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2016
11.09

四国で猫に会い、亀に会う

 四国霊場巡拝している。

○捨てられた猫

 37番札所岩本寺を過ぎ、金剛福寺へ向かう途中のドライブインで、ほっそりした猫に出会った。
 軒下で毛づくろいをしていたのは、白と薄茶色の若い雌猫だった。
 毛足の長い背中はさっきまでの雨に濡れ、やや狐顔のまなざしは、いかにも空腹そうに見えた。
 ゆっくり近づき、しゃがんで頭を撫でるとゴロゴロ言いながら身体を擦り付けてくる。
 やはり、捨てられた猫なのだ。

 餌になりそうな食べ物も持っていないので、「しっかり生きろよ」と声をかけてジャンボタクシーに戻ろうとしたら追いかけてくる。
 かわいそうだが振り切って乗り込むのを見た彼女は、隣に停まっている白い乗用車の下へもぐり込み、長めのしっぽがするりと消えた。
 それが永久の別れとなった。
 車中から一部始終を眺めていたらしいAさんは言う。
「捨てるくらいなら。飼わなければいいのにねえ」
 小生は応えた。
「そうですが、やむにやまれないケースもきっとあるんでしょうねえ」

 昼食時に潮騒を聞きながらうどんを食べている時、彼女を思い出した。
“誰かに餌をもらっているだろうか”
 宇和島駅前のホテルで夕食を食べ終える頃、一階のレストランから見える街路を急ぐ女子高生の白い傘が視界を流れ、またもや彼女を思い出した。
 不憫さに胸が詰まり、言葉も詰まった。
「━━あの猫はどうしているんでしょうか……」
 誰もが口をつぐんだままだった。

○現れた

 ジョン万次郎の巨大な銅像と道路をはさんだ向かい側に、目立たぬ宝篋印塔と、それを取り囲むさほど大きくない池がある。
 渡海僧の碑だ。
 その昔、手漕ぎの小舟で、遥か西方にある補陀洛浄土(フダラクジョウド)を目ざす渡海が試みられた。
 助手は神の遣いである

 一人の観光客もいない池を見つめていたら大きな野鯉が二匹、やってきて、背中を水面より高く出し、すばやくUターンした。
 続いて、30センチほどもありそうながゆっくりと頭を出したかと思う間もなく、水中へ没した。
 あとは、どんよりと雲の垂れる空の下、暗い水面が静まり返るだけだった。

 渡海僧は確かにと会い、に連れられて行くべきところへ逝ったのだろう。
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2016
10.13

弥勒菩薩と未来

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 み仏はどなたも独特だが、お大師様が最期にその浄土を目ざされた弥勒菩薩(ミロクボサツ)の独自性も際立っている。
 お釈迦様が入滅されてから56億7千万年後に、この世へ下生(ゲショウ)して、まだ迷っている生きとし生けるものを、6万年かけて救い尽くされるという。
 50億年と言えば、太陽の寿命に近い。
 だから、未来仏(ミライブツ)や当来仏(トウライブツ)とも称される。

 その徳を讃歎する経典にはこう説かれている。

「そもそも弥勒(ミロク)の真言は○他を縁として菩提(サトリ)への〇修行を成就(カンセイ)する願と○利他を縁とす大いなる○乘(クルマ)にこの世の人々を○乘せて生死(ショウジ)の海度す○菩薩(ボサツ)の本誓(チカイ)を表象(シメ)すなり。」


弥勒菩薩の真言は、他者を自分と差別せず、苦を抜き、楽を与えたいと思う誠心によって、まっとうな人間になろうとする自分の願いを成就させ、同時に、他者を救うための大いなる教えという乗り物に皆を乗せ、この世の苦と迷いとを脱する手助けとなる菩薩本来の誓いを示している)

