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2007
04.02

清めについて ―「恋人にふさわしい人」になりましょう―

 修法の最初に木の棒を水へ入れて行う作法があり、よく「何をしているのですか?」と訊ねられます。



 水は洒水(シャスイ)、棒は散杖(サンジョウ)と言います。

 修法の目的は、み仏のご加護をいただく聖水をもって清めることです。

 清める対象は、まず自分自身の心であり、衆生の心であり、捧げる供物であり、み仏にまつわるものであり、特定のモノであり、特定の人でもあります。



 清めるとは、祓い除けるのではなく、本来の姿を取り戻させることです。

 この世には、何一つ、不要なものはありません。

 なぜなら、すべてのものがあるから世界は成立しているのであり、たとえ木の枝で啼いているウグイス一匹であっても、時を刻む時計のように正確にはたらいている天地の摂理がもたらす因と縁の結果だからです。

 世界はみ仏の掌で展開するマンダラであり、密教のマンダラには、み仏も鬼も描かれています。

 

 また、煩悩といえども、断ったり消したりすべきものではなく、正しい意欲へと昇華させれば良いのです。

 例えば煩悩の一面である食欲の旺盛な人は生命力が強く、名誉欲の強い人は社会へ関わる力が強いものです。

 煩悩としての食欲を野放しにすればいずれは病気を招きかねず、名誉欲を野放しにすれば人格が卑しくなり、気ままな行動で潰される被害者が出ることでしょう。

 しかし、強い生命力や社会へ関わる力が正しい目的のもとにはたらくならば、自分の人生が活き活きとするだけでなく、世のため人のためになる善行をたくさん行えることでしょう。

 こうした転換をもたらそうと行われるのが清めです。

 だから、当山ではお祓いをしません。除霊もしません。

 穢れたものや悪しきものを、清らかなものや善きものへと変えるのです。

 自分にとって嫌なものをどこか遠くへやってしまおう、あるいは消してしまおうとするならば、自分だけが助かれば良いという我欲による願いであり、正しい願いではないからです。



 最近、恋敵が自分の恋人へ近づかないようにして欲しいというご相談がありました。

 X子さんは、自分こそがY夫さんの相手としてふさわしいことと、恋敵がふさわしくないことを山ほど並べ立てられましたが、私はこう申し上げました。

「貴女がY夫さんを真剣にかけがえのない人だと思うのならば、最も大切なことは何ですか?

 Y夫さんの幸せではありませんか?

 それならば、貴女の願うべきことは、第一にY夫さんの幸せであり、第二に自分がY夫さんへ幸せをもたらされる女性になることであって、それがすべてです。

 結果がどうなるかは、Y夫さんの心にまかせるしかありません。


 人を幸せにするものは、我欲による愛ではなく、相手を思いやる慈悲です。

 愛が裏返った感情によってZ子さんを憎んだり恨んだり、排除しようとしたりすることが、Y夫さんへ幸せをもたらされる女性になるために必要なのかどうか、よく考えてみてください」

 恋は盲目でなかなか納得されませんでしたが、約一時間の後、X子さんはついに決心し、Y夫さんの仕事がうまく行くよう祈願を申し込んで帰られました。

 誤った方向へ行きそうになっていた欲が、自分を高め、相手を幸せにしようとする願いへと昇華したのです。




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