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2015
08.07

お墓参りに行けないお盆の過ごし方 ―施餓鬼のことなど―

201508070001.jpg

 今年は「お盆お墓参りに行けない場合、どうすればよいか?」というご質問が、頻繁に寄せられています。
 例年にない猛暑が皆さんの行動パターンを変えているのかも知れません。

 最もお勧めなのは、事前にお塔婆供養を申し込み、お盆前に受け取ってお墓へ立ててご供養し、お盆の時期には自宅の盆棚へ御霊をお迎えするというものです。
 当山では、早くも先週末あたりから善男善女がこうしたお盆供養を始めておられます。

 もう一つは、早めにご来山されてお盆供養会を行い、帰りにお塔婆をお墓へ立てるという年忌供養などと同じやり方です。
 これなら、お盆期間中に家を留守にしても大丈夫です。

 あるいは、まだお骨が自宅にあり、どうしてもお盆期間内にご来山できない場合は、当山で魂入れをしたお塔婆をお送りすることもできます。
 送られたお塔婆をお骨のそばへ立てれば、最高のご供物を供えたことになります。
 お塔婆の表面には梵字(梵字…インドの文字)で、「地・水・火・風・空」と書かれ、裏面には同じく「識」と書かれており、目に見える世界と見えない世界との徳をすべて込める法が結ばれているからです。

 この際、お墓参り仏壇前でのご供養において大切なことを一つ書いておきます。
 それは「万霊供養」の心です。
 
 お盆の供養会では、それぞれのお宅における先亡の御霊を供養するだけでなく、施餓鬼(セガキ…餓鬼界の方々へ施すこと)供養も行うところに他の供養会とは異なる特色があります。
 以下の故事がその出発点です。
 
 ある日、お釈迦様の弟子である目蓮尊者(モクレンソンジャ)が、神通力で亡き母親の様子を観たところ、生前、子供を思う一心でつい犯してしまった小さな罪のために、餓鬼界で苦しんでいました。
 驚いた尊者は早速、お釈迦様に相談しました。
 お釈迦様は答えました。
「夏安居(ゲアンゴ…夏の修行)の最終日である七月十五日(旧暦)に、できるかぎり多くの僧侶にお経をあげてもらいなさい。
 そして、心から供養をすれば、必ず救われることでしょう」
 尊者はさっそく実行し、母親は、無事、天上界(テンジョウカイ)に生まれ変わりました。

 この故事にまず、思うのは、母親が餓鬼界にいることを知った尊者の驚きと悲しみです。
 しかも母親の苦しみを消す力が自分にはないことを自覚している……。
 お釈迦様へ相談する時の尊者の心は、私たちが大病に罹った親のために名医を訪ねる心境に似ていたのではないでしょうか?
 藁にも縋る思いです。
 もちろん、お釈迦様は偉大な聖者なので「きっと何とかしてくださる」と思ったかも知れませんが、案の定、「それじゃ私が助けてあげよう」といった単純な成り行きでは済みませんでした。

 僧侶たちが揃って供養するという点も見逃せません。
 因果応報の理によって生じている事態を動かすための新たな〈因〉は、並大抵のものでは追いつかず、祈りの力を結集しなさいということだったのでしょう。
 また、修行を終えた弟子たちに、慈悲心と法力の実践を命ずるという面もあったのでしょう。

 そして最後に付け加えておかねばならないのは、尊者も、他の行者たちも、決して尊者の親一人のためにのみ修法したのではないに違いないということです。
 神通力で観えたであろう餓鬼界の悲惨さや無惨さは到底、想像できません。
 その〈世界〉を目にした尊者も行者たちも、尊者の母親一人〈だけ〉を救おうとしたはずがありましょうか。
 取捨選択して誰かを見捨てるという姿勢ほど、非仏教的なものはありません。
 万人へ平等に救済の目を向けるからこそ仏陀(ブッダ…悟った者)であり、そこを目ざす行者たちもまた、仲間の母親とその他の餓鬼たちを差別するはずはないのです。
 お釈迦様に指導された行者たちはすべて、餓鬼界全体へ救済の真言を届けたに違いありません。
 それから約2500年が過ぎた今も、行者によって餓鬼界の方々へ同じ真言が手向けられています。
「のうまく さらばたたぎゃた ばろきてい おん さんばら さんばら うん」

