〈河北新報様からお借りして加工しました〉
私たち人間は、人を殺すことの恐ろしさと罪悪感をよく知っている。
それでいながら、了解事項としての合法的殺人を行わずにはいられない。
それが、戦争と死刑である。
4月15日、イスラム教国イランから衝撃的な映像と忘れがたい記事が世界へ発信された。
ブログ「許された死刑 ―母親の平手打ち―」で紹介したできごとを、もう一度、考えてみたい。(「」内は記事からの引用)
「死刑囚の男は2007年にけんか相手を殺したとして、死刑判決を受けた。
公開処刑が決まり、15日朝、広場で黒い布で目隠しをされ、椅子を使った絞首台に立った。
しかし、被害者の母が集まった群衆に向け、男を許すとスピーチ。
絞首台に上がって男の頬を平手打ちすると、夫と共に男の首からロープを外した。」
「イランではイスラム法(シャリア)に基づき、被害者の家族側からの求めがあれば、刑の執行延期や軽減が認められる。」
被害者の父親は有名な元サッカー選手で指導者を務めており、被告は教え子の一人だった。
しかし、いかに師弟の関係であろうと、我が子を殺された親が公衆の面前で相手を赦すに至る過程でどれだけの葛藤があったか、第三者が想像することは不可能である。
そこを超え、いよいよ死刑というギリギリの場面で、父親も母親も、でき難い決断を行った。
共同通信社が提供した二枚の映像を観るたびに涙が滲み、忿怒や憎悪から離れられない人間が宥恕(ユウジョ…寛大な心で許すこと)という崇高な行為をなし得る事実に胸が震える。
上の写真は、死刑寸前の様子である。
男は何と叫んでいるのだろう。
「お母さん!」か、それとも「アラーアクバル!(アラーは偉大なり)」か。
正義を実現しようとする屈強な執行官の堂々とした風情が印象的である。
下の画像に写っている向かって左の女性は息子が赦されたばかりの母親、右の女性は被害者の母親。
息子は決して帰ってこないのに、自分の判断で殺人犯を生き延びさせてしまい、ただ、泣くしかない母親は哀れである。
息子がこのまま息をし続けられるようになった母親は何と詫び、何と礼を言えばよいかわからず、共に泣くしかない。
それにしても、母と子の何と似ていることだろう。
さて、今回のできごとには一つの背景がある。
「公開処刑前日にはテレビの人気サッカー番組で司会者が死刑回避を訴え、元イラン代表で国民的英雄のアリ・ダエイ氏も呼びかけに加わった。
罪を許した母は『私がどんな思いをしてきたかわかりますか』と群衆に訴え、死刑回避を求める圧力への複雑な胸中ものぞかせた。」
死刑回避は、イランでも一つの思潮として存在している。
我が子を殺された母親としては、憎い犯人を決して赦せない、しかし、夫の立場もあり、死刑回避という公な社会的要請もある。
どうするか、群衆の面前で決断が問われる。
その結果はどうなるかわからない。
こうした文字どおり胸が張り裂け、気が狂わんばかりの状態で、母親はついに、張り手を見舞った。
もしも我が子に同様のできごとが起こったならば、自分はどうするか、どうできるか?