 私たちは、お釈迦様が2500年前にはっきりと指摘した勘違いや迷いから抜け出られていない。
 相も変わらず自己中心的に欲を膨張させ、正しい制御法と転換法の実践に取り組んではいない。 
 資源を食い潰しつつ寿命を伸ばしはしたが、環境が破壊される中で、生きる人々は増えたので、世界的な苦の総体が減っているとは到底、思えない。
 ついには、核というモンスターを生み出し、それを世界規模で統御する手段がないという危機的状況に陥った。
 古代ギリシャでは、廷臣ダモクレスにその幸福を讃えられたディオニュシオス1世が彼を王座に座らせ、頭上に抜き身の剣を頭髪で吊し、他者からは気づかれにくい権力者の危険性を説いたが、そうした故事に学んでいると思える権力者は少ない。
 そして、私たち自身もまた、核が〈ダモクレスの剣〉であることをどれだけ認識しているか極めて憂慮すべき状態であると思う。

 日本に住む人びとが広島・長崎で惨禍を体験しただけでなく、世界を幾度も破滅させるだけの核兵器が世界中に配備され、幾度もの原発事故にもかかわらず、日本を初めとした国々が核発電に走ってなお、ダモクレスの剣を感じとれないのだろうか。
 福島第一原発はもちろん、ロシア・アメリカ・チェコなど世界中で深刻な事故が相次いでいるのに、脱原発に舵を切った国はドイツ他わずかな国々しかない。
 平成16年、美浜原子力発電所が事故を起こし、福島原発と同じ水蒸気爆発で死者5名を出したことなど、もう忘れ去られている。
 あの時は不幸中の幸いで放射能漏れには至らなかったが、もしも北方から風が吹く時期に放射能が漏れたならば、京都も名古屋も、もちろん琵琶湖もアウトとなろう。
 机上の話は別として、膨大な住民はいったい、どうやってどこへ逃げられると言うのか?
 小生は、福島原発の事故に際して、〝自分たち夫婦と父親は逃げない〟と覚悟した時の気持を忘れられない。
 恐らく、東北に住む人びとの多くは、まだ、あの時の思いを捨てないでいるはずだ。
 だからこそ、東北の人々には、広島・長崎の方々と並んで、声を挙げ続ける歴史的使命と責任があると信じている。

 お釈迦様は、弥勒菩薩の救いを説き、それを信じたお大師様はその浄土を目ざし、私たち信徒もまたその教えを信じて人類の未来を想う。
 生きものの世界がある限り、生存環境を意識的に、かつ劇的に変え得る能力を持つ人間には、生存に適した環境を保つ責任がある。
 今、生きている人間には、まっとうな環境をバトンタッチしつつ死んで行く責務がある。
 責任、責務に生きてこそ、人間は人間たり得る。
 
 弥勒菩薩もその浄土も畢竟(ヒッキョウ)、私たちの心にある。
 心を澄ませて想像し、観想し、「おん まいたれいや そわか」と真言を唱えるところに感得の機会が訪れる。

「その真言の効験(コウケン)を○ただ誠心(ヒタスラ)に信念し○弥勒菩薩(ミロクボサツの御心(ミココロ)に○帰依(キエ)し委(ユダ)ねて憑(タノ)むなら〇この尊われらにこの世での○無上の救いと利益(シアワセ)を○必ず与え給(タモ)うなり。」


 弥勒菩薩を感得し、この世に浄土を保ったままで次代へ渡せるかどうかは、私たちの一心にかかっている。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





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2016
06.14

どう死ねばよいか ─密教の心がけ9つ─

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 いかに死ぬかは、人生最後の大問題である。
 漫然と生きていれば、苦しみのうちに漫然と死ぬしかない。
 最期の迎え方について、興教大師(コウギョウダイシ)は9つのポイントを説かれた。
 約880年前、聖者はどう旅立たれたか……。
 大意をわかりやすく述べてみたい。

1 身命を惜しむ用心

 寿命が尽きそうだと確信できないうちは、身命をおろそかにしてはならない。
 み仏へすがり、医療の助けを受け、安身延命(アンジンエンミョウ…身体を楽にしていのちを長らえる)をはかる。
 ただし、いたずらに〝長生きしたい〟と執着するのではなく、悟るべきところをきちんと悟るためにこそ、未熟な身を大切にしたい。

2 身命を惜しまない用心

 もはや、死に呑み込まれそうであると覚悟したならば、延命をはかるよりも、心に抱くべきものをきちんと保ちたい。
 昨日、誰かの家で死人が出たと思っていると、今日は死が我が身へ訪れるものであり、こう観想したい。
「この世のありとあらゆるものは、夢、幻、泡、影、露、雷光のように儚い」