 こうした施餓鬼供養を伴うお盆には、自分の家にまつわる御霊だけでなく、万霊をご供養する気持で手を合わせたいものです。
 特に、餓鬼のように〈飲めない、食べられない〉存在を想像する時、現実に餓えている人々や、病気に苦しむ人々への思いやりの心もはたらくことでしょう。
 お盆供養をないがしろにせず、御霊と通じることによって霊性を具えた人間であると自覚する貴重な時期を過ごしましょう。
 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2014
09.24

最強のクマムシと施餓鬼の話

2014092400052.jpg

 ラジオでクマムシという小さな虫について知りました。
 体長1ミリ前後で水中でも土中でも物陰でも生きられ、真空や乾燥や超低温や絶食でも大丈夫というのだから驚きです。
 しかも、街路樹の根元にある苔の中など、よく探せば、身近なあちこちで見つけられるのです。
 普段、あまりに小さくて視野へ入らず、いること自体が知られていないし、知ってもわざわざ探す物好きは少ないので、いるという認識は持たれていません。
 しかし、事実としては、確かにいるのです。

 さて、当山には、餓鬼へ施す施餓鬼壇(セガキダン)があります。
 餓鬼は存在が非情に希薄で、見えるともなく、見えないともなく、感じとれる人には「ここか」と心を澄ませばありありとわかる場合もあるというところでしょうか。
 因果応報の理によってこの世界へ堕ちれば、飲めず、食えず、それでいて口に入りそうなものをめぐって同類と争い、しかも、人間にとっては涼しい夏の月光で身体が焼け、温かいはずの冬の陽光で身体が凍えてしまうとされています。
 お釈迦様の高弟アーナンダが、ばったり出会った餓鬼へ食べものを施す方法をお釈迦様から授かったことにより、施餓鬼の修法が始まりました。
 当山では、お盆の時にだけ生ずるのではなく、いつも苦しんでいる餓鬼界の方々へ法を結んだ水や食べものをお供えするために、壇を常設しました。
 毎日、手を合わせ真言を唱えているうちに、最近では、施餓鬼幡のあたりで時折、微かにカサカサッと物音が聞こえるようになりました。
 意識を向けていなければあると気づかない餓鬼界が少しづつ感じとれるようになったのかと考えています。

 私たちの五官六根は所詮、何もかもを、どこまでもありのままにとらえられるわけではありません。
 もしも、目や耳や鼻などが今に比べて何百倍もの情報をキャッチできるようになれば、私たちは気が触れてしまうことでしょう。
 1キロ以上も上空から小動物を見分けるワシの目と、超音波を聞き分けるコウモリの耳と、水のありかを匂いでつかむゾウの鼻を持っては生きられないのです。
 適度な限界があるからようやく、一瞬の意識において一つの情報へ意識を集中させ、おちついて感じたり、考えたりできているのです。

 だから、私たちは普段、クマムシも餓鬼も見えず、日常生活上はいないに等しいのですが、実際はいるはずです。
 このことを知ったからといって何の得もないと言えるかも知れません。
 しかし、この世の成り立ちや流れは日常生活で見聞きする範囲だけではないと思い、想像力をはたらかせていれば、何らかの徳ある考え方や行動が可能になるかも知れません。
 たとえば今こうしている時も、エボラ出血熱で死に行く人々や、その治療現場へ向かう人々や、幹部の指令で殺すべき対象を探す「イスラム国」の戦士たちや、その幹部を爆殺しようとする軍人たちが確かにいるはずなのです。

 いつか、どこかの科学館にでも立ち寄ってみれば、クマムシを視認できるのでしょうか。




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2014
07.12

現れた餓鬼とアーナンダ ―お盆供養の心とは?―

201407120011.jpg

 お盆には、ご先祖様など、御霊供養に併せて、施餓鬼(セガキ)という供養も行われます。
 多くの場合、お盆の始まりとなった『盂蘭盆経(ウラボンキョウ)』についてのみ語られますが、施餓鬼の由来とされる『仏説(ブッセツ)救抜焔口餓鬼(グバツエンクガキ)陀羅尼経(ダラニキョウ)』についても考えてみましょう。
 この経典は、お大師様が唐から持ち帰ったものです。
 大まかなお話は以下のとおりです。