僧侶である自分の判断は一つしかないが、応用問題が苦手な妻を説得できるかどうかは、その時になってみなければわからない。
私個人としては、こんなふうにしか思えない。
できごとの背景には、もう一つ、宗教がある。
宗教が社会を律する法にまでなっている文化圏にあっては、宗教的正義は法として実現し、法を通じて宗教的正義が貫かれる。
「目には目を」として、受けた苦しみ以上の罰を相手へ求めない文化だからこそ、被害者に赦す心があるのなら、加害者にも赦される範囲が生じるという考え方は、理の当然となるのだろう。
赦しが死刑の執行を止める文化と宗教があるということを、私たちはよく考えてみる必要がありはしないだろうか。
当山は、死刑囚の改悛と被害者側の宥恕によって死刑が回避できるよう願っている。
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8
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【現代の偉人伝】第141話 ─『裁かれた命』を書いた作家堀川惠子氏─
土本は「任期半ばの五十三歳で退職し、大学教授へと転身した異例の経歴の持ち主」である。
検事時代、一日の欠勤もなく、誰よりも早く出勤していた。
妻は言う。
「夫が検事になってから、〝馬車馬と豚〟の話は大げさではなかったことがすぐに分かりましたよ。
新婚生活なんてものはない、本当に馬車馬のような仕事ぶりでしたから」
土本が任官と同時に結婚した当時の職場では、「家庭に負けるな!」が合い言葉だったという。
堀川氏は土本から言葉を引き出す。
「死刑は法律が認めた、いわば国家による殺人と言ってもいい。
目の前で動いている、生きている人間を殺すことなんですから。
死刑は本来、究極の選択でなくてはならないんですがね……」
「あの死刑囚が処刑された後に遺族の方たちのコメントが新聞に載りましたね。
多くは早期の死刑執行に不満をうったえていました。
それは早期の死刑の執行そのものに反対するのではなくて、執行する前に反省させてほしかった、謝ってほしかったというものでした。
ご遺族の気持ちはもちろん理解できますが、それでも私はこの種の感情に簡単には同調できないんです。
死刑というのは、命を奪こと、つまり本来なら神さましかしてはいけないことを、法の名の下において人間がやっているわけですから。
それは単なる謝罪という次元を超えた最大の償いなんです。
命を差し出すのだからこれ以上のことはない。
それに対して謝罪してほしかったというのは本来、筋が通らない話です。
それほど死刑というものは重いものであるはずなのに、多くの人はそれを理解していない」
新聞では決してお目にかかれない正論に会った。
しかも、元検事の言葉として。
土本は生涯でたった一度死刑の求刑を行い、それは執行された。
裁判が終われば、裁判官も検事も、その後の被告人のことはわからないし「できれば知らないでいたいというのが本音」であり「忘れたい」ものだが、土元にはそれができなかった。
土元の記憶から消えることを許さないのは、昭和41年5月21日に発生した東京都国分寺市内で起こった強盗殺人事件の犯人長谷川武(22才)である。
2000あまりを奪い、無抵抗な主婦を殺した長谷川は手のかからない容疑者だった。
「少年のような面影を残す長谷川の従順な態度は、死刑という文字が常に頭のどこかにちらついていた土元の心に、何か割り切れないものを感じさせた。
出来れば、犯人はとうてい許しがたい悪漢であってほしかった」
半年後には地裁で死刑判決が言い渡され、5年後には死刑執行となった。
長谷川は、土元へ書いた手紙で「生まれ変わったならば」と言う。
「ぼくは自分が今までやってきた仕事をもう一度やってみたいのです。
ぼくが歩んで来た未知をもう一度、踏み返し、何処でどう間違ったか、納得のいく所まで自分自身、見極めたいのです」
長谷川は、何とか死刑を免れさせたいと願う周囲に反対し、母親へ控訴の取り下げを願う。
長谷川が7才の時、父親が都電に轢かれて死亡して以来一家は複雑な事情を抱え、ずっと苦しんできたにもかかわらず、こう書く。
「僕はこの二十三年間、母さんの御陰でとっても仕合わせでした。
母さんの仕合わせまでを僕がみんな頂いてしまったような気がします」
「僕はりっぱに自分の罪の償いを受けて見せますから、母さんは絶対長生きしてもらいたいのです。
長生きすれば今度こそ母さんにも絶対によい時が来ると思います」
堀川氏は思う。
「もし母親との関係が事件の動機にあったとすれば、それは裁判の審理で取り上げられるべき事実であった。