3 娑婆を離れる用心

 生きるために用いてきた場所から、死を迎えるために用いる場所へ移りたい。
 それができなければ、剃髪(テイハツ)して仏道に入るか、もしくはそうした心持ちで娑婆のことごとを離れる。
 お釈迦様が城を出て悟りを開き、お大師様が瞑想に入って即身成仏(ソクシンジョウブツ…この身このままで、み仏の真姿と成っていることを顕わにする)を完成させたように。

4 ご本尊様に導かれる用心

 北枕に横臥して顔を西へ向け、信じるみ仏のお像を正面に置き、その手から5色の糸を伸ばし、自分の手でつかむ。
 西方浄土へお導きいただくための準備である。
 お香を焚いてご来迎を待つ。

5 業障(ゴッショウ)を懺悔(サンゲ)する用心

 懺悔(サンゲ)、滅罪などの印を結んだり、真言を唱えたりする。
 あらゆるものは空(クウ)であるとする阿字(アジ)の教えを念ずる。
 それによって、仏性(ブッショウ)を覆い隠す業障(ゴッショウ…悪しき行為の影響力による成仏の障碍)が消え、阿字の世界へ向かうことができる。

6 悟りを求める決心をする用心

 生きとし生けるものと自分は一体であり、それらの苦を抜き、それらへ楽を与えたいと願う。
 いかなるレベルの心もすべて、即身成仏(ソクシンジョウブツ)へ収斂(シュウレン)されることを認識する。
 阿字観(アジカン)に集中して、貪り、怒り、愚かさの雲をうち払い、満月のような仏心を輝かせ、阿字と一体になる。

7 極楽を観念する用心

 極楽浄土は遙かな彼方にあるのではなく、最高の安楽は即身成仏(ソクシンジョウブツ)するこの場に在る。
 気づけばたちまち阿弥陀如来の浄土に入り、そこはそのまま大日如来の無限で永遠の世界である。
 自分はもう極楽の住人に他ならない。

8 最期の時を迎える用心

 瞑想に入ったままで旅立つよう願う。
 僧侶は不動明王の結界を張り、天魔外道(テンマゲドウ)を近づけず、悪鬼邪神(アッキジャシン)の妨害を退ける。
 死に行く人の吸う息と共に、み仏のご加護が加わって清められ、最期に吐く息と合わせた修法によって成仏できるが、しっかりとした瞑想に入っていれば、僧侶の手助けがなくても苦から離れ、安心世界へ旅立てる。

9 没後供養の用心

 もしも、旅立った人の即身成仏(ソクシンジョウブツ)が確信できなかった場合は、あの世の苦から救うために追善供養を行う。
 この世の苦が耐えがたいことを知っている者は、あの世の苦もまた耐えがたいと想像できる。
 あの世で成仏できた御霊は、必ずこの世の人々を救う。




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「おん あらはしゃのう」
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2015
11.02

志と生き方の共有 ―今月の聖語─

 お大師様は説かれました。
「古の賢人は、人と会うことを必ずしも貴ばない。
 大切なのは、いかに遠く離れていても、固いと生き方を共有していることである」
 
原文です。
「古人面談を貴ばず
 貴ぶ所はを同じくするに在るのみ」

 お大師様の時代は今と違って、お互いの意を確認する手段としては、面と向かうか、それとも手紙でやりとりするしかありませんでした。
 もちろん、電話やネットはありません。
 こうした環境にあって、遠方にいる人と会うことの重みは、今の何万倍もあったはずです。
 それでもなお、それほど重要な〈面談〉の価値よりも、と生き方の共有はずっと貴いのだと説かれたのです。