 ある時、お釈迦様の十大弟子の一人と称される阿難尊者(アナンソンジャ…アーナンダ)が、静かな場所で瞑想をしていました。
 アーナンダは、多聞第一(タモンダイイチ)すなわち、お釈迦様の説法を誰よりもよく聴いている弟子です。
 そこへ、焔口(エンク)という餓鬼が現れて言います。

「お前は三日後に死んで、餓鬼になるだろう」


 丑三つ時(午前3時から3時30分)に、口から炎を吐き、醜く枯れ細った姿で、喉は針の先のほどしかない餓鬼にこんなことを告げられたなら、普通の人は卒倒してしまうかも知れません。
 しかし、さすがに修行を積んだ仏弟子です。
 驚きながらも質問します。

「どうすれば苦難を逃れられますか?」


 この場面は、想像を絶します。
 もしも私たちが暗闇で餓鬼から声をかけられたならば、腰を抜かせば別として、とにかく、逃げ出さないでいられないことでしょう。
 しかし、アーナンダは正面から対応したのです。
 それだけでなく、どうすれば君のようにならずに済むかと訊ねました。
 常々、いかにお釈迦様の教えを信じていたか、その誠心がわかります。
 なぜなら、お釈迦様は、悪行(アクギョウ)による悪業(アクゴウ)が、地獄界、餓鬼界、畜生界という最も苦しみの深い世界へ堕ちると説かれていたからです。
 私たちとは違い、アーナンダは餓鬼界について想像力をはたらかせ、餓鬼を憐れみ、自他共にそこへ堕ちないようにと願いながら修行を続けていたからこそ、餓鬼から逃げなかったのでしょう。
 もしも、見かけただけなら、供養したに違いありません。
 しかし、ことは大変です。
 アーナンダ自身がもうすぐ餓鬼になる運命にあると告げられた以上、ただちに、何とかせねばなりません。
 ここで、お前のようにならないためにはどうすればよいか、と相手に尋ねたところも感嘆に値します。
 因果応報を深く信じていればこそ、一瞬にしてこう考えたはずです。
〝君がそうなったのには原因があるだろうし、君がそこから救われるための方法もあるはずだ。
 私がそうならないための方法だってあるに決まっている〟
 餓鬼は答えます。

「そのためには、餓鬼道など苦の世界にいるあらゆる者たちとバラモンへ飯食(オンジキ…食事)を施し、仏・法・僧の三宝を供養せよ。
 そうすれば、お前の寿命は延び、私は苦界から脱することができる」


 しかし、一介の行者であるアーナンダには大量の飯食はもちろん、お金もないので、お釈迦様へ救いを求めました。

「観世音菩薩のご加護を受ける秘密の呪文がある。
 一つの器へ食物を用意し、『加持飲食陀羅尼(カジオンジキダラニ)』を唱えて加持(カジ)せよ。
 そうすれば、食物は無限の量となり、すべての餓鬼は満腹し、限りない苦界の者達も救われ、施主は寿命が延び、功徳により仏道を証得できよう」


 指導されたとおりに実行したアーナンダは3日後も生きていたどころか、お釈迦様の最期を見届けるまで身の回りの世話を続けたのです。

 私たちは、この経典に基づき、ずっと、施餓鬼の修法を行ってきました。
 経典にある「陀羅尼(ダラニ)」は次の真言です。
「ノウマク サラバタタギヤタ バロキテイ オン サンバラ サンバラ ウン」
 また、唱えるべき如来の名号は以下のとおりです。
「南無過去宝勝如来(ナムカコホウショウニョライ)」
 貪りを離れ、悪業を清め、慈悲心を起こします。
「南無妙色身如来(ナムミョウシキシンニョライ)」
 餓鬼の醜さから離れ、美しい姿になります。
「南無甘露王如来(ナムカンロオウニョライ)」
 この上ない教えのご加護が心身を包み、喜びに満ちます。
「南無広博身如来(ナムコウハクシンヨライ)」
 針先のように細い喉が開き、飯食を自由に食べられます。
「南無離怖畏如来(ナムリフイニョライ)」
 餓鬼界の恐怖から逃れます。

 餓鬼は、気づきかれくい湿った暗がりにいるとされています。
 私たちは、キラキしいものばかりに目を奪われているならば、決して餓鬼に気づきません。
 私たちも、もしかすると三日後に死ぬ運命なのかも知れないし、そうであって何の不思議もありませんが、誰もそんなことに気づきません。
 目連尊者(モクレンソンジャ…モッガラーナ)が餓鬼界に堕ちていた母親を救った故事にちなむお盆供養と共に、ぜひ、施餓鬼の心も起こし、あの世とこの世とを問わず、苦界にある衆生へ供養し、慈悲の心を深めたいものです。




