は千本の手に象徴される無限の方便を持つ千手観音である。
 こうした方便は、2500年の時をかけて整理され、深められ、修行の手引きであるお次第となった。
 自分に合った師を見つければ、必ずや師は適切な方便を授けるだろう。

 さて、善悪についてはどうだろう。
 十善戒の布教に生涯をかけた慈雲尊者は「瓔珞経(ヨウラクキョウ)」の一節をもって明快に説かれた。

「理に順じて心を起こすを善といい、背くを悪と名づく」


 道理・真理に合った心が善であり、背く心が悪である。
 尊者は続けて断じる。

「仏性(ブッショウ)に順じて心を起こすを善といい、これに背くを悪という」


 つまり、「理」は「仏性」であり、み仏の子である万人に具わった仏性が輝けば、身体も、言葉も、意志も、善なるはたらきをするのだ。

 ならば、「方便」とは、「仏性」を輝かす方法に他ならない。
 たとえば写経である。
 お手本となっている文字の一つ一つがそのまま写されれば、一文字一文字に秘められたそれぞれのみ仏が立ち上がってくるとされている。
 また、〝自分はうまくないな〟と気づくことが、仏性を汚しているものに気づくきっかけであるとも説かれる。
 たとえば経文を読み真言を唱える読経である。
 気分によって激しい抑揚がついたり、異様なだみ声になったりすれば、経典の清浄さはどこかへ行ってしまう。
 読み手の心はご本尊様やご先祖様へ届くだけでなく、聴き手の心へも鏡のように映し出されることを忘れないようにしたい。

 殺人は悪である。
 戦争も悪である。
 海軍大将となった最後の軍人井上成美(イノウエシゲヨシ)は日独伊三国同盟に反対した。

 「日本が亡びるようなときには戦争もやむをえないし、部下に死地に赴くよう命令もできる。
 しかし、国策の延長として独伊と結び、戦争に入るのは許せない。」

戦争というのはいいものではなく、私は、戦争は刑法でいう死刑と同じ必要悪だと、罪悪だと思います。
人を殺したり、人の物を破壊したり、そんなことをするのは、交戦国の権利として認められてはいるが、国の行為としては悪行為なのです。」


 何としても国民一人一人のいのちを守り抜こうという思いが感じとれる。
 およそ国をあずかる為政者は、いかなる艱難辛苦にも耐えて国民を殺さず、殺させないという強い決意を持ち、その決意は、うわべの言葉だけでなく、周囲に感得されるほどでなければならないと思う。

 善悪は、いかなる場面にあっても必ず明確にすべきである。
 むろん、善悪をあいまいにし、釈尊の教えをないがしろにする仏教などはあり得ない。
 他の悪を見て己の内なる悪におののき、善に向かって辛苦する過程が修行であり、そこを通って行く先に一段、上のステージが待っている。
 このステップアップを信じて何らかの修行を行う実践者こそが仏教徒だ。
 オウム真理教の誤りは、仏教を標榜しながら善悪の判断という根本を見失ったまま、思いつきの訓練へ走ったところにある。
 まっとうに生き、善悪をつきつめ、壁にぶつかり、その苦悩と正面から向き合った人が正当な伝授を受けて行う修行こそが本ものであり、み仏は必ずや救いのみ手を差しのべてくださるに違いない。




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2015
06.06

自殺した自衛隊の方々に想う ―争いを避けるものは?―

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 5月27日の衆議院平和安全法制特別委員会において、明らかになった在職中における自衛隊関係者の自殺は以下のとおりである。
・平成13年から19年にかけて、インド洋へ派遣された隊員:25人
・平成15年から21年にかけてイラクへ派遣された隊員:29人
 防衛省の真部朗人事教育局長は、派遣そのものが原因であるかどうか「個々の原因を特定するのは困難だ」としている。
 国家に殉じた方々へ心よりご冥福を祈りたい。

 ここには、自衛隊勤務が困難になり退職後に自殺した方の数は含まれていないし、うつ病や統合失調症などに罹った隊員についての報告もない。
 遠隔地への派遣かどうかにかかわらず自衛隊は、勤務が原因で心の病気になったと思われる隊員に対するケアを怠っていないが、この54人の周囲にどれだけ苦しむ方々がおられるかは想像に難くない。
 しかも、上記2例は、戦地そのものから離れていると見なされた地域へ派遣された隊員に関する調査である。
 現在議論されている平和安全法制においては、弾丸が飛び交ってはいないが、もしも、攻撃を受けたなら戦わず撤退するという地域への派兵である。
 当山に縁を結ばれている自衛隊関係者の方々を想い浮かべ、皆さんの心身にかかる負担を思うと、いたたまれない。

 もちろん、〈備え〉は欠かせない。
 しかし、戦争はいつの時代も決して一方的に起こりはしない。
 戦争も平和も関係性の中における一つの状態であり、あくまでも〈相手との関係〉がどうかという問題である。