たとえ母親が周囲からどう思われていようと、どんな仕事をしていようとも、もし彼自身が愛されていることさえ確かめることが出来ていたならば、ほんの一度でもその胸に飛び込むことが出来ていたならば、この事件は起こらなかったかも知れない。
しかし、地裁から最高裁まで三度にわたる判決の中で、長谷川を包んだであろうさまざまな思いには一度もふれられることはなかった。
事件の動機はただ『金欲しさの犯行』という短い言葉で切り捨てられた」
高校へも行かず「娑婆に居た時は、勉強などした事、御座居ません」という長谷川は、新聞の死刑論議に疑問を持ち、弁護士へ吐露する。
「あの新聞記事でぼくら○○○には教育改善のほどこしようがないとありましたが、たとえ死刑の判決を受け、〝死〟がすぐ目の前、足許までせまっていたとしたって、何かほどこしようはあるはずです。
またそうでなければ死刑なんてものは本当の意味で意味がない様な気がするのです。
○○○が最後で何かを呪う、そんな気持で終わって行く○○○がいたらどうでしょう。
こうやって生命を与えられている間、生かされている喜びを味わい、一日一日をいとおしんで、そして何よりも大事なことは、ぼく自信が立ち直り、其の立ち直ったぼくのすべてをもって償いの一部にかえさせて頂くのが、せめてものぼくの残務だと信じておるのです」
「犯罪者の誰もが罪の意識を持ったのなら、被害者の気の済む様なお詫びをしたい、と一度は考えることと思うのです。
でも皆、それをやりたくても出来ないで悩んでいる者が多いかと思うのです。
このぼくだって、自分の邪念を捨てて被害者の遺族の方方の気の済む様なお詫びをさせて頂きたい。
それで憎しみがいくらかでもやわらぐものなら……。
ぼくはこうやって猶予して頂いていることが非常に辛い……」
僧侶である元教誨師は「それが長谷川だったかどうか明言できないが」と慎重に前置きをした上で、最期についての記憶をたどる。
「青年は落ち着いていましたよ」
「母親は、わが子を死刑に追いやったのは全部、自分のせいだと、この子は悪くない、悪いのはすべて自分なんだと半狂乱でした。
時間がきても母親は息子を放そうとしない」
ラーメンと寿司を食べた長谷川は「寝ずに手紙を書いた」らしい。
土元への手紙である。
「検事さん、逝く時が来ました。
検事さんには 長い間 ご心配かけました。
残念ながら時間がありませんので、最後のご挨拶だけにとどめます。
検事さんの、あの暖かいまなざしは、最後の最後まで忘れません。
それでは これで 失礼します」
土元はすぐに電話をかけた。
極めて異例にも、東京拘置所へである。
幹部から短い答が返ってきた。
「長谷川武は、数日前に執行しました」
「従容として逝きました──」
土元は44年間、自分の求刑とその結果に向き合い、結論を出した。
「当時、取り調べのときにも、彼が自らの罪を悔いていることは感じなくはなかった。
しかしあの時の私は、そこまでの彼の深い気持ちに思いを致すことは出来なかった。
あの時、私が彼に人間として向き合い、彼を包んでいた環境に思いを致し、彼の背景事情の中にあるものとして事件を取り扱っていれば結論は変わっていたかもしれない。
──もう、今となってはとりかえしがつかないことですが……」
堀川惠子氏は、土元からこの言葉を引き出しただけでなく、長谷川一家の一人一人について丹念に調べ、記している。
労作が広く読まれることを願う。
罪と罰といのちと死刑制度を考えるすべての人々に。
〈おかげさまで、今年最後の例祭を無事終えました。善男善女の願いを書いた護摩木は聖火となりました〉
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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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米同時テロから10日経った平成13年9月21日の正午近く、ライス・ブイヤン氏(当時27歳)は、「どこの出身者だ!」という声を聞くと同時に銃撃され、いのちはとりとめたものの右目を失った。
務めていた給油所でのできごとである。
縦断の破片が30個以上残った頭は、IT技師となった今も痛む。
事件後、恐怖から外出できない時期もあったが、「不思議と犯人への怒りはわいてこなかった」。
同時テロに怒った白人死至上主義のマーク・ストロマン(当時31才)は、ライス・ブイヤン氏以外にも南アジア出身者2名を襲って殺害し、逮捕された。
バングラディシュ出身のイスラム教徒ライス・ブイヤン氏は、法廷で「私こそ真の米国人だ」と主張する被告を哀れんだ。
「無知ゆえの犯行」と考えたからである。
8年後、犯人マーク・ストロマンの死刑が確定した。