 おそらくお大師様は、他心通(タシンツウ)という他者の心を知る力を具えておられたでしょうから、会わなくても肝腎な相手との通じ合いは行っておられたものと思われます。
 とは言え、天皇や高官とはどうしても会わねばならぬ状況がたくさんあったので、都と高野山の往復は長く続きました。
 お大師様は入定(ニュウジョウ…瞑想状態に入ったままになること)される6日前、弟子たちへ「吾れ永く山に帰らん」と〈その日〉を宣告されました。
 そして、自分が旅立ったあとは、仏法僧の三宝がお前たちを守るので悲嘆にくれず修行を続けよと説かれました。
 自分とはもう会えなくなるけれど、自分は〈このまま〉弥勒菩薩(ミロクボサツ)の浄土へ行ってお前たちを観ているし、と生き方はバトンタッチされているのだから、迷うことはないぞ、と叱咤激励したのです。

 事実、私たちは今でも、「南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)」の御宝号をお唱えすると、お大師様との通じ合いを感得できます。
 面談は叶わなくとも、を同じくしているからでしょう。
 今日も、それを信じる善男善女が四国の霊場を歩いています。
 当山の「みやぎ四国八十八か所巡り道場」は何としても完成させたいと念じています。

 そうそう、「と生き方の共有」とは、何も、お大師様のように活躍し、山中に籠もることを意味してはいません。
「私たちは皆、み仏の子として尊い霊性を共有しており、それを確認するために、身体と言葉と心とをできるだけ、み仏へ合わせて行く努力をする。
 そうすれば、その人なりに、み仏の子らしい人生になると信じて精進する。」
 これだけのことです。
 どうでしょう。
 共有できそうではありませんか。




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2015
01.08

第五十九回寺子屋『法楽館』 ─阿弥陀如来と光明真言のお救い─

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 平成26年8月9日の「第五十四回寺子屋法楽館』」において「懺悔と救い」と題し、短いテキスト『安心章』についてお話ししましたが、今回は、12章に分かれた詳しいテキストについて、わかりやすいお話と自由な質疑応答などを行います。

・日   時:平成27年1月10日(土)午後1時30分より3時30分まで
・場   所:法楽寺講堂
・ご志納金:千円(中学生以下は五百円)
・送   迎:午後1時に地下鉄泉中央駅そばの「イズミティ21」前から送迎車が出ます。乗車希望の方は、必ず前日午後5時までに電話などにてお申し込みください。

 今回は『安心章』の第四章から第五章まで、簡単に記しておきます。

4 弥陀(ミダ)本誓(ホンゼイ)

 阿弥陀如来は、根本仏大日如来のおはたらきの一部を受け持たれ、この世で祈る私たちをお救いくださるのみでなく、死者を極楽浄土へお導きくださる主尊でもあります。
 大日如来を中心とし総体とする四仏のうち、西方におられ、私たちがそれぞれ異なる唯一の生を生きているさまをご覧になられます。
 無料寿如来(ムリョウジュヌオライ)とも呼ばれるのは、無始無終、永遠に説法しておられるからであり、誰でも、どこでも、身口意(シンクイ)を一つにして祈るならば、その時、その場で救われます。
 智の世界を示す金剛界のマンダラにおける阿弥陀如来は、存在するものの違いを見分ける徳を司り、理の世界を示す胎蔵界のマンダラにおける阿弥陀如来は、悟りを証する徳を司ります。

 阿弥陀如来を念ずる道は3つあります。
 一つは、応身(オウジン)の念仏といい、安心などを求めるこの世における私たちそのものの立場で祈ること。
 もう一つは報身(ホウジン)の念仏といい、悟りを開いて極楽浄土の主となられたことを信じて、その世界を目ざし、祈ること。
 もう一つは法身(ホッシン)の念仏といい、阿弥陀如来そのものを表す真言と一体になり、ただちに浄土の住人となること。

 阿弥陀如来の説法は自由自在です。
 まず、言葉の意味を知り尽くしておられます。
 また、仏界の教えを知り尽くしておられます。
 また、いかなる種類の言語も知り尽くしておられます。
 そして、願いに応じた救いとして最も適切な言葉を選べます。

 阿弥陀如来はいつも私たちの無明(ムミョウ)、煩悩(ボンノウ)を打ち砕く言葉をもって説法しておられるので、私たちが至心にその真言を唱えれば、必ずや智慧と慈悲の光明が心に射してくることでしょう。
 大切なのは、死んでから浄土へ行くことではありません。
 今ここで自分が浄土の住人であることを感得できれば、最も確実に救われます。