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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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2013
07.02

お盆供養会のご案内

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 今年も下記の要領でお盆供養会と施餓鬼(セガキ…恵まれない御霊方)法会を行いますので、ご案内申し上げます。
 もし、ご供養を希望される御霊がおありの場合は、どうぞお申込みください。
 もちろん、どこで眠っておられる御霊であってもご供養できます。
 どなたであれ、ご先祖様のない方は一人もおられません。
 無限の過去までさかのぼる「~家先祖供養」は万人にとって大切な、いただいたいのちへの感謝の第一歩であることを忘れないようにしましょう。
 戦争で亡くなった御英霊の供養はもちろん、大震災で犠牲になった方々のご供養も引き続き行いますので、「戦没者供養」あるいは「東日本大震災犠牲者供養」と書き、どうぞお塔婆供養をお申し込みください。

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 表の梵字(ボンジ)で「地・水・火・風・空」、裏の梵字で「識」を表すお塔婆(トウバ)は、モノと心にある宇宙の德をすべて集める供物です。
 御霊へ一体のお塔婆を捧げるのは、一本のバラの花へ百万本もの深い思いを込めて好きな人へ渡すことよりも重みのある尊い行為です。

 参加は自由ですので、どうぞお誘い合わせておでかけください。
 なお、午前9時30分に、地下鉄泉中央駅近くの『イズミティ21』前へお迎えの車がまいります。乗車を希望される方は、前日午後5時までにご遠慮なくお申し出ください。
 また、恒例となった隠形流(オンギョウリュウ)居合の行者による奉納剣は、み仏と御霊をご供養し、私たちへもご加護をいただく密教の秘法です。
 修法後、どうぞご覧ください。
 御霊の安寧と皆々様のご健勝とご多幸をご祈念申し上げ、ご案内といたします。合掌

20120815052(2).jpg




   
一  日    時  平成25年8月15日(木曜日)午前10時より
一  場    所  大師山法楽寺講堂 
一  お申込み方法  メールやファクスなどで、8月12日までにお申込みください。
一  捧げられるもの 塔婆
一  送られるもの  『廻向の証』
※  ご志納金は、皆様のご誠心に基づいてお納めください。
   郵便振替:02260ー3ー4604 宗教法人大師山法楽寺
   銀行振込:七十七銀行吉岡支店 普通預金5446007 宗教法人大師山法楽寺
※  修法したお塔婆を持ち帰り、それぞれのお墓へ立ててください。持ち帰らない方の分と、お骨がない先祖供養・東日本大震災犠牲者供養・万霊供養・戦没者供養などのお塔婆は、『法楽の苑』内、十三仏様のおそばへ立てます。
※  修法に距離は関係なく、当然のことながら、いずこの地で眠っておられる御霊のご供養も可能です。ご懸念なくお申し込みください。

《お施餓鬼(セガキ)とは》
 ある日、お釈迦様の弟子である目蓮尊者(モクレンソンジャ)が、神通力で亡き母親の様子を観たところ、生前、子供を思う一心でつい犯してしまった小さな罪のために、餓鬼道で苦しんでいました。
 驚いた尊者は早速お釈迦様に相談しました。
「夏安居(ゲアンゴ…夏の修行)の最終日である七月十五日(旧暦)に、できるかぎり多くの僧侶にお経をあげてもらいなさい。そして、心から供養をすれば、必ず救われることでしょう」との教えをいただいた尊者はさっそく実行し、母親は、無事、天上界に生まれかわりました。
 その後、ご先祖様や有縁無縁の諸精霊のために、この法が広く行われるようになりました。




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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2013
06.26

公開Q&A(その8)なぜご先祖様を供養するお盆に施餓鬼(セガキ)の修法も行うの?