 ある時、小学生A君がこうした状況に陥ったという。
 遊び仲間が三つのチームに分けられ、二つは数人のグループ、そしてA君は一人である。
 鬼ごっこであれ、何であれ、何をやるにしても無惨な状態である。
 イジメに憤った父親は悪童どもを懲らしめようとし、母親は心配して各方面への相談に取りかかろうとした。
 ところがA君は「こんなものさ。騒ぎたてないで、様子を見ててよ」と言い、悪童どもと着かず離れずでいるらしい。
 A君は直接の抗議も間接の指導も〈悪〉への効き目がなく、不用意な刺激は相手の愚かさを昂進させるだけであると見越しており、時が流れれば、やがて悪童どもは彼らの住む世界へ行き、自分は彼らと別の世界で生きられるので、学校という場で深刻な対立や暴力騒ぎなどに及ばないよう気をつけて過ごそうとしている。
 舌を巻いた。

 多くの大人は知っている。
 熱(イキ)り立ち、角張っている人はいざこざを起こしやすいし、穏和な人は周囲を和やかにする。
 争いを避けたいなら、まず、自分が穏和にならねばならない。
 穏和さこそが、争いを抑制する根本的な鍵である。
 まず、自分自身がどういう人間になるかというイメージ、姿勢、生き方を明確にしておきたい。
 人間なら信条、国家なら基軸、人間も国家も同じではないか。

 平成8年、台湾総統選挙で台湾独立志向の李登輝氏が優勢と報じられた際、中国軍は軍事演習を実施し、基隆沖海域にミサイルを撃ち込み、恫喝した。
 アメリカに対して「台湾問題にアメリカ軍が介入した場合には、中国はアメリカ西海岸に核兵器を撃ち込む。アメリカは台北よりもロサンゼルスの方を心配するはずだ。」とまで言い、アメリカは空母を展開した。
 そのおりに防衛駐在官宮崎泰樹氏は、反米・反日の拳を振り上げる中国人民軍要人たちの懐へ飛び込み、罵倒されつつも酒を酌み交わし、情報収集と宥和に努めた。
 一触即発の危機は去った。

 自らは備えつつ穏和に暮らし、熱(イキ)り立ち角張る相手から穏和さを引き出すことができれば、それこそがみ仏の説く方便(ホウベン…最高の手立て)ではなかろうか。




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2015
05.26

開かれた仏教と市場経済の話

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 お釈迦様は説かれました。
宗教市場経済と同じであり、市場における自由売買にたとえられる」

 市場で野菜を売り買いする際に、社会的地位は問題になりません。
 売り手は買い手の身分を訊ねてから売りはしないのです。
 買い手もまた、売り手の人物とは無関係にモノを買います。
 お釈迦様は、宗教も同じであるとして、相手が王であろうと売春婦であろうと、等しく相手に必要な法を説かれました。

 バラモン教は師拳(シケン)と称し、社会的階級に合わせた宗教行為を行います。
 師の拳に隠された秘儀は階級によって選ばれた特定の人にしか明かされませんが、お釈迦様は相手を選ばず、最善を尽くされました。
 最善の手立ては、後に「方便」という仏教語となり、方便は万人に明かされ、与えられています。

 一方、お釈迦様は、宗教を医療行為にもたとえられました。
 熱冷ましや咳止めが与えられ、それを自分でまじめに飲み、指示に従って安静にしていれば風邪を治せます。
 しかし、外科手術が必要なら、技術のある執刀医に任せるしかありません。
 患者の理解と努力が関われる範囲は、病気の内容によって大きく異なります。
 それと同じように、求め、救われる道筋は万人に開かれていますが、どのように救われ得るかは千差万別です。

 教えは自由に選べるし、与えられるべきですが、求める人により、与えられる内容にはおのづから違いも限度もあります。
 5才の子供へ10才用のオモチャが与えられれば、使えず、壊すだけでなく、ケガをするかも知れないのと同じです。
 だから、それを見極める側の役割と責任は小さくありません。
 僧侶は必要な内容を説かなければ救えず、あえて説かなければ罪とされる一方で、相手の能力を超えたものを与えるのもまた、罪となります。

 こうした理由により、当山の人生相談は袈裟衣をまとい、三礼(サンライ)に始まる修法に入ってから行います。
 ちなみに、三礼とは、み仏と、教えと、み仏と教えを学び守り伝える人々、すなわち三宝を尊び、帰依(キエ)する礼拝です。

 仏教は、誰でもが求め、手に入れられる教えであり、救いです。
 しかし、教えも修法もお金に換算できず、いかにやりとりされるかは、み仏のご判断を仰ぐ行者に委ねられます。
 一方、三宝へ対する誠意として差し出されるお布施は、求める側の価値判断と経済事情に委ねられます。

 だから、お釈迦様が市場に例えてその開放性を説かれた仏教は、現実の市場経済に乗って売り買いされるべきものではありません。
 そもそも宗教は、一人一人が自分で心へ問い、人間へ問い、自然へ問い、世界へ問い、仏神へ問い、死者へ深く深く問うところからしか入れない世界ではないでしょうか。




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