報道で死刑囚の反省ぶりを知ったこともあり、「彼のいのちを奪うことで社会から憎悪がなくなるのか」と考え、「彼を生かし、その声を広めることが再発防止への道だ」との結論を得たライス・ブイヤン氏は、減刑を望んだ。
平成23年末には署名運動も起こし、1万人もの署名が集まっただけでなく、殺された被害者二人の遺族もまた運動を支援した。
その一人であるパキスタン人の妻は言う。
「犯人への怒りから戸惑いもあったが、自分のつらさをこらえて憎悪の克服を説くライス氏の謙虚な姿に心を動かされた」
平成23年6月死刑囚からライス・ブイヤン氏へ手紙が来た。
「あなたは私の人生最大の希望を与えてくれた」との「丁寧な文面に、涙が止まらなかった」。
「あなたがしてくれたことに感謝している」
7月20日午後4時過ぎ、米テキサス州オースティンの裁判所近く。
ライス・ブイヤンさん(37歳)は、自分を撃った男の言葉を確かに聞いた。
同州ハンツビルの獄中から電話してきた男の名はマーク・ストロマン(当時41歳)。
死刑執行が当日夕刻に迫っていた。
必死に返す言葉を探した。
「僕は怒っていない。
ありがとう」。
たった5秒の最初で最後の会話だった。
電話の後、ブイヤンさんはオースティンの裁判所で証言台に立ち、死刑の延期を訴えた。
「彼に会いたい。
人間としての彼の心とつながりたい」
だが、上級審の命令で審理は停止に。
夜8時半ごろ、薬物注射で刑が執行された。
ライス・ブイヤン氏は、マーク・ストロマン元死刑囚の言葉を人づてに聞いている。
「世界の憎悪を断ち切らなければならない。
憎悪は一生の痛みとなる」
そして思う。
「彼も同時テロの犠牲者だったのだ」
今、ライス・ブイヤン氏は人権活動を行い、紛争地での和平仲介をも夢見ている。
「憎悪をなくすことはマークとの約束」だからである。
ブログ「怒りと憎しみの違い」(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-2830.html)へ書いたとおり、憎しみが悪であり自他を破壊する強い煩悩とされているのは、他を害する意識が潜んでいるからである。
害されることを望む人もいきものもいない。
誰しもが望まぬことを行うのは、まぎれもなく悪である。
自己中心的意識によって互いを害し合う煩悩を抱えた私たちは、それが自他共に「一生の痛みとなる」結果をもたらすことから目を背けないようにしたい。
そして克服したい。
憎悪が起こさせる行動は、互いを「犠牲者」にしてしまうからである。
マーク・ストロマン元死刑囚も、ライス・ブイヤン氏も、究極の犠牲者としてそのことを私たちへ訴えている。
心深く受けとめたい。
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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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仏法(密教)の意義、仏法のはたらき、仏法の救い、仏法の導きです。
「この法たるやすなわち仏の心(シン)、国の鎮(チン)なり。氛(フン)を攘(ハラ)い祉(サイワイ)を招くの摩尼(マニ)、凡を脱れ聖に入るの虚径(キョケイ)なり」
(この法こそが、仏の要である。
この法こそが、国の鎮めである。
この法こそが、災いを除き福を招く宝珠である。
この法こそが、悟りを開く近道である)
1 密教は、仏の要、根本、心髄を説く。
密教は、悟りの世界、救済の世界、真実の世界、そうしたものをそのまま説いています。
マンダラには究極の根本仏である大日如来も、その顕れである観音菩薩などのみ仏方も、神々も、鬼も描かれています。
神や鬼だからといって排除されていません。
真実世界において救われない者はなく、神も鬼も一緒になって円満な真実世界をつくっています。
最近、当山の信徒Aさんがなくなり、さまざまな事情によって、弟さんであるBさんがご葬儀の一切をとり行いました。
もちろん、当山の修法でお送りし、ご供養しました。
すべてが終わった後で、Bさんは言われました。
「私は神道で、おりおりの祈りを欠かしません。
しかし、兄はこちらの教えを深く信じており、こちらでは他の宗教宗派も尊んでおられるので、兄の気持を尊び、私どもも納得してお願いしました。
本当にこれで良かったと、家族一同安心しています。
私が学んでいる宮司さんは、神道でお送りする際に、ご参詣の方々のためのお焼香台をきちんと用意するので、神道でない方々もまったくこだわりなくご参列されます。