20130626006.jpg

 この時期になると、毎年、決まってご質問をいただきます。
「なぜ、ご先祖様をご供養する時に餓鬼も供養するのですか?」
 供養の根本は相手を選ばない万霊(バンレイ)供養にあり、だからこそ、年忌供養の際にお供えする供養膳は目的の御霊用と無縁仏様用の二膳になるのですが、ここでは特に、施餓鬼について簡単に書いておきます。

 餓鬼とは、私たちが輪廻転生でへめぐる迷いの世界の一つであり、食べたいのに食べられない存在です。
 餓鬼界では、遠くに水があると思ってかけつければ、蜃気楼のように消えてなくなります。
 ようやく水辺にたどりつくと凶器を持った者に妨害されて飲めません。
 何とか水を飲もうとすると、今度は水が血膿などに見えて飲めません。
 ようやく喉を通そうとしても、今度は巨大な胃袋があるにもかかわらず喉が針のように細く、ほとんど腹の足しにはなりません。
 こうした餓鬼たちは互いに争い、傷つけ合いながら食べものを探し回っていますが、ようやく腹に入った糞尿などのごくわずかな食べものは火となって腹を焦がします。
 そして、夏には月光によって身体が焼かれ、冬には太陽によって身体が凍えてしまいます。

 死によって人間界を離れた御霊は、成仏しきれない限り、こうした餓鬼界や地獄界などを彷徨うしかありません。
 人間界も又、迷いの世界ですが、これほどまでは酷くなく、戦いの続く修羅界と、支え合わなければ生きられない人間界と、神々のおわす天界は三善趣(サンゼンシュ)と呼ばれ、もしも仏界へまでは上れなくとも、せめてそこへ転生できるようにと、供養の功徳をふり向けるのが私たちの務めです。

 ご先祖様を供養するお盆に、こうした餓鬼たちへ供養するのには三つの意義があります。
 
1 餓鬼界で苦しむ存在を見捨ててはおけない

 私たちは迷いの中にある限り、苦を背負って生きねばなりません。
 餓鬼界とは、苦が極限的状態であらわれている世界の一つです。
 私たちはそうした世界そのものを直接、目にはできなくても、み仏の子なので、そうした世界を感得することはできます。
 見聞きする人間界の現実は、苦の極まった先にそうした世界があることを想像させます。
 そして、心のアンテナを磨いていれば、人影のたえた夜の水辺などで、餓鬼たちがたむろしていることを感じとったりする場合もあります。
 飲みたくても飲めない、食べたくても食べられないこの世の苦界、そしてその延長にある世界を観れば、「できることをしたい」と思わないではいられません。
 だから、貧困に喘ぐ地帯へ支援し、施餓鬼の法会では供養のまことを捧げるのです。

2 もしも御霊餓鬼界へ行っていたなら救いたい

 我が身をふり返ってみれば、餓鬼になっても不思議ではない悪業(アクゴウ)を積み重ねてきたことがよくわかります。
 先に逝かれた方々もまた、この世にいた頃、自分同様の悪業を積んでいた可能性がないとは言えません。
 ならば、私たちの功徳の力で何とか救わねばなりません。

 ある時、お釈迦間の弟子を育てた母親が餓鬼界へ堕ち、自分の祈りだけでは救いようがないことを知った弟子が、お釈迦様へ相談したところ、夏の修行を終えた行者たちがうち揃って供養し、救おうと言われました。
 そして、その通り行った結果、母親の御霊は救い出されました。
 この教えが施餓鬼という法会の発端とされていますが、餓鬼界のみならず、地獄界、畜生界を含めた三悪趣(サンアクシュ)に堕ちているかも知れない御霊方を想像すると、供養の功徳でお救いせずにはいられません。

3 私たちの中にある餓鬼界へ向かう業を清める

 三悪趣はすべて、私たちの悪業がもたらす世界です。
 ならば、今、私たちが悪業を積むことをやめ、積んだ悪業を清めることが三悪趣をなくす根本的な方法です。
 餓鬼界同様、追いつめられる地獄界も、恩を忘れて喰い合う畜生界も、すでにこの世に見えています。
 餓鬼界など三悪趣で苦しむ御霊を供養する功徳は、そのまま、供養する私たちを清める善因ともなります。
 自らをふり返り、御霊のため、自分のため、そしてこの世からもあの世からも苦がなくなるよう、供養のまことを捧げたいものです。

 施餓鬼の供養会における導師の呼びかけに、こうした一文があります。
「汝(ナンジ)ら鬼神衆(キジンシュウ)よ
 我は今汝に供養を施す
 此の食は十方(ジッポウ)に遍し
 一切の鬼神ヘの供(ク)となる」
 導師が結ぶ印、唱える真言、届ける観想に皆様のご誠心も溶け込み、救いと清めのお盆供養となりますよう。




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