 経典は説きます。

「真言を誦(ジュ)すれば、則ち、如来の語と相応(ソウオウ)す」


 信じて祈る私たちの言葉は、そのままに、み仏の救いに満ちた言葉なのです。

 こうした阿弥陀如来であり、三回忌には極楽浄土へと直接、招き入れるみ仏なので、宗派を問わず、死者の成仏を願い祈られています。
 もちろん、いかなる宗教宗派を信じていようと、信じていまいと、まごころですがる人をお救いになられないはずはありません。
 だから、当山では相手様を選ばず、三回忌のご供養を求められる方々のため、至心に阿弥陀様の修法を行っています。
 また、よき人生であることを願う以下の方々のために行う修法を司ります。
 戌亥(イヌイ)年生まれの方。
 北西へ向かう方。
 2・11・20・29・38・47・56・65・74・83・92・101才の方。
 10月、11月に問題があったり、勝負をかけたりする方。
 戌の日や亥の日に引導を渡される方。
 足に不調のある方。
 行きたい場所へまちがわずに早く到達するよう望む方。
 御霊の供養を願う方。

5 光明真言(コウミョウシンゴン)

 第四章までに、み仏のご誓願を述べたので、今度は、あらゆる真言の徳が泉のようにあふれる光明真言(コウミョウシンゴン)へ移ります。
 経典は説きます。

「もしも人々がこの光明真言を自分の耳から聞くならば、一切の罪障が消滅する」

 
 光明真言はあらゆるみ仏の福徳智慧を網羅(モウラ)しており、この真言を聞いたり、光明真言マンダラを見たりすれば、無明と煩悩のために罪障を重ねている私たちに、それらを解消できるほど強力な善き影響力が生まれ、み仏の五智の光が輝き出して、生きているうちはもちろん、死後も、大きな安寧(アンネイ)が得られるのです。

 お大師様の師である恵果阿闍梨(ケイカアジャリ)は説かれました。

「円満なるみ仏のお救いがなかなか得られないのではなく、むしろ、お救いいただく確かな方法に巡り会うことが困難なのである」


 私たちは仏神のお力で苦を除いていただきにくいのではなく、本当にそうした願いが叶えられるための方法との縁が得にくいのです。

 密教中興の祖である興教大師(コウギョウダイシ)は説かれました。

光明真言をわずかに見る人も、聞く人も、この世において必ずやみ仏にお会いでき、教えを聞くことができる」


 たとえば、動けない親がいかに我が子の名を呼ぼうと、離れた所にいながら自分の足で歩けない子供を抱くことはできません。
 しかし、周囲の人々が子供を親のそばへ連れてくるならば、親子はしっかりと抱き合えるようなものです。
 光明真言にはそのようなお力があるので、大日如来と阿弥陀如来と両方の如来様の心中神呪(シンジュウシンシュ)と呼ばれています。
 仏界、神界に通じる真言の中心的真言であり、托鉢(タクハツ)行者はお寺やお墓の前だけでなく、神社でも唱え、あるいは、山や川や海へ向かっても唱えます。
 光明真言は、唱える先から文字の一つ一つが金色のみ仏となり行者の心身を照らすとされていますが、真冬や真夏の托鉢行、あるいは種々の場面でお救いいただいた真実経験は数えきれません。
 また、経文は説きます。

「亡者(モウジャ)菩提(ボダイ)のために光明真言を唱えて回向(エコウ)するならば、真言の光明は亡者の身を心身を照らして妄念(モウネン)や悪業(アクゴウ)を消滅させ、速やかに浄土へ導く」


 自分の家や病院で家族に見守られながら、穏やかな心境であの世へ旅立てる方々ばかりではありません。
 死はざまざまな形でやってきます。
 不意の、不如意の、無念の、あるいは絶望の中で旅立たれたと懸念される方々のために、この真言へおすがりして安置されたお骨の周辺に幾度、温かな明るさを感じ、修法後、送る方々の目に安心と感謝の涙を幾度、認めたかわかりません。

 人生相談に来られた方々へこの真言をお授けしたり、求められる方へ光明真言の法を結んだ「御加持(カジ)砂」をお渡ししたりするのには、こうしたわけがあるのです。

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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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