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2008
12.02

日本の歌 99 ─旅愁─

旅愁
  訳詞:犬童球渓 明治40年、「中等教育唱歌集」掲載

1 更(フ)け行く秋の夜、旅の空の
  わびしき思いに ひとりなやむ
  恋しやふるさと なつかし父母、
  夢路にたどるは、故郷(サト)の家路
  更け行く秋の夜 旅の空の、
  わびしき思いに ひとりなやむ

2 窓うつ嵐に 夢もやぶれ、
  遥けき彼方に まよう
  恋しやふるさと なつかし父母、
  思いに浮かぶは 杜のこずえ
  窓うつ嵐に 夢もやぶれ
  遥けき彼方に まよう


 原曲は、ジョン・P・オードウェイ(John P. Ordway)による“Dreaming of Home and Mother”(家と母を夢見て)である。
 東京音楽学校を卒業して音楽教師となっていた犬童球渓は、この曲と巡り会い、故郷を離れて各地を転勤していた自分の境遇と重なり合うものを感じたのだろうか。
 この歌には懐かしさ、侘びしさ、寂しさ、迷いなどがこめられているが、子供たちはそうした切実さを直截に受け止めず、むしろ旋律の清々しさや優しさに惹かれつつ唄っているのではなかろうか。
 微妙なアンバランスの原因は原曲にある。
 インターネットでみつけた、ある直訳である。

1 夢見る我が家 子供の頃を
  安らぎ目覚める 母の夢から
  遠いあの日々 遊んだ兄弟よ
  母と歩いた あの丘や谷
  夢見る我が家 子供の頃を
  安らぎ目覚める 母の夢から

2 身を伸べ目閉じ 静めて
  優しいあの声 偲びつつ待つ
  天使訪れ 夢見させてくれる
  なつかし我が家と なつかし母を
  夢見る我が家 子供の頃を
  安らぎ目覚める 母の夢から

 明らかに、この歌詞の方が曲の印象とバランスがとれている。
 同じ懐かしさでも、「旅愁」と違って、それが安らぎに通じている。
 訳詞された明治40年は、正月の気分もさめやらぬうちに東京株式が暴落して戦後恐慌が始まり、2月には足尾銅山で大規模な労働争議が起こっている。
 犬童球渓情と不安が増しつつある世相が「旅愁」に反映されたと観るのは深読みだろうか。

 いずれにしても、この歌はすっかり日本人のにとけ込み、日本の歌そのものになっている。
 歌の故郷アメリカではほとんど忘れられ、むしろ中国で好んで唄われているというから面白いものだ。

 さて、ここまで99曲について書きつつ気づいた。
 歌を唄うことは自分のを謳うことではなかろうか。
 歌を作った人の心と共鳴する心のある人は、その歌を好んで唄い、そこに自分の心を表している。
 聴く場合も同じである。
 聴きつつ、歌にある音叉と心にある音叉が共振している。
 共振が生じにくい歌は敬遠され、早く忘れられる。
日本の歌百選」に選ばれた作品は、多くの日本人にある音叉を共振させたのだろう。

 私などが、カザルスのチェロによる『鳥の歌』、サンタナの『ブラック・マジック・ウーマン』や『スムーズ』、あるいはダリの『記憶の固執(柔らかい時計)』や『宇宙象』を聴いたり観たりしていると動けなくなるのは、心の音叉が共振して日常生活の時間の流れと異なった流れに入ってしまうからなのだろう。
 美の力である。
 それは、ご本尊様を前にして法を結んでいる時に入っている時間の流れと、ある意味で共通している。
 美も法も、器世間(キセケン…外界)にあり、衆生の心という内界にあり、音叉を媒介として一如となる。
 密教で説く「而二不二(ニニフニ…二つであるようであって二つでないところに真実がある)」の世界である。

日本の歌百選」に選ばれた作品は、日本人の心によって作られ、日本人の心を創ってきた。
 それが思い出され、心に流れ、口ずさみ始める時、「而二不二」の真実世界が顕れる。
 いのちの本源へと通じる懐かしさや涅槃に通じる安らぎが膨らんでくるのは当然である。
 価値ある作品を大切にしたい。
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