今回、私も兄の形見の数珠を手にしてお焼香しましたが、修法の世界に入れていただき、ただ、ありがたいだけで、何の違和感もありません。
家族や一族は、神道の行事にも仏教の行事にも揃って参加し、仲良くやってきました。
これからも、このようにありたいと願っています」
世界中で、宗教の違いが差別はもちろん、殺人に至るほどの決定的な対立をもひき起こしており、大量虐殺や戦争になるケースすら山ほどあります。
宗教と軍隊、あるいは宗教と政治、あるいは宗教と経済が一緒になって世界制覇をもくろむ動きも絶えません。
そうした中で、互いを尊びつつ仏教と神道が共存する日本のありよう、宗教が慣習や年中行事へ自然に溶けこんだ日本のありようは、世界が真の平和を目ざすための究極のモデルであると確信しています。
この精神風土は、高野山を拓く際にまず神社を造ったお大師様の教えが基盤となっているものと思われます。
お大師様へ帰依した嵯峨天皇が「薬子の変」の後、西暦818年に死罪(死刑)を廃止してから保元の乱によって源為義が首を斬られるまで、347年間にわたって死刑が行われなかったのは世界史的にも奇跡と言われていますが、密教を中心とする仏法の果たした役割は大なるものがありました。
認め合い、許し合い、排除しない、そして、万人に共通する絶対の安心を求める姿勢はガンジーにもあったし、これほどの状態になってなお中国共産党を敵視せず、「お互い共通の問題を、話し合いで解決しよう」と訴え続けるダライ・ラマ法王にもあります。
ネルソン・マンデラも、白人と黒人という絶対的な違いと思われていたものの根底に通じる真実を信じていたからこそ、アパルトヘイトを打破できました。
ノーベル平和賞を受賞したおりのスピーチです。
「この賞によって世界中の活動家たちが貧困に囚われた人びとのための希望の明かりを灯す手助けになればと願う。
奴隷制やアパルトヘイトのように、貧困も自然現象ではない。
貧困をつくり出し、苦しむのも人びとであり、貧困を克服するのも人びとなのである。」
お大師様は、宗教と思想のすべてを解き明かした論書で述べられました。
「仏法を知らない者は、蜃気楼のような現象世界が実在であると思って執着し、眼の前にあるものによって右往左往させられ、自分で苦を招いている。
天界も地獄界も、自分の心がつくり出したものであることに気づかない」
お互いの心の底に共通している霊性を信じ、そこに立つ方法を学び、この世がマンダラの真実世界であることを多くの方々に実感していただきたいものです。
「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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第一番目は殺人事件についての裁判です。
さて、当山は、死刑制度について、「今の日本の社会にこの制度があることはやむを得ない面があるが、死刑囚が真人間に生まれ変わったならば罪一等を減じ、合法的殺人を回避する道を開くべきである」と考えています。
それは、人間は仏性を持ちながらも〈過ち得る者〉であり、哀しい人間の最終的な救済は本人の生まれ変わりと周囲の赦しにしかないと考えるからです。
死刑の執行は、〈過ち得る者〉に対する〈過ち得る者〉の殺人であり、刑務官にとっては最も辛い仕事です。
だからこそ、首にロープをかけられた死刑囚の床板を開くボタンを押す刑務官は複数おり、刑檀室の見えない部屋で待機し、送られる合図によって同時にボタンを押すので、誰が死刑を執行したか判らない仕組みになっています。
いかなる凶悪犯も真人間に生まれ変わり、社会が生まれ変わった犯人を許せるにようになった時、私たちは初めて死刑という桎梏から解き放たれ、戦争と並ぶ〈最後の野蛮〉を解消することができるのではないでしょうか。
その可能性は、人間がすべて仏性を持ちそれを開顕できるのかという問題と、社会が、特に被害者や関係者が犯罪者をどこまで許せるかという問題にかかっています。
この稿では、前者について考えてみます。
古来、仏教界では一閳提(イッセンダイ)が議論されてきました。
み仏に救われ得ない人間がいるかどうかということです。
「決して真人間になれない人間はいるのだろうか?」と言い換えることもできます。
犯罪者、あるいは小説や映画の登場人物、もしくは知人などを考えると、どうしようもない、救いようのない人間は確かにいそうですが、大乗仏教では救われる可能性の閉ざされた人間はいないとされています。
それは、「人間には、必ず仏性という成仏の原因が具わっている」と経典が説いているからです。
本当にそうでしょうか?
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